レジデントノート誌掲載
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船医?しかも来月から!?

  • ひとりぼっちの船医奮闘録~3年目医師の太平洋船上日記~
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ひとりぼっちの船医奮闘録
~3年目医師の太平洋船上日記~

著/内山 崇

  • 定価 (1500円+税) 四六判 197頁
  • ISBN9784897068442
  • 2009年7月15日発行
  • (発行 羊土社)
  • 『初期研修も終わりに近づいた2007年3月,突然思いがけない連絡が先輩医師から入ってきました.「4月から2カ月間,船医をやってみないか」・・・船医!? しかも来月から!? 』
  • 2カ月間に渡る不慣れな洋上生活,そのうえ医者は1人だけ(!).勢いで乗り込んだは良いものの,そこには想像を越える数々の体験が待っていた!
  • 好評を博したレジデントノート連載・同名ブログを単行本化!船医を疑似体験できる1冊となっています!
1日目 横浜入り

昨日は、レジデン島への出発前にと、私の師匠の一人である紅谷浩之先生と後輩研修医の3人で飲んだのだが、かなり酔ってしまった。近年稀にみる酔いっぷりであった。おかげで荷造りは出発当日の朝七時から開始。私はいつも、追い込まれないと行動にうつせない。2カ月間という長期の旅なのに、荷造りは当日の朝である。福井駅まで送ってもらうとき、「青い海は毎日見られるけど、しばらく緑は見られないね」との指摘に、はっとした。人間、緑を2カ月間見ないとどうなるのだろうか? 緑どころか、男だらけの旅である。女性も2カ月間目にしないわけである。

何とか荷造りは間に合い、しばらく食べられないであろうものを最後にと、マックに寄ってポテトだけ食べた。いよいよ出発である。もう2カ月戻って来られない。研修2年間で細々と貯めた、なけなしのお金で買ったばかりの新車ともしばらくお別れだ。11時13分福井駅を出発、特急しらさぎ6号で米原へ。米原12時19分着。米原の乗り換えではエレベーターがなかった。2カ月分の荷物を入れたスーツケースは、数日前に先輩に誘われ雨のなか行ったゴルフで痛めた腰にはかなりこたえた。12時29分米原を出発し、曇り空で富士山を眺められないまま14時26分新横浜駅到着。横浜はあいにくの雨であった。今回船医の件でお世話になった曳船業者の方3名が改札までお迎えに来てくださっていた。クラウンに乗って横浜港山下埠頭へ。2カ月の生活の場となる船、「羊土丸」とご対面。想像以上に大きく、迫力のある黒船であった。早速船に乗り込み、各施設、各職員の方を紹介していただいた。怒涛のように名刺をいただくが、覚えられないうえに自分は名刺を持っていない…(学生時代は持っていたが、ころころ職場が変わるのでもう作っていない)。スーツも着ていない(着てこなくてよいと言われたのを真に受けてしまった)ので、肩身も狭かった。私は年齢の割には若く見られてしまうので、皆に私のことを最初は医師だと気付いていただけなかった。もしかしたら、「2カ月もこんな若い医師に命を預けるのは心もとない」と感じておられたかもしれない。早く皆さんの信頼を得られるよう努力したいと思うと同時に、これを機に船に乗っている間だけ、普段伸ばせないひげを伸ばしてみようかと考えた。身なりには気を遣う方ではあるが、船医でいる間は、その方が似つかわしい気もする。

