概論
メカノバイオロジーの現状と課題
曽我部正博
名古屋大学大学院医学系研究科メカノバイオロジーラボ
メカノバイオロジーを一言で定義すれば,“生体に生じる力の役割とそのメカニズムを解明する学問”といえよう.心血管系に代表されるように,生命活動は器官や組織の動き/変形で支えられている.動きや変形は,能動的(ATP依存的)な力で産み出されると同時に,器官や組織,そしてこれらを構成する細胞に受動的な力(応力)を発生させる.ただし,それらの力を感知してフィードバックするしくみ(力覚)がなければ,秩序ある生命活動は維持できない.その意味で力覚機構の解明はメカノバイオロジーの中心課題であり,過去35年間にわたる地道な力覚研究がメカノバイオロジーの興隆をもたらしたといっても過言ではない.その結果,力覚機構の破綻による数多くの疾病が分子・細胞レベルで解明されつつあり,これまでにない治療法や医療機器の開発が夜明けを迎えている.本稿では,メカノバイオロジーの生物学的意義と発展の小史を述べた後,本書の章構成に従ってメカノバイオロジーの現状と課題について概説する.
1力と生命:メカノバイオロジーの普遍性
筆者は30年間医学部で生理学(動物機能)の講義を担当してきた.まず講義の冒頭で,基礎医学の3大教科である解剖学,生化学,生理学の対比を通して生理学の特徴を説明する.牽強付会の感はあるが,解剖学と生化学は主に固定あるいは粉砕した標本を扱うのに対して生理学は生きたままの標本を扱うのが特徴だと宣言する.では生きているとはどういうことか? それを判断するには,注目する対象が自発的に動いているか,あるいは棒で突いて反応する(動く)かどうかを見ればよい.ただし,静止/等速運動しているのはただの物体か死体であり,生きた動物であれば動きの変化(加速度)を見せるはずである.つまり加速度運動こそが生きていることの端的な特徴である.
ここでニュートン力学の第2法則を思い出すと,物体の質量をm,加速度をa,物体に作用する力をFとすれば,F=ma,あるいはa=F/mが成り立つ.言い換えると生きものらしい運動を引き起こす源は力Fである.しかしメカノバイオロジーが重視するのはむしろ体内に発生する力である.例えば,心臓と血管の動きに注目する.心臓の拍動は心筋の収縮力F(=能動張力)で引き起こされ,そこで駆動された血液は弾性管である血管を押し広げながら体内を駆け巡る.血管が拡張したときには,血管壁の周方向に受動張力(応力とよぶ)が発生する.簡単のために血管壁を一様な薄膜とすれば,その膜弾性率をk,血管周方向の面積変化率をΔAとして,応力=kΔA,つまり,応力(stress)=弾性率×変形率(歪み,strain)というフックの法則が成り立つ(*血管壁応力σと,血圧P,血管半径Rおよび血管壁厚tとの関係は,おおよそ,σ=PR/tとなる.第1章-2図1も参照のこと).物体が変形したときに内部に生じる力である.生きている体内では,至るところでこうした能動張力-変形-応力の連鎖が絶え間なく生じており,能動張力という力が命を産み出している.では応力には何か役割があるのだろうか?
再び,血管を例に考えてみよう.血管の最内側を覆う内皮細胞は血圧上昇による拡張で生じる血管周方向の応力に応じて血管収縮因子エンドセリンを分泌し,血流で生じるずり応力に応じて血管拡張因子である一酸化窒素(NO)を分泌する.最終的には両者のせめぎ合いで血管の口径が調節され,血流量が決まる.つまり細胞には自身に生じた応力(変形)を感知して適応的な生理反応を導く力覚機構が備わっている.応力は力覚とセットになってはじめて意味のある情報となる.その情報は,細胞や組織の変形(strain)と応力(stress)を生み出す能動力の発生源(血管の場合は血管平滑筋)にフィードバックして,適切な応答や恒常性の維持に使われる.
その後の研究で,あらゆる細胞にはさまざまな機械刺激で生じる応力を感知する多様な力覚機構の存在が明らかとなり,細胞の成長,分裂,移動や器官・組織の形成・再生などの生命の根幹機能の制御にかかわることがわかってきた.かくして,機械刺激(応力)/力覚は化学刺激/化学受容と並んで生命を支える普遍的なしくみであるとの認識が広がった.このことが今日のメカノバイオロジー興隆の背景にあり,生命科学に静かな革命を起こしつつある.
