概 論
がんバイオマーカーの重要性と開発のいま
Clinical significance and developmental trend of cancer biomarkers
植田幸嗣
Koji Ueda:Cancer Precision Medicine Center, Japanese Foundation for Cancer Research(公益財団法人がん研究会がんプレシジョン医療研究センター)
[略語]
- CEA:
- carcinoembryonic antigen(がん胎児性抗原)
- CGP:
- comprehensive genome profiling(包括的ゲノムプロファイリング)
- CR:
- complete response(完全奏効)
- CTC:
- circulating tumor cell(循環腫瘍細胞)
- ctDNA:
- circulating tumor DNA(循環腫瘍DNA)
- FDA:
- Food and Drug Administration(米国食品医薬品局)
- OS:
- overall survival(全生存期間)
- PD:
- progressive disease(進行)
- PFS:
- progression free survival(無増悪生存期間)
- PR:
- partial response(部分奏効)
- PSA:
- prostate specific antigen(前立腺特異抗原)
- SD:
- stable disease(安定)
はじめに
がんバイオマーカーの歴史は古く,最初の腫瘍マーカーは1844年に発見されたベンスジョーンズタンパク質(Bence Jones protein:BJP)とされている.以来,腫瘍が特異的に産生する物質の研究が進められ,解糖系酵素,血清タンパク質,活性ホルモンなどが注目された結果,現在でも使用される数多くの腫瘍マーカーが発見された.また,検出技術も化学的,生物学的,さらに免疫学的測定法など多くの手法が開発され,高感度化が進められた.こうした腫瘍マーカーはすべてタンパク質,またはタンパク質に修飾された糖鎖(一部糖脂質ともされる)を検出するものであったが,近年がん細胞がもつ体細胞変異を含むDNA断片が末梢血から検出可能であることが見出され(循環腫瘍DNA,ctDNA),それとともにリキッドバイオプシーの概念が急速に普及,がん診療に大きな変革をもたらしつつある.現在,ctDNAのみならず,循環腫瘍細胞(CTC)や細胞外分泌小胞の一種であるエクソソームを利用したリキッドバイオプシー技術,その他画像診断を組合わせたマルチモダリティ診断法など,きわめて多様ながん診断技術が実用化に向けて開発されている状況である.本稿では現行のがんバイオマーカーに関する知見とともに,開発が進む次世代のリキッドバイオプシー技術についても本書の導入としてレビューし,将来展望を考察する.
1.がん診療におけるバイオマーカーの役割
現代のがんバイオマーカーは特定のがん種に対して汎用的に用いられるバイオマーカーと,コンパニオン診断薬のように個別化医療の実現を主目的としたものに大別できる.CEAやPSAといった従前のバイオマーカーを含む前者は,図1におけるがん診療スキームにおいて早期診断から治療効果判定,再発モニタリングまで全体にわたって利用されている.それに対し,個別化医療のためのバイオマーカーは,リスク層別化や治療選択といった特定の治療タイミングに紐付いて測定される.リスク層別化とは,例えば治療前に特定のctDNAレベルが高かった場合に高リスクと判断し,早い段階でそのctDNAと分子生物学的にリンクしたより強力な治療を実施する,といった運用のことである(図2A).バイオマーカーを用いた治療選択としては,一次治療後にRECIST(response evaluation criteria in solid tumors)に基づく画像評価とctDNA測定を実施し,画像上PR,CRであれば同一レシピの治療継続,画像上PDとなった場合はより強い二次治療へ移行,一方で画像上SDであるが末梢血中ctDNAが低下した場合は現行の治療を継続,ctDNA量も変化しないか増加を示す場合はより強い二次治療へ移行,といった治療戦略が考えられる(図2B).このように,最新の血液バイオマーカーとCTなど画像所見を組合わせたがん治療戦略も多数の臨床試験をベースとして実用化されてきているが,それぞれのバイオマーカー分子の意味と治療応用の方法を熟知しておく必要があり,バイオマーカーを使用することに際しても知識の専門性が高くなってきているといえる.
