生命活動の維持には,脳から器官への指令,細胞から細胞へのシグナルなど,膨大な情報の伝達システムが不可欠です.タンパク質のリン酸化は,このシステムの中で非常に重要な反応であり,タンパク質の構造や機能の変化を引き起こし,その結果さまざまなシグナルが伝わっていきます.近年の研究技術の発達によって,リン酸化シグナルが,細胞分裂・細胞周期,細胞の生と死の制御,細胞極性制御,体内時計などの多岐にわたる生命現象をコントロールしていることが明らかとなってきました.そこで本特集では,急速な進展をみせているリン酸化研究の最新知見と,リン酸化システムの破綻により起こる癌などの疾患との関わりについて解説します.
目次
特集
細胞のダイナミクスを制御する
リン酸化シグナル
企画/稲垣昌樹
概論〜タンパク質リン酸化が司る多様な生命現象【稲垣昌樹】
タンパク質のリン酸化は,タンパク質の構造や機能を動的に変化させ,さまざまな生命現象を制御している.抗リン酸化抗体を用いて,リン酸化のin vivoでの時間的・空間的解析が可能となり,リン酸化シグナルが,細胞内情報伝達,細胞分裂・細胞周期,細胞の生と死の制御,細胞極性制御,体内時計などの多岐にわたる生命現象をコントロールしていることが明らかとなってきた.本特集では,タンパク質リン酸化が司る多様な生命現象についての最近の知見の一端を紹介する.
抗リン酸化抗体が明らかにした分裂期キナーゼ群の細胞機能【後藤英仁】
分裂期における細胞機能は,タンパク質リン酸化反応を司る種々のプロテインキナーゼによって制御されている.タンパク質の目的部位のリン酸化状態を特異的に認識する抗体〔抗リン酸化(ペプチド)抗体〕は,分裂期で認められる種々の形態変化などの分子メカニズムを明らかにするのに重要な役割を果たした.本稿では,中間径フィラメント構成タンパク質のリン酸化反応の解析からの分裂期キナーゼの同定,分裂期キナーゼの活性化機構,および,分裂期キナーゼ群間のクロストークの解析に抗リン酸化抗体が果たした役割を中心に概説する.
リン酸化修飾を介するWntシグナルネットワークによる細胞応答【山本英樹/日野真一郎/菊池 章】
Wntはβ-カテニン経路と平面内細胞極性(planar cell polarity:PCP)経路,Ca2+経路を活性化し,これらの細胞内シグナル伝達経路がクロストークをすることにより,多彩な細胞機能を調節する.特に,β-カテニン経路においては構成分子がリン酸化による翻訳後修飾を受けることにより,それらの細胞内局在や相互作用,安定性が制御される.
リン酸化修飾が明らかにした多彩な細胞周期チェックポイント機能【島田 緑/村上浩士/中西 真】
細胞が厳密に遺伝情報を複製し,娘細胞に伝達する過程は華麗ともいうべきネットワークによって制御されている.DNAは内的あるいは外的要因により常に損傷を受けているが,損傷部位を修復する機構や,細胞分裂を一旦停止して修復時間を稼ぐチェックポイント機構も華麗なネットワークの一端を担っている.チェックポイントはDNAの異常を感知し,迅速にさまざまな因子を活性化し,最終的にサイクリン依存性キナーゼ(CDK)〜サイクリンの活性を抑制することにより,細胞分裂を停止する機構である.このシグナル伝達はタンパク質リン酸化カスケードにより制御され,異常信号が伝達,変換され短時間に細胞が応答する.今回,タンパク質のリン酸化修飾を中心に,哺乳動物の細胞周期,チェックポイント機構,DNA修復との連携について,最新の知見をふまえながら解説する.
