実験医学増刊:イメージング時代の構造生命科学〜細胞の動態、膜のないオルガネラ、分子の構造変化をトランススケールに観る
実験医学増刊 Vol.38 No.5

イメージング時代の構造生命科学

細胞の動態、膜のないオルガネラ、分子の構造変化をトランススケールに観る

  • 田中啓二,若槻壮市/編
  • 2020年03月18日発行
  • B5判
  • 248ページ
  • ISBN 978-4-7581-0385-5
  • 5,940(本体5,400円+税)
  • 在庫:あり
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第1章 近年の技術革新と解かれた構造

概論 近年の技術革新と解かれた構造
Recent technology advancements and high impact structures

若槻壮市
Soichi Wakatsuki:Structural Biology Department, School of Medicine, Stanford University(スタンフォード大学医学部構造生物学科・SLAC 国立加速器研究所)

「構造生命科学」研究を進めるうえで生体高分子が溶液中,結晶中,そして,実際の細胞内もしくは細胞間で機能発現している様を必要な時間,空間分解能で観察することは第一義的に重要である.解明したい現象が複雑になればなるほど,それに必要な解析技術は高度化し,要求も高くなってくる.第1章ではJST「構造生命科学」研究領域期間中に内外で大きく進展した重要な基盤技術について各分野の第一線研究者により,研究手法と解かれた構造の意義,インパクトを紹介する.本概論では,それぞれの技術革新が構造生命科学研究にもたらす意義と技術開発の状況,ボトルネック,開発課題などについて将来を見越して概観する.

 はじめに


構造生命科学は構造を通して,生体高分子やその複合体が細胞や細胞内オルガネラ内でどこでどのように機能しているかを解き明かすことで広く生命科学の進展に資することを目的としている.したがって,それぞれの生命科学研究で対象としている現象によって必要とする「可視化技術」の時空間分解能,視野範囲が大きく異なり,多くの場合単一のイメージング技術では答えが得られないことも多い.本章では,電子顕微鏡,高速原子間力顕微鏡,X線,一分子チップ,質量分析について第一線の研究者の方々に技術の最前線,またそれらを利用してはじめて明らかになった重要な生命現象の具体例を各分野のリーダーからご紹介いただく.本概論はその前置きとして各イメージング,構造解析の技術革新が構造生命科学にもたらす意義や,ボトルネック,特に今後望まれる技術革新について概観を述べる.

[略語]

cryoFIB:
cryo-focused ion beam(クライオ収束イオンビーム)
LCLS:
Linac Coherent Light Source
SAXS:
small angle X-ray scattering(X線小角散乱)
XFEL:
X-ray free electron laser(X線自由電子レーザー)

電子顕微鏡の分解能革新的発展で見えてきた超複合体とトモグラフィーの展望

クライオ電子顕微鏡(以下,電顕)技術は,その長い歴史のなかで,空間分解能が結晶構造解析の域まで上がらず,原子レベルの構造機能理解のための手法という認識がされない期間が長く続いたが,積年の複数分野の技術開発が功を奏し,「革命的な」空間分解能のジャンプ1)がみられてから構造生物学分野のメインツールとなっている.ここで重要だった技術は,日本の複数企業をはじめとする高度な電顕光学系技術に加え,直接電子を高速測定する電子直接検出カメラ(direct electron detector)の開発2),そこから毎秒数十〜数百枚得られる生体高分子の連続像(ムービー)を解析し,数千〜数十万の単粒子のムービーから複雑な単粒子構造を決めるためのアルゴリズムとソフトウェアの開発があげられる.クライオ電顕構造解析の大きな利点は結晶を必要としないことと,クライオ条件で凍結することでダイナミクスを実時間で見ることはできないが,逆にさまざまな構造不均一性をもったサンプルから構造のアンサンブルを計算機上で分類することで,構造ダイナミクスを再構成できることである.これらの技術の進展からクライオ電顕で得られる構造の空間分解能がそれ以前に比べて格段に上がり,アポフェリチンのように「固い」構造の場合1.5 Å台にまで達している3).世界各国の構造生物学研究室の冷凍庫に眠っていた結晶のできない生体高分子複合体サンプルが,クライオ電顕で構造が決まるとわかると,クライオ電顕利用の世界的ラッシュが引き起こされたともいわれるほどである.

