ミトコンドリアゲノム(mtDNA)のもつ遺伝的特徴に,ホモプラズミー(homoplasmy)がある.ホモプラズミーとは,細胞には多数のmtDNA 分子(体細胞では1,000 分子程度)存在しているにもかかわらず,個体内ではたった1種類のm t D N A 分子種しか存在しないという現象で,「同質性」ともよばれている.このホモプラズミーが成立するためには,ミトコンドリアボトルネック効果とよばれる遺伝機構が作用していることが仮定されており,なかでも「初期発生のある時期にmtDNA のコピー数の急激な減少が起こる」ことが主な原因として提案されてきた.われわれはこれに対して,マウスの雌性生殖細胞系列および初期胚のさまざまな発生段階にある細胞1個あたりのm t D N A のコピー数を測定してみたが,コピー数が著しく減少したというような事実がなく,すなわち「今までの通説」とは別の遺伝機構があることを提唱した.これに対して,最近「m t D N A のコピー数の急激な減少」によるボトルネック効果の存在が発表され,ミトコンドリアボトルネック効果をめぐる論争が再燃した.
生物の生命活動にとって安定的な生体エネルギーの産生と供給は必須であることから,生体エネルギーの枯渇は重篤な病気の引き金となりうる.近年,ミトコンドリアゲノム(mtDNA)の突然変異によるATP 産生異常が多様な病気の原因になる可能性が次々と示唆されるにつれ,m t D N A の突然変異を起点とした病態発症に関する研究が大きな広がりをみせている.本稿では,特に突然変異型のmtDNA を含有するモデルマウスを紹介し,それらが発症する多様な病態について解説したい.
エネルギー代謝転換とがん—解糖系亢進と悪性化は関係するか【石川 香/竹永啓三/林 純一】
がん細胞には,正常細胞とは異なるいくつかの共通した性質がある.そのなかの1つに,一部のがん細胞は,効率のよい酸化的リン酸化ではなく,わずかなA T P しか得られない解糖系にエネルギー合成の軸足をシフトさせているという点があげられる.一見非効率的にみえるこの代謝系の転換が,がん細胞悪性化の1つのきっかけになっていることが,次第に明らかになってきた.一方,われわれは最近,ミトコンドリアDNA(mtDNA)の突然変異に起因し,解糖系の亢進とは無関係に起こるがん細胞悪性化のプロセスを解明した.がん細胞の代謝とその変化に注目することで,新たな診断・治療法の開発が可能になってきている.
生化学の教科書にはミトコンドリアは「細胞のエネルギー工場」として説明され,酸化的リン酸化のしくみに関する最新の知見が詳細に記載されている.しかし,生物の特徴はその多様性にあり,エネルギー代謝も例外ではない.酸素を用いてA T P を合成する酸化的リン酸化は好気性生物に限られたものであり,酸素を利用できない環境に生息する微生物や寄生性生物などはそれぞれ特殊な代謝系によってA T P を合成している.なかでも寄生虫はその宿主内と自由生活性からなるライフサイクルにおいて,代謝系をダイナミックに変動させ,大きく異なる生息環境に適応している.