序
西尾和人
(近畿大学医学部ゲノム生物学)
2019年はゲノム医療元年ともいわれ,がん遺伝子パネル検査が保険収載され,がん臨床の転換点となった.実装化へ向けた努力は医療現場で続けられている.
従来の臓器別の診療から遺伝子変化ごとのがん診療へと移り変わりつつあるなか,ドライバー変異が同定されても,実際に患者に合った治療薬が見つかる割合は,国内においてもそれほど高くないことが示されている.
現在では,ドライバー遺伝子を有する腫瘍に対してチロシンキナーゼ阻害薬等の小分子化合物や抗体が用いられ,それ以外に免疫チェックポイント阻害薬が用いられることも多くなってきたが,プレシジョンメディスンは分子標的薬を中心に実施されているといっても過言ではない.一方で,現状では,パネル検査の併用療法に対する情報提供は十分ではないと感じることもある.いずれにしろ,パネル検査により実際に患者が薬を使用する機会を増やすことが急務であると考えられている.そのため,わが国においては,患者申出療養制度の効率化やプロファイリング検査をtreatment naiveな時点で実施できるようにならないかなどが議論されている.
しかし,さまざまな遺伝子変化に対し,実際に使える治療法を増やすには,それらの候補となる分子標的薬等が数多く創り出されることが最も重要である.審査・承認の過程においては,その迅速化とともに横断的CDxに向けた取り組みが進められている.
このように,新しい標的に対するがん分子標的薬の創生が今,改めて求められている.一時は停滞期に入ったとみられていたがん分子標的治療薬の開発は,新たな創薬モダリティ,適応患者の層別化といった変化を追い風に,再び加速の機運が高まっているとの声が多く寄せられている.
そこで本書では,今後の分子標的治療薬の充実に必要な基礎研究は何なのか,トレンドを整理して学びたいという声に応えるべく,分子標的薬とそれを支える分子診断技術の研究最前線を,各テーマの最前線の研究者により,複数の視点から執筆いただいた.
本書の「第1章 新しい標的」では,古くて新しいものも含めて,融合遺伝子,RAS,がん代謝・ミトコンドリア,メチル化,腸内細菌叢,リポジショニング,ADC,核酸医薬を取り上げた.コンセプトから,臨床試験段階まで,さまざまなフェーズの取り組みが紹介される.
「第2章 ゲノム医療時代のコンパニオン診断薬開発の在り方」では,今や標的に対して,診断薬と分子標的薬は創薬の段階から同時に考えていくべきことであるという観点から,承認・申請における考え方と臨床試験デザインについても執筆いただいた.
「第3章 遺伝子パネル検査を分子標的薬から考える」では,先に述べた潮流から,今改めて分子標的薬とパネル検査の関係を論じていただいた.
「第4章 より精密ながんゲノム医療を目指して」では,がんのプレシジョンメディスンの現場において時に悩ましい点について基礎的に論じていただくことで,新しい創薬のヒントになることを意図した.
「第5章 耐性メカニズムとその克服方法」では,分子標的薬の特徴である獲得耐性とその克服の展望をTKI,血管新生阻害薬,免疫チェックポイント阻害薬について説明いただくことで,その比較から耐性克服に向けた創薬のヒントとなることを目指した.
「第6章 未来志向の分子標的薬」では新しく注目すべきモダリティについて紹介いただいた.
本書が読者の皆さまに研究の次の一手を考えるきっかけを提供できれば幸いである.
最後に,本書の編集に当たり,上記趣旨を勘案いただき,快く執筆いただいた執筆者の皆さまにこの場を借り深謝申し上げます.
2020年8月
西尾和人