日本では,高分解能クライオ電顕による構造解析は若干後手に回った感があったが,ここ数年クライオ電顕の整備がAMEDなどの支援により行われるようになり,次々にインパクトの高い構造が解かれるようになってきている.本増刊号では,特に顕著な成果をあげている方々にクライオ電顕を使った3つの最新の成果をご紹介いただいた.①西澤知宏博士によって構造決定された脂質二重層の細胞外側から内側に脂質を選択的に輸送するP4-ATPaseフリッパーゼによる脂質輸送(第1章-1),②胡桃坂仁志博士によるクロマチンダイナミクス(第1章-2),③遠藤斗志也博士らによってごく最近報告されたミトコンドリアへのタンパク質輸送装置(第1章-3)などである.これ以外にも,かなりの数の複雑な複合体の構造が日本の研究者によって発表されつつある.

ここまで進んだクライオ電顕単粒子構造解析ではあるが,いくつかの課題,すなわち新たな方法論の開発の余地が残されている.まず第一に電子イメージのS/N比とのバランスから低分子量のタンパク質やDNA,RNAの構造解析が困難なことがあげられる.検出器の検出量子効率改善,深層学習イメージ解析,他の構造体へ連結することで単粒子可視化を助ける方法などが考えられ,世界各国でさまざまな開発が行われている.もう1つの課題は,クライオ電顕用のサンプル準備,スクリーニングの効率化である.グリッドの数μmの穴につくる非常に薄い水溶液膜中に生体高分子単粒子を効率よく高密度でかつ重なりなく分散させることは多くの場合困難を伴い,各研究室から近いところにスクリーニング用の電顕があるかないかで効率が大きく左右される.

これに関連して,最も大きな課題は,最先端の200 kV,300 kVのクライオ電顕装置が非常に高価で,経年的に多額の維持費がかかることである.放射光X線実験施設ではビームラインを各施設で設計,開発,建設し運営しているが,クライオ電顕は検出器を別として原則,装置一式を1つの会社から購入することになっている.最も望ましいのは,日本を含めて複数の会社がクライオ電顕の開発,販売を行うような状況である.その意味で,クライオ電顕手法開発で2017年ノーベル化学賞を受賞したRichard Hendersonと彼の研究室のChris Russoが提唱している100 kVという低電子エネルギーの電顕は非常に興味深い4)

クライオ電顕の構造生命科学における次の大きな展開は間違いなくトモグラフィーである.本増刊号で福田善之博士に詳しく解説(第1章-4)いただいているが,細胞,オルガネラ内における生体分子複合体の挙動を位置と構造不均一性も含めてイメージングしようという画期的な手法である.電子線と生体物質の相互作用はX線と比べてきわめて大きく(cross sectionで約1,000倍),利用できるサンプルの厚さが数百nmに限られることから有核細胞のトモグラフィーを行うためにはクライオ収束イオンビーム(cryo-focused ion beam:cryoFIB)を利用する必要があるが,これは世界的に見ても発展途上の技術であり,集中的な技術開発と装置の普及が切望される.また,可視光顕微鏡,望むらくは超分解能光学顕微鏡をクライオ条件下で行い,cryoFIBと組合わせることが重要となるが,これも大きな開発要素である.さらに,画像処理,トモグラム中の生体高分子複合体の同定を間違いなく,かつ迅速に行うための技術が不可欠である.世界中で人工知能や深層学習を取り入れた画像処理ソフトウェアの開発が行われており,比較的安定な細胞骨格やリボソーム複合体などについては,ほぼ自動でアノテーションができるようになりつつある.ただし,似たような形をしているが実は異なる複合体が近接しているような状況で単粒子レベルでの間違いのない同定がどこまでできるかはいまだ定かでなく,実験的に各単粒子を見分けられる実験的な手法も開発が望まれる.例えば,放射光X線では金属原子の異常分散を利用してユニークに金属原子を同定する方法が多用されているが,電子線でも電子エネルギースペクトル解析,もしくは量子効果を用いた生体分子複合体の単粒子同定技術などが将来開発されることを期待したい.

高速原子間力顕微鏡(高速AFM)

