第1章 オルガノイド事始め
2〈座談会〉開発者が語るオルガノイド分化と培養のツボ
佐藤俊朗,武部貴則,永樂元次
三次元培養とオルガノイド分化の実験成功のためには,培地成分,実験条件,手技,コストなどの点から,論文には書かれていない多くのコツや経験が必要となる.本稿では開発者自らの経験から,分化の考え方,論文化のための研究戦略,オルガノイド研究の展望について議論いただいた.なお,改訂にあたって再度座談会を実施し(2025年2月),初版の記事(座談会2019年1月実施)と合わせて再構成した.
(進行・文:編集部 蜂須賀修司)
■できれば1,できなければ0 オルガノイド開発の難しさ
―オルガノイド開発ではどんなことに苦労しましたか?
佐藤腸の上皮細胞を培養することしか考えてなかったので,結果としていわゆるオルガノイドができたということになります.ですので,最初からオルガノイドをつくろうとして工夫したわけではありませんでした.
最初につくることの難しさは,0か1であることです.できないと0,できたら1.成功か失敗しかないわけです.成功するまでずっと失敗が続いたわけですし,自分が成功に近づいているかどうかすら分からない状況で,精神的な辛さはありました.培養をしようと思ったのが2003年,結局できたのが2008年なので,足かけ5年です.技術的には,例えば,ニュー ロスフェアアッセイやES細胞の培養のような,歴史的に確立された技術があったので,組織ごとにアレンジしながら苦労してできたという感じです.
うまくいくまでは全く論文にならないのも辛いところです.大体の研究は実験をすれば何かがわかるものです.例えば,ノックアウトマウスをつくってノーフェノタイプだったとしても,ノーフェノタイプだったことがわかります.ところが培養の失敗は,ネガティブデータの質がちょっと違います.膨大なその失敗の結果,うまくいかなかったものは切り捨てていくわけです.うまくいった後にその培養方法を改良する際に,一度切り捨てた方法を敗者復活戦的に使ってみてうまくいくこともあります.そのあたりは順番が違うと駄目なので,非常に難しいところです.
永樂神経の場合は,ES細胞から神経細胞を誘導する系は結構古くからできていたんですが,神経組織をつくることはあまりやられていませんでした.一番苦労したのは,発生過程のオーガナイズされた組織をどうつくるかということです.例えば,培地や培養ディッシュをどうするか,ES細胞の状態がばらつくのをどうするか.僕はもともと神経系の研究はしていたんですが,笹井芳樹研に入って初めてES細胞や幹細胞の難しさを知ったので,幹細胞の特性を理解しつつ神経の方向にもっていくところに苦労しました.その最初の段階をクリアしたあとは,発生生物学の知見に基づいてやれば大体こうなる,ということがわかってきたので,技術的に苦労したことはあまりありませんでした.それから,オルガノイドにしたときに神経はとても死にやすい,というところに苦労しました.これは神経特有の問題で,やりながら途中で気がついたのですが,神経細胞は酸素要求性がすごく高くて,O2濃度が低いと死んでしまうのです.
あと,結局はトライアル&エラーのくり返しなので,エラーしたときの情報をいかに残しておいて,それを別のところにうまく使える体制になっているかが重要だと思います.笹井研に入って一番役に立ったのが過去のプログレスリポートのファイルです.それは誰でも自由に見ることができたので,過去に捨てられた情報を最初から全部読んでいったことがとても有用でした.そういう経験があるので,情報をきちんと残しておくのは,ラボとして非常に重要なことだと考えています.
武部僕は初め軟骨の研究者でしたが,2010年ぐらいに軟骨の研究が一段落してから肝臓の研究をスタートしました.当初,幹細胞生物学と組織工学の仕事の両方を進めていました.幹細胞生物学の方は,ヒト幹細胞をシングルセルからクローナルに増やす,組織工学の方は,コラーゲンゲルのなかに血管内皮を埋めて立体的な血管付き肝臓をつくる,という仕事です.ですが,神経や腸と比べて肝・胆・膵領域の組織づくりは当時から遅れていて,全然まともな組織ができていませんでした.そこで,絶対だれもやらないと考えた実験をすることにしました.
