鼎談
Precision Medicineをめざす肥満症研究
梶村真吾1),小川佳宏2),矢作直也3)
(ハーバード大学Beth Israel Deaconess Medical Center1),九州大学大学院医学研究院病態制御内科学分野2),筑波大学医学医療系内分泌代謝・糖尿病内科3))
※本鼎談は2021年1月8日(日本時間)にオンライン会議システムにて収録しました
集団から個人差の理解へと移る肥満症研究
今回の増刊号の企画の背景についてお話しください.
梶村これまでの肥満研究の歴史を辿ると,中枢における食欲制御や,腸管における栄養摂取制御の機構がそのメインストリームの1つだったように思います.Jeffrey Friedman博士(ロックフェラー大学)らによるレプチンの発見や,寒川賢治先生(当時:国立循環器病センター)らによるグレリンの発見がその例です.これらの発見が画期的だったのは,肥満が単に「意志が弱いからだ」というそれまでの社会的通念から,「生化学的な問題」へと転換したからでしょう.
一方で末梢組織の代謝の研究も,車の両輪として進んできました.例えば筋肉の代謝やミトコンドリア産生のメカニズム,褐色脂肪細胞といったものです.これらの研究から,肥満の原因はエネルギー摂取のみならず,摂取と代謝のバランスの破綻にあることが明確になってきました.いま肥満症の治療で用いられる薬を見ても,例えばGLP-1は,エネルギー代謝を落とさずに摂食を抑制します.2016年に箕越靖彦先生(生理学研究所)と共同で編集した実験医学増刊号『「解明」から「制御」へ 肥満症のメディカルサイエンス』では,この2つを同時に制御する必要があることをコンセプトにしました.
今回,ふたたび肥満症の増刊のオファーを受けたとき,またもう1つ違ったコンセプトを打ち出し新しい読者層にリーチしたいと考えました.そこで,いまだに解決できていない重要かつ困難な点は何かと考えると,それは個人差の問題です.例えば世の中で「ナントカだけダイエット」という話はいくつも聞きますが,全員に効果のあるようなものはもちろん存在しない.しかし,効く人と効かない人を分ける分子基盤はわからない,それが私は非常に大きな課題だと思っています.しかしこれは,裏返せばscientific opportunityともいえるでしょう.特にがんの分野では,すでに,個別化医療あるいは精密医療(Precision Medicine)が行われつつあります.肥満の分野でも,後ほど矢作先生から解説いただくように,個人差にかかわるようなGWAS,エピゲノム,腸内細菌叢,栄養学的な知見を積極的に取り入れることで,今回の増刊号のタイトルにもあるように「個人差の理解へ向かう」ことができるのではないでしょうか.
小川脂肪細胞が内分泌細胞としてアディポサイトカインを分泌することや臓器連関における脂肪組織の生理的・病態生理的意義に関する知見が,ここ20〜30年で集積してきたのはFriedman博士によるレプチンの発見が大きな契機だったのでしょう.また梶村先生も一緒にご研究されたBruce Spiegelman博士(ハーバード大学)らによる脂肪細胞の分化因子PPARγの発見により脂肪細胞の分化機構が詳細に記載され,分子レベルで末梢組織と中枢神経系が,あるいは個体全体と個別の臓器の連関(臓器連関)が,それぞれの階層で詳細に語れるようになり,これは前回の増刊号でも強調されていたように思います.
肥満症は糖尿病のようにインスリンを中心として考える疾患とは異なっており,「体重が重い」「脂肪が過剰」というような複合的で漠然としたコンセプトです.必然的に脂肪組織も肝臓も骨格筋も中枢神経系も,あるいは食欲調節もエネルギー代謝も関連するマルチな研究分野で,捉えどころがないともいえますが,その分面白いですし,さまざまな疾患に対して予防医学的な介入が可能です.
従来のサイエンスでは万人に共通するメカニズムを細胞・動物モデルから導いてきましたが,梶村先生がおっしゃる個人差を理解するためには,マウスの実験でも複数系統で行う,あるいは種属差を比較するなどのアプローチが必要かと思います.