細胞生存シグナルと死シグナルのバランスによる生死決定機構【砂山 潤/鶴田文憲/後藤由季子】
細胞の生死は細胞死シグナルと生存シグナルの拮抗によって絶妙に制御されており,どちらか一方にそのバランスが傾くことにより運命(生か死)を決定する.この機構が正常に遂行されることは個体の発生や恒常性の維持に必須であり,異常が生じると奇形,変性疾患や癌など個体にさまざまな影響が生じると考えられる.近年,細胞死シグナルあるいは生存シグナルの伝達機構の詳細は明らかになりつつあるものの,両者のシグナルがどのようなメカニズムによって統合され最終的に細胞の生死決定に至るかは十分には解明されていない.本稿では最近のわれわれの知見を中心に細胞死と生存のシグナルのバランスをはかるメカニズムについて述べたい.
リン酸化が制御する神経細胞極性化の新規メカニズム【有村奈利子/吉村 武/川端紗枝子/服部敦志/貝淵弘三】
神経細胞の機能を考えるとき,神経細胞の有する機能的形態的に異なる2種類の突起,神経軸索と樹状突起は欠かすことのできない要素である.これら神経軸索と樹状突起の形成分化(極性化)は神経細胞の発達に重要であり,極性の獲得と維持の分子メカニズムが注目されている.われわれの研究室ではこれらの神経極性が形成される過程に着目し,その分子メカニズムの解明に取り組んでいる.本稿では最近次第に明らかになってきた神経極性の形成を制御するリン酸化シグナル伝達とその制御機構について述べる.
KaiCのリン酸化サイクルが刻むシアノバクテリアの概日時間【近藤孝男】
生物に広くみられる概日時計は時計遺伝子発現のフィードバック抑制に基づくフィードバックループにより発生するものとされてきた(転写・翻訳モデル).時計タンパク質のリン酸化は多くのモデル生物で知られており,転写・翻訳モデルの重要なステップと考えられてきた.シアノバクテリアの概日時計はKaiA,KaiB,KaiCが中心的分子であり,真核生物と同様のシナリオが想定されていた.しかし,転写・翻訳が停止する暗条件下でもKaiCのリン酸化リズムは継続し,さらに試験管内で3つのKaiタンパク質とATPを混合すれば,温度補償された概日周期で振動を継続することが明らかになった.この事実は転写・翻訳モデルを明確に否定し,3つのタンパク質の生化学的ネットワークによるタンパク質のリン酸化が時間を刻んでいることを示している.
トピックス
カレントトピックス
オレキシン神経の制御機構【桜井 武】
家族性乳癌タンパク質BRCA2リン酸化による相同組換え修復の制御【江刺史子】
サイクロフィリンDに依存したミトコンドリア膜透過性遷移の細胞死における役割【中川 崇/清水重臣/辻本賀英】
エピジェネティックな変化によるマウス腸上皮細胞の分化異常と腫瘍発生【坂谷貴司】
News & Hot Paper Digest
Daleの法則再考と運動神経【小泉 周】
癌遺伝子c-Mycは核小体でrRNA合成を亢進する【村山明子/柳澤 純】
コネクチンが筋活動を感知する新機構の発見【神崎 展】
脳神経系におけるガングリオシドの機能【笠原浩二】
恋愛を生命の『戦略』として科学する【編集部】
連載
疾患解明Overview
第15回 AIDSの新たな治療標的を求めて:HIV-1の宿主因子【山本直樹/松田善衛/村上 努/駒野 淳】
クローズアップ実験法
人工的なアミノ酸をタンパク質に導入することによる動物細胞内での光クロスリンク法【樋野展正/坂本健作/横山茂之】
Current Mini Review
抗原レセプターを介したNF-κB活性化経路【原 博満】
効率的なバイオ実験の進め方
第2回 経験のない実験法を素早く導入する方法【佐々木博己】
私が名付けた遺伝子
第8回 shugoshin 〜染色体分配の守り神〜【渡辺嘉典】
ラボレポート−留学編−
キュリー研究所,Edith Heard研究室〜Institut Curie【岡本郁弘】
関連情報