概 論
がん免疫研究と治療法開発の歴史
吉村 清
(昭和大学臨床薬理研究所臨床免疫腫瘍学部門/昭和大学医学部内科学講座腫瘍内科学部門)
がん免疫療法の歴史
現在,がん治療の大きな柱としてがん免疫療法は存在し,サイエンスとしてもがん免疫分野は大きな注目を集めている.後にノーベル生理学・医学賞を受賞することとなるジェームズ・P・アリソン氏は2015年のニューヨーク・タイムズの記事での記者との対談で,記者からの質問に,「この分子(著者注:CTLA-4)は,がん細胞を攻撃する代わりに,免疫反応に一種のブレーキをかけるのです.私たちはこれをチェックポイントと呼んでいます」と答えている.この免疫のブレーキを解除するのが免疫チェックポイント阻害剤である.これによるがん治療法の開発に対して,2018年に本庶佑氏とジェームズ・P・アリソン氏がノーベル生理学・医学賞を受賞された.さらにその翌年のノーベル生理学・医学賞は低酸素誘導因子の発見者に贈られた.これもいわばがん免疫微小環境での病態解明につながる発見である(⇒基礎編2章Keyword 10).
このがん免疫療法の発端については諸説あるが,1890年代の米国ニューヨーク市のウィリアム・コーリー氏が丹毒を感染させる治療を頭頸部悪性腫瘍の患者に行ったことが,その1つと言われている.後の研究でこの際に誘導された主たる因子はtumor necrosis factor alpha(TNF-α)であるとの報告もある1).その後,まず1973年に樹状細胞の高い抗原提示能がラルフ・スタインマン氏により報告されており,1974年にはロルフ・ツィンカーナーゲル氏とピーター・ドハーティ氏により,MHC拘束性という現在の腫瘍免疫学にも欠かせない事象の発見があった.この頃,日本ではさかんにタンパク質多糖体,細菌製剤を用いた治療ががん治療に使用され,研究も行われた2).その後1980年代には,リコンビナントのサイトカインを用いた治療や,米国国立がん研究所のローゼンバーグ氏のグループを中心に,培養して増やしたリンパ球全体を体内に戻すという活性化リンパ球療法(リンホカイン活性化キラー細胞,lymphokine-activated killer:LAK細胞療法)がさかんに行われた3).
1990年代には1991年のテリー・ブーン氏らによるがん抗原の発見というエポックメイキングな出来事が起こる.また,TNF,IL-2,IL-12,GM-CSFなどのサイトカイン遺伝子を用いた免疫遺伝子療法が脚光を浴びた4).2000年代に入ると樹状細胞療法,ペプチド療法,ヒト化抗体療法,NKT細胞療法,γδT細胞療法など従来の細胞に比べマイナーな細胞に注目した治療法の開発やTCR改変T細胞療法が行われるようになった.米国では,GM-CSF産生がんワクチン療法の臨床試験も引き続き行われた.2010年代に入ってからは,2011年シュライバー氏などから免疫編集(⇒基礎編4章Keyword 1)の概念が提唱された5).そして2014年に世界に先駆けて悪性黒色腫に対する抗PD-1抗体療法が日本で認可されてからは,多種多様ながん腫に抗PD-1抗体(⇒臨床編1章Keyword 4),抗PD-L1抗体(⇒臨床編1章Keyword 5),抗CTLA-4抗体が使用できるようになり今日に至っている(表)6)7).
がん免疫療法の開発戦略の転換点と免疫編集
ここに至る過程は決して順風満帆ではなかった.2004年に,腫瘍免疫学における世界的リーダーである米国国立衛生研究所(NIH)のローゼンバーグ氏ら3人から衝撃的ないわば反省文のような論文が報告された.要旨としては,腫瘍免疫学の分野では過去10年間に大きな進歩があったものの,440名の患者を対象としたがんワクチン試験では,客観的奏効率は2.6%と低く,他の研究者が得た結果と同程度であった,というものだ.そしてさらに,がんワクチン試験の結果を考察し,前臨床および臨床モデルにおいてがんの退縮を媒介する代替戦略が必要であると述べた8).実際,この論文が出された前後の時期より,これまでのがん免疫療法に対する治療開発戦略は見直しを必要とされるという機運が高まっていた.この頃に免疫チェックポイント分子およびその関連分子が注目されはじめ,免疫チェックポイント阻害剤の基盤的研究開発が進みはじめた.