2.がんリキッドバイオプシーの現状
近年におけるがん分子標的治療薬の急速な発展と普及に伴い,コンパニオン診断の重要性も増している.実際,本邦において2021年2月時点で承認されているがん分子標的治療薬は89種類におよび,今後もさらに多くの治療薬が開発され,臨床に投入されていくことは想像に難くない.なおコンパニオン診断薬とは,「バイオマーカーの解析結果に基づき,特定の医薬品の有効性及び安全性が期待される患者を特定するために使用される体外診断用医薬品又は医療機器のうち,当該医薬品の使用にあたり不可欠な製品」であると定義されている.2022年3月時点でコンパニオン診断薬等を用いる必要がある医薬品としては35種が指定されており(PMDA「医薬品の適応判定を目的として承認された体外診断用医薬品又は医療機器の情報」より),37種の体外診断用医薬品,機器が承認されている.このうち,12医薬品に対するコンパニオン診断を目的として5種のリキッドバイオプシー診断薬が使用されている(表1).
特筆すべき検査としては,2021年8月に本邦で初となるリキッドバイオプシーによるCGP(包括的ゲノムプロファイリング)検査として承認されたFoundationOne Liquid CDx がんゲノムプロファイルである.本診断は血液検体を用いた固形がんに対するCGPと,複数のコンパニオン診断機能を併せもったがん遺伝子パネル検査としてすでに利用が開始されている.現時点では1回のみの検査しか認められていないことや検査費用が高額であること,エキスパートパネルの運用が医療現場において負担になっていること,必ずしも有効な治療に結びつくわけではないことなど運用上の課題はいまだ数多いものの,今後も分子標的治療薬のさらなる種類,適用機会の拡大に伴いがんリキッドバイオプシーの利用機会は増加することが想定される.実際,コンパニオン診断としてだけではなく微小残存病変(MRD)判定,治療後のモニタリング,超早期診断などがん病態のあらゆるステージにおいてのリキッドバイオプシー活用が各国の臨床試験で進められている現状である.こうした流れを汲んで2021年1月20日には日本臨床腫瘍学会,日本癌治療学会,日本癌学会3学会合同ゲノム医療推進タスクフォースから,ctDNAを用いたがんゲノムプロファイリング検査の適正使用に関する政策提言が公開されている.
このように,現時点で保険償還され臨床で使用されているリキッドバイオプシーツールはctDNAのみであるが,エクソソームやCTC中の核酸やタンパク質,代謝物といった多様なバイオマーカーについても有望な次世代診断薬として研究開発が進んでいる.CTCに関しては米国でVeridex社が2004年1月に転移性乳がんでのPFSおよびOSの予測を適応として同社CellSearch Systemを用いたCTCの検出法1)のFDA承認を受けている(本邦では残念ながら承認を得られなかった).エクソソームについても多くの企業が診断キット上市を開始しており,産学連携で最先端の技術開発競争が行われている状況で,本稿でもその一端を具体例とともに紹介する.
現在泌尿器がん領域におけるコンパニオン診断としては,BRCA遺伝子変異陽性の遠隔転移を有する去勢抵抗性前立腺がん(mCRPC)に対するポリアデノシン5′二リン酸リボースポリメラーゼ(PARP)阻害剤リムパーザ(一般名オラパリブ)の有効性を評価する目的で3つの検査〔BRACAnalysis診断システム,FoundationOne CDxがんゲノムプロファイル(表2),FoundationOne Liquid CDxがんゲノムプロファイル(表3)〕が承認されている.ここで,BRACAnalysis診断システムは全血を試料としてBRCA1/2遺伝子の生殖細胞系列変異(germline mutation)を検出対象としているのに対し,FoundationOne CDxがんゲノムプロファイル,FoundationOne Liquid CDxがんゲノムプロファイルはそれぞれ腫瘍組織検体,血中ctDNAにおけるBRCA1/2遺伝子の生殖細胞系列変異と体細胞変異(somatic mutation)両方を検出対象としているという相違点には留意,使い分けが必要とされている.