2メカノバイオロジー小史
力と生体に関する研究は,機械感覚(聴覚,触覚,平衡感覚,内臓圧覚,筋感覚)の生理学,循環器学,運動器学やバイオメカニクスに代表される長い歴史がある.それでもなおメカノバイオロジーが注目される理由の1つは,その生物学的普遍性に加えて,この学問が生体における力の役割と作用機序を分子・細胞のレベルで解明し,関連する疾病の革新的治療を実現する可能性を内包しているからである.ここでは,メカノバイオロジーの誕生と興隆の経緯を振り返ってみよう(図1).
1)メカノバイオロジーのさきがけ
MSチャネルの発見(1984年):メカノバイオロジーの中核は細胞力覚であり,その主役はメカノセンサーである.その分子実体解明の端緒は培養骨格筋細胞における機械受容(mechanosensitive:MS)チャネルの発見で拓かれた1).この発見の意義は,MSチャネルが聴器や内臓圧受容器のような専用の機械受容器だけではなく,ごく普通の細胞にも存在する可能性を示したことにある.この可能性をさまざまな細胞で検証する研究が世界中に広がり,一気に研究者人口が拡大した.その過程で,MSチャネルの開口確率が膜張力で制御されることが明らかになり2),MSチャネルの電気生理学的分子同定法が確立し,多様なMSチャネルの存在が確認された.
2)メカノバイオロジーの草創期
MSチャネルの分子同定(1994年):はじめての分子同定は,1994年に報告された3).米国のKung博士らは,分子構造もリガンドも定かでない大腸菌のMSチャネルMscL(large-conductance mechanosensitive channel)を標的に定め,系統的に分画した膜タンパク質を順次人工脂質膜へ再構成して電気生理学的にスクリーニングすることで,MscLタンパク質の同定に成功した.そのアミノ酸配列をもとに遺伝子も決定され,ようやくMSチャネルの分子生物学が第一歩を踏み出した.1998年には,MscLのX線結晶解析が成功し4),分子生物学や分子シミュレーションの解析も加わって5),MscLはイオンチャネルのなかでも構造機能連関の理解が最も進んだチャネル分子になった.さらに,高等生物のMS-KチャネルやMS-TRPチャネルが分子同定されたが,学問領域としてのメカノバイオロジーを産み出すには至らなかった.注目されていた専用機械受容器や心血管系での分子同定が進まず,医学生物学にインパクトを与えられなかったからである.ところが予期せぬ方向から細胞力覚に光が当たりはじめた.
3)メカノバイオロジーの誕生と発展
能動力覚の発見(2006年):過去10年で最も注目を集めた生命科学の領域は幹細胞/iPS細胞を用いた再生医学であろう.その実用化には,目的の細胞種への分化誘導と安定化,再生組織のサイズ制御,治癒機能の維持など多くの課題があるが,これらに細胞力覚が深く関係することが明らかになってきた.特に重要な出来事は,間葉系幹細胞の分化軸が培養基質の硬さに依存するという発見である6).その第一の意義は,細胞の分化に硬さという純粋な物理量が深くかかわることであり,同様なしくみが発生過程でも働いている可能性が指摘され,基礎生物学にも大きな衝撃を与えた.第二の意義は,この発見が細胞力覚という概念に革命を引き起こしたことである.すなわち,細胞は外部からの機械刺激だけではなく,接触する微小環境の機械的性質(硬さや表面のトポグラフィー)を能動的に感知することが明らかになったのである.この機能はわれわれが対象物に能動的に触ることでその機械特性を調べる「アクティブタッチ」と相似なので,われわれはこれを細胞の「能動力覚」と名付けた7).能動力覚の発見は再生医学や発生学に多大な影響を与え,機械刺激を意識した研究が一気に増大して「メカノバイオロジー」とよべる新しい学問領域が誕生した.
これを契機に,能動力覚の分子機構を探る研究が活発化して,能動力覚の作用点である焦点接着斑(focal adhesion)に会合するインテグリン(2009年),タリン(2009年)やアクチン線維(2011年),さらには細胞間接着構造(adherens junction)に会合するα-カテニン(2010年)などがメカノセンサーであることが判明し,加えてヒトの各種臓器に発現する機械受容チャネルPiezo1,2が発見され(2010年8)),その機能解析が爆発的な展開を見せている(第1章-11,第3章-2,4,5,7を参照).これらのメカノセンサーは細胞の多様な生理機能や疾病に深くかかわることが次々に証明されつつあり,メカノバイオロジーは今や生命科学のなかで無視できない地位を獲得している.