矢作レプチンやPPARγのように,1990年代から肥満研究がmolecular basisで,サイエンスを起点としていわばシーズプッシュ型に進んできました.一方で,肥満症で苦しむ人たちのニーズにどのぐらい応えられているかというニーズプル型の観点で考えると,肥満症治療の臨床で使えるのはGLP-1製剤とSGLT2阻害薬の2つぐらいです.2000年代には食欲抑制剤への期待も一時期高まりましたが,うつ病のような精神的に重篤な副作用もみられ,うまくいきませんでした.あと肥満症治療に関して成功しているのは肥満外科手術ですが,これにも精神面の影響が言われていることなどから,適用を広げるべきかについて議論が行われています.
そのような現状にどうやって切り込むかを考えるうえで,Precision Medicineの概念が必要だと感じます.どこまで成功するかはわかりませんが,肥満症をきちんと人類が克服するには,おそらくまだ膨大な道のりが残されているでしょう.
状態の「肥満」から疾患概念の「肥満症」へ
本増刊号のタイトルにもある「肥満症」という言葉についてお教えください.
小川「肥満(obesity)」は単に太っている状態を指し,体重や外見から判断するものです.一方で「肥満症(obesity disease)」は,肥満に起因する,もしくは関連する健康障害を合併する症状を,一定のエビデンスに基づいて11個に絞り,この合併症がある場合と定義します(図1).肥満症の概念は,減量によりその合併症あるいは肥満に関連する健康障害を改善できるという目的で,疾患概念(disease entity)として取り上げようということから生まれました.
日本で肥満を考えるうえで欠かせないこととして,注目すべき点は,日本人は欧米人と比較して太ってないということです.それでも肥満症という概念が最初に日本から出たのは,大阪大学(当時)の松澤佑次先生(現:住友病院名誉院長)のご貢献が大きいと思います.同じ肥満でも病気になる人とならない人がいるが,それは脂肪の分布が違うからである,より具体的には内臓脂肪と皮下脂肪の疾患発症に対する寄与度が全然違うというのは日本発の重要な概念です.
日本肥満学会では肥満症(obesity disease)という言葉を,まずは名古屋宣言(2015年)1)としてアジア・オセアニア肥満学会を対象として,次いで2018年に神戸宣言として日本医学会連合のなかで肥満症と関連する23学会から発表しました.私は肥満は多くの疾患の原因にも身近な病態であるため,疾患研究にかかわる研究者の共通の基礎知識として理解しておいていただきたいと思います.それがかかわる疾患は,本書の第3章に解説されています.
COVID-19と肥満の関連が最近注目されています.現時点の状況をお教えください.
梶村COVID-19の重症化リスク因子にはさまざまな候補があがりましたが,年齢を別にすれば,肥満が重症化のリスクファクターの最大要因の1つであることは間違いありません.BMI>30であることのCOVID-19による重症化のhazard ratioは1.2〜1.8と報告されています2).
そのメカニズムにはさまざまな説があり,おそらく単一ではなく組合わせなのだろうと思われます.現在のところ,主に3つの説があるようです.①ウイルスの感染経路,つまり肥満症ではウイルスの感染効率が高まるという説,②免疫反応のうち最初のインターフェロンγの反応が遅れる,つまり肥満症ではウイルスに対する防御が低下するという説,③過剰な炎症反応により血栓ができやすく肺血栓・心筋梗塞・脳梗塞につながるという説,があると理解しています.今後,ワクチンの効き方,つまりウイルスに対する抗体産生能が肥満でどのくらい影響されるかが次のファクターとして加わるでしょう.
過去には例えば鳥インフルエンザのときにも,肥満のリスクは知られていましたので,必ずしもCOVID-19に特異的ではないようですが,炎症や免疫に対する肥満の一般的な影響と,コロナウイルスに対する特徴的な要素の,組合わせだと思われます.
小川COVID-19に特異的なところとそうでないところをきちんと区別することが,肥満の病態を考える1つの手がかりにもなるでしょうね.
日本人は太る余力が小さい?
本書の第5章のタイトルの「metabolic healthの管理」とはどういった考え方なのでしょうか?
小川metabolic health(あるいはmetabolically healthy)というのは,個々人のエネルギー貯蔵におけるキャパシティがあり,そのキャパシティ(=肥満限界)の中に収まっている状態を指します.外見的にBMIがいくつであろうと,その人のキャパシティの中であればhealthyであり,逆にオーバーしてる場合はunhealthyな状況につながるレスポンスが出てきます.言い換えると「どのぐらい太ってるか」よりも「あとどのぐらい太れるか」が重要であり,それを私たちは肥満余力と呼んでいますが,それがありさえすれば問題ありません.ただ限界を超えると,インスリン抵抗性も含めてnegative feedbackが発動してきます(図2).
