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第5章 Case Study
Case⑥ 否認・怒りでスタッフを振り回す
秋月伸哉
(がん・感染症センター 都立駒込病院 精神腫瘍科・メンタルクリニック)
- 「否認」と考える前に本当に患者に伝わっている情報を確認する
- 否認は心の安定を守るための仕組みである
- 可能なら否認を崩さずに問題を解決できる方法を検討する
- 怒りの背景を考えたうえで問題解決を図る
事例
42歳,女性.夫・小学5年生の娘と同居.1年前に乳がん多発骨転移と診断,抗がん剤治療を開始.治癒は望めないことも伝えられていたが,「子どものためにも死ねないので治療を頑張ります」と話していた.その後,肺・肝転移が出現.抗がん剤治療を継続していたが全身状態悪化のため入院した.不眠に対しリエゾンチームも介入したところ,抗がん剤が中断していること,母親不在での子どもの生活について心配を話したが,それ以外の問題については話されなかった.状態の改善がみられず,主治医からこれ以上の抗がん剤治療継続を進められないことを伝えたところ,「そんなはずはない,治療方針がおかしいのではないか!」と怒り出し,それ以上の話をすることができなかった.
うまくいかなかったパターン
- 終末期に向けての準備を進めることができず困った病棟看護師は「本人の病状理解が不十分なのではないか? 死を受け入れられていないのではないか?」と考え,主治医にくり返し病状説明を求めた
- 医師は面談を行ったが,感情的になる患者とのコミュニケーションは難しく,夫の不信感も募っていった
どうすればよかったのか?
- 患者の怒りの背景を包括的に考える
- 今後の患者のケアに何が必要で,何が妨げになっているかを整理する
- 否認に対する直面化以外に問題解決の方法がないかを考える
うまくいったパターン
1)多職種カンファレンスの開催
- 主治医・病棟看護師・リエゾンチームでカンファレンスを行い,包括的アセスメントシートを用いて,患者の怒りの背景を整理した(表1).
- 患者の怒りのため話し合えなくなっていることとして,①十分な緩和ケア提供,②家族との十分な時間をもつこと,③終末期に向けて解決したほうがよい問題があるか,が挙げられた
【カンファレンスでの計画】
- 「否認」の問題を疑い,役割分担をして患者が何を話題にできるのか,何を話題にできないのかを探る
- 家族と個別で面談し,病状と面談時の患者の反応をどう理解しているかを確認する
- 「抗がん剤治療中止」に直面させずに,緩和ケアを行えないかを検討する
2)情報収集と評価
【夫との面談】
- 夫は治癒しないことや抗がん剤治療を継続できないことは理解しており,先日の面談の様子に驚いていたが,本人には受け入れがたい気持ちがあるのだろうと理解していた
- 家庭内でも死について話題にすることは避けていたことがわかった
- 考えることも難しいほど受け入れがたい話題は避けつつも,家族と連携しながら最大限のサポートを続けることを夫と確認した
包括的アセスメントシートを用いたカンファレンスで議論が的外れにならないためには,今ある問題を機械的にすべてリストアップするのではなく,今問題となっている患者の気持ちや行動(例:がん治療中止の面接で怒り出す)に関わっていると推察される問題や,確認されていないが関わっているかもしれないと疑われる問題をリストアップするのがコツである.
