序にかえて
オルガノイド生命医科学研究の衝撃
武部貴則
(大阪大学/東京医科歯科大学/シンシナティ小児病院/横浜市立大学)
はじめに
オルガノイド研究は,この10年間で,変曲点(Inflection)を迎えた.2017年には,「オルガノイド4.0時代」と題した実験医学月刊特集号,2019年には,「実験医学別冊 決定オルガノイド実験スタンダード」と題した実験書を刊行する協力をさせていただいた.そして今回,満を持して,ヒューマン・オルガノイド研究が急速に進展しはじめて約10年の節目にあたり,2024年にこのような特集を企画させていただくに至った.
1.オルガノイド技術の進化と深化
オルガノイドとは,多様な細胞集団が複雑な組織を自律的に創発すること(=自己組織化)によって,形成される組織のことである.器官発生・再生過程において生じるキーイベントを人為的に再構成することで,必要な微小環境さえ与えれば,培養皿の中でさまざまな細胞群から三次元的な構造体が形成される.進歩の著しいヒト幹細胞生物学の最新知見を駆使することで,ヒトを対象とした研究が可能となった現在,凄まじいスピードで各器官におけるオルガノイド研究が進化してきた.以下の図1は,PubMedからオルガノイド研究に関する文献数を調査したものであるが,2023年において,年間約3,000本,累計2万5千本の論文が執筆されている.さらに,Clinical Trials.govに登録された臨床試験データベースにおいては,47件もの試験が報告されている.故・笹井芳樹博士や,佐藤俊朗博士らをはじめ多くの本邦の研究者が,その基盤技術の確立に大きく貢献してきたことは特筆に値する.Overviewでは,オルガノイド生命医科学分野の国際動向を俯瞰するため,Science of Science研究に取り組まれている岡村による,Science of “organoid”scienceに関する考察を寄稿いただいた.さらに,オルガノイド研究のさらなる飛躍に向け,高山・山中により現状の到達点と今後の期待について俯瞰的に概説いただいた.
第1章では,大幅に技術の深化が進む臓器別のオルガノイド研究領域において,第一線で活躍する専門家を招き,器官別のオルガノイドシステムの最新動向を紹介する.大久保らの稿では初期胚系列(第1章-1),林の稿では生殖細胞系列(第1章-2),杉本らの稿では消化器系列(第1章-3),谷水の稿では肝胆膵系列(第1章-4),坂口の稿では中枢神経系列(第1章-5),須賀らの稿では,下垂体-視床下部系列(第1章-6),上田らの稿では内耳蝸牛系列(第1章-7),田中らの稿では口腔内器官系列(第1章-8),井上らの稿では腎系列(第1章-9),谷らの稿では心臓系列(第1章-10),妻木の稿では軟骨系列(第1章-11),葛西の稿では免疫系列(第1章-12)についてを紹介する.
2.Private Public Partnershipの重要性―モノづくりからコトづくりへ
本邦のオルガノイド研究が,黎明期を支えてきたことはくり返すまでもないが,今後のさらなる発展をリードしていくためには,戦略的なパートナーシップも重要になると思われる.例えば,図2は,オルガノイドに関連する特許出願件数の年次推移と,日本からの出願が占める数を対比的に示したものだ.2013年以降の本格化以降,日本の立ち位置は必ずしもトップランナーであるとは言い難い.海外においては,Novo Nordisk Foundation Center for Stem Cell Medicine reNEW〔3億ユーロ(約470億円)の投資〕,Roche-Institute of Human Biology〔1億スイス・フラン(約170億円)の投資〕,Boehringer Ingelheim-The Institute of Molecular Biotechnology(IMBA),Novartis-The Friedrich Miescher Institute for Biomedical Researchなどの大型Private Public Partnership(官民連携)を通じて製薬企業との有機的なコラボレーションが展開している.さらに,大型の資金調達を元にしたスタートアップが数々生まれ,委託研究を通じて企業とアカデミアのコラボレーションも激増している.これらの背景にあるのは,創薬や遺伝子・細胞医療等の実現に向けた製品化に期待が集まっているためだ.すなわち,これまではオルガノイド,という,いわば,モノづくり的な視点の研究に焦点があった状況から,臨床医学への実施的還元をめざす有用事例を生み出すことに力点を置く,いわば,コトづくり型研究へのシフトが生じている.特に創薬分野においては,2022年末には,FDAが動物実験を必須としない通達を行った6)ことも,これらを加速させる後押しになるであろう.今後,わが国においても,オルガノイド技術を起点とした生命医科学分野への応用の火が灯り続けることを期待したい.