3本書の構成
序文で述べたように本書は,疾患,発生/再生,力覚,メカノデバイスの開発という4章で構成されている(図2).以下疾病にかかわる第1章はやや詳しく解説し,残りの章は流れを中心に短く紹介する.
第1章「メカニカルストレスが関わる疾患」
第1章では,循環系疾患,呼吸器疾患,骨・筋系疾患とがんに関する最新の研究動向が解説されている.
循環系/呼吸器疾患:高血圧や大動脈弁不全などで心室に高い圧負荷が掛かると,最初は適応的応答として心壁が肥厚し,慢性化すると壁の硬化,心拡張へと進み,心不全に至る.500人に1人が発症するという疾病である.東京大学の小室グループは,ある時点から心筋の一部がp53の発現レベルに依存して不全型心筋細胞に移行することを突き止めた.どの細胞が移行するのかはおそらく場所に応じた圧負荷の違いが原因との仮説に基づいて,シングルセル解析に基づくメカノバイオロジーを精力的に展開している(第1章-1).
血管壁には血圧による血管周方向の伸展刺激と経壁的な静水圧刺激以外に血流によるずり応力が内皮細胞に負荷されており,その異常と血液内の化学的環境(例えば高脂血症)が組合わさって動脈硬化や動脈瘤が進行する.これらが血管分枝近傍に好発することから,血流の乱れや渦による血流遅滞で生じる低ずり応力や酸素/栄養因子の不足が内皮細胞の機能不全や炎症を惹起すると推定されている.この仮説を証明するには精密な血流動態の測定とそれに応じた内皮細胞の応答解析が必要である.現在高精細イメージングや計算科学シミュレーションを組合わせた研究が進行している(第1章-2,3).
日本では約1,300万人超の慢性腎臓病(CKD)患者が存在し(2011年),透析人口数は33万人を超えており(2017年),深刻である.その多くは糖尿病や高血圧を原発とし,病変は血液濾過を担う糸球体に好発する.糸球体には心拍出量の23%もの血流が送られ,毎分120 mL(180 L/日)が濾過され,糸球体を構成する毛細血管の内圧も通常の毛細血管内圧(20 mHg)よりも3倍程度高く,過激なメカニカルストレスに晒されている.CKDの多くは,糸球体の毛細血管の最外側に位置し,血中タンパク質の最終的な濾過障壁となっているポドサイト(足細胞)の障害に由来すると考えられており,糖尿病や高血圧による糸球体へのメカニカルストレスの異常との関連が分子レベルで研究されている(第1章-4).
他方,慢性閉塞性肺疾患(COPD)の患者数も530万人以上と推定されており,深刻である.COPDは「肺気腫」と「慢性気管支炎」を合わせた疾病であるが,いずれも過剰なメカニカルストレスが関与していると考えられている.ここでは気管支喘息の発症原因を探る研究が紹介されている(第1章-5).
骨・筋系疾患:超高齢社会の進行に伴ってその深刻度が再認識されているのが,寝たきりや老化で発症する骨粗鬆症,変形性関節症と筋萎縮である.これらは直接死に至る病ではないが,多くは要介護の運動障害に至り,老後の日常生活動作(ADL)や生活の質(QOL)を著しく損ねる.
骨の恒常性維持は,骨形成を担う骨芽細胞と骨破壊を担当する破骨細胞の活性バランスによるとされてきたが,これが力学的負荷でどのように調節されるのかは謎であった.最近になって,骨小腔に分布して骨細管に樹状突起を伸ばす骨細胞の力覚/応答で恒常性が制御されていることが明らかになった.骨細胞は骨への機械刺激依存的に,破骨細胞分化誘導因子RANKLや,骨芽細胞において骨形成に必要なWntシグナル系を阻害するスクレロスチン(Sclerostin)を分泌して骨代謝を制御している(第1章-6).変形性関節症は過剰な力学的負荷が誘因となって関節包の保水機能が劣化し,軟骨が摩耗死滅して歩行困難になる疾病である.関節包の滑液枯渇や関節の変形を認める人は国内に2,530万人おり,そのうち痛みで生活に支障をきたしている患者は780万人に達すると推定されている.最近になってようやくそのメカノバイオロジー機構の一端が明らかになってきた(第1章-7).関節における過剰な力学的負荷は関節を支える靱帯や筋肉の非対称な劣化が原因である場合が多い.