ただし,肥満限界の高さには個人差があります.これが非常に低い典型例が脂肪萎縮症です(3章-5参照).脂肪が全然ない人たちは,インスリン抵抗性が強く脂肪肝にもなり,すなわち,代謝面からでは肥満症と同じ状態になります.逆に肥満余力の充分ある人は,例えばBMIが30近くでも,健康障害は見られず全然問題ありません.したがって,BMIが25や30だというような外形的なものだけで語ることには理論的に無理があります.そのような個人差がまさにこれから,分子的な背景も含めてもっと追究されるべきと思います.
個人差を決めるファクターは皮下脂肪の量のほかに何があるのですか?
矢作量だけではなく,脂肪細胞の機能,あるいはそこに貯められてる脂質のクオリティもかかわります.われわれは脂肪酸の鎖長が鍵の1つではないかと考え,ELOVL6という脂肪鎖伸長酵素に着目し研究を20年近く行っていますが,ファイナルアンサーには至っておりません.
小川脂肪細胞が脂肪を貯めるために重要なファクターとしてわかりやすいものに,インスリンの分泌予備力があげられます.アナボリックなホルモン(同化ホルモン)で一番メジャーなものがインスリンです.日本人はあまり太れないというのも,インスリンの分泌が欧米の人より悪いというのもあるかもしれません.インスリン分泌能の高い人は,インスリン抵抗性に対しても代償できることになるので,肥満余力という概念では重要でしょう.
あと臨床医療における個人差について申し上げます.もちろん個人差は大事ですが,現場の医療ではまずは標準的な概念,例えばBMIにも一定の基準を設けておかないと,「私はBMI30だけれど他の人と違うから大丈夫だ」という考え方にもつながりかねないです.
矢作その通りです.統計的にBMIと健康障害に正の相関があるのは間違いありませんし,統計量としてのBMIが重要であることは間違いありません.またそこに個人差も織り込んで「20歳のときの体重を基準にプラス10キロまで」というような外形的な指標も有用です.統計量としてBMIなどの外形的な指標が重要であることを前提として,プラスして,個人差を加味するべきですね.
インスリンの分泌能についてもご指摘の通り重要で,日本人は特に欧米人に比べてもインスリン分泌能が低いと言われています.ただ逆説的に,動脈硬化や心筋梗塞が日本で少ないというfavorableな現象とつながりがあるという説も言われており,興味深いです.
梶村皮下脂肪の膨らむキャパシティがアジア人で特に低いのは,より脂肪組織がfibrotic(線維的)になりやすいからであるという説もあります.線維的というのは,いわゆる組織の線維化が起きることによって脂肪組織が硬くなり,膨らむ許容量が低いということです.その結果として,収まりきらない中性脂肪が内臓脂肪にいくというものです.
矢作そもそも中性脂肪は細胞の中にきちんと収まっていれば,本来有害なものではありません.それが何らかの形で押し出されることから問題が起こるわけです.そこがなぜ破綻するのかをもっと掘り下げていきたいですね.
肥満の個人差の理解に未だ決定打はない
個人差の理解に向かうアプローチとしてGWASが用いられています.その経緯についてご紹介ください.
矢作詳しくは鎌谷先生の稿(4章-1)をご覧いただくとして,私からは簡単にご紹介します.これまでに肥満に関し,GWASによって図3のような遺伝子が同定されてきました.
ゲノムワイド関連解析(GWAS)は2000年代半ばからさまざまな疾患で行われています.肥満症の原因遺伝子として一番有名なのはFTOです5).それ以降十数年が経ち,非常に多くの遺伝子が見つかるなかで,どうやらBMIにかかわる遺伝子,脂肪の量にかかわる遺伝子,高度肥満にかかわる遺伝子というように,多様なグループに分かれ,むしろ共通のものはFTOとMC4Rくらいに留まっています.そのFTOもそこまでオッズ比が高いわけでもなく,つまり一つひとつの遺伝子の寄与が小さいなかで,組合わせで肥満になるというイメージだと思います.ですので,遺伝的背景も重要であるのは間違いないですが,個人差をどれだけ説明できるのかについては,少なくとも決定的なものがわかったわけではないようです.
