医学は人の体を相手にしており,そこには曖昧さがつきものである.同じ病気でも患者によって結構なばらつきがある.そんなあいまいな世界を整理するためにも,われわれは言葉を使っている.今回は「病理に強くなる」ために欠かせない,このハンドパワーならぬ "ワードパワー" をテーマとした.
例えば,潰瘍性大腸炎のことを話すとき「おもに大腸の粘膜に原因不明の炎症が起こってびらんや潰瘍を生じる病気」というより,専門家同士なら「UC」という一言の方がよく伝わる.“ワードパワー*”の1つの例である.膵管にPanINという病変がある.これは,膵管癌の前駆病変と考えられている膵管枝の顕微鏡レベルの小さな病変であり,正確に書くとpancreatic intraepithelial neoplasia(膵上皮内腫瘍性病変)である.この略語である“PanIN(「パニィン」と呼ばれる)”が耳に新しく,印象的な語感であったため,病理医だけでなく,基礎研究者から臨床家までもを,膵管の小さな病変に注意を向けさせ,この分野の研究を推進させることにもつながったと言われる.これも“ワードパワー”のなせる業であろう.
ここでは,病理の現場で頻出する用語の中から,類似していて紛らわしい用語を取り上げ,イメージを共有したい.そして,それらがもつワードパワーを感じつつ,同時に自分のワードパワー(語彙力)を増やすきっかけとなればと思う.
(*言葉の力は, “パワー・オブ・ワード power of word”が正しいかと思いますが,ここでは"ワードパワー”として「用語が持つ力」と「語彙力」の2つの意味を持たせています.)
異型性については,本連載第1回目「“ゼロ”から始めよう!-病理学的理解に役立つ消化器組織学」(消化器BooKシリーズ第1巻参照)でも簡単には触れたが,復習の意味でも「異型性」から始めよう.
異型性は,一言で説明するなら“形態的異常の度合い”である.正常を基点とした場合に,そこからどれほどの形態的逸脱がみられるかの度合いということである.
病理診断学では,このような「異型性」を,組織構築の異型と細胞形態の異型に分けて評価することがあるが,実際の診断では,それらを総合して判定していることが多い.異型性の強い腫瘍細胞からなる腺管は,構造的な異型性も概して強いものである.
形態異常を示しているものの悪性と確定できないような境界的な病変のことは,一般に“異型上皮(atypical epithelium)”などと言われる.また,「異型性」は特定の病変を指すのではなく相対的な度合いのことなので,悪性腫瘍の中でも“異型性が比較的弱い腺癌”などという使われ方もする.
「異形成」が「異型性」と大きく異なる点は,異形成は病変の状態を指し示す用語であるという点である.そして,異形成(dysplasia)には種々の程度の異型性を示す病変が含まれるが,基本的に悪性へも進展する可能性のある腫瘍性病変であるということを示唆する.
潰瘍性大腸炎には,その経過中しばしば異型上皮が発生し,それらは異形成(dysplasia)と表現される.平坦な病変から隆起した病変まであるが,隆起したものは異型性自体は管状腺腫と同様であっても,潰瘍性大腸炎にみられるものはdysplasia associated lesion or mass (DALM)とも呼ばれる.
異型性を示す異形成のことを理解して頂けたところで,次は上皮内腫瘍性病変(intraepithelial neoplasia)との関係について考えてみよう.これらの2つのチガイがわかる人は,かなりの「通」だと思う.正直に書いてしまうと,私自身も,比較的最近まで漠然と使い分けていた,というより,ほとんど同義語的な使い方をしていたと言える.
他の臓器に先駆けて婦人科領域では,90年代から子宮頸部上皮内腫瘍性病変(cervical intraepithelial neoplasia:CIN)という用語が使われてきたが,消化器領域でも2000年のWHO分類ブックでは,扁平上皮である食道はもちろん胃,胆道,膵といった腺系上皮の病変についてもintraepithelial neoplasiaという用語を採用して記述している.この中で,膵臓の項では,「Recommended term」として,やや控えめにpancreatic intraepithelial neoplasia (PanIN)とその3段階分類を掲載したが,膵管内乳頭粘液性腫瘍(intraductal papillary mucinous neoplasm:IPMN)との異同などについての関心が高かったからか,他臓器の病変にも増して予想以上のスピードで世界に普及していった印象がある.このPanINの急速な普及に対しては概念先行などという批判もあったが,それでもその後10年間でかなり一般的な用語になったのは,冒頭でも述べたように“ワードパワー”によるところ大だと思う.