そのなかで,間質の間葉系の細胞と肝臓の成分の細胞を,12ウェルのローアタッチメントプレートに蒔いてみたことが,うまくいくきっかけになりました.普通は細胞がくっつかない状況だと死んでしまうと考えますが,実際にやってみると,血管のような脈管形成が起きながら立体的な組織ができたんです.(下写真).

そこで,細胞依存的に形づくりの力が生まれることに気づいたのが,僕にとってすごく大きな出来事でした.それからいろいろと系を最適化していくなかで,2011年に永樂さんらの論文1)が出て,「自律的にいろいろな組織ができる余地がある.道は間違ってない」と信じることができました.収縮する力が立体的に組織をつくるうえですごく大事だということを感覚的に掴んだわけですが,それをベースに系を複雑にしていく方向性で,血管を入れたり,免疫細胞を入れたり,神経を入れたりしながらより複雑な臓器をつくるための突破口になる基礎技術ができてきました.それは辛いというより楽しい仕事でした.
辛かったのは,ある程度肝臓の原型ができて,機能もあることがわかってから周りを説得するプロセスですね.そのために実験の再現性の精度を高めていくのは,あまり面白くない割にかなり手間がかかります.例えばiPS細胞だと,クローンによって1日の分化のずれがあったりしますが,そこに気づくまでに半年かかりました.今でもそこに結構苦戦しています.
佐藤目的のオルガノイドができても,自分でも何かの間違いじゃないかと信じられないときがあるくらいなので,論文にするときには再現性が強く求められますよね.そこで論文がブラッシュアップされるので必要なプロセスかもしれませんが.
■オルガノイド分化の組み立て方
―初版で,新しくオルガノイドを開発するときの分化の組み立て方,について議論されました.5年経ったいまの動向を教えてください.
佐藤最近よくやるパターンは,シングルセルRNA-Seq解析でレセプター- リガンドのペア解析をやって,候補リガンドを絞り込むという方法で,ランダムに試すよりも効率的です.それでも,トライアル&エラーは避けられません.分化経路が不明な場合は,CRISPRスクリーニングも有効な手段です.生体内で起きていることを再現するのが王道ですが,エピゲノムを変化させる低分子化合物などで分化を誘導するパターンもあります.
永樂発生生物学に基づいた手法は変わりませんが,最近は工学分野の研究者がオルガノイド研究に参入してきたことが大きな変化だと思います.5年前は,オルガノイド培養は生物学,特に発生生物学の研究者が中心でしたが,今では工学系の研究者が,MEMS(Micro Electro Mechanical Systems)やマイクロ流路デバイスなどを活用してオルガノイド培養を行うようになって,裾野が広がったと感じます.また,シングルセル解析などの技術が一般化し,誰でも使えるようになったことも大きな変化です.
佐藤工学という点では,圧力や流れなどの物理的な刺激で分化を制御できそうですが,実際どうでしょう.メカノセンサーのPiezoなども含めて.
永樂神経オルガノイドで,僕らが最初の頃から15年ぐらいできてないことがあります.脳は脳圧がかかった状態で発生が進みますが,現在の神経オルガノイド培養ではそれを再現できていません.脳圧が神経幹細胞の維持や層構造形成に重要だという話は結構出ています.ローカルに圧力を測る技術はあるけど,それを複雑な組織の培養系にもっていって制御するのは難しいですね.
武部脳オルガノイドでスピナーフラスコとか,エンブリオイドや全胚培養でメリーゴーランドのような,圧力がかかる培養を最近やってますね.
うちも,軸を複数制御するプロジェクトを進めています.複数の軸を制御することで,組織の形成をより精密に制御できる可能性があります.実は,圧力をかけることでパターンが変化することがわかっていて,そこにPiezoなどを介したシグナルによるトランスミッションが起きている気がしています.
佐藤増殖因子だけでなく,物理的な刺激も制御できるようになれば,オルガノイドの分化をより精密に制御できるようになります.そのためには工学的な基盤が必要ですね.
永樂海外では,生物学と工学の融合がうまく進んでいるように見えます.日本では,両分野の研究者はそれぞれ高いレベルにありますが,共同研究はスムーズに進まないことが多いと感じます.