小川ケンブリッジ大学のSteve O’Reilly博士は世界中の肥満関連遺伝子の家系調査をしています.肥満の脂肪組織における慢性炎症の研究をやっている私に向かって「自分のGWASからは炎症の遺伝子はほとんど入ってこない,だから炎症は肥満の本質ではない」と言われたことがあります.私はそれでも炎症は肥満の病態において重要だからとディスカッションしたことがあります.
彼はおそらく,肥満の体重増加は中枢性の食欲調節によるということを述べていると思います.「肥満」と書かれたカルテを全部ひも付けして, N数が1万や10万になると遺伝統計的に正しい結論が出ると思いますが,詳細なメカニズムは見直す必要があると感じています.つまり炎症は肥満そのものの太る・太らないという面にはMC4Rやレプチンほどは強くかかわらないかもしれないが,肥満の合併症にはおそらく関与するのではないかと.つまり私たちがもってるイメージとGWASの結果が違った場合,病態の全体像を考慮して解釈する必要があると思います.
疾患研究を駆動するイノベーション
生命科学の解析手法で,肥満症の研究において重要性を増しているのはどういったものですか?
梶村先ほど話題があがった,過去のインスリンにまつわる技術革新として,ラジオイムノアッセイ(RIA)があげられます.100年前にインスリンが発見され,抗体ができると,RIAにより多くの検体の血液からインスリンを定量できるようになりました.すると多くの糖尿病予備軍,つまり現在インスリン抵抗性と定義される群では,インスリン量が低下しているわけではなく,むしろインスリン量がより高いということがわかりました.これらの研究から,インスリン感受性が2型糖尿病の発症の重要な要素であるという概念に発展していったのです.私の前所属のカリフォルニア大学サンフランシスコ校で.まさにその歴史をつくられた方々が近くにいらっしゃり,その話をよく聞かされたものですが,技術革新から疾患概念が生まれるという良い例だと思いました.
さてここ10年ぐらいのスパンで見ると,中枢神経や食欲抑制,もしくは最近ですと,食嗜好の研究(第2章)が劇的に進んだのは,オプトジェネティクスという特定のニューロンを制御できるテクノロジーができたおかげでしょう.また,末梢組織の代謝研究(第1章)ではトランスクリプトームやプロテオミクスがシングルセルレベルで可能になりました.今まで細胞や組織を均一な集団でしか解析できなかったものが,1細胞レベルでできるようになるという画期的なテクノロジーです.さらにメタボロミクス,特にリピドミクスのプラットフォームがどんどん使いやすくなり,専門家以外でも扱えるようになりました.これらプラットフォームの改善によって,元は基礎研究者だけが使っていたものが,病態の理解に次々と応用されています.
一方で1細胞解析の分野では,組織をばらばらにして解析しますので,細胞の位置情報が失われるのが課題です.神経科学はもちろんのこと末梢組織の解析でも,位置情報は非常に重要です.この課題に対して,例えば細胞ラベリングの技術が進歩し,位置情報もある程度保存しつつ1細胞解析ができる時代になってきました.また,メタボロミクスでも,顕微鏡のイメージと質量分析を組合わせたMALDI-イメージングが行われており,数年もすれば専門家以外でも使えるようになるでしょう.そうすると,また新たな疾患概念が生まれてくると思います.
小川基礎研究で行われたことが臨床でもどんどん行えるようになっている期待感は,肥満症研究に限らずあると思います.
臨床の視点の話をすると,私の教室には肥満・糖尿病以外にも肝臓や膵臓,消化器,血液のグループがありますが,特に肝臓や膵臓,消化器のスタッフを見ていると,内視鏡下での針生検(超音波内視鏡下穿刺吸引法:EUS-FNA)であっという間に膵臓がんや肝疾患の組織を採取し,それを病理学的に診て,診断・治療につなげています.また血液のグループも,白血病のような血液疾患では一定の頻度で骨髄穿刺を行うため経時的に臨床検体を扱いやすい.一方で少なくとも日本では脂肪組織の生検を行うのも大変ですし,ましてや何回もくり返すことはできません.今はどうしてもサロゲート(代用)マーカーで追わなければいけない部分があります.シングルセル解析を行うにはそういったハードルを越える必要があるでしょう.
