第1章 実験をはじめるにあたって
田村隆明
(千葉大学大学院理学研究科分子細胞生物学講座)
1遺伝子実験とは
遺伝子実験は遺伝子組換え実験を含むさまざまな実験から構成される.遺伝子組換え実験の基本は「DNAを切る,つなぐ,増やす」であるが,切ることは制限酵素が発見されたことにより,つなぐことはリガーゼにより,増やすことは「宿主−ベクター系」が整備されたことにより可能になった.組換えDNA技術は,DNAを構築するという意味で,遺伝子工学ともよばれるが,学問的にみるとその目標は生命現象をDNAのレベルで解析するということになる.遺伝子工学は分子生物学のなかの最も中心的かつ基本的な実験であり,そのなかには本書で述べられるようなさまざまな実験法(大腸菌の培養,DNAやRNAの調製,組換えのための酵素反応,DNA分析のための電気泳動やシークエンシング,発現解析やゲノム解析のための種々のブロッティング,DNAを試験管内で増やすPCR法など)が含まれる(図1).
2実験を組み立ててみる
遺伝子工学実験の目的は,
①遺伝子の単離,すなわち未知DNAの取得
②単離したDNAの構造・機能解析
③単離したDNAの利用,すなわち有用組換えDNAの構築
に分けることができよう.毎日の実験室では,そのなかの特定の部分について個々の実験が行われ,それらがまとまって1つの結論をもつ実験(論文で1つの図に相当する)が終了する.実験者はこれからやろうとする実験が,全体のなかでどのような役割をもつかを最初に考える必要がある.1つの酵素反応であっても,定性実験,定量分析,チェック実験,あるいは材料調製実験かによって,実験の進め方に大きな違いが生じるからである.
実験目的が決まったら実験計画を立ててみよう(図2).まず,何をどのような方法で行うか,という大まかな方針を立ててみる.次に,実験の分量,DNAの構造,そして研究室の実情に即し,細かい部分を決めていき,最後に実生活に即した時間スケジュールを決める.これが実験計画立案の基本である.しかし,未知の状況を想定して計画をつくるのは意外に難しいものである.そこで,期待される結果を最初に想定し,それを得るために必要な実験条件を逆に決めていくという,時間軸を逆登って計画を組むことがしばしば行われる.現実の研究活動のなかでは,この方法もかなり有効である.
3実験法選択の基準
多様な実験経路や実験法の選択基準は,
① 科学的にみて目的に合っているか
② 研究状況や研究室の実情に合った方法が採用されているか
③ 本人の好みにあったものであるか
によって決められる.
分子生物学実験で使う試薬,酵素,アイソトープは高価であり,性能や感度が同じ程度のものであれば安価な方を使うのは当然であろう.試薬や道具の品質は実験の目的によって選ぶようにする.試薬や材料をパッケージにした「キット」も販売されており,実験の目的と経済状態を考えて選択する.キットは実験の確実性という点で優れているので,時間的制約がある場合,その使用は必須である.
実験にかかわる時間配分をどう調整するかも,実験の組み立てを決める重要な要素で,自身が1日に使える時間を見きわめ,実験を途中で止めることのできるポイントをチェックしておく.一般には反応が停止しているところ(酵素反応後の低温保存,エタノール沈殿あるいは乾燥状態のDNA)で操作を一時停止させることになる(本書では,オーバーナイト[一晩置いておくこと]が可能なステップにマークを付しているので参考にされたい).
実験書に書いてある設備や材料がそろっていない場合,実情に合った方法を採用せざるを得ない.実験は,100%理想的な条件でなくとも実行可能なことが多く,臨期応変に対応していくことが必要になる.制約がなく,いくつかの方法が選べる場合,最後は個人的な「好み」によって方法が決められることが多く,実際にはこの部分はかなり重要である.実験は自信をもって進めることが大切であり,経験済みの方法であれば,確信をもって操作することができ,トラブル回避も容易にできる.すぐに実験をしなくてはならないときなどは,現実的な選択といえる.