さて,異形成(dysplasia)と上皮内腫瘍性病変(intraepithelial neoplasia)の意味するところについてであるが,これらはいずれも前がん的病変を指していることは共通している(図1).しかし,dysplasiaが組織,細胞形態の異型性を伴うことを前提としているのに対し,intraepithelial neoplasiaは,必ずしも形態的に認識できる異型性がない場合にも適用される場合がある.例えば,PanIN-1はまさにそんな病変であり,だからこそいまだに「本当に腫瘍性病変と言ってよいのか?」という素朴な疑問も完全には解消されていないところである.しかし,そのうちの何割かには,遺伝子異常やその関連異常が検出されることから,形態上の「異型性」の同定に先行して「neoplasia」という用語を使っていると理解できる.
Intraepithelial neoplasiaについて,膵臓の例を述べたが,臓器によってもその専門家の考えや定義には若干の温度差があるので,常に「この研究者はどのような意味で用いているのか」と注意して見聞きするようにしてほしい.そのような問題意識こそが,自分の「ワードパワー」を高める源ともなるはずである.
肉芽と肉芽腫は両者とも,生体の反応性変化として形成されるところは共通しているが,構成成分と形態が異なっているので,概念として区別する必要がある.あえて,「概念として」というのは,組織像では一部オーバーラップした要素や考えがあるからであり,そこも紛らわしい理由と考えられる.
肉芽組織は,組織修復過程で出現する線維芽細胞の増生,血管新生などを主たる構成成分とする埋め合わせ的な組織のことである.これは後に膠原線維および基質を主体とした硬い線維結合組織となる.多かれ少なかれ炎症細胞浸潤を伴っていることが多いが,それが目立つ場合は「炎症性肉芽組織」と呼ばれることもある.
一方,肉芽腫は異物や微生物などに対する特殊な炎症性組織反応ということができ,その組織形態から病態や疾患を推測できるものもある(結核,異物,サルコイドーシス,クローン病など)(図2).構成要素としては,組織球の結節(巣)状の集簇が必須である.炎症反応を引き起こす因子に対していち早く駆けつけ攻撃し貪食して散っていく好中球に比べ,組織球は寿命が長く局所に居座るのが特徴である.組織球は,異物などを細胞質に取り込み,長期に隔離することができ,急性炎症反応の継続を阻止することができる.消化できない物質が細胞質内に蓄積すると,運動性を失い局所に集簇し,一見上皮様の形態を示した細胞(類上皮細胞,epithelioid cells)の集団として観察される.また,組織球が融合して多核化してできた多核巨細胞もしばしば出現する.一般的に,この周囲にはリンパ球が取り巻くように浸潤している.このように類上皮細胞の集簇からなる肉芽腫のことを類上皮細胞肉芽腫(epithelioid cell granuloma)と呼んでいる.つまり,通常の病理診断中は,類上皮細胞を見つけることと肉芽腫を見つけることがほぼ同義で使われることが多いが,必ずしも類上皮細胞の出現を見なくても,組織球が巣状に集簇した病態があれば肉芽腫と呼ぶ.そうなると肉芽組織の中にも肉芽腫が形成されることもあるということで,ここが先に述べた混乱の理由の1つのようである.
ワードパワーを感じることは,その分野での思考の世界を広げることにつながる.より多くの用語を知っておくこともパワーとなるが,1つの用語について,ときどき立ち止まって考えてみることは,よりワードパワーを実感することになるだろう.
a) cryptitis, b) crypt abscess, c) granuloma, d) telangiectasia, e) fissures, f) dysplasia
a) neural hyperplasia, b) submucosal inflammation, c) epithelioid cell granuloma, d) crypt abscess, e) aphthous ulcer, f) DALM
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