佐藤そうですね.日本のように地理的に近い方が融合しやすい気がしますが,アメリカでは実際どんな状況でしょうか?
武部実は,シンシナティには優れたエンジニアリングのデパートメントがないので全然融合が進んでいないことに問題意識があります.ミシガン大学のように,エンジニアリングのデパートメントのなかにバイオロジーのファカルティが多く所属している大学では,コラボレーションが活発に行われています.
佐藤専門分野が異なると考え方や言葉も異なるため,融合するためには歩み寄りも必要ですよね.あるいは画期的な技術革新が起きれば,あっさりと融合できる可能性もあります.
武部そうですね.いま,生物学者が使える3Dプリンティング技術もありますし,アメリカではμmオーダーで印刷できるプリンターが割と病院に入っています.なので,これからはエンジニア的なことを僕らも大きなスケールでできる気がしていて,そこをオルガノイド研究で変えられるのではと思っています.
―初版では「端」の組織はつくりやすいが「間」がつくりにくい,という議論がありました.現在ではいかがでしょうか?
武部そうですね.アセンブロイドなどのコンセプトに代表されるように「間(境界)」に取り組む研究グループが増えてきています.境界条件はまだ深く理解されてなくて,例えば,アイデンティティが確立された2つのオルガノイドをくっつけようとしても,通常はくっつきません.しかし,一部に間質成分があると,くっついているように見える状況はつくれますが,上皮,間葉,外胚葉が連動するような「間」の部分をきちんとつくるのは,まだ難しいと感じています.
また,隣り合う境界だけでなく,システミックなファクターも重要です.例えば,循環器系や内分泌系,栄養供給,内分泌の循環などが,組織の形成にどのように影響するのかを,部分的にでも解明していく必要があると考えています.
永樂脳オルガノイドに関しては,チューブをつくらせて局所的な刺激で前後軸を制御することで「間」をつくることができた,という研究がでています.
武部消化管でも,ミシガン大学のグループなどが,前腸,中腸,後腸を同時に作製したり,脊髄の上下と真んなかを同時に作製したりする技術を開発しています.しかし,一つの軸を制御して端と真んなかを作製できても,その後の形態形成は,さらに複数の軸方向の制御を受けており,それらを包括的に再現することはまだ難しい印象です.
佐藤アセンブロイドは,すでに確立されたオルガノイドを合体させ,より複雑な生命現象の再現をする研究だと思いますが,個体や発生のコンテキストと関係のない2つのオルガノイドをくっつけたら予想外のものができた場合,解釈が難しいですね.そういう意味では,アセンブロイドという言葉は多少ギミックな状況も含まれてしまうと感じることがあります.
武部アセンブリーという言葉は,自己組織化の一つのフォーマットであってオルガノイド形成における一つの要素技術であるイメージがありますが,アセンブロイドというと既存のパターンの配置がリアレンジされるというニュアンスに聞こえてしまって,細胞の質的変化や,新たな細胞の創発プロセスなどが反映されていないように感じます.
―初版では,ローカルにシグナルを作用させるのは非常に難しい,という議論がありました.先ほどの圧力の話ともかかわりますが,現在ではいかがでしょうか?
永樂今でも難しいです.神経管は長いので,MEMSを使って端と端で何となく濃度勾配をつくることはできますが,厳密にローカルにシグナルを作用させることはできません.オルガノイドは大きいため乱流が生じて予測不可能な部分があります.
一方で,Lutolfが腸管オルガノイドで行った“Tissue geometry”のような,形を制御する技術は面白いと思います2).
佐藤「ガワ」をつくって,あとは細胞に任せるというのは面白いですね.サイズは,ヒトならヒト,マウスならマウスでないとうまくいかない.細胞が求める外側の形はあるということです.
時間軸の制御はできても,空間的な制御,例えば任意の場所にシグナルを入れる,となると濃度勾配などを制御しなければなりません.1因子の濃度勾配を1方向に入れるならまだしも,実際は三次元的に複雑なため技術的に難しいです.オプトジェネティクスのように光で特定の領域のみシグナルを活性化させることはできるかもしれませんが,あまりうまく応用できていないですね.