実験計画を立てたら,最後に必ず模擬実験を頭の中でイメージ(シミュレーション)し,材料,機具,時間などが実情に合っているかどうかをチェックする.操作と操作の間の準備時間も見落とさないようにする.OKであれば,機具や機械,材料や試薬,そして実験のスペースを確保し,実験に取りかかる(図3).
4実験の上手な人はどこが違うのか
実験の上手下手は手先の器用さとはあまり関係ない.言われたことはこなすが,1人で考えてやらせると頻繁に失敗し,なかなか結論を出せない人をよく見かける.実験の上手な人の条件として,
① 基本に忠実
② ポイントを押さえる
③ 材料に余裕をもつ
④ 対照実験を行い先を読む
⑤ 試料やデータの整理がよい
という5点をあげてみたい.
初めての実験,1回目は成功しても,2回目は駄目ということがままある.ビギナーズラックといわれる.最初は基本に忠実にやっていたのに,次は「慣れ」のため,何とはなしにどこか手を抜いたり,方法を少し変えていたりしていることが多い.確立された標準プロトコールは,ベテラン研究者の試行錯誤の産物であり,正当な理由がない限り,むやみに変えてはいけない.
実験の精度や注意点には4つくらいの段階があると考えたい.第1は厳密に注意し,可能な限り正確に行わなくてはならない事項である.第2は普通に注意し,5%以内の誤差で行うといったものである.その次は,とりあえず注意し,20%くらいの誤差でも大差ないといったことであり,最後は,さしたる注意も不要で,数値も「そのくらいでいい」といった程度のものである.一連の実験のなかでは,第2の注意を要求される部分は限られており(まして第1は),そこを押さえておけば,大きな失敗をすることはまずない.実験のなかの「カン所」といった部分に相当する.
酵素反応が上手くいかないとき,酵素やDNAをさらに加え,ますます具合が悪くなって失敗から抜け出せないといったことがある.実はこれは逆の対応をしているために起こるのである.「材料や試薬の中には阻害物が混入している」ということを認識しておくことが必要である.出発材料を増やしてそのなかの一部分を使ったり,反応液の量を増やすことで,阻害物の持ち込みを減らすように努力する.製品や試料の中の安定剤(酵素液中のグリセリンやTE中のEDTAなど)が阻害物になったり,もちろん不特定の阻害物が混在していることもありうる.なお,実験操作に従ってサンプル量は確実に減っていくので,余裕をもって試料を用意することが,実験で結論を早く出すポイントとなる.
コントロール(対照)のない実験では結論が出ないばかりか,失敗の原因もわからなくなる.コントロールをとることはすべての実験の基本であり,実験から得られる結論の数はコントロールの数に依存するといえる.実験を効率的に進めるため,少し先のことを考えておこう.第一は「失敗」を想定して材料や試薬を一部保存しておくことであり,もう1つは「成功」を考えて,待ち時間を利用して次の準備をすることであり,これらがスピーディーな実験につながる.
サンプルが行方不明になったり散乱したりするなどのトラブルは,実験室の中ではとかく起こりがちである.試料の入っている試験管には内容と日付を消えないように書き,実験ノートと照合できるようにしておこう.この場合,他人が見ても識別できるようにマークすることをすすめる(本人が研究室を離れた後も,後輩がフォローできるようにするため).
5実験材料を準備する
1)購入する
培地,酵素,DNA,そして関連するキットなどは,いくつかのメーカーから製品として購入できる.特に,高価な製品の場合はその性能をよく調べてから購入する.製品がドライアイス梱包で直接研究室に運送される場合は,到着日が休日になったり,研究室が空にならないよう,受けとり体制を整えておく.製品管理が悪く製品がカタログ通りの活性を示さない場合は,きちんとクレームすることが必要であろう.
2)公的サービス機関を利用する
クローン化されたDNAやベクター,あるいは大腸菌や細胞のあるものは,後述のような機関(Webでは割愛)で,実費で配布している.資料を取り寄せて所定の方法で申し込むとよい.遺伝子組換え生物の場合は特別の配慮が必要である(本章6参照).
