概 論
「精密栄養学」概論:われわれは何を食べたらよいのか?
重城喬行,國澤 純
(医薬基盤・健康・栄養研究所ヘルス・メディカル連携研究センター
/医薬基盤・健康・栄養研究所ワクチン・アジュバント研究センター)
[略語]
- AI:
- artificial intelligence
- iPS細胞:
- induced pluripotent stem cell
- MANTA:
- Microbiota And pheNotype correlaTion Analysis platform
- NIBIOHN JMD:
- National Institutes of Biomedical Innovation, Health and Nutrition Japan Microbiome Database
- NIH:
- National Institutes of Health
はじめに
「われわれは一体何を食べたら健康でいられるのか?」という問いは,先史以来,人間にとって最も大きな関心事である.古代エジプトではピラミッド建築に携わる労働者に,タマネギやニンニク,ラディッシュがたっぷりと含まれる食事を摂らせていたという1).こうした食物には抗菌作用があり,集団生活における感染症の蔓延を防ぐ効果があったようだ.現代においても,「○○は身体に良い」といった話題がメディアなどで提供されると,翌日にはその食品が売り場から消えたりする.つまり,「食を通して健康を維持したい」という願いは,古代エジプト時代から数千年を経た現在においても変わらないわけである.
科学技術が発展し,男女ともに平均寿命が80歳を超えた現在では2),「何を食べたら健康にいいのか」という問いに対する答えが少しずつ得られてきている.このような学術的進展と歩調を合わせるように,国内においては特定保健用食品(トクホ)や機能性表示食品が制度化され,気になる健康状態に応じて食べる物を選べる時代となってきた.一方で,同じ食品を摂っても全員が同じ効果を得られるわけではないと多くの方が体感されていることもあり,食の効果の個人差を考慮する重要性が提唱されてきた.これに関し米国では,国立衛生研究所(NIH)が「precision nutrition」つまり「精密栄養」を2020年からの10年間の戦略にすると発表した3).本概論では,個人ごとに適した栄養の提案を可能とする「精密栄養学」について,新しい栄養学としての可能性とともに,国内の状況と今後の展望について概説する.
1.精密栄養学の概念と社会実装のために解決すべき課題
1)Precision nutrition(精密栄養)とは
Precision nutritionは,遺伝的因子などの内的因子に加えて,生活習慣や腸内細菌などの外的因子の影響も考慮に入れ,健康を維持するために必要な栄養学的情報を各個人の体質や生活スタイル,ライフステージなどに応じて提供するというものであり,日本語では「個別化栄養」や「精密栄養」などと訳され,次世代の栄養学として注目されている4).
これまでの栄養学においては,栄養不足の解決が大きな課題であった.その課題解決のために,大きな健常人集団から得られたデータをもとに健康を維持するために必要な栄養素について一般化された摂取基準をつくり,「食の標準化」を行うことが主な方法であった.先人の多大なる尽力により,現在では,栄養不足の問題は解決し,脚気や結核など栄養不足に関連した健康問題は解消されてきた2).このように,栄養不足の問題が解決されてくるにつれ,人々は食の嗜好,つまり美味しさを求め,次いで食による健康効果を期待するようになってきた.
食の健康効果については,さまざまな知見が蓄積してきているが,体感できることの1つが個人差である.つまり,同じものを食べても効果の現れ方はヒトによって大きく異なる.これまでは,食の効果の個人差は「体質」として扱われ,それ以上深く掘り下げられることはなかったが,近年の分析技術の進歩により,食の効果の個人差を規定する要因が徐々に明らかになってきた5).肥満を例にとると,過剰な栄養摂取に伴う肥満のなりやすさは,遺伝的因子の影響があることが明らかとなっている6).また,腸内フローラともいわれる腸内細菌叢が肥満と関連することが報告され,欧州人ではアッカーマンシア菌,日本人ではブラウティア菌が抗肥満に働くことが明らかとなっている7)8).