3.Convergent Biotechnologiesの台頭
この数年間で急速に広がりを見せているもう一つの理由が考察できる.それは,オルガノイド研究と組合わせることができるバイオテクノロジー(Convergent Biotechnologies)によって,得られる情報の幅・解像度・分解能が急速に高まりつつあるという事実である.例えば,シングルセル解析(sc/snRNA-seq,scATAC-seqなど)による多細胞間相互作用研究がその最たる例であり,もはや,オルガノイド研究の論文投稿には,ほぼ必須の解析事項として組合わせることがトレンドになっている.
今後,生命医科学分野において,オルガノイド研究が貢献しうる分野の一つに,「人類の多様性理解」,という壮大な命題があげられる.すなわち,従来の細胞株研究では実現できなかった,ひとりひとりの個人の表現型を具現化するオルガノイドを物理的なアバターとして活用することで,超個別的な理解に基づく疾患研究が加速する可能性がある.
第2章では,これらを実現していくために欠かせない技術的な視点から,きわめて強力なツールとなりうるConvergent Biotechnologiesを開発されている諸先生方にご寄稿いただいた.根本らによる多検体一括解析技術(第2章-1),奥田ら(形態形成)・松田ら(代謝)による計算機シミュレーション技術(第2章-2,3),樽本らによる機能ゲノミクス技術(第2章-4),松井らによるエピゲノム解析技術(第2章-5),末松らによるメタボローム解析技術(第2章-6),垣塚らによる蛍光可視化技術(第2章-7),森實らによるOrgan-on-chip技術(第2章-8),米山らによる生体イメージング技術(第2章-9),金光らによる全組織イメージング技術(第2章-10)を紹介する.本書を起点に,今後さまざまな先生方の間でのクロストークが生じ,技術的融合が生まれることを期待したい.
4.「縦糸(臓器中心)」から,「横糸(個体中心)」へのシフトは可能か?
個体レベルでの緻密な研究を進めてきた多くの科学者・医学者にとっては,オルガノイド技術がいかにして生命科学分野にインパクトをもたらすものか,いまだ半信半疑であることが多いのも事実であり,このような熱狂が,ハイプに終わる可能性もまだまだ存在する.なぜならば,オルガノイド研究は,所詮,従来の細胞株等を通じて観察されてきた現象のスケールを一段階上げたに過ぎず,個体レベルで,すなわち,人類へ有益な知見を提供しうるのか?という点については,いまだ,希望的期待の範疇をでていない.
故・山村雄一 元・大阪大学総長は,よく医学部の講義の際に「縦糸の医学と横糸の医学」と語られたという.呼吸器学,循環器学,血液学,皮膚科学,眼科学,消化器学など,いわゆる,臓器別の医学は「縦糸の医学」であり,生化学,免疫学,生理学などは縦糸をつなぐ「横糸の医学」で,この両方が医学に必要という意味だと解釈される(図3).今後のオルガノイド生命医科学研究が指向する未来も,「縦糸(臓器中心)」から,「横糸(個体中心)」への力点のシフトにあるのかもしれない.すなわち,臓器別にオルガノイドの人為的再構成をめざすものづくり的側面が強かった潮流から脱却し,個体で観察される生命現象の理解に役立てる流れへと昇華させる必要がある.
近年では,脳オルガノイドを用いた電気生理学的解析や,がんオルガノイドを用いた腫瘍免疫応答解析,肝臓オルガノイドを用いた脂質生化学的解析など,一部の事例においては,個体レベルの表現型を類推するための解析手法が実装されつつある.しかしながら,いまだ,横糸の医学の実現という観点からは萌芽的な状況であるに過ぎない.今後,個体レベルで意味のある知見をオルガノイド生命医科学研究が供していくために重要と考えている4つの視点を以下にあげたい.
1)More Complex Biology
臓器別に解析をしてきたオルガノイド研究から,免疫系,代謝・内分泌系,循環器系,筋骨格系,神経系システム間の相互作用を加味したモデルを形成するとともに,いかに模倣し,制御し,理解を深めていくかが重要となる.特に,多能性幹細胞研究の多くは,妊娠初期に生じるイベントの再現にとどまっており,妊娠中・後期,ひいては,生後に生じる生物学的プロセスをいかに人為的誘導できるかは大きな課題である.したがって,今後も,継続的により複雑なオルガノイドモデルを体現するためのモノづくり的研究は引き続き重要になる.