この免疫チェックポイント分子を用いて,これまでのがん免疫と腫瘍の関係,とりわけ腫瘍の免疫からの逃避機構を論理的に説明した免疫編集という概念(図)5)が提唱された(免疫編集の概念図として基礎編4章Keyword 1の図も参照いただきたい).つまり,免疫系はがん細胞を破壊したり,がん細胞の増殖を抑制したりすることで,がんの増殖を抑制する一方で,免疫力の高い宿主の中で生き残るのに適したがん細胞を選択したり,がんの増殖を促進するような条件をがん微小環境内に生じさせたりすることで,がんの進行を結果的に促進してしまう.
免疫編集は,排除,平衡,逃避という3つの連続した段階で説明される.排除相では,自然免疫と獲得免疫が連携して,発生中の腫瘍が臨床的に明らかになるずっと前にがん細胞を破壊する.しかし,もし,まれに排除相で破壊されなかった場合は,平衡相に移行することがある.この段階では,免疫学的なメカニズムによってがん細胞の増殖が阻止される.がん細胞の増殖を抑制するためには,T細胞,IL-12,IFN-γが必要である.平衡相は獲得免疫のみが作用している.がんの免疫原性の編集は平衡相に行われる.平衡相は抗腫瘍免疫が十分に働いている間,潜伏がんの成長を抑制することができる.しかし,平衡相にある遺伝的に不安定ながん細胞に一定の免疫選択が作用した結果,がん細胞の亜種が出現して(ⅰ)獲得免疫に認識されなくなるがん細胞変異体(抗原消失変異体または抗原処理・提示の欠陥をもつがん細胞),(ⅱ)免疫エフェクター機構に鈍感な細胞,または(ⅲ)がん微小環境内で免疫抑制状態を引き起こす細胞などになる.これらのがん細胞は,その後,免疫に妨げられずに増殖する逃避相に入る可能性がある.
これらのがん細胞は,臨床的に明らかな疾患を引き起こす.このがん免疫編集の概念は免疫チェックポイント分子やサイトカインなどを用いて説明され,多くの支持を得た.
がん免疫療法の現状と今後の展望
前述の治療法に関して,臨床試験として行われたものの多くは,期待されながらも良い結果を残すことができなかった.しかしながら,免疫療法特有の反応を考慮した臨床試験のノウハウなどは,世界中で蓄積されたと思われる.
その後,がん免疫療法においては免疫チェックポイント阻害剤が2014年より使用可能となりがん治療に大きなパラダイムシフトを起こした.ほかに,血液腫瘍の一部にキメラ抗原受容体遺伝子導入T(CAR-T)細胞療法(⇒臨床編1章Keyword 6)が開発された.また現在は腫瘍溶解ウイルスを用いた治療法(⇒臨床編1章Keyword 1,2,3)の開発やT細胞とがん細胞を標的としたバイスペシフィック抗体を用いた治療法の開発が行われている.さらに,2021年初頭には,抗PD-1抗体不応性の悪性黒色腫患者への便移植と抗PD-1抗体療法の併用による成果が報告された(⇒臨床編1章Keyword 15).この成果は腸内細菌叢のがん免疫へのインパクトの強さを示したものになった9)10).
本稿を執筆している2022年1月現在,免疫チェックポイント阻害剤の適応がん種が拡がり,化学療法との併用も増えている.さらにプレシジョン・メディシンが進みつつある今日,遺伝子解析によるがん免疫療法の細密化はさらに進むものと考えられる.がん免疫研究の発展は,がん患者からも強い期待を常に受けており,今後も,さらなるがん免疫の機構の解明に向けた研究が必要である.
文献
- Terlikowski SJ:Rocz Akad Med Bialymst, 46:5-18, 2001
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