mCRPCにおけるオラパリブの使用は,対象とする遺伝子変異(deleterious mutations;病的変異,またはsuspected deleterious mutations;病的変異疑い)が検出されれば,生殖細胞系列由来か体細胞由来かによらず,その効果が期待される.これまでの報告によると,前立腺がん患者におけるBRCA1/2遺伝子変異の約50%は体細胞変異に由来することから2)3),オラパリブの使用に対する治療選択をより正確に実施するためには生殖細胞系列変異,体細胞変異の両方を検出対象とするFoundationOne CDxがんゲノムプロファイル,またはFoundationOne Liquid CDxがんゲノムプロファイルを用いてコンパニオン診断を実施することが好ましい.米国食品医薬品局(FDA)はオラパリブに加えて,同じくPARP阻害剤であるルカパリブに対してもFoundationOne Liquid CDxがんゲノムプロファイルによるコンパニオン診断を承認している.
なお,乳がん,卵巣がん,膵がんについてもオラパリブに対する同様のコンパニオン診断が実施されているが,本邦における卵巣がんⅢ,Ⅳ期の生殖細胞系列BRCA1/2遺伝子病的変異陽性率は24.1%,体細胞BRCA1/2遺伝子病的変異陽性率は5~7%と報告されており,がん種によっても診断法の選択基準は考慮する必要がある.FoundationOne CDxがんゲノムプロファイル,FoundationOne Liquid CDxがんゲノムプロファイルの使用は厚生労働省の指定を受けたがんゲノム医療中核拠点病院,拠点病院,連携病院に限られることにも留意が必要である.
3.開発が進む新しいがん診断モダリティ
近年,ctDNAから読み取れるさらに発展的な情報をリキッドバイオプシーに利用しようとする研究がさかんに行われている.具体的にはメチル化パターン,ctDNAフラグメントミクス,ctDNAトポロジーといった解析からより高精度ながん早期診断,予後診断,患者層別化を実現しようとする試みが報告されはじめている.
メチル化ctDNAについては肝がん,肺がん,腎がんなどすでに多くのがん種に対してバイオマーカーとなりうるメチル化部位の探索や,約2,000人を対象とした大規模検証試験も実施されている4)〜8).画像上判別が難しい早期肺がんと良性肺結節を識別可能な血中メチル化DNAマーカー4)や,尿中のメチル化DNAプロファイルから非侵襲かつ高精度に腎がんの存在診断が可能なスコア5)など,臨床上有用なメチル化ctDNAマーカー,または複数メチル化ctDNAを組合わせたパネル診断システムが報告されている.興味深いアプローチとしては,The Cancer Genome Atlas(TCGA)に登録された33がん種,18,116人分の全ゲノム解析,トランスクリプトーム解析データから微生物に由来する配列を抽出した再解析から,各種がんに特徴的な微生物由来セルフリーDNAが多数同定されたとの結果がNature誌に報告された9).本解析では血中microbial DNAを用いて69例の健常者に対して59例の膵がん患者群を感度89.8%,特異度85.5%,25例の肺がん患者群を感度88.0%,特異度92.8%で診断可能であったとしている.以上のように,全く新しいコンセプトのセルフリーDNAも近い将来がんリキッドバイオプシーへの応用が期待されている.
