序にかえて
アカデミアにおける創薬力の結集
辻川和丈
(大阪大学大学院薬学研究科)
アカデミアには基礎研究成果にもとづく難病,希少疾患やアンメットメディカルニーズ※1などに対する創薬研究の推進が大きく期待されている.創薬研究はいくつかのステップから構成されており,それらのステップを確実に展開していくことが重要となる.その展開において,高度化されたアカデミア研究の基盤技術と創薬経験を有する研究者による支援の結集が強力な牽引力となる.本書では,創薬研究を加速させる先端研究基盤技術や産官学の連携システム,さらにそれらの技術やシステムを利用可能なALL JAPAN体制での支援制度を紹介することで,これまで創薬を意識してこなかった研究者にとっても創薬研究のステップをクリアしていく道しるべとなるような書籍をめざした.
はじめに
アカデミアには基礎研究の成果を社会に還元するという重要な使命がある.その使命において,難病や希少疾患などのまだ有効な治療薬がない疾患や,アンメットメディカルニーズをはじめとした多様な疾患に対する治療創薬の研究推進がアカデミアには求められている.一方,2023年6月16日に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針2023 加速する新しい資本主義~未来への投資の拡大と構造的賃上げの実現~」(骨太方針2023)1)では科学技術立国再興のため,健康・医療において認知症などの脳神経疾患の発症・進行抑制・治療法の開発,ゲノム創薬をはじめとする次世代創薬の推進,再生医療を含む創薬力強化が盛り込まれた.
本書では,先端の基盤技術や最新機器を活用して生命科学研究を推進しているアカデミア研究者に最新研究成果や情報を執筆いただいた.また,これらの技術・研究の利活用により創薬研究に挑むアカデミア研究者や企業研究者(研究機関のPIに該当する方であれば誰でも申請可能)を強力に支援するしくみであるAMED(Japan Agency for Medical Research and Development)生命科学・創薬研究支援基盤事業(BINDSⅡ,Basis for Supporting Innovative Drug Discovery and Life Science Research)における,All JAPANによる創薬研究の加速支援体制の特徴や取り組み,さらにその成果も紹介する.
1.アカデミア創薬への期待
わが国の製薬企業は新薬開発に対する国際競争力が伸び悩み,創薬の基礎研究から応用研究さらに開発研究まで製薬企業がすべて自前で行うというビジネスモデルは大きく変革した(図).基礎研究部門を縮小する代わりに外部から疾患標的分子に関する情報を収集したり,医薬品候補化合物などを導入するという知識,情報や物質の共有によるオープンイノベーション※2が進められるようになった.このような新薬開発のイノベーションは海外製薬企業においても起こっているが,欧米ではバイオベンチャーがアカデミアの基礎研究成果を製薬企業へと受け渡すことにより新薬開発に大きな貢献を果たしている.一方,わが国ではバイオベンチャーが育ちにくい環境であることから,基礎研究から応用研究までをアカデミアが担う「アカデミア創薬」の推進に大きな期待が掛けられてきた2).
2.創薬プロセスとアカデミアが担う範囲
創薬は基礎研究,応用研究,非臨床試験,臨床試験さらに承認申請と審査のプロセスから成る(図).創薬研究の基盤は,疾患発症の原因分子の同定やメカニズム解明の基礎研究にある.次世代シークエンサーの性能向上によりヒトの全ゲノムが解析されるようになり,膨大なゲノムビッグデータの集積により種々の疾患発症にかかわる遺伝子の変異や多型が同定されてきた.また網羅的な遺伝子解析(トランスクリプトーム解析)により,病態に特徴的な遺伝子の発現解析も可能となった.さらに疾患の発症メカニズムの解明には,発現タンパク質の網羅的解析(プロテオーム解析)が重要な情報を提供する.