武部ローカルな制御に関しては,間質の多様性によって担保されていると感じています.少なくとも内胚葉に関しては,隣り合う間質同士がWntを壊すようにしておくと,真んなかでWntが活性化するみたいな制御が起こります.なので,細胞を間葉成分をローカライズさせるための制御物質と考えることもできるのかなと思います.
佐藤結局は,どこまで工学で制御するのか,ということですね.工学によるオルガノイドの究極の完成形は,細胞種や組織の形態パターンやふるまいをすべて制御し,非常に高い再現性で同じものをつくることなのかもしれません.一方,僕ら生物学研究者は,細胞の自由なふるまいを許容する環境をつくって,あとは,細胞に任せるような考え方をします.
永樂細胞は物質的に完全に定義できないので,おまかせ要素はなくならないと思います.自己組織化なので,確率的な部分は必ず残ります.許容する範囲は目的によります.再生医療で組織を販売しようとしている製薬企業は,再現性を非常に重視しています.工学系の人はばらつきをなくすために,培地成分の代謝産物をリアルタイムにモニターして細胞状態を推定し,最適な培地を供給するシステムを開発しようとしている話も聞きます.
■オルガノイド研究の次のブレイクスルー
―次の5年でのオルガノイドのチャレンジは何でしょうか?
武部僕は,体をパーツに分けて全部を再構成することをめざしたプロジェクトをやっています.それから先ほども話したように,前後軸,背腹軸はよく研究されていますが,左右軸はあまり注目されていないので,3軸制御を加えたオルガノイド研究をやっていきたいです.
もう1つは,細胞や臓器を完全に理解することは難しいという前提に立つと,オルガノイド自体をAIのように捉えることができるのではないか,と考えています.オルガノイドを,すでに備わった1つの生命体として見て,さまざまな刺激に対する応答を学習のツールとして使うという研究は,これから増えるのではないかと思います.
佐藤ちょうど最近,脳オルガノイドで学習するみたいなニュースがありましたね.
武部そうですね.僕の同僚の旦那がインディアナ大学でそれを最初に2〜3年前ぐらいにやってて3),東京大学の池谷裕二先生のグループもソフトバンクと共同でそういうのをやっていると聞きます.コンピューティング業界では,オルガノイドを使うのはコスパがよい,と考えているようです.
永樂そういえば,Neuron誌に培養神経細胞にゲームをさせる論文もありましたね4).あれはオルガノイドではないですが,培養神経細胞に外部刺激を与えて,学習させるというものです.外部刺激に応じてネットワークが変わっていくのを,学習のように見せているという面もあります.コスパがいいかというと,計算スピードなどはまだ課題がありますが,進むでしょうね.それをオルガノイドでやる必要があるのか,と言われるとわかりませんが.
佐藤学習できるかどうかを確かめられただけでもすごいですね.科学的に学習を定量化してどうやったらパフォーマンスが上がるか,というところが考えられると面白いと思います.
武部神経発火をアウトプットにするとどうしても脳になりますが,他の臓器でも電気的活動や生化学的な反応があります.それを使うこともできないでしょうか?
永樂代謝経路は使えるかもしれません.神経のいいところはデジタル,つまり1と0で表現できることです.アナログ表現だと情報量は増えますが,情報学的に扱うのが難しいと思います.もし神経みたいに興奮性の反応をするような細胞が他にもいたらできそうですね.閾値を超えたら何かが起こって,それ以下では何も起こらないみたいな.
武部いろいろあると思います.薬の反応も,ある閾値を超えるとERストレスなどが起きて,検査値が上がるといった現象があります.そういうのはオルガノイドでも見ることができるので,刺激に応答する閾値を設定することはできると思います.
永樂脳オルガノイドについては,課題は5年前とあまり変わっていません.血管は入らないし,細胞は死ぬし,大きさは限られるし,層構造もできない.
佐藤脳オルガノイドは次のブレイクスルーがないと進まない時期なのかもしれません.
