実験医学別冊 もっとよくわかる!シリーズ:改訂版 もっとよくわかる!幹細胞と再生医療
実験医学別冊 もっとよくわかる!シリーズ

改訂版 もっとよくわかる!幹細胞と再生医療

  • 長船健二/著
  • 2025年03月24日発行
  • B5判
  • 206ページ
  • ISBN 978-4-7581-2215-3
  • 5,280(本体4,800円+税)
  • 在庫:あり
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第5章 iPS細胞 ―ノーベル賞のその後

2006年,簡便な遺伝子操作にてES細胞とほぼ同等の,全身のすべての細胞種への分化能を有する「iPS細胞」が作製可能となった.iPS細胞は,「拒絶反応」と「ヒト胚の使用」という,ヒトES細胞に関連する2つの問題点を克服可能としたため,再生医療を実現化に向けて大いに近づけた.また,体細胞から多能性幹細胞へのリプログラミング(初期化)という生物学的にきわめて興味深い謎を解明するための実験系を供給した.iPS細胞は,言うまでもなく幹細胞・再生医療の研究分野での最大のブレークスルーの1つである.

Key word
◆iPS細胞◆リプログラミング◆初期化◆拒絶反応◆疾患特異的iPS細胞◆疾患モデル◆細胞療法◆毒性評価

iPS細胞とは

Oct3/4,Sox2,Klf4,c-Mycの4つの遺伝子を線維芽細胞に導入するだけで作製できる多能性幹細胞であるiPS細胞が,2006年秋のマウス1)に続いて,2007年秋にはヒトにおいても開発された(図12)3).この発表の当時,私は米ハーバード大学にてヒトES細胞の分化誘導研究にとり組んでいたが,この報告はすぐには信じられず,「本当なのだろうか?」と目を疑うほどの驚きを受けたものである.それ以降,2012年には山中らがノーベル生理学・医学賞を受賞し,世界中でiPS細胞に関する激しい研究競争が繰り広げられている.

そのなかにおいて,最も進展した研究分野は大きく分けて3つあると考える.ひとつはゲノムへの導入遺伝子(transgene)の組込みを必要としない,あるいは,それを残さない新しいiPS細胞樹立方法の開発,もうひとつは難治性疾患の患者体細胞から作製した疾患特異的iPS細胞を用いた疾患モデル作製研究,そして最後に,近年は細胞療法の開発である.疾患モデル作製研究および細胞療法の詳細については第9章第10章に譲るとして,本章においては,iPS細胞の誕生から新しい樹立法まで,iPS細胞を用いた研究のこれまでの知見を要約し,さらにそれらに基づく今後のiPS細胞研究の課題と展望についても述べてみたい.

1)リプログラミングという現象

われわれ生物の個体は受精卵の1つの細胞からはじまり,それが分裂をくり返しながら,さまざまな細胞系譜へと分化することによって形成されていく.そして,全身の臓器を構成する機能的に最終分化した細胞は,もはや多種類の細胞に分化しうる多分化能(多能性)を発揮することはない.全身の細胞への多能性を有する受精卵に由来するにもかかわらず,である.これは,どのようなメカニズムによるのだろうか? 多能性を本質的に失ったためなのか,生体に内在性に備わる何かのメカニズムによって抑制されているのかは大きな疑問であった.

ここで簡単に歴史を紐解いてみよう.1958年にイギリスのガードン(John Gurdon)らがクローンガエルを誕生させることに成功した4).これは紫外線照射で除核したアフリカツメガエルの未受精卵に,オタマジャクシの腸由来の体細胞核を移植すること(体細胞核移植,somatic cell nuclear transfer:SCNT)によって受精卵を作製したものである.これは,最終分化した体細胞の核が未分化状態に戻り,多能性が再獲得されたことを意味する.この現象はリプログラミング(再プログラム化)あるいは初期化とよばれている(図2).しかしその他の動物種での報告は続かず,この現象は両生類のみでみられる現象ではないかと思われていた時期もあった.しかし,その約40年後に,ヒツジやマウスでも体細胞由来の核移植によって作製された受精卵からクローン動物が誕生し,哺乳類でもリプログラミングが起こりうることが明らかにされた5)6).また,体細胞とES細胞を細胞融合(cell fusion)することでも,体細胞核のリプログラミングが生じることがわかった(図27)8)

前述の疑問についての答えはおわかりだろうか? これらの結果から,体細胞では多能性を喪失したのではなく,潜在的にその能力を保持しているが何らかのメカニズムで抑制されている,ということが正解であることがわかった.さらにこれらの実験はもう1つ重要な示唆を与えてくれることにも気づいただろう.そう,その多能性を誘導できるリプログラミング誘導因子が,受精卵あるいはES細胞の細胞質に存在することが示唆されたのである.

※1 エピゲノム:DNA の塩基配列を変えずに遺伝子発現を制御する仕組み.例えばDNA のメチル化やヒストン修飾 などがあり,これらが遺伝子のスイッチをオン・オフする役割を果たす.

