ひつじの書棚
このコーナーについて
人はなぜ本を読むのでしょうか? 物語の世界で冒険をしたいから,困ったときに解決法を見つけるため,疲れた時に元気をもらいたくて….皆さまもそんな色々な想いで本を手に取られているのではないでしょうか.
私たち羊土社の編集部員もまた,本に対して様々な夢や想いを寄せています.そこで本コーナーでは,私たちが自身で制作した本や,一読者として感動した本について語りたいと思います.
第2回 研究の世界を広げる 書評『バッタを倒しにアフリカへ』
羊土社編集部
ラボで実験を行う生命科学研究者のなかには,休日の夜中に一人暗室にこもり,現像機から吐き出されたX線フィルムに浮かび上がったウエスタンブロットのバンドを眺めながら「このデータはいつか,どこかで,誰かの役に立つのだろうか?」とつぶやいた経験がある方もいらっしゃるのではないでしょうか.私(本レビューの執筆者)もかつて研究を行っていた大学院生時代,シグナル伝達の研究で来る日も来る日もバンドを眺めるばかりで,研究のモチベーションを保つのはなかなか簡単ではないと感じたことがあります.
今回紹介する書籍『バッタを倒しにアフリカへ』を手に取ったときも,筆者である前野ウルド浩太郎博士(通称:バッタ博士)の研究について「バッタの研究は誰かの役に立つのだろうか?」という疑問を抱かざるを得ませんでした.それを見透かしたかのように,本書の「まえがき」ですでに,多くのポスドクが直面する問題に正面から向き合っています.
「過剰に生み出された博士たちは職にあぶれ、職を求め彷徨っている。ライバルひしめきあう中で、職業として昆虫学者をこのまま目指してもいいものなのか」(本書「まえがき」より引用)
さて本書を紹介しようと私が考えたのは,バッタ博士の行動を読むことで,(元)研究者としてエネルギーをいただくことができたからです.その理由は2つあります.
1つめが,一見するとアクロバティックとまで見えるバッタ博士の行動力です.例えば,先ほど引用した疑問に向き合ったバッタ博士は,アフリカではバッタが大発生して農作物を食い荒らし飢饉を引き起こすこと,その一方でアフリカに腰を据えて研究するバッタ研究者がいないことを知ります.そこで博士は単身で西アフリカのモーリタニアという国に乗り込み,バッタの行動と生態を解き明かすことでその解決に挑むというのです.あまりにスケールの大きな行動に一瞬目がくらみますが,一方で,自分の研究が誰かに必要とされるのであれば,多少の地理的な障壁などなんとも思わなくなるような気分に駆られます.
もう1つが,研究を進める過程で見られる,(一見すると悪い言葉ですが)手段を選ばないコミュニケーション術です.当然ながらバッタをフィールドワークで研究しようと思うと,フィールドのバッタに出会わないことには始まりません.しかし広大なモーリタニアの地で,自分の力のみでバッタの群れを探し当てるのは一苦労.もちろん現地にはバッタの調査部隊も活動しているわけですが,彼らの仕事はバッタの群れを殺虫剤で殲滅させることであり,バッタ博士に報告が入って現地に到着したときには,残されたのは死骸の山のみ.生きたバッタを観察する博士の目的とは相容れません.そこでバッタ博士は,彼らに「お近づきのしるし」として,現地では重宝されている「ヤギ」を丸ごと一匹,自腹で購入して贈ります.そして調査部隊と1つの鍋を囲むことで親睦を深め,研究に生きたバッタが必要である旨を伝えるのです.このような現地の人とのコミュニケーションは,本書の白眉だと思います.
翻って自分の研究者時代を思い返してみると,その多くの時間はラボに閉じこもり,見聞を広める手段はもっぱら文献を読む,もしくは学会のシンポジウムを「聞く」ことに留まっていました.昔の行動に対して仮定の話をするのも恥ずかしいのですが,もし当時の私がこの本を読んでいたとしたら,より研究テーマに対して真摯に向き合い,自らの研究の行き着く先を考え,目的の達成のために多くの研究者の教えを請いながらあらゆる手段を尽くして成功に向かうことができたのでは…と思わずにはいられません.研究を愛し,誰かの役に立ちたい,しかしデータが出ずに悩んでいる…そんな方にこそ読んでいただきたい1冊です.
(羊土社編集部 H)
ひつじの書棚 目次
- 第1回 10年後のラボ、自分は何をしているか知りたい方へ― 『あなたのラボにAI(人工知能)×ロボットがやってくる』のご案内 (2018/02/23公開)
- 第2回 研究の世界を広げる 書評『バッタを倒しにアフリカへ』 (2018/03/23公開)
- 第3回 これからも「エコ」の話をしよう、研究室で『時間と研究費(さいふ)にやさしいエコ実験』のご案内 (2018/04/20公開)