多数の候補遺伝子を同定した精神疾患研究,その次なる一手とは!? 神経回路や生体時計の理解から,疾患モデルの確立,病理・疫学・計算論的アプローチまで,臨床知見に重点をおいた多彩な研究戦略をご紹介します!
目次
特集
神経科学と臨床研究の連携がもたらす
精神疾患への統合的アプローチ
企画/神谷 篤,神庭重信
神経科学的アプローチによる精神疾患研究 ―臨床的観点に基づく研究の重要性【神谷 篤/神庭重信】
精神疾患は,脳高次機能というアプローチが困難な領域が侵される病態ゆえに,癌や感染症といった他の疾患研究分野に比べ,その理解は大きく遅れている.しかしながら,精神機能の理解とその異常の病態生理解明は,神経科学者や精神科医の科学的興味の対象であるのみならず,精神疾患の有病率の高さ,それによる社会的・経済的損失の大きさから,社会的にも強く求められている.こういった状況下で,近年の遺伝学,分子生物学,脳画像研究など各分野における目覚ましい技術進歩は,いよいよ精神疾患に人類が挑戦できる時期が到来したことを感じさせる.神経科学的アプローチにより精神疾患に挑む際に必要なことは何であるか? 本特集では臨床研究による知見の重要性に焦点を当て,今後の神経科学的アプローチによる精神疾患研究の方向性について考えたい.
統合失調症の疫学とそれに基づく動物モデルについて【大城将也/亀野陽亮/武井教使】
疫学研究は,病気の本態が不明な場合に,その成因を解き明かすうえで重要な手掛かりを提供する.そのため,精神疾患ばかりでなく,多くの身体疾患を対象に取り組まれてきている.すなわち,疫学研究は病気の本質を理解するうえでのきっかけとなる礎ととらえることができる.また,病因解明をめざした疫学研究に基づくデータから,動物モデルが作製され,さらに病態の形成のメカニズムの解明に取り組む研究報告もみられる.ここでは,数多くある精神障害のなかでとりわけ,重症な様態を呈し,病態の本質が今日なお全く未解明に留まる統合失調症に焦点を当て,疫学研究からの知見と,それに基づく動物モデルのいくつかについて論じる.
精神疾患の死後脳研究の成果と問題―統合失調症の大脳皮質GABA伝達関連分子の発現変化を例にとって【橋本隆紀/David A. Lewis】
統合失調症や気分障害などの精神疾患では,脳内神経回路の機能異常が症状に結びついていると考えられる.死後脳組織の解析は,このような機能異常の背景にある細胞レベルあるいは分子レベルの変化の同定に威力を発揮し,生物学的メカニズムに基づいた合理的な治療法の開発に不可欠である.死後脳解析では,組織を提供した個々のケースが,性別,年齢,死因,合併症,死後経過時間,脳組織の状態などのさまざまな条件で異なるため,それらの条件により影響を受けにくい研究デザインと,それぞれの条件が解析結果に及ぼす影響についての評価が必要となる.そのために,ピッツバーグ大学脳バンクでは,これらの条件に注意しつつ,多くの脳組織とケースについての詳細な情報の集積が行われている.
精神疾患モデル動物の可能性―遺伝子から神経回路へ【疋田貴俊/神谷 篤】
遺伝研究の発展に伴い,多くの精神疾患脆弱性にかかわる候補遺伝子が報告され,より確かな生物学的要因に基づく疾患モデル動物の可能性が期待されている.しかし精神疾患モデル動物解析には,時間経過,複数の脆弱性遺伝因子の機能的相互作用,環境因子の関与,さらには高次脳機能が障害される精神疾患を,神経回路や行動の解析を含めた動物モデルにおけるリードアウトでいかに評価すべきかなど,多くの考慮すべき要因がある.本稿では,これらの論点を包括し,変異遺伝子を導入したマウス,子宮内電気穿孔法を用いたモデルマウス,神経回路をin vivoで制御できる遺伝子改変マウスなどを紹介し,モデル動物を用いた精神疾患研究の方向性を展望する.
計算論的神経科学研究の精神医学への応用【岡本泰昌/山脇成人/田中沙織/銅谷賢治】
脳の機能は,場所と物質に関する知識が積み重ねられるだけでは,単純につながらない.近年,計算論的神経科学と実験神経科学との緊密な協同研究が行われるようになった結果,脳の機能について目覚ましい研究成果が得られている.本稿では,計算論的神経科学研究の精神医学への応用の一例として,報酬信号からの行動学習の理論的枠組みである「強化学習」の基本的しくみ,および強化学習における報酬予測と衝動性との関連について紹介する.次に報酬予測機能に対するセロトニンの作用を検討したわれわれの研究結果を紹介したうえで,精神医学への応用について考察する.
