私たちが生きる上で大切な,見ること・聞くこと.網膜発生の分子機構から,聴覚神経のネットワーク,音声学習のメカニズムまで,様々な生物種の感覚システムから紐解く,視覚・聴覚研究のフロンティアをご紹介!
目次
特集
光と音を感知する 視覚・聴覚のNeuroscience
網膜疾患や音声学習のメカニズムを解き明かす独創的な研究アプローチ
企画/加我君孝
序にかえて-ダーウィンの進化論から紐解く目と耳の発生・進化【加我君孝】
脊椎動物の目と耳は高度に分化し,その複雑な構造は生理学的および物理学的に光や物の形や音や声の認知のために巧妙にできている.そのメカニズムはさまざまなモデル生物を用いた独創的な研究により明らかにされつつあり,われわれヒトの社会に大きな影響を与えつつあることを,本特集を通じて感じていただければ幸いである.一方で,チャールズ・ダーウィンはこの目と耳の高度な分化を選択と自然淘汰説ではうまく説明できないため,思索を重ね,その結果「いくつもの事実を踏まえると,感受性の高い神経が光も感じるようになったり,音の空気の振動を感じるようになっても不思議はないと,私はあえていいたい」と『種の起源』で述べている.「個体発生は系統発生をくり返す」ことが知られているが,目と耳は異なる発生と進化をたどっている.本稿では,特集の導入にかえて,これら目と耳の進化について概説する.
網膜視細胞の機能構築―細胞運命,シナプスと繊毛の形成,ヒト疾患【加藤君子/荒木章之/大森義裕/古川貴久】
以前の考えでは,網膜は光を電気信号に変換し,脳の視覚中枢に伝達するだけの器官であった.しかし,視細胞は約1億個あるのに対して,脳に情報を伝える視神経は約100万本であることに象徴されるように,視覚情報の伝達の過程では情報の圧縮と抽出が行われ,「網膜は情報処理を行う高次な機能をもった神経系組織である」と考えるのが現在の世界的な認識である.脊椎動物網膜には形態や機能の異なる5種類のニューロンと1種類のグリア細胞が存在する.このためゲノムにプログラムされた遺伝情報が,正常に機能する網膜をつくり出すためには,いかに適切にそれぞれの細胞を生み出し,形態や機能を獲得させ,精密な神経回路網を形成するかが重要である.このいずれのステップが破綻しても重篤な視覚障害につながりうる.本稿では網膜視細胞に焦点を当て,モデル動物を用いた発生・分化,機能構築の解析,および関連したヒトの疾患について紹介する.
ゼブラフィッシュ網膜モデルから見えてくる神経細胞死の制御機構【政井一郎】
組織の発生過程において自爆死(アポトーシス)による細胞死が観察される.このような細胞死は,発生過程に異常が起きた細胞を取り除くのに役立っていると考えられる.しかし,細胞が発生過程の異常をどのように検出するのか,また,細胞死を引き起こす閾値がどのように決まるのかはまだ不明である.われわれはゼブラフィッシュ網膜をモデルに,細胞死を起こす突然変異体を同定し,DNAの損傷修復機構を介したp53の活性化が細胞死の誘導にかかわることを明らかにした.本稿では,ゼブラフィッシュ網膜におけるp53の役割とその意義について概説する.
視力・色覚を司る黄斑の生理機能と黄斑変性の分子メカニズム【岩田 岳】
ヒトは情報の8割を視覚に依存すると考えられており,眼は重要な感覚器官である.眼の中でも特に網膜の中心に位置して視細胞が高い密度で存在する黄斑は視力と色覚を司る重要な部位である.黄斑には周辺網膜に存在する視神経や毛細血管がなく,凹型構造となって視細胞が網膜表明に近づくことにより,感度がより高くなっている.この特殊な構造こそが,逆に組織的な脆弱性を生み,多くの黄斑疾患の病巣となっている.
感覚情報をもとに神経回路を形成する時期の決定─臨界期を制御する神経メカニズムの解明【杉山(矢崎)陽子/ヘンシュ貴雄】
動物の脳内では生後発達の特定の時期「臨界期」には視覚,聴覚といった外から受ける感覚情報に依存して神経回路が形成,修飾される.なぜ,この時期にはこのように神経細胞に柔軟性があるのだろうか? 大脳視覚野の神経細胞の眼優位可塑性と,その臨界期は特定の抑制性細胞であるFS細胞によって機能的に制御されていることが明らかになってきた.さらに,キンカチョウの歌学習の臨界期でも同様に,脳内の抑制性機構の成熟により臨界期の時期が制御されている可能性が示唆された.動物種やシステムを越えた臨界期を制御する神経メカニズムの可能性について議論する.
