実験医学2014年6月号「UPDATE REVIEW」より
細胞誤認:その現状と研究者にもとめられる対策

[著]小原有弘,佐藤元信,西條 薫,中村幸夫

本コンテンツでは,誤認細胞を研究に使用するリスクを避けるためのコンタミリストとチェックリストを挙げ,細胞誤認の現状と今後の研究で心がけるべきことを紹介いただきました.好評発売中の単行本「あなたの細胞培養、大丈夫ですか?!」では,さらに具体的な手法や知識が身につく内容を一問一答の形でご紹介いただいています.ぜひご一読を.(編集部)

ヒト培養細胞は現在の生命科学研究において必須の研究ツールとして非常に多くの研究者が使用している.しかし細胞の品質や細胞認証に目を向ける研究者は少なく,間違った細胞(誤認細胞)を研究に使用し,研究に費やす多大な時間と費用を無駄にしているのが現状である.今後の研究費申請,論文投稿の際には細胞認証データが求められるようになると考えられるので,細胞認証の必要性と研究者に求められる対策について解説する.

はじめに

1952年にヒト由来の培養細胞株HeLaが樹立1)されて以降,ヒト由来細胞株は次々と樹立されるに至った.しかしながらそのなかには他の細胞との取り違え (置き換わり) や混入により当初の由来や記述と異なる細胞 (誤認細胞) が研究に使用され,広く汎用されるようになったのも事実である.当時は誤認細胞を明確に見分ける術がなかったが,1990年代にDNA鑑定の技術が進歩し,short tandem repeat (STR) 多型解析によって遺伝子レベルで細胞 (由来個人) を見分けることが可能となった2)3).これを用いて細胞バンクでは品質管理の一環としてヒト由来培養細胞における誤認(クロスコンタミネーションや取り違えなど)の調査がはじめられた.2008年にはその時点における登録細胞の解析を終了し,JCRB細胞バンク:638種解析中38種 (6.0%),理研細胞バンク:565種解析中53種 (9.4%) の誤認細胞を報告した4).その後も一定の割合で寄託細胞のなかに誤認細胞が認められ,その数は増加しつつある5).これらの現状を踏まえ,世界の細胞バンクならびに特に強い危機感をもっている欧米の研究者を中心に啓発キャンペーンがはじめられている.Science誌6)やNature誌7)にも記事としてとり上げられ,その歩みが加速しているので本稿にて概説する.

世界における取り組み

細胞誤認証を研究社会から排除する取り組みは以前より積み重ねられてきたが,2007年の春にScience誌に “Cases of mistaken identity”6)として大きくとり上げられたのが,世界の細胞バンクが協力して歩みを進めるきっかけとなった.まずはじめの取り組みは細胞認証方法に関するガイドラインの策定である.これはアメリカのATCCが主導してボランティアを募り,ATCC® Standards Development Organizationのワーキンググループとして 「Authentication of Human Cell Lines:Standardization of STR Profiling (ANSI/ATCC ASN-0002-2011)」 8)を2011年にまとめあげた.その内容はヒト細胞認証にかかわる歴史から詳細なSTR解析プロトコールまでを規格化しており,現在の試験法の標準となっている.これにより細胞誤認排除のための基盤ができたといえる.またこれと同調して,科学雑誌 (Nature,Science,Cancer ResearchをはじめとするAACR発行誌,etc.) における投稿規定の改訂が進み,細胞を使用した研究には細胞品質検査を実施し,認証された細胞株であるかを論文に記載することが規定に盛り込まれた.これにより誤認細胞を使用した研究発表が減少すると考えられたが,論文審査員に周知できておらず,未だに誤認細胞を使用した研究発表は後を絶たない.例えば,ECV304という細胞は日本で樹立されたとされる臍帯血管内皮由来細胞であるが,1999年にドイツのDirksらの研究により膀胱がん由来T24細胞の誤認細胞であることが明らかとされた9).しかしながらその後もECV304は血管内皮細胞株として研究発表に使用され続け,PubMed検索すると2013年においても血管内皮由来細胞として21報の論文が報告されている (図).

