学習者の成長には守備範囲内での経験の反復だけでは足りず,多少の苦痛やストレスを伴う背伸び空間での経験が必要です.守備範囲内での「すんなり成功した」経験だけではなく,「複雑だった.だけど理解できた」「大変だった.でも成功した」「辛かった.しかし意味のある経験だった」といった背伸び空間での経験に対して意識変容が行われた結果,個人の成長がもたらされるのです.
これらの経験は学習者にとって最初はただ「複雑だった」「大変だった」「辛かった」ともやもやした経験(以下“モヤモヤ経験”)でしかないことが多いのですが,そこに意識変容をもたらし「できた」「成功した」「意味のある経験だった」と理解と成長を促すのがSEA(Significant Event Analysis)であると考えています.
SEAは学習者にとって重大な出来事を詳細に分析する振り返りの手法で,❶ 何が起こったのか(出来事),❷ その時の感情,❸ うまくいったこと,❹ うまくいかなかったこと,❺ こうしたらよかったと思うこと,❻ Next stepの6つのstepで進められます.
SEAでは背伸び空間での“モヤモヤ経験”が扱われることが多いかと思います.“モヤモヤ経験”のなかでは学習者は混乱し,事実と思い込みの区別がつかず,出来事のすべてが不快であったと認識してしまいます.実際にはできたこともあり,改善点はわずかであっても,モヤモヤのなかにいる学習者にとってはそれを冷静に分析することは困難で,いくら指導者が適切なアドバイスをしても耳を傾けられない場合が多いのです(図A).
SEAでは学習者のなかにあるモヤモヤを引き出す作業(Step❶❷)を丁寧に行います.6つのstepが書きこめるワークシートに記載してもいいですし,指導者との対話を行う形でもよく,実際に起こった事実,そのときの感情を詳細に言語化し引き出していきます.相手に伝わるようにひたすら言語化しアウトプットして,出来事と感情を整理することで,事実と思い込みが区別されていきます(図B,C).
この過程で重要なことは,指導者は何も与えないことです.「このポイントで悩んでいるんだね」「こうしたらいいよ」とつい答えを与えてしまいがちですが,同じ事例においてもモヤモヤポイントは人それぞれ異なり,学習者自身がそのポイントを見つけ出す過程が必要なのです.
Step❶❷を丁寧に行うことで,おもしろいほどに学習者は勝手にスッキリしStep❸❹❺❻を導き出します(図D).それは指導者が思いもよらない内容であることも少なくありません.つまりモヤモヤを一度外に出し客観視することで出来事の全体が把握され,処理可能な部分が見えてきます.辛い経験にも意味があったと意識変容が促され,ストレス対処能力(SOC)の強化につながります.
「わかった:把握可能感」「成功した:処理可能感」「意味のある経験だった:有意味感」はそれぞれSOC(Sense of Coherence)の構成要素と言われています.SOCは日本語では首尾一貫感覚といい,実際にうつ病罹患率や死亡率との関連も示されているストレス対処能力の指標です1).SOCを強化する手法としてSEAが有用ではないかと考えています.
とはいえ「近くに指導医がいない」,また「指導医に相談するほどでもない」といった場面もあることでしょう.そんなときにオススメなのがセルフSEAです.
前述の通りSEAは“モヤモヤ経験”を言語化し,出来事と感情に分解し客観視することで,理解が進み意識変容がもたらされるという振り返り手法です.最も重要なのはモヤモヤを言語化し出来事と感情に分解する過程ですので,1人でもその過程を再現することは可能です.頭のなかで思考しているだけでは前に進めない場合でも,例えばただひたすら紙に書き出したり,日記やSNSにまとめたり,他人に愚痴としてぶちまけたり,とにかく外に出す作業をすることで自然にその後の客観視や意識変容を起こすことができると考えています.SEAはどこでも,誰とでも,1人でも可能なのです.
ここまでSEAを通して学習者にもたらされるメリットについて紹介してきましたが,実はSEAは指導者側にも大きなメリットがあるのです.
学習者の指導を行う際にこんな悩みを抱いたことはありませんか?「自分に経験のないことは教えられない」「つい自分の考えを押し付けてしまう」「合わないタイプの学習者がいる」など….ここまで読み進めていただいた方にはご理解いただけると思いますが,SEAでは指導者から学習者に何かを与える必要はありません.むしろ与えてはいけません.学習者が言語化しアウトプットできる場をつくり(安全な環境,話を促す態度),出来事と感情を整理するのを手伝ってあげるだけでいいのです.ついつい指導者は学習者に何かを与える存在でなければならないと焦ってしまいがちですが,SEAにおいては何かを教える必要はなく,学習者それぞれに答えがあり,学習者のタイプはあまり関係ないのです.これを応用すると専門性や経験値の異なる他職種やベテランとの振り返りにもSEAは利用可能なのです.このことに気がつくと肩の荷がおり,指導がとても楽になることを実感していただけると思います.
では最後にSEAと優秀ポートフォリオ賞受賞のヒミツについて探っていきましょう.
GPMECで実際に優秀ポートフォリオ賞を受賞した専攻医と指導医にそれぞれ話を聞くととても特徴的な言葉が聞くことができました.
専攻医「特にどのポートフォリオに一番思い入れがあるわけではないよ.指導医のアドバイスに素直に従って書いただけだよ.」
指導医「専攻医ごとに進む方向は全然違うけれど,気がつくとそれぞれの専攻医が“いつの間にそんなところまで!?”と驚くほどに成長していくのがとてもおもしろいんだよね.」
専攻医の発言はとても受動的な学習姿勢に見える一方で,指導医は予想を超えた成長を見せる専攻医の姿に驚いています.一見ちぐはぐな印象を受けますが,実はこれはSEAを通じた自己主導型学習をそれぞれの立場から特徴的に示した発言なのです.
では実際に一例を示してお伝えします.これは私自身の経験です.
専攻医1年目だった私は「なんとなくおもしろそう」という程度のモチベーションで,初期研修医向けに月1回行われているSEAカンファレンスのファシリテーターを引き受けました.SEAについては無知でしたが,試行錯誤を重ねながら1年間務めることでSEAが大好きになり,「もっと知りたい」と興味がわき,SEAを通した初期研修医の成長について質的研究を行いました.研究を通してSEAへの理解が深まり「もっと多くの人に魅力を伝えたい」と視野が広がり,指導医や同期専攻医と何度も打ち合わせを重ねワークショップをつくり発表し,またこのコーナーの執筆を通して文章として皆さんにお伝えする機会を得ることができました.さらにこの一連の経過に対してSEAを用いて振り返りを行うことで自分自身の成長や変化に気がつき大きな糧となっています.
この経験のなかで私自身は「研究してみたら?」「ワークショップにしてみたら?」という指導医の言葉に素直に従っただけという感覚ですが,実は日々のSEAを使った振り返りのなかで「もっと知りたい」「多くの人に伝えたい」という私自身のなかから見つかったワクワクポイント(vsモヤモヤポイント)に沿って指導医は次の行動を提案しているだけなのです.あくまで専攻医のなかから生まれた興味・関心に従って学習が進むため,より深く実感を伴った学びが得られ自然と質の高いポートフォリオが生まれるのです.このような自己主導型学習を促し支える振り返りの仕組みこそが,GPMECの優秀ポートフォリオ賞2年連続受賞のヒミツといえるでしょう!