このコーナーについて
実験医学別冊『あなたのラボにAI(人工知能)×ロボットがやってくる』の概論を公開します.編集担当者が書いた書評も合わせてご覧ください.
実験医学別冊『あなたのラボにAI(人工知能)×ロボットがやってくる』の概論より
それはユートピアか,ディストピアか 第5回
著/夏目 徹
ポスト・シンギュラリティへ
汎用型AIが実用化するであろう2045年頃には,純粋機械化経済(AIロボットが全面的に生産活動を行い人間の労働力を必要としない経済状態)が実現し,全人口の1割しか労働していないだろうという予測がある.すなわち,9割は労働により収入を得ていないということを意味する.その時社会に必要とされる経済政策はベーシックインカムであるという議論をご存知だろうか.ベーシックインカムとは,「普遍主義的社会保障」と解説される.現在の生活保護は「選別主義的社会保障制度」であるが,ベーシックインカムの普及に際しては,働いているか失業しているか? 労働能力があるかどうかは問われず,一定の額をあまねく受給するしくみをさす.労働しても受給額の減額はないため,労働したい人間の意欲をそぐこともなく,生活保護のように,受給対象者かどうかを選別するための莫大なコストがかからないというメリットがある8).ベーシックインカム推進論者は,純粋機械化経済(AIロボットのみで生産され人間の労働を必要としない経済)の達成により,爆発的な経済成長が生まれ,劇的な税収の増加が見込まれるため,ベーシックインカムの財源は全く心配する必要がないとしている.驚くことに,現在の日本の経済状況においても,年金と生活保護というコストのかかる差別主義的生活保障制度をやめてしまえば,国民全員に毎月7万円を,年齢・性別・収入にかかわらず支給できると試算する専門家もいる9).私は,ベーシックインカム的な発想は,賛成である.
AIロボットにより著しい経済成長が生まれれば,基本的にコンビニで売っているようなコモディティはタダにしてしまえばいい.また,教育・医療と公共交通機関もタダ.移動したければ,路上で手をあげれば,無人運転のタクシーが音もなく止まり,タダでどこでも連れて行ってくれる.
そんな世のなかが実現すればいいと思っている.そして,基本的には「生活のために」働く必要がなくなる自由と,田舎だろうが都会だろうと住みたいところに住み,行きたい所に行ける自由がある社会がユートピアではないかと思っている.では,食べていくために働く必要がない世界で,人間はもはや仕事をしなくなるのかというと,私はそうでもないと思っている.ユートピアでは,本当にやりたいことを仕事にできる.あるいはこれまで事業性がないため,ボランティア的にしか行われなかった仕事に多くの人間が関われるようにもなる.人に感謝されるために純粋に働くことができるとも言える.すでに悠々自適の財を築きながら,あるいは生活に困らないだけの年金を支給されながらも,社会のためコミュニティーのために,真剣に仕事をしている人を私は何人も知っている.私の父親もそうだった.
AIロボットが生産をする一方で,研究(知的好奇心の探求)と教育(人間は次の世代に何かを伝えることに生き甲斐を感じる動物のようだ),美の創造などは,結局は,人間は決して手放さないだろう.料理を含めて五感を使った生産行為も同様だと思う.経済的余裕があれば,家庭菜園での収穫を楽しんだり,ホームビルドで自分の住む家をつくってみたい,といった欲求は当分なくならないように思う.それはAIができるかできないかの問題ではなく,人間がするべきなので(人間がしたいので)AIにはさせないという問題であり,そのような選択ができる未来を私は思い描くのである.AIロボットに一番奪われにくい職業は,実は農業や大工かもしれない.
サイエンスでは,ロボットが作業をし,発想し・解釈し仮説を生み出すのは人間の分担といったが,これらもいずれAIが担当するようになるだろう(北野の稿参照).そんな未来では,考えることが「楽しい」,知的好奇心を刺激したい人間が,楽しみのために研究をするようになるだろう.そして,一番「楽しい」作業はAIには譲らない.ヘリコプターで山頂にあっという間に到達できるのに,相変わらず登山という行為がなくならないことが暗示する.
ライフサイエンスから社会をかえる
このようなシナリオが実現するかどうかは,誰にもわからない.それが正しいかどうかも,実は,私自身たいした自信があるわけではない.
しかし,あるべき未来を望まなければ,望むべき未来は決してやってこないことは,かなり確からしい.ビジョンを放棄し,未来を他人任せにしてしまえば,イノベーションの犠牲者となり,弱者として切り捨てられることは想像に難くない.ビジョンなきイノベーションが,このまま放置されるなら,ディストピア化のシナリオはかなり可能性が高い.
では,ビジョンはどのように生み出され,共感されるのだろうか? 議論は必要だが,議論だけでは何も生まないことは自明の理だ.限定的で小規模でいいから,明白な成功体験・成功事例が必要なのだ.ライフサイエンスにおけるAIロボットが,そんな役割を果たせるような気がしてならない.なぜなら,人間と機械の新しい関係性から,大きな生産性を生み出す事例が,もうすでにあるからだ(すべての稿参照).ライフサイエンスの革新からもたらされる,再生医療・個別化医療あるいは全脳アーキテクチャから汎用AIを生み出すといったバイオインダストリーの伸びしろは大きく,経済波及効果は決して矮小ではない.
だから,ライフサイエンスから社会が変わる,変えられる…かもしれない.われわれに期待される役割は小さくない.そんな思いから,本書を編集することにした.
文献
- 「ベーシック・インカム」(原田 泰),中央公論新社,2015
- 「人工知能と経済の未来」(井上智洋),p227-231,文藝春秋,2016
あなたのラボにAI(人工知能)×ロボットがやってくる
概論「それはユートピアか,ディストピアか?」 目次
- 第1回 はじめに―個人をしあわせにしなかったポストゲノムな時代 ほか (2018/03/13公開)
- 第2回 人は,自らに似せてロボットを作る? ほか (2018/03/27公開)
- 第3回 ベンチワークの近代化 ほか (2018/04/10公開)
- 第4回 AIロボットの使い方を間違えてはいないか? ほか (2018/04/24公開)
- 第5回 ポスト・シンギュラリティへ ほか (2018/05/15公開)