この5年間で一番進んだのは,初期発生の分野ですね.体節オルガノイドやエンブリオイドなど新しいものが出てきて進歩しました.いずれにしても,ある程度の大きさのオルガノイドをつくり出そうとすると酸素供給のための血管をどうするかが課題になります.武部さんは,血管化オルガノイドを研究していますよね.
武部血管をつなげることはできますが,いい形につなげるのは難しいです.臓器特異性があって,血管の発生様式もいろいろあるので.血管生物学との融合が求められていると思います.
佐藤in vitroのオルガノイドでは,血管ができたとしても血液は流れません.アンジオクライン因子などの影響はあると思いますが,そのあたりどうでしょうか?
武部影響あると思います.血管を入れて,アンジオクライン因子のやり取りがある状態を担保すると,分化が進むことは確認しています.ただ,血流がないと血管としての機能は果たせないので,移植してライブイメージングで観察しています.
永樂in vitroで血管をつくって,つくった血管に血流を流すことをやっている人もいます.がん細胞のスフェロイドには血管を入れることができますが,他のオルガノイドではうまくいかないことが多いようです.腎臓は,腎臓自体に血管をつくるしくみがありますが,腎臓オルガノイドとはうまくつながらない.脳に関しては,どうやって血管が脳に入っていくかがよくわかっていません.
佐藤脳にはいつ血管が入るんですか?
永樂E11あたりのかなり早い時期です.それでも,脳は他の臓器に比べて血管ができるのが遅い方かもしれません.E11,12ぐらいで神経産生が始まりますが,神経幹細胞は酸素をあまり必要としません.
佐藤武部さんの体をパーツに分けて再構成する研究は,どのステージまで行けますか?
武部E10.5からE11.5ぐらいが限界です.E11.5ぐらいで全身に血流が回るフェーズ以降は,全胚培養でも難しいです.循環ができて胎盤から供給される時期がポイントだと思っています.人工子宮や人工胎盤の技術が出てきていますが,そういう技術を活用できれば,胎盤由来の重要な因子を供給できるかもしれません.臓器保存などの分野で研究されていて,妊娠が継続できないヤギを人工子宮で育てて出産させることに成功したという報告もあります.
佐藤ヒトに応用するためには倫理的な問題も出てきますね.血流の課題は大きな壁になるため,酸素化技術の開発の方が,サイズ限界の問題をより早く突破するかもしれませんね.バブリングなどで酸素を供給する方法もありますが,酸素毒性の問題もありますので,より新しい技術が必要です.
■オルガノイド実験を論文化するときに考えること
―オルガノイド実験を論文化する際には何がポイントになりますか?
佐藤オルガノイドはある意味テクノロジーなので,できたというだけではなかなか認められないことがあります.ですので,その技術を使って今までできなかったこと,分からなかったことを端的に明らかにした方がいいわけです.開発側としてはテクノロジーに苦労したのに,という気持ちにもなりますが.
あとは論文の勝ち負けですね.先に論文を出されたらそのテクノロジー自体が色褪せてしまうので,どこで論文化するかという駆け引きや葛藤があります.技術を少し改良したという場合は,例えばマウスでわかったことをヒトでも明らかにするとか,今までできなかったことが今回の改良によって初めてできたとか,そういう要素が大事になってくると思います.
武部僕らも同じで,ものすごく技術的なアドバンスがあれば,それ単独で勝負しにいきますし,そうでなければ,かなり洗練されたクエスチョンをもってこないといけないですよね.佐藤さんの仕事で言えば,オルガノイドができるようになったら,今度はオルガノイド掛けるジェネティクス,それにプラスしてがんを紐解くみたいな,もう1軸を追加して新しい技術開発とクエスチョンが回っているわけですよね.だから,やはりテクノロジーとクエスチョンを両方手にもっておかないといけません.幸い僕の周りの発生生物学の研究者はクエスチョンについてとても厳しい人たちばかりです.僕はどちらかというとテクノロジー屋に近かったんですけど,最近はバランスを見ながらやるのがパブリケーションする意味でもすごく大事だと感じています.