機能タンパク質の構造はX線結晶構造解析により解き明かされてきたが,近年では単一タンパク質の構造とともに複合体の解析研究においてクライオ電子顕微鏡が革新的な威力を発揮している.疾患標的タンパク質などの候補が同定され,そのターゲットバリデーション※3がなされた後に,低分子化合物創薬においては数多くの化合物から成るライブラリーを用いてそのタンパク質機能などを制御できる化合物が高速でスクリーニング(high throughput screening,HTS)される.一方,装置や費用においてHTSの実施が容易ではないアカデミアでは,タンパク質の構造情報と化合物の構造情報を組合わせてコンピューター上で標的タンパク質の機能や他のタンパク質や核酸などとの会合を阻害すると期待される化合物のスクリーニングも実施される(in silicoスクリーニング).それらスクリーニングにより疾患標的タンパク質などの機能を制御することが可能と考えられる化合物が得られると,実際に細胞系を用いて機能検証がなされる.その際,培養細胞株とともに企業では利用しづらい患者由来細胞を用いた評価実施が,アカデミア創薬においては優位性を示す.これらin vitro細胞系評価によりヒット化合物が見出されると,メディシナルケミスト※4による誘導体合成展開がなされ,化合物の活性と特異性の向上が高められる.その際,細胞膜透過性や安定性,溶解性などの物性評価とともに心毒性などの初期ADMET※5評価がなされリード化合物が創出される.創出されたリード化合物はin vivo疾患動物モデルを用いて薬効が確認される.また,実験動物を用いて投与された化合物の血中や標的臓器での濃度,生体内の薬物動態を調べるin vivo薬物動態試験や短期・長期投与による毒性,発がん性などを調べるin vivo安全性試験がなされる(非臨床試験).それらをクリアしてはじめて医薬品候補化合物となるが,この段階から製薬企業などへバトンタッチされ,人での臨床試験へと進む.人での臨床試験で安全性や薬効が認められると承認申請と審査がなされ上市へと進むことが可能となる.
3.本書の趣旨と構成
本書は,AMED生命科学・創薬研究支援基盤事業(BINDSⅡ)に参画されている先生方を中心に創薬研究に資する高度な基盤技術とその技術を利活用した研究戦略により取得された研究成果を紹介していただくことで,読者に生命科学・創薬研究推進のための情報をお届けすることを主眼とし,総論と5章からなる全31編の構成とした.
1)総論 アカデミア創薬研究の展開とBINDSによる生命科学・創薬研究支援
平成29年度に開始されたAMED「創薬等ライフサイエンス研究支援基盤事業/創薬等先端技術支援基盤プラットフォーム(BINDSⅠ)」の後継事業として,令和4年度から開始されたのが「生命科学・創薬研究支援基盤事業/創薬等先端技術支援基盤プラットフォーム(BINDSⅡ)」である(総説-1).BINDSⅡは,高度な技術や施設などの先端研究基盤を整備・維持・共用して支援に活用することにより,大学・研究機関などによる基礎的研究成果の実用化を進めるとともに,医薬品研究開発に留まらない幅広い分野のライフサイエンス研究全般の推進に貢献することを事業趣旨としている.生命科学・創薬研究においてはタンパク質の構造解析は重要な情報を提供する.BINDSⅡではクライオ電子顕微鏡やAIを使った構造予測の新技術の高度化と活用が進められている(総説-2).またBINDSⅡでは,東京大学創薬機構においてアカデミア研究者による基礎研究成果を創薬につなげるために必要となる,創薬経験や知識,技術を有する創薬研究者との連携が強化され(総説-3),さらに大阪大学創薬サイエンス研究支援拠点では先端機器の整備と共用とともにアカデミア創薬をシームレスに支援する体制の充実,積極的なアウトリーチ活動や人材育成も進められている(総説-4).
2)第1章 最新の疾患標的分子の探索・評価技術
第1章では,疾患標的分子の網羅的探索技術と標的分子やその分子機能の評価技術,さらに医薬品安全性評価技術とともに薬効評価モデル構築に関する研究を紹介する.
