序にかえて
再生医療は総合格闘技であり,分野を超えた学問によって支えられる
梅澤明弘
(国立成育医療研究センター研究所長)
10年以上前の話である.ある書籍のなかで目にしたと記憶しているが,「再生医療にゼロリスクを求めるな」という内容の文を読み,衝撃を受けた.当時はアカデミアを中心に再生医療製品のハザードを抽出し,そのリスクを探って,リスクをゼロにしようとしていた時期である.その「ゼロリスクを求めるな」には,製品における不純物及び造腫瘍性にかかる課題にとり組んでいたところだったのでびっくりしてしまった.しかし,立ち止まって考えればどんな薬もゼロリスクであるはずはなく,それにかかわるステークホルダーがどのようにリスクに対峙して社会に対して説明していくのかが問われている.そのリスクに対して,金融,保険,労働,公衆衛生,監視を含む多くの産業活動や行政活動,及びこれらの企業を規制管轄する機関が意識することが肝要である.再生医療では患者,医師,行政,企業等多様な利害関係者が存在し,リスクマネジメントを適用することにより患者を保護することが最優先されることを前提にしたうえで,リスクを考えることがやはり重要である.再生医療製品を考えるうえで,こちらを立てればあちらが立たずというトレードオフの問題にいつも直面している.だからこそ,再生医療のいまを多方面から知らなくてはいけない.
その意味で,この増刊号では多方面を知ることを目的に編集した.もちろん,再生医療の実現に向けて長年取り組んできた自分自身が知りたいことを中心にしたし,編集部の方々と一緒に必要なテーマを考えた.世界潮流,社会インパクト,知的財産,倫理,資本政策,開発戦略,原料供給,国際標準,工程管理,品質管理,細胞バンク,成長因子代替ペプチド,がん免疫療法,オルガノイド,organ-on-a-chip,iPS細胞,臨床研究,臨床試験,リアルワールド,ゲノム編集,そして,本増刊号のタイトルにもあるリバーストランスレーショナルリサーチにかかるテーマを執筆していただいた.この増刊号の全部のテーマに目を通してもらうことを前提に編集したので,全体を通読することをオススメする.令和のこの時期に,再生医療のいまを知るにあたり,こんなに「分かった気になれる」再生医療の特集はないのではないかと自負している.あえて,この増刊号は,「読んでほしい」ではなく「読まなくてはダメ」と言わせてほしい.私に言わせれば,研究者,企業人,再生医療にかかわる方々は「再生医療のいま」を本号を読まずして語ってはいけないのだ.1 日1章ずつといったのんびりした読み方ではなく,四時間半で一気呵成に読んでほしい.再生医療の分野ではいまどんな成果があげられ,どんな課題点があるのかだけでも感じることが重要だ.再生医療における多様な利害関係でリスクマネジメントの適用について共通の認識を得ることは困難であり,再生医療は総合格闘技だ.多くの知識に支えられることによって戦える.
再生医療製品は,他のモダリティに比較すれば歴史が浅い.形式にとらわれないリスクマネジメントプロセスを皆で考えているところである.私は,ケースごとのたくさんの経験的手法を知りたい.昭和の終わりに大学生であった私は,世の中には有効な薬は抗生物質しかないのかと思った.授業で薬物治療法を教えられたときの私の感想は疾患に「効いてないじゃん」であった.現在は全く異なり,多くの疾患に有効な低分子医薬品及び生物製剤が上市された.心筋梗塞になった私はその薬のキレのよさを実感し,職場の仲間は抗体医薬によって回復している.また,令和に入り発行された実験医学増刊号には,『いま,本格化する遺伝子治療』と『新規の創薬モダリティ 細胞医薬』があり,これら2分野の研究は,細胞と遺伝子という新規創薬モダリティへのたくさんの方々の期待を高めた.CAR-T細胞療法の登場とともに,細胞医薬という新たな治療モダリティは,世界中で研究開発が進められ,臨床応用に向けて産業界も活性化している.再生医療にかかる米国での学会は大盛況で,細胞医薬が進歩しつづけていることを印象づけた.さらに近年では,幹細胞研究とAIの融合が普遍化しつつある.「どんな再生医療が,将来,有望なのでしょうか?」こういった質問をよく受けるが,私にはわからない.言えることは,当たり前の,「有効で安全な再生医療製品を医師が優れた技術で投与し,科学的な知見が蓄積し,それが科学的に議論され続ける」ことが肝要であることだけだ.「科学と学問しか勝たん」というか,科学と学問というツールしか思いつかない.そして,出版と読書を通じて,世界及びわが国の再生医療では何が起こっているかを冷静にかつ客観的に考える.とにかく「そうか,再生医療はこうして論理的に展開できるんだ」「なるほど,再生医療には原理的規則がこれだけ存在するんだ」を感じて,「思考と判断」をくり返す.そうすれば,より早く,有効で安全な再生医療製品が,それを必要としている方々に届くしくみができあがるのではないだろうか.
再生医療のいまを紹介すべく,本増刊号は『真の実臨床応用をめざした再生医療2023~リバーストランスレーショナルリサーチのいまと産業化のための技術開発』と題して特集した.「再生医療推進法」「医薬品医療機器等法」「再生医療等安全性確保法」が施行され,8年が経過した.多能性幹細胞や組織幹細胞由来の分化細胞による臨床研究や治験が進み,がん領域では劇的な治療効果をもたらす細胞医薬が登場し,その過程において技術面だけでなく,倫理面について議論が成熟し,また規制が整備されてきた.これから再生医療をより実臨床の場にもたらすためには,再生医療の対象となる難病を社会課題と捉えた新しい社会システムの構築も必要と考えられる.再生医療と社会,臨床実装に向けた諸問題についてのとり組みの最前線を紹介し,また,細胞・組織構築のための技術,臨床応用をめざすなかで出てきた課題に対する研究,ブレイクスルーとなる基礎的知見について紹介してくれた執筆者及びそれらのテーマの考案に協力してくれた編集者の方々に感謝する.そして,本増刊号に目を通してくれた読者に感謝する.
著者プロフィール
梅澤明弘:国立成育医療研究センター研究所長.慶應義塾大学を卒業して38年が経った.光陰矢の如しだ.ずっと同じテーマで実験医学を進められており,幸運であることを実感する.細胞分化研究を試験管内と,動物実験により生体内で進めてくることができ,現在は小児医療の世界で細胞移植に携わることができている.有効で安全な再生医療製品を社会に提供することを実現したい.