聴覚神経系のシステムニューロバイオロジー─遺伝子発現誘導系を駆使した新たな研究戦略【上川内あづさ/伊藤 啓】
近年,さまざまな神経制御ツールが整備されたショウジョウバエを利用して,脳・神経系の全体像を分子から行動に至る多階層のシステムとして包括的に理解しようとする 「システムニューロバイオロジー」 が発展してきた.解析が進んでいた視覚,嗅覚に加えて,最近,聴覚や重力・風感覚の受容機構や神経回路が解明され,それぞれの感覚情報の処理システムが,哺乳類の感覚処理システムと高い類似性をもつことが明らかになってきた.ショウジョウバエの脳の理解が,われわれ人間を含めた多くの動物の脳の基本動作原理の解明につながると期待される.
聴覚入力による音声パターン学習・維持の神経機構─学習で獲得された発声パターンはいかに維持されるか?【堀田悠人/和多和宏】
ヒトの言語獲得・生成と同様,ソングバードの発声学習・行動は聴覚フィードバックに大きく依存している.聴覚除去により,発声パターンを構成する音素音響構造と音素時系列配列がともに崩れる.しかし,大脳皮質 (外套) -基底核-視床ループから運動経路への入力の有無によって,聴覚除去後の音素の音響構造変化と音素時系列配列変化が異なることが明らかになってきた.音響構造と音素配列の維持には別々の神経機構が関与していると考えられる.本稿では,音声発声学習の聴覚障害モデルとしてのソングバードの発声学習行動研究を概説する.
コウモリの生物ソナー機構から神経系の一般原理を考察する【力丸 裕】
小コウモリ(小翼手類)は超音波(パルス)を発し,目標物から戻ってくるこだま(エコー)と聴き比べて目標物に対するさまざまな情報を得る「生物ソナー」を行っている.本稿では,コウモリの生物ソナー機構についての概略を説明し,聴覚系中枢研究では,神経生理学的データだけではなく,神経行動学的アプローチも重要であることを説く.次に,飛行中のコウモリの頭上搭載テレメトリ式マイク(テレマイク)による実験結果について論じる.小指の爪から先ほどの小さな脳を使い,パソコンの300万分の1という超低速処理速度で実時間時分割並列処理を実行する洗練されたしくみを考える.特殊な動物と考えられがちなコウモリを通して,神経系の一般原理を考察する.
トピックス
カレントトピックス
抗原抗体反応へのpH依存性の付与による抗体1分子のくり返し抗原結合【井川智之/服部有宏】
microRNA-33は生体内でHDLコレステロールを制御する【尾野 亘/堀江貴裕/木村 剛/北 徹】
細胞分裂を制御するCDKとPP2Aの密接な関係【持田 悟】
News & Hot Paper Digest
ミトコンドリア品質管理の鍵を握るPINK1の分解制御【村上史織/武田弘資】
βシートからなるアミロイド形成の発端はコイルドコイル構造?【田口英樹】
第2回Hippo Workshop国際会議報告【野島 博】
システムバイオロジーの10年【八尾 徹】
薬剤結合抗体に関する大手製薬企業とバイオテク企業間の2件の提携【MSA Partners】
連載
【最終回】次n世代シークエンス技術がもたらす「津波」
第3回 ヒトの第二ゲノム:メタゲノム【宋 碩林/一戸敦子/菅野純夫】
クローズアップ実験法
MRM法によるタンパク質の絶対定量【松本雅記/中山敬一】
バイオ研究 耳よりツール
DNA配列から転写因子結合部位を予測・検索するWEBツール【入江拓磨/鈴木 穣】
【最終回】創薬物語
世界最初のAIDS治療薬AZTの開発【満屋裕明】
バイオテクノロジーの温故知新
遺伝子ノックダウン法:RNAi を中心に【神津知子】
Opinion ―研究の現場から
リーダーシップで広がる若手研究者の可能性【久保尚子】
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