永樂技術的に開発するというだけでは,年々論文にするのが難しくなっていて,要求されるデータも増えている実感があります.特に最近は,よほどよいクエスチョンなり,論文のストーリーなりをつくっていかないと,マウスのオルガノイドの仕事で論文を通すのは難しくなっています.僕らが2008年ぐらいに大脳のオルガノイドの仕事を出したときは5),ヒトのデータさえ載せておけば結構いいジャーナルに通る時代でしたが,最近はそうでもなくて,ヒトiPS細胞を使うのは当たり前になってきています.武部さんも言ったように,論文でどういう工夫をして,どんな洗練されたクエスチョンをもってきて,面白いストーリーをつくり上げるかが大事になっています.それは頭の使い方で工夫すべきところだと思います.
■まずはプロトコール通りにやってみよう
―オルガノイド実験の未経験者にアドバイスをお願いします.
佐藤オルガノイドを実験のツールとして使う人が多いと思いますが,基本はやはりプロトコール通りにきちんとやるということだと思います.この本では,開発者自身が執筆しているので,アレンジしないでまずはそのまま実験していただければと思います.
それから,残念ながら全体的にコストがかかります.本当にラボを立ち上げたばかりだと,量的にたくさん培養できないことがあるので苦労するかもしれません.その場合は,よく頭を使って最小限になるように実験を組むのが大事です.とにかくたくさん培養している人もいますが,それではやっている本人も大変,ボスもお財布が厳しい,ということになります.一般論ですが,優先度の高い実験選び,かつきちんとコントロールを置く,ということですね.
それから,実験がうまくいった後は,コストカットのために培地を自分でつくるのもよいと思います.それから,最初に何かの試薬を入れて成功したから,その後もあまり大事じゃないけど,ずっと入れっぱなしだったみたいなことがよくあります.例えば,B-27とN-2の両方が培地に入っていたりしますが,それらは同じ成分だからN-2は要らないんじゃないか,ということで途中から抜いたりしています.コストカットという観点だといかがですか?
永樂もちろん心がけています.確かに,最初はリコンビナントタンパク質を入れていたけど,よくデータを見てみるとおまじない程度にしか効いてないから,もう今は抜いてしまったものはあります.後は,そのリコンビナントをなるべく低分子で代用するようにするとかですね.やはり低分子は安定なので.例えば,Wnt系には最初はいいものがなかったんですが,最近はいろいろなWnt シグナルのアゴニストやアンタゴニストがあります.なるべく新しい論文に目を通して,この低分子はこれに使えるのでは,と考えながらやっています.
武部僕はコストについては,実験の初期段階ではあまり気にしないように,とあえて言っています.古くなった試薬をケチって使ったことでうまくいかなかったことが後からわかったことがあります.そのときまさにラボでコストが厳しいという話をしていて,変なプレッシャーかけるとそういうことが起きるんだ,と思った経験があります.
佐藤うまくいかなかったときは,自分のなかで失敗記録としてインプットされてしまいますので,今の話のように,古くて失活していたからワークしなかったというのでは,よくないですね.
永樂確かに,試薬をどう保存して,一定の効果を担保するかはこういう実験では大事ですよね.溶かして4℃に置きっ放しということもありますから.
佐藤それから,失敗したときにどうするかも非常に大事です.論文のコレスポンディングオーサーになると,いろんな国から気軽に質問が来ます.とりあえず経験者にアドバイスを求めるのは未経験者の場合は大事です.相談を受けていて多いのは,意外に濃度を間違えていた,みたいな初歩的なミスだったりします.
武部これだけキーパーソンがリストされてまとめられた本はなかなかないので,ある程度やったという前提のうえで,そういう人たちに聞くのはよいかもしれませんね.
―貴重な議論をありがとうございました.
文献
- Eiraku M, et al:Nature, 472:51-56, doi:10.1038/nature09941(2011)
- Gjorevski N, et al:Science, 375:eaaw9021, doi:10.1126/science.aaw9021(2022)
- Cai H, et al:Nat Electron, 6:1032-1039, doi:10.1038/s41928-023-01069-w(2023)
- K a g a n B J , e t a l : N e u r o n , 110 : 3952- 3969. e 8, doi:10.1016/j.neuron.2022.09.001(2022)
- Eiraku M, et al:Cell Stem Cell, 3:519-532, doi:10.1016/j.stem.2008.09.002(2008)