最後に自室を案内していただいた。中はかなり古く、ユニットバスは何とも言えない異臭が立ち込め、トイレの水は茶色(流しても茶色い水が出てくる)、少々ブルーになる点があった。この船、今回のために買収する前はイギリスが所有していた船で、前回の航海のときはインドの方が乗っておられたらしい。これでもきれいにしたのだそうだ。初日からいきなり文句なんて言えない。文句を言ったところで何も変わらない。気持ちよく仕事ができるよう、「なかなかいいお部屋ですね」なんて言ってしまった。部屋には事前に送っていた段ボールと、飲み物1日3本分×2カ月分のお茶、アクエリアス、コーラが山積みになっていた。紅谷先生からも段ボールが1箱送られていて、開梱すると紅谷先生らしい三谷幸喜のDVDや、二カ月間の課題などが入っており、内容盛りだくさんであった。今回、羊土丸の船上には、主に船員さんが生活する本船側の建物とは別に、工事関係者が生活する居住棟という建物が新しく建築された。新築なので、居住棟側は大変きれいである。診療所はその居住棟の中にある(私の部屋は本船側)。船の診療所とはいえ、ちゃんと診療所開設の申請も済ませた。そのための書類の準備も大変だった。診療室の隣にはベッド2つを備えた病室がある(有床診療所)。診療所で行うことの可能な検査は、SpO2モニター、尿検査、心電図のみ。薬は結構多種多様なものが揃っている(前回の航海時の船医がリストアップしたものとほぼ同じものが用意されていた)。診療所で待っておられた医療機器メーカーの方が、心電図とAEDの説明をしてくれたのはいいが、薬、器材が全部まだ大量の段ボールの中で、さらに中に何が入っているのかわからない状態であった。これを全部、自分一人で仕分けせねばならない。先は長いので、地道にやるしかない。その後自室に戻り、今回一番心配していた「パソコンでインターネットができるか」を試してみた。パソコンにLANケーブルを差し込みインターネットに繋いでみるが…繋がらない! かなりショックを受けた。2カ月間インターネット、主には本土とメールができるか否かというのは、かなりQOLにかかわってくる。その問題はひとまずおいておいて、夕食は曳船業者の方に誘われ中華街で食事をした。そこで、いろいろなお話をお聞きすることができた。レジデン島では台風が近づいてくると、台風から遠ざかるように安全地帯に移動して避難するそうだ。以前も台風が近づいてきて、近くの大陸に避難したことがあるそうで、そのとき、あえて本船は大陸の岸壁にはつかず、沖合で停泊したとのことである。その理由は、本土に一時的とはいえ寄航してしまうと、本土が恋しくなった船員が逃げ出す可能性があるからわざと船を港につけないのだ。それだけ、追い詰められる環境にある、ということだ。また、今回の船長さんは、難破船の救出などされているベテランらしい。また、よくJVという用語が出てきて、JVの方が工事を仕切っているのだが、JVとは何か聞いたら、Joint Ventureの略で、いろんな企業が合同で工事をする際、その共同企業体のことをJVと呼ぶのだそうだ。今回にかぎらず、街中で工事しているときも、よく見たらJVと書いていることも多いらしい。医療従事者はとかく世間知らずになってしまうことが多いが、他職種の人とかかわるといろいろ勉強になる。

その後、無理を言って最寄りの地下鉄の駅で降ろしてもらい、一人で横浜駅に出た。丸善でいろいろと本を、ドンキホーテで生活用品を購入。タクシーで横浜港へ。そして羊土丸にて初めての洋上での一夜を過ごした。

今回ひょんなことから、研修医2年目が終わろうとする3月に「レジデン島に行く船の船医をしてみないか」とのお話をいただいた。最初は現実感がなかったが、滅多にできる経験ではないので、大学さえ許可していただければ…と思い教授にご相談したところ、予想通り(!?)快くOKをいただき、船医として2カ月の航海に出ることとなった。船には医師一人。看護師もいない。国土交通省の管理下で、レジデン島の工事を行うための大型船に乗るのだ。2カ月間、どこにも寄港しない完全洋上生活という特殊な環境で、約100人のコミュニティー(最高年齢69歳、最小年齢19歳、平均年齢46.5歳)ではどんな疾患が発生するのだろうか? もし発生しなかったとしても、それはそれですごいことだ。建設業という、日頃から体を鍛えておられる方々は病気しにくいと言えるかもしれない。また、内科でもない、外科でもない、でも内科もケガも心も診られる、そんな総合医を目指している3年目の一医者が、この時期にこの特殊な環境のなかで、どのような症例を経験しどう考え何ができるか、船員の方々を満足させられるか、どんどん模索し、身をもって体験し、その体験を広めていきたいと思っている。貴重な体験ができることに感謝しつつ…。



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洋上で出会った船たち 船上から見る夕焼け 船上生活の様子1
船上生活の様子2 釣  果 単行本本文収録写真