第1章 概論:ヒト⽣体試料を使った研究の背景,重要性
1 バイオリポジトリにおけるプロセスと本書の構成
池田純子
(日本生物資源産業利用協議会)
- ヒト生体試料とデータの取扱いにあたっては,バイオリポジトリにおけるプロセスを軸に品質マネジメントシステムを構築するとよい.
- 品質マネジメントシステムは,日頃の業務を文書化によって見える化し,必要な際には手順の改善を行い,関係者で共有し運用する体系であり,どのような業務の遂行にあたっても応用できる.
1はじめに
ヒト生体試料を扱うすべての実験室はバイオリポジトリ(バイオバンク)の運営方法を手本にすることができる.その心は,バイオリポジトリがより洗練された手順で生体試料・データを集積し,保管し,分譲まで行っているからに他ならならない.バイオリポジトリの運営は,実務者,責任者がそれぞれの責務を果たして初めて一施設あるいは一プロジェクトとして機能する.いわゆる「力量のある」施設には,品質マネジメントシステム(QMS)が機能しているはずである.「力量のある」とは,意図する結果を達成するために,知識,経験,技能を適用する能力があることを意味する1).品質マネジメントシステムは,施設の種類(バイオリポジトリ,ラボラトリ,臨床検査室,等)ごとに別々のISO文書にまとめられている(詳細は第6章参照).ISO文書を施設認定を受けるためだけの文書として捉えるのでなく,力量のある施設運営のガイダンスとして捉えていただきたい.本書では,ヒト生体試料を取扱うすべての実験室とバイオリポジトリ,そして研究者に向けて施設(プロジェクト)運営上の品質マネジメントの考え方を根幹に各章をまとめている.
2本書の構成と流れ
本書の内容は大きく分けて次の3つのパートに分けることができる(図参照).
- バイオリポジトリにおける実務のパート
- バイオリポジトリのマネジメントのパート
- バイオリポジトリの利用のパート
実務のパートでは,ヒト生体試料を取扱う実験室やバイオリポジトリの実務における具体的な内容について解説する.試料の取扱い,データの取扱い,妥当性確認,検証等が含まれる.
マネジメントのパートでは,バイオリポジトリの施設管理ならびに施設運営について解説する.バイオリポジトリにおける事業計画,施設管理,要員管理,法規制の理解と対応等が含まれる.
利用のパートでは,バイオリポジトリを利用する際の研究計画作成の留意点を解説する.これは,バイオリポジトリが利用申請を受理する際の研究計画の読み方にも共通するものである.さらに,バイオリポジトリ構築の際の研究計画作成についても例示する.
本書は10章から成り立っているが,上記の3つのパートとの関係は図に示す通りである.
第1章「概論:ヒト⽣体試料を使った研究の背景,重要性」では,研究用試料・情報の利活用のために理解しておくべき基本的事項を概説する.まず研究用試料とは何かを理解し,臨床検査用試料との違いについて確認を行う.研究用試料の取得には試料提供者に対して同意説明を行い,同意を取得しなければならない(インフォームド・コンセントの取得).同意説明は,試料提供者の信頼を得るためにも倫理的にも重要事項であり,研究計画の一部として準備されるものである.ここでは同意説明・同意書の準備,研究計画の準備,倫理審査の準備について説明する.第1章は3つのいずれのパートにとっても序章に相当する章である.
第2章「ヒト生体試料の取得,保管,解析前処理と品質評価」では,試料提供者へ実際に同意説明を行う際の手順の紹介に続き,ヒト生体試料の採取,前処理,加工における検体の処理について実践的に解説する.これは,いわば試料分譲用のアリコート(一定分量に分割した試料)を完成させる工程である.第2章は,実験室,バイオリポジトリにおける実務の核となる部分である.
第3章「ヒト生体試料の取扱い」では,第2章の工程で仕上がったアリコート,あるいは分譲(配付)に供する直前の状態に仕上がった試料の保管と保管設備を中心に解説する.さらに保管容器や管理用識別子を解説するほか,試料の輸送方法,あるいは止むなく試料を廃棄する際の注意点を解説する.第3章は,第2章とともに実験室,バイオリポジトリにおける実務の核となる部分である.
