概 論
ミトコンドリア学の進歩
基礎研究から疾患制御へ
柳 茂
(学習院大学理学部生命科学科)
[略語]
- iPS細胞:
- induced pluripotent stem cell(人工多能性幹細胞)
- MELAS:
- mitochondrial myophathy, encephalopathy, lactic acidosis, and stroke-like episodes(ミトコンドリア脳筋症・乳酸アシドーシス・脳卒中様発作症候群)
1.基礎研究の進展
1)ミトコンドリアダイナミクスの制御と脂質輸送
ミトコンドリアは融合と分裂をくり返しながらその形を動的に変化させることにより,エネルギー需要への対応とミトコンドリア自身の品質管理を調節している.近年,ミトコンドリアが保持するDNA(mtDNA)を含む核様体構造がミトコンドリア内をダイナミックに動いていることが明らかとなった.市川らの稿では,ミトコンドリアの膜とmtDNAのダイナミクスに焦点を当て,ミトコンドリアダイナミクス研究の進展を紹介する(第1章-1).一方,ミトコンドリア膜の脂質成分は小胞体から供給されており,ミトコンドリアダイナミクスと連動していることが知られている.宮田の稿では,小胞体とミトコンドリア間,ミトコンドリア外膜と内膜間のリン脂質輸送機構について,近年の知見を概説する(第1章-2).ミトコンドリアの動的な構造変化およびこれと連動する脂質輸送の分子機構を理解し,その生理・病理における意義を解明することはさまざまな疾患の病態理解と治療法開発につながる.
2)ミトコンドリア品質管理機構の新展開
ミトコンドリアの品質管理と直結しているのはミトコンドリアタンパク質のチェック機構と輸送機構である.サイトゾルで合成されたミトコンドリアタンパク質は,外膜,内膜,膜間部とマトリクスのいずれかに適切に仕分けられる.近年,クライオ電子顕微鏡解析によってトランスロケータの構造としくみが詳細にわかってきた.遠藤らの稿では,ミトコンドリアタンパク質の輸送について,最新の知識を交えて概説する(第1章-3).また,タンパク質が合成されてからミトコンドリアへ輸送されるまでの初期の段階で生じる異常を監視するサイトゾル側の品質管理機構の実態が明らかとなり注目されている.井澤の稿では,前駆体ミトコンドリアタンパク質の品質管理機構についての最新の知見を紹介する(第1章-4).
ミトコンドリアの品質管理機構として最も知られているのはミトコンドリアオートファジー(マイトファジー)である.マイトファジーは,不良ミトコンドリアの排除による品質維持と細胞内の余剰なミトコンドリアの分解によるミトコンドリア量の調節という2つの役割を担っており,それぞれ異なる分子機構が働いている.神吉の稿では,それぞれのマイトファジーの分子機構の違いを解説する(第1章-5).マイトファジーと最も関連が深い疾患はパーキンソン病である.家族性パーキンソン病の原因遺伝子産物の1つであるParkinが不良ミトコンドリアをマイトファジーによって選択的に排除するのにかかわることが報告された.しかしながら,PINK1/Parkinとマイトファジーに関連する知見の多くが,脱共役剤処理した培養細胞から得られたものであり,その生理的意義についてはいまだ議論の余地がある.松田の稿では,PINK1/Parkinの生体内での生理的役割について,論点を整理して現状の問題点に迫る(第1章-6).一方,PINK1/Parkin経路の過剰な活性化は,細胞死を誘導することが知られていたが実態は不明であった.椎葉らの稿では,活性化したParkinが小胞体に移行して抗アポトーシス因子であるFKBP38を分解することにより細胞死を誘導すること,ミトコンドリアユビキチンリガーゼMITOLがParkinを制御することを紹介し,パーキンソン病の病態との関連について考察する(第1章-7).清水らのグループは,ゴルジ体膜を用いる新たなタンパク質分解機構であるゴルジ体関連分解(GOMED)を発見した.赤血球の最終分化に必要なミトコンドリア分解はGOMEDによって実行されている.清水の稿では,GOMEDの役割について解説する(第1章-8).これらの一連の研究成果によってマイトファジーの精緻かつ複雑な分子機構の理解が大きく進展した.また,マイトファジーやミトコンドリアの異常により誘導されるレトログレードシグナル※1は,ミトコンドリア恒常性維持に重要な役割を果たしていることがわかってきた.伊東らの稿では,Keap1-Nrf2による酸化ストレス応答経路と統合的ストレス応答について概説する(第1章-9).ミトコンドリア品質管理機構における基礎研究の進展について,各稿の位置づけを図示したので参照してもらいたい(図1).