2)Genome and Phenome
より複雑な遺伝形質の寄与を調べることで,monogenicからpolygenicへと視座を広げ,その効果を限られた標本集団から立証していくことが可能となる.また,進化生物学的な観点から,非人類および絶滅種からの学びを駆使して,人類がヒト足りうる理由を遺伝学的な観点から解析していく研究にも注目が集まるであろう.さらに,得られた遺伝形質を,多階層的な表現型(Phenome)情報(ncRNA, mRNA, Protein, Lipid/metabolites)へと紐付けることで,より高次の表現型へと結びつけていくことがオルガノイド研究で実現される.このためには,ゲノムワイドな遺伝子編集技術,微量検体からの質量分析や,超高スループットな解析系などの技術進展とのタイアップが重要となる.
3)Exposome and Epigenome
exposomeとはいわゆる環境要因(environmental factor)に関連して,人体の健康やウェルビーイングにインパクトをもたらしうる因子の総称である.公衆衛生学などを通じて特定される要因が多いが,栄養,毒性物質,環境・病原微生物などを含めて莫大な要因が想定される.さらに,exposomeにより生じるゲノム修飾や,クロマチン構造から見た後天的に獲得されるプロセスの理解が可能となれば,加齢変性等を含めた老化研究等への発展も期待される.
4)Cyber Transformation
「人」を対象とした生命医科学研究は,同一人物において,時系列(遷移)情報を取得することや,複数のexposome条件を想定した実験的研究を行うことは難しい.「オルガノイド」を対象とした生命医科学研究は,これらを取得できる可能性があるものの,得られた因果関係にかかわる情報を,帰納的に個体へと紐づけることが困難である.今後,これらを打破していくためには,双方の対象からの観測データのデジタル統合を進め,実際の人体で生じる現象への紐づけ情報科学的なアプローチが重要となる.自然言語処理の分野で,自己注意(self-attention)機構により大規模並列処理を実現した深層学習モデルであるTransformerの出現は,AlphaFoldを始め,あらゆる分野にインパクトをもたらしているが,深層学習と機械学習を融合した高度なAI技術を駆使することで,多層オミクス解析を通じて特定の状態・表現型と紐づく膨大な記号情報を生み出すことが可能なオルガノイド技術を駆使することで疾病への遷移状態をモデル化し,将来的にサイバーヒューマンを生み出す競争が開始していくであろう.
第3章では,こうした新たな局面を迎えつつあるヒューマン・オルガノイド研究の端緒的な事例を集めた.具体的には,嶋田らによる創薬研究(第3章-1),岡本らによる再生医療の開発(第3章-2),川上による精密医療(第3章-3),西田によるバイオデジタルツイン技術(第3章-4),佐々木による腸内細菌研究(第3章-5),髙里による進化発生学研究(第3章-6),鈴木によるオルガノイド・インテリジェンス開発(第3章-7)を紹介する.未来志向型の研究の萌芽を感じていただきたい.
おわりに
オルガノイド研究が,Hopeと言えるのか,Hypeに終わるのか.ハイプ・サイクルになぞらえれば,一度1980年代に幻滅期を迎えた本領域が,今後,啓発期・安定期に移行できることを願うばかりであるが,真に,オルガノイド研究がライフサイエンス分野を革新できるのかは,読者の皆さまを含む次世代の研究の発展にかかっていると思う.
最後に,執筆いただいた先生方,羊土社の中田理沙さん,姉川大輔さんはじめ実験医学編集部の皆様の多大なる努力によって本書の発刊にこぎつけられたことを,心から深謝致します.
文献
- Lancaster MA, et al:Nature, 501:373-379, doi:10.1038/nature12517(2013)
- Takebe T, et al:Nature, 499:481-484, doi:10.1038/nature12271(2013)
- Spence JR, et al:Nature, 470:105-109, doi:10.1038/nature09691(2011)
- Sato T, et al:Nature, 459:262-265, doi:10.1038/nature07935(2009)
- Eiraku M, et al:Cell Stem Cell, 3:519-532, doi:10.1016/j.stem.2008.09.002(2008)
- CONGRESS.GOV:S.5002 - FDA Modernization Act 2.0(https://www.congress.gov/bill/117th-congress/senate-bill/5002)