ECV304細胞が誤認証細胞であるという論文報告前後の発表論文数

このような状況は研究に費やす労力・資金を無駄にすることに他ならず,研究者にはこの点に関して危機感をもっていただくことを強く切望する.現在はさらなる国際連携強化を図り,研究者への認知度を高めるため,International Cell Line Authentication Committee (ICLAC:http://iclac.org) を設立し,これまでに明らかにした誤認細胞のリスト (表)10)を公開し,新たな誤認細胞の認定・公表を行いつつ,研究社会への提言を行っている.

ICLACコンタミリスト抜粋

そのなかでも,最も重要と考えられるのが,論文審査員に対する “Cell Line Checklist” (見本) の普及を目指した科学雑誌社あるいは編集者への活動である.このChecklistが論文審査の際に周知徹底できれば,細胞誤認の問題は終息の方向に舵を切ることができるだろう.

見本 レビューチェックリスト

日本における取り組み

日本の細胞バンク (JCRB細胞バンク,理研細胞バンク) においては1990年代より細胞品質管理の一環としてSTR多型解析による調査を開始し,現在は登録細胞情報としてSTR多型解析情報を細胞それぞれに添付した形で提供している.したがって,細胞バンクから分譲される細胞は検証された,安心して使用できる細胞である.しかしながら日本の研究者は細胞の品質,特にマイコプラズマ汚染や細胞誤認に対して関心が低いのが現状であり,論文審査員に指摘されてはじめて細胞品質管理検査を実施することが多い.われわれはこの現状を学会,講演会,講習会,執筆活動,ホームページ等を利用して啓発しているが,まだまだ認知度が低いといえる.これまでにも,細胞認証のためのSTR多型解析データのデータベース構築に早くから取り組み,世界の細胞バンクとデータを共有することにより自分の解析データとデータベース登録細胞との比較が可能な検索サイトを設置してきた11).また,2013年からは日本組織培養学会・品質管理等普及委員会を立ち上げ,その活動のなかで日本の研究者に向けた情報発信を目指して,細胞の品質管理にかかわる情報やニュースなどを提供できるサイトを設置するに至った (http://jcrbcelldata.nibio.go.jp/str/).さらには,日本組織培養学会において細胞培養基盤技術コースを開設し,細胞培養技術の普及に努めている.今後,日本発の生命科学研究の発展には,このような基盤となる知識・技術に目を向け,間違いのない,質の高い研究を実施していくことが必要である.

研究者に求められる対策

日本の研究者には,まず細胞使用研究に起こっている現状をしっかりと把握し,細胞誤認による研究社会の損失について危機感をもち,自覚していただくことが必要である.細胞誤認は研究報告の信頼性を大きく左右するものであり,これは他人の研究報告によって自分が被害を受けることになるかも知れないし,逆に自分の研究報告が他人に迷惑を掛けるかもしれないということにつながる.そのうえで,細胞誤認排除に向けた研究者一人ひとりの取り組みが重要となる.今後は論文投稿時に細胞認証を含む細胞品質に関する情報記載が必須となると考えられるため,研究者が細胞を研究使用する際には,その細胞を受け入れたときからその細胞の品質にも目を配る必要がある.特に,他の研究者から譲り受ける際には細胞認証を含めてしっかりとした品質管理を受け入れ時に行う習慣をつけることが重要である.細胞バンクから分譲された細胞においても,論文投稿の際には細胞認証を含めて再度品質管理を実施する必要があるので,研究計画のなかで使っている細胞の管理を徹底しなければならない.実際に論文発表のために行わなければならないのは,論文審査員に普及を目指している前述のChecklistに記載された以下1〜4の項目である.

