特集にあたって
特集にあたって
南郷栄秀
(東京北医療センター 総合診療科)
歌丸師匠
2018年7月2日,TV番組「笑点」でお馴染みの落語家・桂歌丸師匠が81歳でお亡くなりになりました.2009年頃から肺炎と慢性閉塞性肺疾患(chronic obstructive pulmonary disease:COPD)でたびたび入院していたとのことでした.50年以上にわたってピースを1日1缶吸っていたという重喫煙者でしたが,COPDを発症し,その原因がタバコであることが分かると,あんな辛い思いをするならば吸わないほうがいいと,きっぱりタバコをやめたそうです.わが国のCOPDの診断率向上を目的とした「ディスカバリーCOPD研究会」が設立されると,その「COPD啓発大使」に就任し,厚生労働省の「慢性閉塞性肺疾患(COPD)の予防・早期発見に関する検討会」にも,患者代表の有識者として参加なさいました.以降は,タバコによるCOPDの理解と予防,また早期発見の啓発に尽力なさいました.
生前の歌丸師匠は下記のようなことも仰っていたと聞きます.
“独演会があって会場に行ったんですが,困ったもんです.楽屋にいるときからほとんど喋れない.「大丈夫ですか」なんて聞いてくれるんだけど,息を切らしながら「大丈夫じゃねえよ,喋れねえよ」っていうのが精いっぱいでしたね”
“どうしても喋れないもんですから,なんとかお客さんの前に出てお詫びしましてね.「ちょっと具合が悪いんで,トリは代わりの人がとってくれますから」って.噺家にとって,高座の途中で帰るなんて恥ずかしいことでねぇ.そりゃあ辛かったですよ”
“禁煙後は,たんが絡まず,高座でも息が続く.しゃべる商売としてはいいことづくめ”
患者さんの病いの語りは重く,深いものです.われわれが病気を診断して治療することに目を向けている間,患者さんのこうした声は通り過ぎていってしまうかもしれません.しかし,患者さんが診察室を出た後の生活や人生におけるその病気の意味に思いを馳せることは,単に検査や薬を出すこと以上に大事なことだと思います.そして,それはわれわれ総合診療医や家庭医の得意とするところです.「タバコを吸っているとCOPDになってしまうよ.禁煙できないのなら私には責任がもてません」などとこれ見よがしに突き放すのではなく,患者さんとともにどのように予防し,どのように病気とつき合っていくかを考えられればいいと思います.たとえ患者さんがタバコはどうしてもやめられないといったとしても,ダメと決めつけるようなことは止めて,根気強くつき合うことが大事なのです.
受動喫煙防止法案
安倍晋三首相は昨年1月の施政方針演説で「受動喫煙対策の徹底」を明言し,塩崎恭久前厚生労働大臣が在任中,受動喫煙対策は法案提出まであと一歩のところまで来たものの,自民党との調整に難航し頓挫しました.その結果,残念ながら日本の受動喫煙対策はまたもや足踏みとなりました.
その後,今年3月に,「受動喫煙対策を強化する健康増進法改正案(受動喫煙防止法案)」が閣議決定され,6月に衆議院で可決しました.改正案は,多くの人が利用する施設の屋内を原則禁煙にし,喫煙専用の室内でのみ喫煙できるといった内容です.違反した場合には罰則も適用されることになりました.しかし,飲食店については,客席面積が100平方メートル以下などの条件を満たす既存の小規模店は「喫煙可能」などと掲示すれば喫煙を認めることになっています.これでは,6~9割の飲食店が対象外になるともいわれ,ほとんど実効性が期待できないとされています.
これに対してたとえば東京都は,面積にかかわらず,従業員がいる飲食店を原則全面禁煙にするという,都独自の受動喫煙防止条例案を可決させました.都内の飲食店の8割超に当たる約13万軒が従業員を雇っており,効果が期待できます.また,学校や病院,行政機関が敷地内禁煙であることは当然として,子どもが出入りする幼稚園や保育所,小中高校においては,政府の健康増進法改正案より踏み込んで,屋外の喫煙場所設置も認めないとしました.ただ,このように厳しい都条例でも,飲食店には喫煙室の設置が認められています.喫煙室が設置されれば分煙ということになりますが,分煙による受動喫煙の防止効果は懐疑的1)とされています.また,屋内の喫煙規制が厳しくなれば,路上喫煙が増える懸念があります.街中の喫煙所も,駅前の人通りの多いところや,車椅子やベビーカーを利用する人が使うエレベーターの近くに設置されていることがあり,適切な場所に移設することも考えていかなければなりません.われわれ医師も,診察室や病室で診療するだけではなく,街づくりにかかわっていく必要が出てくるでしょう.