一方,セルフリーDNAと同様にリキッドバイオプシーのツールとして有力視されているエクソソームは細胞外分泌小胞の一種とされ,すべての細胞が細胞内小胞輸送の産物として分泌しているとされる直径が数十ナノメートルの構造体である.がん細胞が産生したエクソソームがもつ生理的意義としては,周辺微小環境や遠隔臓器に移行して血管新生の誘導,免疫細胞の機能改変,転移ニッチの構築といった,がんの進展に重要な多くの役割を担っていることが報告されている10)〜12).こうした生理的機能に加え,病因細胞由来のエクソソームにはその由来細胞がもつさまざまな特異的分子が包含されているため,診断マーカーの重要なリソースとしても位置づけられる.すでにエクソソーム診断薬を上市する企業も出てきており,Exosome Diagnostics社は,PSA検査が高値を示した患者に対して前立腺生検の必要性を判定する際の補助としてExoDx Prostate IntelliScore(EPI)検査サービスを開発し,受託検査を開始した.これは尿から独自のExosome Diagnostics EXOPRO Urine Clinical Sample Concentrator Kitとよばれるスピンフィルターでエクソソームを回収し,そこから抽出したRNAを診断に用いるものである.RT-qPCRを用いてSPDEF,ERG,PCA3の3種RNAを検出し,会社公表値によれば感度91%,特異度92%の前立腺がん存在診断が可能であり,さらに1,563例をエンロールした試験ではEPIスコアはGleasonスコアとよく相関したと報告している13).また,at home collection kitという形で自宅で採尿した試料を検査受託できる体制も整備しており,FDAはEPI検査をBreakthrough Deviceに指定している.
4.本書の構成
数多くの新規バイオマーカーが開発され,臨床実装されている現在において,分子生物学的特性から技術,臨床応用の実際までを深く,そして網羅的に把握することができるよう,本書を企画した.第1章ではドライバー遺伝子やがん抑制遺伝子,miRNAといったがん細胞において重要な機能をもつ因子を基軸としたバイオロジーと機能的バイオマーカーの開発,第2章では新しいバイオマーカー測定,検出技術について学べるよう構成した.とりわけ現在のがん診断領域でホットなリキッドバイオプシーの開発動向については,第3章に用途やがん種ごとに専門家の各論が配置されている.さらにこれらの臨床実装や大規模臨床試験,社会実装における問題点など,実際の臨床における使用に際して知っておかなければならない事項や課題を第4章に記述していただいた.また,近未来に想定される展開としてAIを応用したがん診断に関する開発動向や展望を第5章に寄稿していただいた.全体を通して,国内外のがんバイオマーカー開発と臨床応用に関する最新動向をくまなく把握することができる一冊となっている.
おわりに
本稿でも取り上げたがんリキッドバイオプシーはctDNAを利用したコンパニオン診断,CGP検査が開始され,かつ新たな技術が次々に生み出されつつある黎明期であるといえる.CGP検査1つをとっても最新の学術的知見を常時フォローし,正しい知識と患者の状態に基づいて的確な治療方針決定を行う作業は容易なことではない.現在,血中miRNAやエクソソーム中分子をそれぞれ数十~数百種類組合わせたパネル診断や,AIを用いて異なる複数種類の検査結果を統合判断する多角的(マルチモダリティ)診断システムといった技術が開発されており,アウトプットとして得られる診断情報の数や適用範囲も広範なものになりつつある.こうした革新的技術開発は非常に重要であるものの,今後はそれらの情報を使用する側に立って,がん種ごとに診療上有用な情報だけをより迅速に患者に還元できるエキスパートパネル,または中央診断サポート機関などの整備が求められる.本書を通じて,基礎研究者,医師,製薬にかかわる企業の方々が広く当該分野の知識を共有し,有効ながんバイオマーカーの開発と臨床実装が加速することを期待する.
文献
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著者プロフィール
植田幸嗣:公益財団法人がん研究会がんプレシジョン医療研究センター・プロジェクトリーダー.2008年,東京大学大学院新領域創成科学研究科,博士課程修了(中村祐輔教授).現在は世界最先端の質量分析技術を駆使し,翻訳後修飾や変異タンパク質を対象とした新しいがん診断技術の開発を行っている.