  1. 使用した細胞が誤認細胞のリストに記載されている細胞でないこと
  2. ヒト由来細胞であればSTR多型解析を実施し,そのデータを記載するとともに新規の細胞であればドナーのプロファイルと一致すること,既存細胞であればデータベースと照合した結果
  3. ヒト由来以外の細胞に関しては,染色体解析,アイソザイム解析,ミトコンドリアDNAのタイピング12)などにより,使用した動物種が正しいこと
  4. マイコプラズマに関する検査を実施し,検出されなかったこと

今までに実施していなかった研究者にとっては非常に煩わしく,資金もかかる内容であるが,責任をもって世の中に研究成果を公表するには欠かすことができないものである.一刻も早く細胞誤認を排除するためには,上記の内容に目を向けることが当たり前になる研究社会を構築しなければならないので,論文審査員の意識改革を皮切りに,研究者個人へ細胞誤認廃絶に向けた取り組みが広がることを切望するものである.

今後の問題点と展望

ヒト由来細胞に関してはDNA鑑定により由来個人 (細胞一つひとつ) を同定することができるようになったが,マウスやラットをはじめとするヒト以外の動物細胞などは,近交繁殖がくり返された結果,遺伝子解析により細胞株を一つひとつ見分けることができず,その由来系統を遺伝子型で見分ける程度の技術に留まっているのが現状である13).また,ヒト由来細胞においても細胞の樹立情報が必ずしも正しいことが証明できてはいない.それは由来臓器・組織を現在の技術では完璧に見分けることができないからである.分子マーカープロファイルや遺伝子発現解析などを組み合わせればある程度細胞の由来組織を推定することは可能であると考えられるが,細胞バンクにおいても,そこまで細胞の特性を保証した状態で細胞を管理できているわけではなく,樹立者の情報を元に由来組織情報を表示しているに過ぎない.これらの問題は,今後さらなる技術開発が進み,多くの細胞プロファイル情報が付加され,蓄積されていくことにより,ある程度解決するであろう.また,細胞プロファイル情報が充実することによって,これまでの由来組織情報を基にした細胞選択ではなく,遺伝子やレセプターの発現状態の情報を基にした細胞選択が,近い将来可能になると考えられる.

文献

  1. Gey GO, et al:Cancer Res, 12:264-265, 1952
  2. Kimpton CP, et al:PCR Methods Appl, 3:13-22, 1993
  3. 水沢 博,他:実験医学,26:1395-1403, 2008
  4. 水沢 博,他:実験医学,26:561-567, 2008
  5. American Type Culture Collection Standards Development Organization Workgroup ASN-0002:Nat Rev Cancer, 10:441-448, 2010
  6. Chatterjee R:Science, 315:928-931, 2007
  7. Masters JR:Nature, 492:186, 2012
  8. ANSI/ATCC ASN-0002-2011:ANSI eStandards Store, http://webstore.ansi.org/RecordDetail.aspx?sku=ANSI%2fATCC+ASN-0002-2011
  9. Dirks WG, et al:In Vitro Cell Dev Biol Anim, 35:558-559, 1999
  10. Capes-Davis A, et al:Int J Cancer, 127:1-8, 2010
  11. Dirks WG, et al:Int J Cancer, 126:303-304, 2010
  12. Ono K, et al:In Vitro Cell Dev Biol Anim, 43:168-175, 2007
  13. Yoshino K, et al:IBC, 2:1-9, 2010

著者(所属は執筆時)

  • 小原有弘(医薬基盤研究所JCRB細胞バンク/日本組織培養学会細胞品質管理等普及委員会)
  • 佐藤元信(医薬基盤研究所JCRB細胞バンク/日本組織培養学会細胞品質管理等普及委員会)
  • 西條 薫(理研バイオリソースセンター細胞材料開発室/日本組織培養学会細胞品質管理等普及委員会)
  • 中村幸夫(理研バイオリソースセンター細胞材料開発室/日本組織培養学会細胞品質管理等普及委員会)
細胞誤認やその他の細胞培養のトラブルを防ぐためにご一読ください!

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中村幸夫,西條 薫,小原有弘/編