高速AFMはわが国が世界に誇る,他の追随を許さない重要な技術である.構造生命科学CRESTとさきがけ研究領域では,高速AFM開発のリーダー安藤敏夫博士,小寺哲幸博士が研究者として参画され高速AFMを多くの生物現象のイメージングに応用することで数々の驚くべき発見,成果をあげてきていることが,両人がそれぞれ執筆されている本増刊号の記事(第1章-5,第4章-3)からも明らかである.構造生命科学研究領域内の新たな共同研究では,オートファジーPAS複合体の動きや,CRISPR-Cas9がゲノム編集をする瞬間を高速AFMで捉えたことが報告されているが(第2章-1,第2章-4),これら以外にも膜タンパク質の結晶学や電顕から得られる描像を超えてさまざまな挙動をとることが手にとるように見えてきた.AFMは基本的に二次元表面観察技術であるが,安藤博士も述べておられるよう,細胞膜剥離法など種々の工夫をすることにより細胞内のより柔らかいオルガネラや,細胞内で固く固定されていない浮遊体のAFM観察ができるようになることが望まれる(第1章-5).また,AFMのカンチレバーを複数組合わせて独立に動かせるようにし,観察用のカンチレバーで継続的に観察を続けながら,あるタイミングでターゲット特異的に力を加えたり,外部からタンパク質,DNA, RNAなどの複合体や構造物を数nmの精度でターゲット部位にもたらす技術が実現すれば,基本的な生物現象の理解だけでなく,ドラッグデリバリーの効果を実時間で可視化できることで医科学,バイオエンジニアリングなどの応用研究に多大なインパクトをもたらすと考えられる.今後はこの日本初のイメージング技術がX線,可視光,電顕などとなるべく実時間で相関をとれる形に発展するとともに,非専門家でもより簡易に行えるように一般化され,世界中でより広く使われていくことを期待したい.

放射光X線,X線自由電子レーザーの高度化と新機軸

放射光X線を用いた構造生命科学はX線結晶学,X線小角散乱,金属タンパク質の金属の電子状態を探るX線吸収分光法,軟X線イメージングなど多くの補足的な研究手法が確立されている.特にそのなかでもX線結晶構造解析はよい結晶さえ得られれば高分解能構造が短時間で得られることから,生体高分子構造解析の王道として,数十年前から世界中で使われている.わが国でも放射光施設は非常に充実しており,特にSPring-8やフォトンファクトリーのX線結晶構造解析ビームラインはロボット,サンプルハンドリング,データ収集・解析システムなど数々の技術開発を進め,実装化,ユーザーサポートを行うことで,国内外の産官学ユーザーから利用され数多くの成果が得られている(第1章-6,第4章-2).そのなかで,第1章では,非常に大きなインパクトのある成果として自然免疫受容体TLR7ファミリーの活性化機構を清水敏之博士(第1章-7)に,また,微生物における水素を利用したエネルギー代謝で最も重要なヒドロゲナーゼの分子進化を樋口芳樹博士(第1章-8)に執筆いただいた.いずれの系についても著者らの長年の生物学研究で継続的に放射光X線結晶構造解析技術を利用することで分子機構を解明されてきたことがわかる.ヒドロゲナーゼの構造機能解析では,鉄硫黄クラスターやニッケルが重要金属として含まれていることから,放射光X線の重要な特性の1つである広範な波長選択性を使ってX線波長をこれら金属のX線吸収端に合わせ異常分散効果を利用することで,きわめて複雑な電子伝達系の謎を紐解くことに成功している.

結晶構造解析以外でも,溶液中の動的構造を捉えることができるX線小角散乱(small angle X-ray scattering:SAXS)は,近年非常に多用されるようになってきている.放射光X線の高輝度化,安定化,サイズ排除クロマトグラフィーとの併用などに加えて,一次元情報から三次元構造情報を得るアルゴリズムとソフトウェア5)の開発が昨今のX線小角散乱の利用につながっている.SPring-8,フォトンファクトリーでもSAXSビームラインが整備され,X線結晶構造解析ビームラインと相補的に広く利用されている.

放射光X線に加えて,2010年代初頭からはX線自由電子レーザー(X-ray free electron laser:XFEL)がアメリカのSLAC LCLS(Linac Coherent Light Source)6),日本の理研・播磨事業所(SACLA)7)で稼働しはじめ,その後欧州XFEL8),SwissFEL9),Pohan XFEL10)が続いて世界各国でXFELを使った構造生命科学研究がはじまった.XFELは数十億ボルトまで加速された電子がアンジュレーターという磁石列が数十〜100メートルも連なった装置の中を通る際に電子パルスとそこから発生する強力なX線の相互作用によりレーザー発振させるもので,そこから得られるX線パルスは放射光X線の1パルスあたりの輝度に比べて10億倍もの強度がある.また,そのパルスの長さも数十フェムト秒から数百フェムト秒と,放射光の1,000の1の短さである.このように今まで人類が見たことのない超高輝度のX線パルスは,その後間もなくパルス一発でも十分なX線回折像が得られることがわかり,そこから得られるタンパク質の構造は,最初の数十フェムト秒,まだ放射線損傷がタンパク質内を伝搬する前の姿を忠実に示していることがわかり,フェムト秒シリアル結晶学という分野が生まれた.シリアル結晶学というのは,ナノ結晶をインクジェットのようなジェットノズルでXFELビームに当てるもので,1回の照射で結晶ごと壊れてしまうため,次から次へとシリアルに連続的にサンプル供給することからその名がついたものである.もともとのXFEL計画で提唱されていたのは単分子構造解析であるが,まずはナノ結晶しか得られないGPCR膜タンパク質の構造解析11)12),ピコ秒以下の最高時間分解能を駆使したバクテリオロドプシンの光応答構造ダイナミクス13)などで大きな成果が得られるようになってきた.XFELの利用についてはXFELビームの特性を生かした超微小結晶,超高時間分解,室温での回折データ収集などの実験計画が重要(第4章-2)であるが,放射光X線との相補的な利用が推奨される.