3)分与してもらう
実験材料が製品になっていない場合や,すぐには自分で調製できない場合,それらを無償で分けてもらうことになる.この場合は電子メールを使い,後で内容が確認できるような形で依頼する(手紙でもよい).これは材料の移動で生じる使用権や発表の優先権,そしてその使用目的やその運用などに関する取り決めごとなどをはっきりさせておくためである.依頼する場合には,何をどう使うかを説明する.原則として,発表済みのものであれば分与してくれるはずである(先方の忙しさで忘れられてしまうこともあるが).最近では先方から誓約書のような書類(MTA:Material Transfer Agreement)が送られてくる場合も多い.いずれにせよ,これらは商行為とは異なり,研究者間の信用にもとづいて行われることを認識し,誠実に対応することが必要である.手紙の相手はその研究を仕切っているシニア研究者を原則とする(一般には論文のcorresponding author).自分の所属する研究室内での意思の疎通をはかっておくことはいうまでもない.次ページに外国の研究室にあてた試料請求の手紙の例文を紹介する.電子メールで請求する場合も同様の文面になる.遺伝子組換え生物の場合は特別の配慮が必要である(本章6参照).
6遺伝子組換え実験関連法規
遺伝子組換え生物の作成,使用,移動によって生物多様性が損なわれる懸念が国際的に高まり,コロンビアのカルタヘナにおいて,守るべき規準が作られた(カルタヘナ議定書:1999年).その後各国において法整備が進み,わが国においても2004年2月に新しい法律「遺伝子組換え生物等の規制による生物の多様性の確保に関する法律」が施行された(これにより,既存の「組換えDNA実験指針」[文部省告示]は廃止された).この法律は一般にカルタヘナ法とよばれ,その下にいくつも関連政令,省令,告示がある.
法律は遺伝子組換え生物等の使用を,拡散防止をしないで行う第一種使用等(例:圃場での栽培,一般病棟での遺伝子治療)と,拡散防止をしつつ行う第二種使用等に分けているが,研究室で行う実験は基本的にすべて第二種使用等に含まれる.なお,いくつかの用語は法的に定義されており,一般的な概念やこれまでの通念と異なる点もある.例えば,法律上の「生物」にはヒト,培養細胞,生殖細胞は入らず,他方ウイルス,ウイロイドは含まれる.第二種使用に関する実験では使用できる核酸供与体と宿主生物の種類が実験分類としてクラス分け(クラス1〜クラス4:大きいほど危険度が高い)されており,さらに使用されるベクターなどに応じて物理的封じ込めレベル(P1〜P3)が設定されている.通常の実験の大部分は機関承認によって実験が可能であるが,危険度が特に高い場合,実験分類が未定な場合,あるいは潜在的危険性をはらむ組換えウイルスが増殖するような場合は大臣確認実験となり,より厳密な審査を受けてからでないと実施することはできない.
本法では,実験そのもの以外(保管,運搬,譲渡)でも細かな取り決めがなされており,特に,遺伝子組換え生物を譲渡する場合,譲渡者は被譲渡者に必要な情報を提供する義務を負う.実験者はこれら法令を遵守して実験等を行う必要があり,違反した場合は処罰される.
遺伝子組換え実験を実際に行う場合に必要になる事項の要点などを,巻末の付録に記した.
手紙の書き方例
(ヘッドラインつきレター紙で,施設と部門の名称と住所,Fax番号などが書かれているものを使用.ない場合,Wordなどの文章作成ソフトで自作してもよい)
青字部分の別の書き方① ⓓ
I therefore would very much appreciate if I could obtain a plasmid containing LSTF-1. The most suitable one for my pourpose would be pBRLSTF-1 in your JBC paper. Of course, I would agree not to distribute this plasmid to others. I would very much apprecipate hearing from you soon and thank you very much in anticipation of your help.
青字部分の別の書き方② ⓔ
It would be most helpful to have a LSTF-containg plasmid. Please do not hesitate to contact me if you would need more information. My fax number is (81)-3-3456-1234 ⓕ. Thank you for your time.
参考文献
- Sambrook, J. and Russell, D. W. : Molecular Cloning A Laboratory Manual, Cold Spring Harbor Laboratory Press, 2001
- 「生化学辞典」,東京化学同人,2007
- 「改訂第4版 新 遺伝子工学ハンドブック」(村松正實 他 編),羊土社,2003