人は生きていくなかでライフスタイルが変化し,それに伴い食習慣も変わり,さらには腸内細菌叢なども変化していく.さらに,成長,加齢,また妊娠・出産などの各ライフステージにおいて必要とされる栄養の質と量は変化していく(図1)3)5).つまり食の効果の個人差を考えるうえで,ある一時点のデータだけではなく,ライフスタイルに沿った経時的データも必要であるが,その集積は十分に高いとはいえないのが現状である3).つまり,精密栄養学においては,「ライフスタイルの変化」にも寄り添った情報が必要となる.
2)つなぐ栄養学
精密栄養学の実現に向け,健康に関する食の機能を高度に理解するためには,栄養学以外の情報をつなぎ合わせることも重要である(図2).現在では,健康に関するさまざまな視点からの膨大な情報を入手することが可能である.例えば,これまで血液検査や画像解析などの生体データは,検診や人間ドック,病院などの医療機関や研究機関でしか得られなかったが,電子機器の小型化,ポータブルデバイスの進化により,スマートフォンやスマートウォッチを使って心拍数や身体活動量,酸素飽和度,血糖値などの生体情報がリアルタイムにモニタリングできるようになっている.さらにこれまで「善玉菌」や「悪玉菌」などと漠然と捉えられていた腸内細菌についても,次世代シークエンサーなどを用いた測定技術の進歩により,私たちの健康や疾患発症にかかわる菌の働きが詳細にわかってきた9).さらに,代謝物のメタボローム解析や宿主のゲノムの情報などをリンクさせる取り組みも進んでいる.
これらのビッグデータを集積し,膨大なデータから新たな規則性や情報を取り出すことも機械学習や深層学習などの人工知能による情報解析技術により可能となってきた.筆者らが所属する医薬基盤・健康・栄養研究所では,日本各地に解析拠点を立ち上げ,2022年末時点で9千名分を超えるサンプルを収集し,食事や栄養などを含む生活習慣や,健康診断や病歴などの健康状態に関するデータなど1,500項目以上のメタデータとともに,腸内細菌や口腔細菌,メタボロームのデータを取得している.得られたデータの一部はNIBIOHN JMDとしてデータベース公開し,さらにビッグデータの解析を容易にする解析プラットフォームであるMANTA(第2章-1)とともに解析環境を提供している10).さらにはヒトデータの解析から想定された仮説を動物モデルやin vitro培養系などの基礎研究で検証し,メカニズムを解明するとともに,同定した有用菌や有用物質を対象にした創薬や機能性のある食品,診断システムの開発など,社会実装に向けた展開をさまざまなアカデミアや企業と協働で進めている.
3)「データ駆動型」・「アウトカム指向型」
精密栄養学の特徴の1つが,「データ駆動型」・「アウトカム指向型」の性質をもつことである(図3)11).従来の栄養学は,健常人集団を対象としたデータから健康を維持するための必要栄養素の基準を見出し(集団対応),そのルールをもとに栄養士が指導を行う(指導駆動)という考え方が一般的であった.この方法は,すべての人を1つのルールに当てはめる(ルール指向)という意味で,「フリーサイズの栄養学(one-size-fits-all)」とも表現される.一方,精密栄養学では,「健康である」というアウトカムを設定(アウトカム指向)し,網羅的に収集・集積したビッグデータから人工知能などによりアウトカムを達成するルールに導き出すことで(データ駆動型),各個人の体質やライフスタイル,ライフステージに合わせたオーダーメイド型の栄養指導を行うことを目的としている11).その一例として,AIを用いたデータ駆動型の栄養管理により食後の急激な血糖上昇を抑えることができ,その結果は栄養士などの専門家による指導と遜色ないものであったと報告されている12).