創薬研究は,疾患発症のメカニズム解明と標的分子の探索・評価から始まる.生体試料を活用した大規模ゲノミクス解析による良質なデータ生成は生命科学研究の発展と応用に重要な情報を提供する(第1章-1).また発現・機能タンパク質を質量分析装置を用いて網羅的に解析するプロテオミクス解析技術も高度化されてきた(第1章-2).さらに組織における細胞の種類や状態をその空間配置を保持したまま解析する空間オミクス解析は疾患の理解や新たな治療対象の発見につながっている(第1章-3).それらオミクス解析を1細胞レベルで行うシングルセル・マルチオミクス解析は,疾患発症機構解明や創薬標的分子の解析・評価に威力を発揮する(第1章-4).アカデミア創薬では表現型スクリーニングも多く行われるが,活性が認められた化合物の標的分子の同定ではclickable光親和性標識プローブが有用となる(第1章-5).疾患関連タンパク質の機能解析や構造解析を行うためには高品質な組換え標的タンパク質の取得技術の構築が重要となる.第1章-6では哺乳類細胞を用い分泌させることにより効率的に組換えタンパク質を取得する次世代型Fc融合法を紹介する.ヒトに対する医薬品の研究開発において動物を用いた研究成果が適用できない場合が多い.医薬品開発におけるヒトの体内動態予測において実験動物が利用されるがヒトとの種差の問題がある.そこでヒトの消化管吸収性や安全性の評価系の開発にヒト細胞を用いた研究が展開されている(第1章-7).また第1章-8では,アンメットメディカルニーズが高い慢性腎臓病モデルマウスの作製と評価が多臓器との関連や新たな概念の創出に繋がった事例を紹介する.
3)第2章 創薬標的タンパク質の構造解析と分子設計の革新的進歩
疾患治療標的となるタンパク質が同定されると,創薬への展開においてそのタンパク質の立体構造情報の取得が重要となる.第2章では創薬標的タンパク質の構造解析と分子設計の革新的技術を紹介する.
これまで構造解析の基盤技術としてX線結晶構造解析法と核磁気共鳴分光法が中心的役割を果たしてきた.しかしクライオ電子顕微鏡の出現は構造生物学の領域に大きな展開をもたらした.また新たな凍結グリッド試料作成法の開発(第2章-1)や生命科学研究用スーパーコンピューターとの連携(第2章-2)によりその解析技術は飛躍的に進歩している.さらにはBSL(biosaety level)3施設への導入により創薬・ワクチン研究への展開もなされている(第2章-3).近年,エピジェネティックなクロマチン構造制御の破綻がさまざまな疾病を引き起こす原因となりうることが判明し,クロマチン構造の解明を基盤としたエピゲノム創薬の発展が期待されている(第2章-4).さらに,タンパク質だけではなくRNAも創薬標的として,さらに医薬品としても注目されるようになった.第2章-5ではRNAの立体構造情報の取得技術を紹介する.タンパク質の構造が解かれ,あるいはシミュレーションできると膨大な化合物の構造情報を用いてin silicoでのスクリーニングが実施できる(第2章-6).さらにAIや量子化学にもとづく分子シミュレーションを活用した医薬品設計と分子間相互作用の解析へと展開されている(第2章-7).
4)第3章 創薬モダリティの高度化と次世代動物評価モデル
第3章では,創薬モダリティ※6の高度化研究とin vivo評価に利用できる次世代動物モデルの構築研究を紹介する.
創薬モダリティとしては低分子化合物3)とともに多様な創薬基盤技術により抗体や核酸,遺伝子などの新規モダリティが注目され,新たな薬の創製に向けた研究開発が進められている.また,天然物も昔から重要な創薬シードであったが,さらなる進化形として誘導体合成可能なビルドアップライブラリーが構築されている(第3章-1).一方,近年新たなモダリティとして中分子が注目されており,ペプチド合成法(第3章-2)や抗体樹立法(第3章-3)といった基盤技術が構築されている.さらにタンパク質-タンパク質相互作用やタンパク質複合体を標的とした新規モダリティ戦略も提案されている(第3章-4).これらのモダリティを利用した創薬においては,生体内イメージング技術(第3章-5)やゲノム編集を用いた迅速な遺伝子改変マウスの作製技術(第3章-6)など分子機能を探る革新的技術開発と,ヒト化モデルマウスの作製と創薬応用(第3章-7)が必要不可欠となる.それらの最新技術を紹介する.