2.各種疾患・病態とのかかわり
1)ミトコンドリア病の診断と病態
ミトコンドリア病はミトコンドリア機能およびエネルギー産生の不全によってさまざまな臨床的障害を呈する.近年の診断技術の向上に伴い,ミトコンドリア病と確定診断できる症例は増えてきているが,病因遺伝子は非常に多岐にわたっている.杉山らの稿では,ミトコンドリア病の遺伝子診断と病態解析についての最新の情報を紹介する(第2章-1).ミトコンドリア病の病態解明と効果的な治療法開発には,モデル動物を用いた逆遺伝学的な研究展開が必要となる.谷らの稿では,変異型mtDNAを含有するモデルマウスの作製方法の現状を紹介する(第2章-2).また,ヒト人工多能性幹(iPS)細胞は,病態の分子機構の解明や新規治療法開発のための強力なプラットフォームとなることが期待されている.徳山らの稿では,iPS細胞を用いたミトコンドリア病の疾患モデル化における最近の進歩を概説し,病態メカニズムの解明と新規治療法開発へのアプローチを紹介する(第2章-3).一方,鈴木らのグループは,MELASの患者細胞にtRNA修飾酵素を過剰発現させることによりタウリン修飾を復元し,ミトコンドリアのタンパク質合成および呼吸鎖の機能を賦活化させることに成功した(第2章-4).これら一連の研究成果によってミトコンドリア病の病態解明と治療法の開発の進展が期待される(図2参照).
2)ミトコンドリアによる生体恒常性の維持
ミトコンドリアは他のオルガネラとのクロストークを介して細胞全体の機能を調節している(図1参照).したがって,ミトコンドリアの機能障害は,小胞体,リソソーム,核内転写因子などの多くのオルガネラ機能まで破綻させる可能性がある.八木らの稿では,ミトコンドリア翻訳障害が原因となるさまざまな疾患とその分子機序について紹介する(第2章-5).心筋をはじめ多くの臓器組織において,エネルギー代謝はミトコンドリア呼吸能によって制御されており,ミトコンドリア品質管理の維持がストレス抵抗性維持に重要である.西田基宏らの稿では,心筋における硫⻩を基盤にしたミトコンドリア品質管理の分子制御機構と心不全を対象にした治療標的について,最近の知見を概説する(第2章-6).鉄の動態はミトコンドリアの恒常性の維持に不可欠である.特に,ミトコンドリアフェリチンはミトコンドリア内鉄貯蔵タンパク質として機能すると考えられている.田中の稿では,ミトコンドリアフェリチンによるマイトファジーを介したミトコンドリア品質管理について最新の知見を紹介する(第2章-7).自然免疫は,病原性微生物から私たちの身を守るために備わった生体防御反応の1つである.安川らの稿では,ミトコンドリアを介した抗ウイルス自然免疫の分子機構を概説し,自然免疫を制御する機能性小核酸(マイクロRNA,miRNA)との関連を紹介する(第2章-8).