一方,「データ駆動型」・「アウトカム指向型」で提示される新しいルールは,人間の目では規則性が見出せない場合がある.そのため,情報の受け手がその提案を受け入れ,行動変容につなげるための方法が精密栄養・個別化栄養の社会実装に向けての大きな課題になっている13).本課題を打開するためには,食事内容の評価だけではなく,心理学的観点からのデータまで包括した解析を行い,各個人に適した栄養摂取行動変容システムの構築が必要になると思われる.また,新しく提示されたデータに対する科学的な裏付けとなるメカニズムの解明も,人々が提案を納得するためには重要になるだろう.
4)精密栄養学を実現するための4つのステップ
米国NIHは,precision nutritionを実現するために,4つの課題をクリアする必要があると提示している.ステップ1は「栄養学の基礎研究による知見の蓄積・技術革新を加速させる」というものである.つまり,遺伝子が人の栄養摂取に与える影響を解析するニュートリゲノミクス,腸内細菌叢や代謝物が健康に与える影響を解析するオミックス解析,味覚と食行動・嗜好の関連を探索する基礎生物学など,異なる学問領域の緊密な連携を通し,栄養学の研究を深めるための強固な基礎をつくり上げることが必要である.ステップ2が,「最良の健康状態をもたらす食事パターン・食習慣の探索とそれを維持するための効果的な戦略の作成」である.ステップ3が,「各ライフステージにおける栄養の果たす役割を明確にする」というものである.ヒトの生涯,特に妊娠,新生児期,乳幼児期,成長期,青年期,壮年期,高齢期においてどのような栄養が必要か,食習慣はどのように変わっていくのか,求める健康状態は何か,を考慮しながら解析していく.ステップ4は,「これらの成果を発展させ,疾病発生の予防に結びつける」という社会実装のための技術開発である.
2.国内における精密栄養学の動向
米国NIHが提示した4つの課題に対しては,本邦ですでにさまざまな取り組みが行われている.本書では精密栄養学の実現のために行われている日本国内での研究や取り組みについて取り上げている.
1)栄養コホート研究の現状
コホート研究を通して得られる栄養学的情報は,精密栄養学を支える最も基礎的な情報であり,今後も変わらず重要である.本書でも,第1章において,医薬基盤・健康・栄養研究所の研究(第1章-1)だけではなく,日本各地で進められているコホート研究も含め,ヒトの食生活の解析から判明した,栄養が健康や加齢,がんなどに与える影響(第1章-2, 3, 4)など,精密栄養学を支えるリアルワールドでのデータと知見を紹介いただく.さらに近年,食事をいつ摂るか?つまり食事のタイミングが重要だということが示されており14)15),時間栄養学としての視点も紹介いただく(第1章-5).
2)精密栄養学を支える基盤研究
第2章では,食物が健康に与える影響のメカニズム解明を支える基盤技術について取り上げる.食品に含まれる栄養素や,食事に関連する習慣や行動がわれわれの身体に与える影響について,遺伝子発現の変化の視点から解析する領域がニュートリゲノミクスであり16),食の安全性とも強く関連する(第2章-2).メタボロミクスは,生体がつくり出す代謝物を包括的に解析する技術であり,食品由来のものを含め,さまざまな生体内因子を化合物のレベルで語れるようになる.これにより,受容体など生体側も分子のレベルで解明が進み,さらには食品の品質評価などさまざまな形で展開されるようになってきている(第2章-3).栄養素がわれわれの細胞や組織,腸内細菌叢に与える影響の検証に対しては,iPS細胞や腸オルガノイドを用いた食の評価システム17),腸内環境を模倣したin vitro腸内細菌培養システム18)などが開発され,その応用が進んでいる(第2章-4, 5, 6).また,バイオ技術やAI技術の発達により,微生物や植物など生物機能を高度にデザインし,物質生産の効率化を進めるスマートセルインダストリーの取り組みもはじまっている(第2章-7).