第4章「ヒト生体試料の測定・分析」では,その測定・分析は果たして正しいのか?という問い掛けに答える章である.細心の注意を払って慎重に解析を行ったので高品質である,ということを自分以外の人に客観的にどのように証明するのだろうか.この客観性という視点は,実務者に備わっているだろうか.目を背けがちなポイントではないだろうか.第4章では,妥当性確認,標準物質の利用,トレーサビリティ,測定不確かさについて学ぶことができる.
第5章「データの取扱い」では,ヒト生体試料の取扱いに伴って生じるデータ,あるいは測定・分析から生成されるデータの品質管理をどのように行うのか,実践的な内容を解説する.生体試料を伴わず,データのみの提供(あるいは共有)も広く行われる今,誰もが知っていなければならない基本事項を本章でわかりやすく紹介する.第5章もまた実験室,バイオリポジトリにおける実務の核となる部分である.
第6章「バイオリポジトリの品質マネジメントシステム」では,ISO文書をテキストに「力量のある」施設,プロジェクト運営のための基本的考え方を紹介する.品質マネジメントシステムについては,とかくISOの専権事項と捉えられており,一般的に馴染みがない事項のように感じるものであるが,じつは施設管理,プロジェクト管理に通じるごく当たり前のこと(しかしながら人は当たり前のことを怠りがちなもの)であることが見えてくる.ここでは平易な文章での説明を試みた.第6章は,バイオリポジトリ業務に限らず,どのような業務を遂行するにあたっても役立つものであり,本書の特徴となっている章でもある.
第7章「安全性と感染管理」では,実験室,バイオリポジトリの安全性確保と感染防止のための基本的事項を紹介する.これは試料を含む施設全体と何よりも要員の身体を保護するための必須事項である.施設運営管理者はもちろん,要員一人ひとりも自覚をもって知識を得ておくべきである.
第8章「バイオリポジトリの運営」では,バイオリポジトリのガバナンス,事業計画,危機管理,コミュニケーションなど施設の持続可能性のための活動を取り上げる.これはリポジトリの運営のみならず構築の際にも役立つ内容である.これらの活動の責任はマネジメント層が担っているが,バイオリポジトリは実務と運営の両輪をもって機能するものであり,相互の活動への理解が不可欠である.
第9章「法規制,倫理」では,ヒト生体試料の取扱いを取り巻く法規制について紹介する.実際に関係者が遭遇することが想定される場面別に解説を行う.これは立場を問わず,ヒト生体試料・データを取扱う者すべてが知っておくべき基本事項と言えよう.特に関連の深い法規制として個人情報保護法や生命科学・医学系研究に関する倫理指針が知られているが,その他にも多岐にわたるヒト生体試料・データ取扱いに関する法を俯瞰的に解説し法規制に対する理解を深めることができる章である.
第10章「バイオバンクと研究計画書」では,図で示したように,実際にバイオバンクを利活用する際に提出する研究計画書の作成について解説する.試料・データの利用を希望するユーザー側だけではなく,バイオリポジトリ側で,利活用の申請を受けたときに研究計画書の善し悪しを判断する際にも役立つ内容となっている.さらに,バイオリポジトリを構築する際の研究計画作成についても例示されているので,関係者の参考書としても役立つ.
3おわりに
以上が本書で取扱う内容である.最後に本書で使用する用語に対するお断りであるが,本書では,バイオバンク/バイオリポジトリ,分譲/配付など,緩やかな統一方針とし,強いて統一することはしなかった.いくつかの呼び方があるものは,いずれ本分野の成熟とともに用語の使用が定まってくるのを待ちたいという意向である.用語については,英語との対訳集を巻末に付したので合わせて参照いただきたい.
文献
- ISO20387:2018「Biotechnology-Biobanking-General requirements for biobanking バイオテクノロジー-バイオバンキング-バイオバンキングの一般要求事項」