超ハイスループット一分子計測を可能にする一分子チップ技術

渡邉力也博士によるエレガントな一分子計測反応チャンバーチップ(第1章-9)は,その斬新な設計と高い再現性により,ここ数年数多くの輝かしい成果が得られている.本技術は,さきがけ「構造生命科学」領域の研究者が研究領域内外のさまざまな研究者と異分野連携をするなかで「問題解決のための技術開発」を徹底的に行ってきたことによるものといえる.例えば,脂質二重層の非対称性が生命機能に重要であるが,それをコントロールするフリッパーゼやスクランブラーゼなどの機能を一分子ごとにしかも同時にハイスループットで解析する手法は全くなかった.そのような脂質二重膜の脂質非対称性の研究を可能するにはどうしたらよいかという,さきがけ領域会議での「注文」に対して,渡邉博士は半年後の次回報告会までの間に,一分子チップに脂質を乗せる技術を改変することで非対称性をもたせることに成功した.このように必要性に迫られて問題解決型の技術開発をしていくという研究姿勢は,構造生命科学研究で最も重要なものの1つである.渡邉博士はさきがけ研究終了後,同領域の研究者らと新たなチームを組んで別のCREST領域に申請し,エクソソームを対象にした研究をはじめているとのことである.クライオ電顕との相補利用も視野に入れたもので,今後さらなる技術革新を期待したい.さらに,今後は「二次元」という現在の一分子チップの基本制約から脱し,垂直方向に何層にも有機的に重なった二次元タイプの一分子反応槽ネットワークのような計測デバイス,さらには,微量ながら自動で複雑な生体分子を合成していくようなシステムバイオロジーにも利用できるようなデバイスへの発展もでき,利用者層が格段に広がるであろう.

質量分析の技術革新で見えてくる生命現象

RNAの転写後修飾の構造機能解析を可能にするLC-MS技術開発では,複雑多岐なRNA機能制御を司っている150以上の転写後修飾現象を迅速に追跡できるLC-MS技術が田岡万悟博士,礒辺俊明博士によって紹介されている(第1章-10).ナノフローLC-MS法や検索エンジンソフトウェアなどの組合わせにより,プラットフォームの高度化が鋭意進められてきた.クライオ電顕解析と相補的にRNA LC-MS法を用い,リーシュマニア症治療薬とリボソーマルRNAの転写後修飾の革新に迫るなど,インパクトの高い成果も得られている.将来はさらなる高度化により,1細胞レベル,さらには,細胞内の高位置分解能をもたせることにより細胞内オルガネラレベルでRNA修飾の質量分析マップが可能となるような技術開発を期待したい.

 おわりに

近年の構造生命科学関連の技術革新は,X線自由電子レーザーによる放射線損傷前の高分解能構造解析,クライオ電顕の高分解能達成,高速AFMによる溶液中一分子の機能発現の可視化など,10年前には予測だにできなかったものが多い.これらはひとえにそれまで数十年間にわたる多くの開発者たちの絶えざる努力の賜物であるとともに,チャレンジングな生物学研究課題に取り組む研究者たちとの信頼関係の上に成り立つ共同開発の成果である.以下本章で紹介される構造生命科学研究例はどれも日本の誇る研究成果であり,そこから新しく生まれてくるさらに高度な医学,生物学研究テーマは今後10年,20年のさらなる技術革新を引っ張っていく原動力となるであろう.

文献・ウェブサイト

著者プロフィール

若槻壮市:スタンフォード大学化学科Ph.D.課程修了(1990年),’90年オックスフォード大学ポスドク,’94年European Synchrotron Radiation Facility(ESRF)ビームラインサイエンティスト,グループリーダー,2000年から高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所教授,構造生物学研究センター長,放射光研究施設長,物質構造化学研究所副所長を経て,’13年からスタンフォード大学医学部構造生物学科教授,SLAC国立加速器研究所光科学教授,’12年〜’18年さきがけ「構造生命科学」領域の研究総括,PDIS解析拠点代表.

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  • 田中啓二,若槻壮市/編
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