3)ミトコンドリア関連疾患
加齢に伴うミトコンドリア機能の低下は,細胞老化を誘発し,さらには臓器および個体の老化から加齢関連疾患の発症・進展につながる.門松らの稿では,加齢に伴うミトコンドリア機能の変容,加齢関連疾患との関係性について概説するとともに,変容機構への介入による治療戦略について紹介する(第2章-9).骨髄異形成症候群(MDS)は,加齢に伴い増加する難治性の血液がんである.近年,MDS発症にかかわる多くの遺伝子変異が同定され,病態解析が進展した結果,炎症性シグナル経路の活性化が関与していることが明らかとなった.林らの稿では,MDS病態におけるミトコンドリア異常の役割と治療標的としての可能性について概説する(第2章-10).パーキンソン病では古くからミトコンドリアの機能異常が指摘されていた.近年,家族性パーキンソン病の原因遺伝子の発見と,その遺伝子産物の機能解析からミトコンドリアの関与に疑いの余地はない.佐藤の稿では,これまでのパーキンソン病のミトコンドリア研究を総括し,最新の知見を踏まえたパーキンソン病の病態と治療戦略について概説する(第2章-11).MELASなどのミトコンドリア病や他のいくつかのミトコンドリア遺伝子異常において,高頻度に感音難聴が併発することが知られている.山岨の稿では,ミトコンドリア遺伝子異常と難聴との関連および治療法の現状について解説する(第2章-12).このようにミトコンドリア異常がさまざまな疾患と密接に関与していることが判明しており,これからも新たな関連が多数同定されるだろう(図3参照).
3.ミトコンドリアを標的とした治療・創薬
小坂らのグループは,ミトコンドリア病の早期治療法の開発に向けて,中枢神経承認薬ライブラリーを用いたスクリーニングを行い,ミトコンドリア病患者由来の皮膚線維芽細胞において酸化ストレスによる細胞死を抑制し,ATP産生を増強する薬剤Apomorphineを見出した(第3章-1).一方,永瀬らのグループではmtDNAを標的とした治療法開発を進めており,変異mtDNA配列を認識する化合物の開発とmtDNA特異的除去を試みている(第3章-2).ミトコンドリア病の症状は多臓器に認められ,また患者ごとに臓器における症状の程度も異なっている.したがって,疾患部位のミトコンドリアまで治療分子を送達するdrug delivery system(DDS)技術が治療の鍵となる.山田らの稿では,標的臓器のミトコンドリアへのDDSに焦点をあて,同グループで開発したMITO-Porterによる薬物治療研究について紹介する(第3章-3).五條らのグループは,外来の単離ミトコンドリアを体細胞に取り込ませ,ミトコンドリアゲノムを置換する方法を開発した(第3章-4).このように健康なミトコンドリアの導入やmtDNAの操作を1細胞の受精胚で行えば,ミトコンドリア病の根本治療となり得るが,倫理的問題も孕んでいる.葉山の稿では,生殖補助技術による受精胚への治療戦略と技術的課題,そして規制と倫理的取り扱いについて解説する(第3章-5).今後,ミトコンドリア病治療に向けて各グループが互いに密接な連携を図ることが重要である(図2参照).
人類にはこれまでさまざまな感染症と戦ってきた歴史がある.薬剤耐性病原菌の出現は世界保健の最重要課題の1つであり,新規機序に基づく抗菌薬の開発が期待されている.西田優也らのグループは,進化的に保存される呼吸鎖酵素のアロステリック阻害機構を発見し,細菌特異的な阻害活性をもつ化合物の創出を試みている(第3章-6).一方,新型コロナウイルスの出現とCOVID-19の世界的流行は生活を一変させた.5-アミノレブリン酸(5-ALA)はミトコンドリアで合成される天然アミノ酸である.北らのグループでは5-ALAを優れた抗マラリア薬候補として見出していたが,新型コロナウイルスの増殖も抑制する作用があることを示した.北らの稿では,多様な生理機能をもつ5-ALAの感染症に対する作用について研究の現状と展望を紹介する(第3章-7)(図3参照).