5)第4章 産官学連携によるアカデミア創薬の最新戦略
生命科学研究の進歩に伴い,創薬標的や創薬モダリティが多様化し,上市に至るまでの成功確率の低下や研究開発費の高騰などにより,製薬企業は研究開発の全プロセスを単独で実施することが困難となった.そこで製薬企業はアカデミアやベンチャー企業との産学連携によるオープンイノベーションを図るようになった.一方で,新たな産学共創のしくみも構築されてきた.日本製薬工業協会と東京大学薬学系研究科附属創薬機構は新たな化合物プラットフォームとして世界的に注目されているDNA-encoded libraryの開発を開始した(第4章-1).また多様性ある製薬企業の化合物ライブラリを共同管理する国内企業9社からなるJ-PUBLICは,約44万からなる化合物とそれらの構造情報を大阪大学薬学研究科附属化合物ライブラリー・スクリーニングセンターとの連携により広くアカデミアで利用できるしくみを構築した(第4章-2).これらのライブラリーをアカデミアが活用することによりさらなるアカデミア創薬の展開が期待できる.一方,国も革新的医薬品や医療技術の創出を加速させ,産学連携の研究開発につなげる事業やプログラムを立ち上げてきた.文部科学省が進める「橋渡し研究プログラム」もその1つである(第4章-3).大阪大学は,橋渡し研究支援機関として文部科学大臣の認定を受け,医学部附属病院未来医療開発部を中核として橋渡し研究の実践,実用化に向けた臨床試験の支援を実施している.
6)第5章 アカデミア創薬の成功事例
第5章ではBINDSのしくみにおいて,またBINDS創薬支援を利用して進められたアカデミア創薬研究の成功事例をあげた.第5章-1では京都大学において確立された治験までのワンストップ創薬支援体制と治験実施事例について紹介する.また第5章-2ではBINDSプラットフォームのシームレスな支援活用により,創薬標的としては超難敵である12回膜貫通トランスポーターを標的とする自己免疫疾患や腸炎に対する創薬研究が企業導出にまで繋がった,まさにBINDS支援の総結集による成果で締めくくった.
おわりに
一時代前には,アカデミア創薬はいくつかの理由により容易なことではないと考えられていた.まず,アカデミア研究者は創薬経験が十分ではなく,アカデミアと製薬企業研究者との人材交流のしくみも十分に構築できていないことがあげられた.また創薬研究は段階的なプロセスを辿ることにより展開できるが,アカデミアの一研究室でそれを完了することはできない.さらにアカデミア研究者は研究費の獲得などにおいて,年度ごとに論文や学会発表の成果を創出する必要もある.このような状況においても,生命科学の基礎研究とその研究成果にもとづくアカデミア創薬研究の推進が大きく期待されたことから,先進的な創薬研究支援のしくみの構築が必要となった.このような背景において,本書ではAMED BINDSが先端研究機器や設備の整備と共用や,多様な革新的基盤技術を有するアカデミア研究者と製薬企業出身・出向の創薬研究者の強力な連携体制により,生命科学の基礎研究成果を社会実装するため創薬研究に挑むアカデミア研究者を強力に支援するしくみを構築していることを紹介した.さらに,アカデミア創薬で推進すべき難病や希少疾患に対する創薬をはじめ,アンメットメディカルニーズに対する最新の研究成果と,低分子化合物とともに核酸や抗体,さらに中分子といった新規モダリティの利用基盤,クライオ電子顕微鏡や空間オミクス解析,AIなど目覚ましく日々進化している技術革新についても執筆いただいた.今後ますますアカデミア創薬に期待がかかるなか,本書で知り得た知識,情報や技術とともにBINDSⅡのAll JAPANでの支援基盤が,生命科学研究や創薬研究に携わる研究者や学生の基礎研究の展開と,その成果にもとづくアカデミア創薬研究の加速への一助となることを願う.
文献
- 内閣府:経済財政運営と改革の基本方針 2023
- 「研究成果を薬につなげる アカデミア創薬の戦略と実例」(長野哲雄/編), 実験医学増刊 Vol.32 No.2, 羊土社(2014)
- 新薬における創薬モダリティのトレンド—多様化/高分子化の流れと進化する低分子医薬:製薬協ニューズレター, No.208(2022)
<著者プロフィール>
辻川和丈:大阪大学大学院薬学研究科を修了後,藤沢薬品工業に就職.同社退職後,大阪大学薬学部助手に着任.1993年からはハーバード大学ダナ・ファーバー癌研究所腫瘍免疫学(斎藤春雄教授)に留学.帰国後,大阪大学大学院薬学研究科准教授,2012年から現職である大阪大学大学院薬学研究科細胞生理学分野の教授を務める.’17年からは化合物ライブラリー・スクリーニングセンター長,’18年から創薬センター構造展開ユニット長を兼任.さらに創薬サイエンス研究支援拠点長として生命科学・創薬研究支援基盤事業(BINDSⅡ)の課題代表者として支援・高度化を担当.