世界的な動きと診療ガイドライン
GOLD(Global Initiative for Chronic Obstructive Lung Disease)2)は,WHO(世界保健機構)とNHLBI(米国心臓・肺・血液研究所)の共同プロジェクトに,世界中の医療専門家が協力する形で行われている世界的な活動です.COPDが健康上の,また社会経済的問題として世界に多大な影響を及ぼし,それがますます増大していくことを懸念してスタートしました.GOLDは,医療従事者および社会一般を対象に,「COPDについての認識・理解を高めること」,「COPDの診断・管理・予防について,その方法を向上させること」,「COPDに関する研究を促進させること」の3つを目的として活動しています.そして,毎年国際ガイドライン3)を作成し,治療の標準化を図っています.
日本呼吸器学会の作成したわが国の診療ガイドライン4)も,GOLDをベースにつくられており,今年4月に,2013年から5年ぶりに改訂されました.いくつか変更点がありますが,大きな流れは変わっていません.巻頭の「ガイドラインサマリー」がよくまとまっていて読みやすいですが,いかんせん学会員以外はwebでは閲覧できず,書籍の購入を余儀なくされます.診療ガイドラインの普及のためには,ぜひとも完全無料公開にしていただきたいものです.
また,定番の英国NICE5)の診療ガイドラインと,米国・欧州の合同グループ(米国内科学会ACP,米国胸部医学会ACCP,米国胸部学会ATS,欧州呼吸器学会ERS)の診療ガイドライン6)も,それぞれ2010年と2011年のものが最新ですが,いずれも国際標準の診療ガイドライン作成方法であるGRADE approachが用いられています.
おわりに
今回の特集では,COPDの診断,病期分類と予後予測,禁煙,ワクチン,栄養療法,薬物治療,在宅酸素療法,増悪時の対処について,これまでの他の特集と同様にエビデンスに基づいた,現場で使いやすい形での記述を心がけました.さらに,筆者の特集では毎回恒例となっていますが,呼吸器内科医,リハビリ技師,薬剤師の先生方にも,総合診療医に求めるものとして熱いメッセージをご執筆いただきました.この場を借りて,御礼申し上げます.
毎年11月中旬の水曜日は,GOLDが主唱し,世界COPD患者団体連合会が協力するイベントである「世界COPDデー」です.各国の医療従事者や呼吸器専門医とのパートナーシップのもとに,COPDへの注意を喚起するためのさまざまな活動が実施されます.今年は11月21日と定められていて,その標語は,「Never too early, never too late – It’s always the right time to address airways disease」です.COPD対策に早すぎることもないし,遅すぎることもない,まさにそのとおりと思います.患者さんに強要するのではなく,ともに健康増進していく,そんな日常診療ができるといいですね.ぜひ,本特集がその一助となることを願っています.
それではCOPD特集,存分にお楽しみください.
文献
- 厚生労働省:分煙効果判定基準策定検討会報告書概要.2002
- Global Initiative for Chronic Obstructive Lung Disease
- Global Initiative for Chronic Obstructive Lung Disease(GOLD):Global Strategy for the Diagnosis, Management, and Prevention of COPD. 2018
- 「COPD(慢性閉塞性肺疾患)診断と治療のためのガイドライン2018[第5版]」(日本呼吸器学会COPDガイドライン第5版作成委員会/編),メディカルレビュー社,2018
- National Institute for Health and Care Excellence(NICE):Chronic obstructive pulmonary disease in over 16s:diagnosis and management. 2010
- Qaseem A, et al:Diagnosis and management of stable chronic obstructive pulmonary disease: a clinical practice guideline update from the American College of Physicians, American College of Chest Physicians, American Thoracic Society, and European Respiratory Society. Ann Intern Med, 155:179-191, 2011
著者プロフィール
南郷栄秀 Eishu Nango
東京北医療センター 総合診療科
いよいよ新たな専門医制度が始まりました.当院でも5人の新入専攻医の先生を迎え,総合診療医としてのトレーニングを始めています.制度が変わっても,教える内容は何も変わりません.これまでと同じように,EBMに強い総合診療医・家庭医の育成に力を入れていきます.制度に翻弄されて,専攻医の先生たちが不利益を被らないようにすることが,われわれ指導医に課された重大な使命と考えています.
〈共同編集〉
岡田 悟 Satoru Okada
東京北医療センター 総合診療科
プロフィールはp.652参照