2)iPS細胞の誕生

京都大学の山中伸弥らは,前述の受精卵やES細胞に存在する核のリプログラミング誘導因子を探索し,それらを体細胞に導入することでES細胞のような多能性幹細胞を誘導することができるのではないかと考え,研究を開始した.当時,こうしたアプローチはほぼ不可能であると考えられていたが,山中らはまず,アッセイ系を構築した(図3).マウス線維芽細胞にレトロウイルスベクターを用いたリプログラミング誘導因子の候補遺伝子を導入し,ES細胞の性質を獲得するかどうかを検出するアッセイ系である.山中らは以前よりFbx15の解析を進めてきた実績があった.Fbx15はES細胞で特異的に発現しているが,線維芽細胞では発現していない.この遺伝子座にアミノグリコシド系抗生物質に対する耐性遺伝子(ネオマイシン耐性遺伝子:NeoR)を組込んだ,遺伝子改変マウス由来の線維芽細胞を使ったのである.候補遺伝子の導入によって線維芽細胞がES細胞の性質を獲得するとNeoR遺伝子を発現する.その後,G418(アミノグリコシド系抗生物質の一種)による薬剤選択を行えばES細胞の性質を再獲得できた細胞のみが生き残り,導入された遺伝子がリプログラミング誘導因子であることがわかる.

データベース解析により24の候補遺伝子を選出し,1因子ずつ線維芽細胞に導入したが,リプログラミングを起こすことはできなかった.ところが,24遺伝子のすべてを同時に導入するという大胆な発想の実験を行ったところ,形態的にES細胞に似たコロニーを得ることができた.さらに,リプログラミング誘導因子の絞り込み※2を行ったところ,Oct3/4,Sox2,Klf4,c-Mycの4因子の組合わせ(後に山中4因子とよばれる)で十分であることがわかった(図3).この4因子導入によって得られた細胞は形態的にも,増殖特性においてもES細胞に酷似していた.こうして人工的に作製されたES細胞に似た性質をもつ細胞を,山中らはiPS細胞(induced pluripotent stem cell:人工多能性幹細胞)と名付けた1)

しかし,まだいくつかの課題も残っていた.1つはこのFbx15の発現を指標に作製されたiPS細胞(Fbx15-iPS細胞)は,遺伝子発現はES細胞に似ているものの,一部が異なっていたことである.また,マウスES細胞を別のマウスの受精卵に移植すると,移植されたES細胞が生まれてくるホストのマウスのなかのさまざまな臓器の一部となるキメラマウスを形成する.しかしこのFbx15-iPS細胞は,受精卵に移植を行ってもキメラマウスをつくることができなかった.これらが解決されない限り真にリプログラミングと言うことはできない.

そこで,ES細胞により近似したiPS細胞を作製するために,山中らは別のアッセイ系の開発に着手した.Fbx15と比較してES細胞でより特異的に発現しているNanogの遺伝子座に,緑色蛍光タンパク質(GFP)とピューロマイシン耐性遺伝子が導入された遺伝子改変マウス由来の線維芽細胞を用いたのである.この系を用いて作製されたiPS細胞(Nanog-iPS細胞)は,Fbx15-iPS細胞に比べて遺伝子発現と分化能の点でES細胞により近いことが示された.さらに,Nanog-iPS細胞はキメラマウスを形成することができた.これらに加え,ホストの体内で分化するのが最も難しい臓器である精子や卵などの生殖細胞への分化能〔生殖細胞系列寄与(germline transmission)〕も示し,ES細胞とほぼ同等の多分化能を有することが実証された9)~11)

※2 24遺伝子から1つずつ遺伝子を引いた23遺伝子の導入によるiPS細胞樹立のスクリーニングをすることで,リプログラミングに重要な10遺伝子に絞り,その後,同様に10遺伝子から1つずつ遺伝子を引いた9遺伝子によるスクリーニングをすることで,最終的にリプログラミングに必須の4遺伝子を同定した.

3)ヒトiPS細胞の樹立

マウスiPS細胞が樹立された後,細胞移植療法や,創薬,薬剤の毒性評価系開発等の臨床応用に向けて,ヒトiPS細胞の樹立研究が世界中で競争となった.とはいえ,これまでの研究からマウスとヒトのES細胞では,形態,培養条件,多能性の維持に必要な因子も異なるため,マウスと同様のOct3/4,Sox2,Klf4,c-Mycの山中4因子でヒトでもiPS細胞が樹立できるかどうかは大きな疑問であった.しかし,マウスiPS細胞の樹立の約1年後に,山中らは,レトロウイルスベクターを用いた4因子の導入効率を改善する工夫※3を行い,ヒト線維芽細胞からヒトES細胞と同じ形態,遺伝子発現,多能性を有するコロニーを得ることができた(図1B2)

また,山中らと全く同時に,米国のトムソン(James Thomson)らが,異なる4因子の組合わせ(Oct3/4,Sox2,Nanog,Lin28)をヒト線維芽細胞に導入し,ヒトiPS細胞の作製に成功したことも発表された3)

※3 ヒトの細胞にはレトロウイルスが入りにくいため,レトロウイルスのレセプターであるマウスSlc7a1遺伝子をレンチウイルスにてあらかじめ導入したヒト線維芽細胞にレトロウイルスを用いて山中4因子を導入した.

2ES細胞や株間の比較

1)ES細胞との差異

ES細胞とiPS細胞を比較してみよう.見るべきポイントとして,①形態,②遺伝子発現,③分化能がある.これまでの報告によると,ES細胞とiPS細胞は,①形態的に…

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