矢作今後必要と感じる視点は,進化論的な肥満の意義を解き明かすことです.生物界を広く見たとき,肥満という現象が起こる種は実は限られています.例えば昆虫には肥満はありません.また脂肪細胞はそもそも脊椎動物が陸に上がって両生類になってからできてきたものですから,魚類には存在せず肥満にもなりません.では肥満の原型はどこにあるかと考えると,私は渡り鳥だと思います.渡りで1万キロや2万キロを飛ぶ前に一気に食べて体を大きくして飛んでいく,たぶんそれが進化的に肥満の起源に近いと思います.ですので比較生物学から新しい糸口が出てきたら面白いと思い,分子生物学会などでも意識してその方面の話を聞いていますが,梶村先生は何かご存じですか.
梶村今までのバイオメディカルの研究は,マウスをはじめとするモデル生物を使わざるを得なかったため,比較生物学の視点はなかなか進みませんでした.しかし,最近ではCRISPR-Cas9をはじめ遺伝子工学の技術革新が進んでいますので,今後,モデル生物を使う必要性がなくなり,比較生物学的なアプローチを実験系に取り込むことができるでしょう.
小川歴史を遡ると,一定の気候変動のなかで寒冷期が訪れます.そういう食糧が少ない時代にどうやって生き抜いていくか,その究極の例が冬眠(torpor)ですよね(1章-5参照).比較生物学や進化論的に考えると面白い視点があり,脂肪組織に脂肪をためるというのは,飢餓に備えるために必然的に生物が進化したものです.ところが文明化が進み,いつでも食べたいだけ食べられる時代になると,限られたコミュニティーで太ってしまう集団が現れる.それがおそらく遺伝的な素因と気候を含めた環境要因のかねあいで決まるでしょうし,肥満症という疾患の治療や病態の理解にもつながると思います.
肥満症治療の課題
小川先ほど矢作先生も話されたように肥満の治療薬(6章-1参照)の開発は難しい面がありますね.ぜひ末梢組織でエネルギー消費を亢進させるような治療薬の第1号を梶村先生につくっていただき,私と矢作先生が世界第1号で治験するのが夢ですけれども(笑).それはともかく,脂肪吸収阻害のためのリパーゼ阻害薬のように臨床で使われてる治療薬がある一方,中枢性食欲調節は非常に複雑で,マウスでいくらうまくいってもヒトでは高次機能が全然違うためかうまくいかないことが多いようです.報酬系がその例です.私はいつも,視床下部の摂食調節というのはシンプル脊髄反射のように考えています.エネルギーが足りないことが食欲に直結しているということです.しかし視床下部より上位の大脳皮質が関与してくると,脊髄反射だけでなくより高次的な判断が行われます.例えば接待だから嫌いなものでも食べないといけないとか,外食後に帰宅して食事をもう一回食べないといけないとか,ありませんか.中枢性食欲抑制をもたらす治療薬を開発するうえで,報酬系のようなヘドニック(快楽的)なものと,恒常性維持機能としての食欲をどの程度分けて考えることができるのかが鍵でしょう.そうすれば,報酬系にできるだけ影響しない,あるいは報酬系もうまく活用できる可能性があります.まずは動物実験からはじめ,最後に臨床現場にもっていくまで向こう10年や15年かかると思いますが,重要なポイントです.
また外科手術(6章-2参照)は,一定の効果はあります.ただ10年20年といった長期間フォロー後のエビデンスはありませんし,不可逆な介入方法ですので,慎重さも必要です.一方で外科手術から学んだこと,例えば代謝状態や腸内細菌叢の変化などを,特に私たちのような臨床現場から基礎研究にフィードバックできるといいですね.
矢作日本ではまだ介入度が比較的軽度なスリーブ胃切除しか保険収載されていませんが,代謝状態の変化は起こります.もしかしたら胃の一部を取ると神経系が切除されたりとか,あるいは胃が分泌するホルモンや液性因子が変化したりとか,それがまた腸内細菌に影響するとかがあるかもしれません.
小川臨床的に経験するがしくみがわからない謎は非常に多く,それを梶村先生のような基礎研究者にも正しく伝えて一緒にコラボしていくのはすごく大事なことなのでしょうね.
梶村バイパス手術により体重が低下した後,代謝の状態を保ったまま体重を保つ人もいますが,リバウンドする人たちも多くいます.減らした後の適応状態,いわゆるメタボリック・アダプテーションといわれる状態で何が起きているかは未解明な部分が大きいと思います.