精神疾患における神経免疫仮説【門司 晃】
精神疾患は従来から,「機能性精神疾患」と「器質性精神疾患」に二大別されてきた.後者はアルツハイマー病のような神経変性疾患が代表となるが,MRIをはじめとする画像検査法の進歩によって,代表的な機能性精神疾患である気分障害や統合失調症にも,「器質的」障害の側面があることが次第に明らかになってきている.神経変性疾患の成因としては,神経免疫学的機序が従来から重視されているが,気分障害や統合失調症においても,同様のメカニズムがかかわる可能性が近年の研究から指摘された.本稿では,中枢神経系の自然免疫の主役であるミクログリアの役割から,そのメカニズムを考察した.
精神疾患と生体リズム―精神疾患への生体時計からのアプローチ【松尾雅博/岡村 均】
精神科臨床において睡眠障害は多くの疾患で認められる.特に気分障害では,睡眠障害に加えて,寛解・再発がくり返される周期性があること,季節など日照時間に伴う変動があること,さらには症状自体に日周変動があることから,何らかのリズム異常が存在すると考えられてきた.一方,睡眠を司る最大の要因である生体時計に関しては,近年時計遺伝子が発見され,その睡眠制御の一端が分子レベルで明らかにされつつある.今回,気分障害を中心とした精神科疾患を生体時計の観点から考察するとともに,新たな創薬ターゲットとしての時計遺伝子の可能性を探る.
精神疾患研究の世界的動向:特にシステムの日米比較から【澤 明】
過去10年間に精神疾患に対する科学的研究は大きく進歩してきたかにみえる.これ自体はすばらしいことだが,この分野での日本の世界における相対的地位は低下している.さらには,現時点での診断体系が疫学,病因を度外視して定義され,臨床的に複雑な表出をもつうえ,心理的,社会的要素も無視できない精神疾患に対して,脳科学があまりに表層的な研究をくり広げていること,さらには基礎科学者がその問題点に必ずしも注意をはらっていないことなども,問題になってきている.2010年時点の日本は,こうした現在の脳科学的精神疾患研究のもつ問題の現状認識にやや乏しいようだ.本稿では,将来の日本の精神疾患の発展に期待をすべく,現時点での問題点を国際比較,特に米国のシステムとの比較より行いたいと思う.
トピックス
カレントトピックス
ヒストンメチル化酵素ESETによる胚性幹細胞でのプロウイルス抑制機構【眞貝洋一/松井稔幸】
p120カテニンによるカドヘリン依存性細胞間接着の安定化機構【石山 昇/伊倉光彦】
ユビキチンリガーゼ遺伝子Ube3aによる大脳皮質可塑性のゲノム刷り込み効果【佐藤正晃】
PINK1とParkinは協調して「膜電位を失ったミトコンドリアの品質管理」を担っている【松田憲之/尾勝 圭/田中啓二】
ephrin-B2によるVEGFRエンドサイトーシスの制御【中山雅敬/Ralf H. Adams】
News & Hot Paper Digest
ヌクレオソームの配置がDNAメチル化を決めていた【黒川理樹】
LINEとLyonと染色体【中川真一】
デジタルELISAによる血中疾病マーカータンパク質の高感度検出【養王田正文】
iPS細胞にかかわる特許【田中秀穂】
ジョージア州,バイオテク産業振興センターを開設【MSA Partners】
連載
【新連載】研究成果をもっと伝える プレゼンテーション スライド作成講座
第1回 「口頭発表(プレゼンテーション)」を考える【堀口安彦】
クローズアップ実験法
動物の培養細胞における迅速なタンパク質発現制御法(AID法)【西村浩平/鐘巻将人】
バイオ研究 耳よりツール
代謝産物の検索に役立つデータベース【有田正規】
創薬物語
免疫抑制剤を重症筋無力症治療薬に!【野村和彦/木野 亨】
モデル生物の歴史と展望
第12回 バイオリソース・アサガオの歴史と展望-日本で独自の発達を遂げたバイオリソース【仁田坂英二】
ラボレポート -独立編-
限られた時間のなかで -Florida State University College of Medicine【加藤洋一】
Opinion -研究の現場から
第3回 両立できる? 研究者夫婦の子育てと仕事【神馬繭子】
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