【本人とのかかわり】
- 日々の看護ケア,リエゾンチームの面接のなかで病状の理解や,今後の懸念について話し合える話題を探った.現在の体調では抗がん剤を行わないほうが体力を維持できるという話し合いは可能だった
- 先日の面談について振り返ると,「抗がん剤ができないということはもうダメってことじゃない」と涙を流した
- 家庭について,夫は協力的だが学校行事にかかわってこなかったため,入院中ちゃんとできているだろうか心配していた
- これらの情報から病状や今後について理解し,娘や家族の将来を心配しているものの,延命をあきらめるような話題や,明確に自らの死後を想定した話題は心理的に耐えがたい状態だと判断した
3)治療方針の再構築
- 前回の繰り返しにならないよう,患者が最も恐れている“がん治療中止”という言葉を避け,緩和ケアという言葉も使わず「なるべく長く家族と一緒にすごすための方法」として説明することにした
- 本人の心理状態から緩和ケア専門病棟の利用は難しそうだが,最大限の緩和ケアを行うこと,在宅療養の可能性,必要時には治療医の病棟で最期まで対応する方針を伝えることにした
再度の主治医面接では「抗がん剤を続けることができない」という表現でなく,当面体力を最大限維持する治療方針と説明した.体力低下を防ぐため体調が許す範囲内の活動を推奨し,退院をめざすことを目標とした
前回はご心配なお気持ちのまま話し合いが終わってしまったと思います.改めて今後の方針を相談しましょう.今はまだ抗がん剤の治療を再開できる体調でないのは,○○さんもお感じのことかと思います.
今の体調で最もよく体調を維持できる方針は,取れる範囲で自然な栄養補給を行いながら,つらい症状をやわらげ体本来の治癒力を最大限に保つ方法です.気持ちの安定も役にたつと思いますので,どのように過ごすかについても最大限サポートしつつ相談していこうと思います.
将来体調が改善した際に抗がん剤を再開する可能性を否定しなかった.
もちろん体調が回復したら治療再開のことも相談できますので,そう感じたらおっしゃってください.
- 再度の怒りを心配し,医療スタッフもやや緊張していたが,今回はあっさり受け入れられたようであった.
- 別途家族には限られた予後について話した.家族としても娘の将来など本人が心配しているであろう事柄に対処できることをさりげなく示していくことが役立つだろうと伝えた
4)その後の経過
- 対症療法として緩和ケアチームが介入することは拒否されなかったため,専門家による症状緩和も行える体制をつくった
- 夫は毎日の来院時,娘の学校での出来事や,中学受験の方針などを本人と積極的に話題にするようにした.週末は娘も見舞いに来た
- 夫・患者の両親と話し合いがもたれ,患者が亡くなったあとは患者の両親が娘の生活を継続して支援する方針となった
- 現実に直面しての心理反応を想定し,継続してリエゾンチームがかかわった
- 心理士が助言し,夫から娘に母親の病状や,死が近づいているが頑張っており皆でサポートしていること,心配があれば遠慮せず伝えてよいことなどを伝えた
- 症状が安定したため,訪問医療・看護を導入して退院した.退院時には病状の伝え方や心理状態について在宅医療スタッフと共有した
- 退院後約1カ月で自宅にて永眠された.亡くなる前には自分の最期が近づいていることを話題にし,家族に感謝とお別れを伝えることができた
- 事実を認めない様子があったとしても,説明が不十分で情報が伝わっていない,認知症やせん妄のため忘れてしまっているなどさまざまな可能性があるため,安易に否認であると考えるべきではない.
- これまでの説明内容,受け止め,家族の理解など多面的な情報収集が評価に有用である.
- ① 前述の対応はあくまで一例であり,常にうまくいくとは限らない.重要なのは怒りや否認の背景を評価し,否認しなければいけないほどつらい患者の苦痛に配慮しながら現実的な問題解決を行えるかである.また,その際患者にかかわるもの(病院スタッフ,家族,在宅スタッフなど)同士が連携し,患者を支える役割を担えるよう手配が必要となる.
- ② 直面化なしに解決できない問題,否認による患者の損失が大きい場合(例:手術への恐怖から,手術なしには助からない病状を否認している場合)は,患者がさけている問題への直面化が必要になることがある.直面化により強い抑うつや希死念慮などが引き起こされることもあり,心理状態に十分配慮し,サポート体制を整えて行う.
文献
- 平井 啓:精神・心理的コンサルテーション活動の構造と機能.総合病院精神医学,28:310-317,2016