下野:はじめて指揮をするオーケストラで,まず演奏からはじめたあと,最初に何を言うかは重要です.ポジティブなことを言うのか,まず少しネガティブなことを言うのか,やはりマニュアルはありません.うまくいっていないことがあれば,最初にまずその問題点を指摘して,「ではこうやってみましょう」とリーダーシップを取っていく場合もありますが,まず良いところをあげて「ここがいいですね.皆さん素晴らしい」と言うこともあります.これは下手に出るのか上から出るのかという単純な話ではありません.
結局,オーケストラが心を開いてくれる時間がいつ来るかということを待っていなくてはいけません.うまくいけば,ぱっと開いてくれてあとは自分の素でいけますが,心を閉ざしている状態が続くと,何となく空気が冷たいまま進んでいって,お互い深入りせず,「整ったからこの辺で」という場合もあるかもしれません.数ある演奏会のなかで,本当にお互い心酔しきって出しきれるかというと,なかなか難しいでしょうね.かといって,「整いました,一丁上がり」としたいわけでもありません.かなり説明しにくい雰囲気ですね.私にとっては,演奏会での演奏は,それまで創り上げてきた音楽の言うなれば氷山の一角ですよね.
岩田:そこまでつくり上げていくまでのリハーサルも重要なんですね.救急の現場でも,リーダーとなるべき救急医がどのようなニュアンスの発言をするのかは,その場に非常に大きな影響を与えます.オーケストラでのはじめての演奏で最初に何を言うかは,演奏の雰囲気によって,ポジティブいくか,ネガティブでいくかを推し量られるということですか.
下野:そうですね.出てきた音が一番わかりやすいですね.自分がこうしたいという音と出てきたものの落差がどれだけあるかですよね.やはり基本姿勢は変わらないですが,そのオーケストラの持ち味を大切にしながら,自分はこうしたいという方向にもっていければと思います.
あと,どれくらい時間があるかも重要です.十分にリハーサルする時間があれば,自分の方に引き寄せることもできますが,1日だけの練習で演奏会となると,お互いの意見がかけ離れていたら,そんなものをお客さんに聞かせるわけにいかないですから,ある意味,どこかで歩み寄るのも大切なんですよね.指揮者もアンサンブルの一員ですから.
岩田:相手の意見も尊重して音楽をつくる姿勢や,孤独に耐えるタフさは,医療の世界でもリーダーに必要なのですが,リーダー論については医学部6年間,臨床研修の2年間ではあまり学ぶ機会はありません.下野さんはリーダーとしての立ち振る舞いやアプローチ,指揮台に立ったときのコミュニケーションの取り方は,どちらで学ばれたんですか.
下野:リーダー論は大学の授業ではないですね.一番勉強になったのは,やはり先輩指揮者のリハーサル見学です.私は学校にいるころ,しょっちゅう自分の先生の,オーケストラでの練習を頼んで見せていただいていました.大阪フィルハーモニー交響楽団の指揮研究をやらせていただいて,大げさにいうと,365日オーケストラと一緒にいて,当時ご存命だった朝比奈隆先生から,私に近い若い指揮者の方々まで,いろいろな状況を見て,「こうしてはいけないんだ」ということをたくさん見てきました.ただ,見たからといってできるわけではなくて,やはり自分が指揮台に立って失敗しないといけないんですが.
岩田:私も尊敬する寺澤秀一先生(福井大学医学部地域医療推進講座),箕輪良行先生(聖マリアンナ医科大学救急医学),林寛之先生(福井大学医学部附属病院総合診療部)の救急診療を見学させていただいて,「自分だったらこの場面でどうするのか」を考えることは非常に勉強になりました.下野さんも,朝比奈先生がこういうふうに言ったら,大阪フィルはすごくうまくいった,けれどもそれは朝比奈先生だからできることで,若手の自分がやるならどうするのかということを,常に考えながら勉強されていたということですね.
下野:そうです.実際,人がやってうまくいったことは,まねしてもうまくいかない.でも,これをしては駄目だということは,やはり私たちもしない方がいいんです.誰かがうまくいかないことは,誰がやってもうまくいかないことだと学びましたね.
岩田:医療の世界も,他人のヒヤリとする場面から学ぶことは,すごく効率のいい学びです.
下野:絶対そうですよね.だから,外山雄三先生(現NHK交響楽団正指揮者)に,「君は,“これをしてはいけないんだ”ということをいっぱい見ておかないと駄目だよ」って言われて.やっぱり失敗したり悪い雰囲気をつくってしまったら,取り返しのつかないことになるし,それは学校で学ぶことはできないので,指揮者になりたければ,どの仕事もそうでしょうけど,最終的には現場で学ぶことが多いと思うんです.
岩田:最後に研修医の先生方に,何かメッセージをいただけませんか.
下野:私は,お医者さんは明るくいてほしいなって思っているんです.患者としてはもう,擦り傷1つでも大けがでも,悲壮感漂わせて,どうにか治してほしいという気持ちで行きますよね.ですから,私たちにとっては治してくださる「お医者さま」なんですよね.研修医の方々も,報道されているように過酷な労働ですとか,とても大変なのでしょうけれど….
私は東京に出てきて,ぜんそくで1回,救急車で運ばれたことがあるんです.あのとき若い先生が,「どうしよう,どうしよう」と言って,年配の看護師さんに相談しているのを見て,「うわぁ…」と少し心配になりました.だからどうか,患者さんの前では「どうしよう」って言わないでほしいです(笑).そういうときは,私はうそでもいいから「点滴を打ちましょう」とか,機敏にやってほしいなと思います.
岩田:それは救急ではよくある場面ですね…(苦笑).患者さんにとって,救急は一期一会の,医師を選ぶことができない環境なので,どうしようってうろたえている医師に出会うと,かかる患者さんは気の毒ですね.指揮者も指揮台の上で,どうしようって言って迷っていたら,完全に信頼を失なってしまいますよね.
下野:そうですね.指揮台の上でも,たとえ困った状況でも音楽が崩壊するのはいやですから,やはり毅然としていないといけないのかなと思っています.
岩田:患者さんの前で毅然とできること,そのために普段から勉強しておくこと.やっぱりプロフェッショナルの第1の条件ですよね.
この他,トラブルが起きたときのメンバーへの伝え方や,ルーティーンワークでも手を抜かない姿勢など,後編も熱い内容です。続きはぜひ本誌でご覧下さい!