3)食や栄養が健康に与える影響についての分子メカニズム
第3章では食や栄養が健康に与える影響の分子メカニズムについての話題を取り上げる.具体的には,日本人に多く肥満や糖尿病を改善する可能性がある腸内細菌(第3章-1)19),味覚に対する生体の反応とその分子メカニズム(第3章-3),脂質,アミノ酸,糖,ミネラルなどの基本的な栄養素や体内で産生される代謝物がわれわれの免疫や老化などのさまざまな健康状態に与える影響(第3章-4, 5, 6, 10)20),およびその個人差(第3章-2)について解説を行っている.さらに食物に含まれる機能性物質,ポリフェノールやフィトケミカルがわれわれの健康や身体機能に与える影響と効果(第3章-7, 8, 9),われわれにとって有益な物質を細菌につくらせるという取り組みについても解説している(第3章-11).
4)精密栄養学の社会実装への取り組み
第4章では,精密栄養学の実現に向けて,実社会における取り組みや技術を取り上げている.食物に含まれる機能性成分の分析法(第4章-1),食習慣の変容へつながる味覚の人為的なコントロール法についての研究(第4章-2),腸内細菌が健康に与える影響についての情報を統合し,腸内細菌を操り活かす「腸内デザイン」の取り組み(第4章-3),食品による健康効果を予測するためのAIシステムの開発(第4章-4, 5)などを取り上げている.さらには,栄養摂取の簡便なモニタリングと迅速なフィードバックは,食生活の是正や良い栄養摂取の持続性に重要である.すでに毎日の食事の状況をスマートフォンを用いてモニタリングし,栄養素やカロリーの計算を行うシステムは取り組みがはじまっている(第4章-6).
おわりに
本稿では,各論への導入として「精密栄養学」の基本的な考え方や方向性について概説した.本邦では日本食の健康に良いというイメージだけではなく,栄養学における優れた成果をこれまでも世に出してきた.また,特定保健用食品や機能性表示食品など精密栄養学を人々に還元する素地は整っているといえる.一方で,今後はそれぞれの知見を緊密に連携し,基礎から実用までを一気通貫で進め,精密栄養学の学問としての体系確立,さらにはその学術情報を基盤にした社会実装を進めることで,日本の栄養学のプレセンスをさらに高め,世界に発信していくことができると期待される.本書が精密栄養学に関する裾野を広げ,研究者・栄養士・医療関係者など異なる領域の人と人とをつなぎ,個別化栄養の実現,そしてさらなる大輪を咲かせるきっかけとなることを願っている.
文献
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- 厚生労働省:日本人の栄養と健康の変遷.(2023年4月25日閲覧)
- The NIH Nutrition Research Task Force:2020-2030 Strategic Plan for NIH Nutrition Research.(2023年4月25日閲覧)
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<著者プロフィール>
重城喬行:2004年信州大学医学部医学科卒業.初期・後期臨床研修を経て,’14年千葉大学大学院医学研究院呼吸器内科学・博士課程修了.同年より千葉大学大学院医学研究院呼吸器内科学・特任助教.’19年アムステルダム医療センターへ留学.’21年千葉大学真菌医学研究センター・特任助教.’22年医薬基盤・健康・栄養研究所ワクチンマテリアルプロジェクト・プロジェクト研究員.
國澤 純:1996年大阪大学薬学部卒業.2001年薬学博士(大阪大学).米国カリフォルニア大学バークレー校への留学後,’04年東京大学医科学研究所助手.同研究所助教,講師,准教授を経て,’13年より医薬基盤研究所プロジェクトリーダー.’19年よりワクチン・アジュバント研究センター センター長.’22年より,ヘルス・メディカル連携研究センター センター長を併任.’23年組織改組により,ヘルス・メディカル微生物研究センター センター長.その他,東京大学医科学研究所・客員教授,大阪大学大学院医学系研究科,薬学研究科,歯学研究科,理学研究科・招へい教授(連携大学院),神戸大学大学院医学研究科・客員教授(連携大学院),広島大学大学院医系科学研究科・客員教授,早稲田大学ナノ・ライフ創新研究機構・客員教授などを兼任.一般向け著書として『善玉酵素で腸内革命』(主婦と生活社)や『9000人を調べて分かった腸のすごい世界』(日経BP)がある.