小川適正体重を保つ(メンテナンス)というのはすごく地味に聞こえますが,個人差はそこにあると思うんですよね.リバウンドするときに何が起こっているかを一生懸命研究してもなかなかトップジャーナルには載らないでしょうし,個体差が出やすいので,どのようにして動物モデルに落とし込むかさえもわかっていないでしょうね.
梶村アメリカNIHでは,今年(2021年)から体重が低下した後,つまりメタボリック・アダプテーションの状況で,どのような生理的,分子的な変化が起きているのかを理解するプログラムがはじまりました.それをきっかけに私もそういう話をいただいてからこの問題をより考えるようになりましたが,驚くほどその分子基盤はわかっていないのです.例えば,ダイエットに取り組み体重が減ったらお金をもらえる『The Biggest Loser』というテレビ番組では,挑戦者の多くは番組終了後に(つまり,報酬がもらえなくなると)体重が戻ってしまうのだそうです.分子生物学にも未開発な領域で,私は非常に興味深いトピックだと思います.
矢作ソーシャル的な面もあり,報酬があると適正体重を保持しやすいという報告はあるようです.
小川私も所属施設を異動していて数年くらいしか患者さんを診ていないので,20年先までのことは見当が付きませんが,外科手術前に精神疾患の有無を診る過程でダイエットに対する意識を伺います.一般的にダイエットに対する意識をある程度もっている人は,手術後も比較的体重をメンテナンスできるように思います.逆に手術前にそれほど意識が高くない方は,手術により一定の範囲で体重は下がるものの,その後またリバウンドする傾向はあります.肥満は複雑系の現象ですが,外科手術前に得られるパラメータを用いて術後の体重のメンテナンスの成功度合いを予測できるようになるかもしれません.
Precision Medicine・Precision Nutrition時代に向けて
今後の肥満症研究に期待することや,新規参入の心構えなど,読者へのメッセージをお願いします.
矢作肥満の個人差を考えるときに,どのような体型がより健康的かという疑問があると思います.しかし私は,健康ということ自体も突き詰めると,例えば人は健康なまま死ぬことはできるのか,というクエスチョンを考えてみると,難しく奥の深い分野だと感じます.そこに対して私自身は,脂肪細胞の肥大化という細胞生物学の現象からアプローチしたいと考えています.脂肪細胞は変幻自在に大きさを変えられ,ときに150μmにもなるような非常に不思議な細胞です.それがなぜ可能なのか,脂肪細胞が大きくなるとレプチンの分泌が増えるのはどういうメカニズムなのか,そういった疑問からまた新しいことがわかってくると思います.先ほども話した通り,トリグリセリドそのものは有害物質ではなく,脂肪細胞の細胞質の中に収まっていればそれ自体はなんの問題もないわけです.その増減がどう制御され,何により限界が突破されるのか.その分子的な答えが,そう遠からず見えてくるのではという期待をしています.
小川途中でもお話ししたように,肥満はわりと“地味な病態”のイメージなのか,「結果的に肥満も研究している」人は多いものの,肥満に特化して研究する人がもっといてもいいと思います.代謝はすべての病態や現象の根源にあるものなので,肥満については生命科学研究者はみな知っておいたうえで免疫やがんといった分野がある,というイメージでしょうか.
そのためには,われわれ肥満・代謝の研究者が新しい人とも積極的にやり取りしないといけません.そして基礎研究と臨床研究を橋渡しする技術にも注目しています.例えば食欲の研究でいえば,人間では解析が困難だったものが,fMRI(functional MRI)により神経活動を可視化できました.臨床をやっている立場としては出口を考えた問題提起をしたいですし,基礎研究者も研究成果を治療・診断に結びつけたいと考えているのではないでしょうか.シングルセル解析やオプトジェネティクスなども,マウスで研究が進むでしょうが,最終的には臨床的にどうトランスレートできるのか考えないといけない.私の研究生活も残り時間は長くありませんが,肥満研究の面白さを感じながら周辺に伝えていきたいと思います.