4.ミトコンドリアの最新解析ツールと診断技術の開発
ミトコンドリアDNAによってコードされるtRNAにはさまざまな化学修飾が存在する.魏の稿では,ミトコンドリアtRNAのタウリン修飾とチオメチル化修飾の生理機能および修飾破綻によるミトコンドリア病発症機序について概説し,質量分析などさまざまな修飾解析技術とその臨床応用例を紹介する(第4章-1).近年,細胞サンプルの連続した超薄切片作製と電子顕微鏡(電顕)による撮影の自動化と高速化は目覚ましい発展を遂げた.連続切片の画像による三次元微細構造解析技術は生理的あるいは病的なミトコンドリアの構造変化を理解するうえで重要である.大野の稿では,近年注目されている電顕ボリュームイメージングの原理や特徴について概説し,ミトコンドリア微細形態の解析や技術開発について紹介する(第4章-2).電顕画像取得のハイスループット化が進んだ一方で,人力での画像解析には多大な労力と時間を要するという課題が残されている.菅らの稿では人工知能を用いた解析手法,また同グループで開発した深層学習を用いた構造抽出ワークフローについて解説し,明らかになったミトコンドリア内膜構造の調節機構も紹介する(第4章-3).外部刺激に応答したミトコンドリアの融合と分裂など,素早い時空間的な形態変化を捉えるにはライブイメージングによる解析が必要となる.多喜の稿では,超解像顕微鏡による生細胞でのミトコンドリア内膜観察技術と膜動態観察,さらに病理診断技術に向けた展望を紹介する(第4章-4).ミトコンドリア機能不全はその膜脂質組成の異常に起因する場合もある.龍田の稿では,質量分析計による脂質の同定と定量分析,いわゆるリピドミクスを用いたミトコンドリア脂質研究の最前線の紹介と実践的な解説を行う(第4章-5).最新解析技術の開発が基礎研究と臨床研究を支えることにより,疾患制御に向けて加速度的な進展が可能となる(図4参照).
おわりに
近年,老化に伴うミトコンドリアの機能変容の分子メカニズムの解明が進んだことを契機に,老化プロセスに介入することで老化関連疾患を治療する薬剤の開発が全世界的に展開されている.日本でも,大手製薬会社がミトコンドリア関連疾患の創薬技術をもつバイオベンチャーを買収したほか,オートファジーの疾患治療への応用をめざすバイオベンチャーも登場している.ミトコンドリアの機能を改善する薬剤が見つかれば,アルツハイマー病やパーキンソン病などの神経変性疾患,心疾患,糖尿病,メタボリック症候群,生殖医療,美容・化粧品に至るまでその応用範囲の広さは計り知れない.古くから糖尿病の薬として使用されていたメトホルミンはミトコンドリアを活性化することが知られていたが,最近,ミトコンドリア呼吸鎖複合体Ⅰをマイルドに抑制することが報告され,ホルミシス効果※2の可能性に注目が集まっている.このようなマイルドな刺激によりミトコンドリアの反発力を引き出すことがこれからの創薬目標になると筆者は考える.そこで現在密かにミトコンドリアの“ツボ”を見つけようとあれこれと画策している.青カビから発見されたペニシリンやスタチンに匹敵する奇跡の薬の発見を夢見て.
<著者プロフィール>
柳 茂:1992年福井医科大学卒業後,同生化学講座助手.’94年米国エール大学医学部免疫部門に留学後,’95年神戸大学医学部生化学講座助手.2000年同助教授.’02〜’06年さきがけ研究21研究員兼任.’04年日本生化学会奨励賞受賞.’05年東京薬科大学生命科学部教授.’20年より学習院大学理学部教授,東京薬科大学名誉教授.研究人生も終盤に差し掛かっているので,そろそろ世の中に役立つミトコンドリア賦活薬を開発したいと考えている.