ごく最近,数名の研究者でたまたま,肥満研究で今何が重要で,今後5年・10年で何が大事になるかという議論をしました.冒頭で梶村先生が話されたように,アディポサイトカインやレプチンの発見,内臓脂肪と皮下脂肪の区別といった新たな概念がこれまでに出てきた.では現在の肥満研究にどんな新しいセントラルドグマ的なものがあるだろうかと.もしかしたら肥満領域に限らず,科学界としても手詰まりになっている感があるかもしれないね,と.過去の研究の流れの連続性での発見はもちろん大事ですが,やはり不連続な発見がほしいが,それが何なのかわからない.一人の天才が出てきたらその人に任せてなんて無責任なことも言ってられないので,だとすれば新しい発想により新しい技術で解析するしかないだろう,となったのです.この不連続的な発見が何なのか,『実験医学』のような基礎研究と臨床応用をつなぐ雑誌が新しいプラットフォームをつくってほしいと思いますし,私たちも頑張ってそれに応えなくてはいけないと思いました.
梶村本増刊号のコンセプトにもある個人差の理解は,肥満症研究におけるブレイクスルーへのチャンスだと思います.これはがんの基礎研究から臨床への応用の成功例を見れば明らかで,膵臓がんにおけるKRASの変異とグリオーマにおけるIDH(イソクエン酸脱水素酵素)の変異のように,がん種でゲノム変異の傾向も治療方針も全く違います.つまり今まで同じように見えていたものが実は違うというものを見つけると,大きなブレイクスルーのチャンスですよね.
そういう観点から言うと,栄養学には大きなポテンシャルがあると思います(第5章参照).日本には,この食べ物を食べたら身体に反応がいい・悪い人がこれだけいるというような長年の知識の蓄積があります.分子生物学,もっと言うと分子栄養学にのっとった個人差のメカニズムが突破口になるのではと考えています.
個人的には,多種多様な個人のニーズにマッチできる多様なオプションが存在することが,社会の成熟に不可欠と思っています.そして,そのようなオプションを提供することは,科学者の重要な使命の1つです.個人個人で大きく異なる肥満症に対して,「ナントカだけダイエット」で片付けるのではなくて,代謝における個人差を規定する分子メカニズムを理解し,エビデンスに基づいた予防法や治療法を,Precision MedicineあるいはPrecision Nutritionとして提供する.そのようなロードマップを描く一助になれば増刊号の編者としてこれ以上ない喜びです.
文献
- 日本肥満症学会ほか「名古屋宣言」
- Hendren NS, et al:Circulation, 143:135-144, 2021
- 矢作直也:臨床医学総論:糖尿病「臨床生命情報学入門」(永井良三/監,山崎 力,他/編),pp18-33,杏林図書,2005
- Goodarzi MO:Lancet Diabetes Endocrinol, 6:223-236, 2018
- Frayling TM, et al:Science, 316:889-894, 2007
<参加者プロフィール>
梶村真吾:代謝適応や代謝疾患の分子基盤を研究する分子生物学者.経歴:東京大学農学部卒業(2000年).ハワイ大学,ミシガン大学大学院留学を経て,東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程修了(’06年).ポスドクフェロー:ハーバード大学ダナ・ファーバー癌研究所.カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)アシスタントプロフェッサー(’11〜’16年),同大学アソシエイトプロフェッサー(’16〜’18年),プロフェッサー(’19〜’20年).’20年〜現在:ハーバード大学Beth Israel Deaconess Medical Center(BIDMC)Senior Investigator兼UCSF客員教授.
小川佳宏:内分泌代謝学を背景とした生活習慣病と消化器疾患全般の分子医学研究者・臨床研究者.経歴:京都大学医学部医学科卒業(1987年),同大学大学院医学研究科博士課程修了(’93年),日本学術振興会特別研究員(’94〜’97年),同大学医学部附属病院内分泌・代謝内科助手(’97〜2003年),東京医科歯科大学難治疾患研究所教授(’03〜’12年),同大学大学院医歯学総合研究科教授(’11〜’19年),’16年〜現在:九州大学大学院医学研究院病態制御内科学分野(第三内科)教授,九州大学病院内分泌代謝・糖尿病内科/肝臓・膵臓・胆道内科科長,’16年〜現在:名古屋大学環境医学研究所客員教授.
矢作直也:栄養シグナルとゲノムの相互作用解明(=ニュートリゲノミクス)をめざす分子生物学者・医者.経歴:東京大学医学部医学科卒業(1994年).東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(2000年).東京大学大学院医学系研究科分子エネルギー代謝学講座 特任准教授(’08〜’11年).’11年〜現在:筑波大学医学医療系内分泌代謝・糖尿病内科 准教授・ニュートリゲノミクスリサーチグループ代表.