運動で生じる骨格筋・腱の急性応力はマクロなレベルで筋紡錘や腱紡錘で感知されるが,これらは筋の収縮と弛緩の急性調節にかかわる身体力覚(後述)で,筋萎縮などとの関連は明らかではない.むしろ腱細胞や筋細胞自身が運動に伴う応力を直接感知し,アナボリックな(同化)代謝を促進して恒常性の維持や増量を導き,逆に不動は萎縮を導くことはよく知られている.腱細胞の研究は相対的に遅れていたが,淺原らのグループは運動負荷依存的な鍵遺伝子を同定し精力的に研究を展開している(第1章-8).他方,骨格筋の運動負荷依存的な細胞内シグナル機構の研究は進んでおり,例えば,IGF-1─Akt─mTORが筋肥大,NF-κBやFOXO,さらにはユビキチン/プロテアソーム系が筋萎縮を導くとされている.しかし,サルコペニアのような長期にわたる筋萎縮の研究は難しい.そこで,微小重力環境(宇宙実験)を利用して短期間に進行する筋萎縮のモデル実験が試みられており,萎縮の鍵となる転写因子の同定が進んでいる(第1章-9).筋萎縮の治療をめざしたユニークな試みとして運動模倣薬(エクササイズピル)の研究がある.運動依存的なアナボリック代謝系のシグナル分子を標的にその活性剤を創薬しようという試みである.すでに多くの低分子薬物の開発と治験が進められており,目が離せない(第1章-10).
がん:最近にわかに注目されているのは,がんと細胞力覚の関係である.がん細胞の特徴である無限増殖は,細胞増殖における接触阻害の破綻によるものと考えられている.そのしくみとして細胞-細胞間接着構造に負荷されるアクトミオシンの牽引力の低下が示唆されており,逆にその牽引力を増強させることでがん細胞の増殖が抑制される可能性が示されている(第1章-11).がんの悪性化には,周囲の線維芽細胞(CAF)の過剰なコラーゲン分泌による基質の硬化が寄与することが示唆されている.最近榎本らはCAFのなかにはがんの悪性化を抑制する型が混在していることを見出し,その分子マーカーを同定した.CAF表現型の転換を介した新たな治療法の可能性を指摘している(第1章-12).他方,がん細胞の悪性度とがん細胞自体のやわらかさに相関があることを辻田らが報告している(第1章-13).浸潤や転移はがん細胞の細胞外基質(ECM)網や細血管内の移動を伴うことを考えれば合理的な結果といえる.ただし,基質の硬さとがん細胞の軟化にどのような関係があるかは謎である.これらの研究で重要なことは,がん細胞を殺すのではなく,その微小環境やがん細胞自身の機械特性の改変,あるいは健全な細胞への転換という副作用の少ない治療法の可能性を示している点にある.
第2章「発生と再生のメカノバイオロジー」
第2章では,脳の神経回路や立体構造の形成過程,上皮の恒常性維持,および上皮,心筋,血管,骨格筋における再生に関する話題が紹介されている.一般に臓器の発生過程では,原基細胞の増殖と移動や,細胞シートの折りたたみなどの過程を経て一定のサイズと固有の形が完成される.その動的過程は機械的因子と化学的因子が複雑に絡み合い,詳細は不明である.ここでは,脳の神経細胞がどのようにメカニカルストレスを利用して回路や立体構造を形成するのかを解説している(第2章-1,2).いったんでき上がった器官や組織も細胞レベルでは常に新陳代謝している.その過程で生じた不良/異常細胞(例えばがん細胞)は周囲の健常細胞に識別され,健常細胞の絞り出すような力で組織から排除されるようである(第2章-3).
発生が全く新しい構造を形成する過程であるのに対して,再生は傷害された組織や器官をもとに修復する過程である.再生過程はさらに,いったん分化した細胞が傷害刺激で未分化状態に先祖返りをして発生時と同様なプロセスを再現するタイプ〔例えば上皮や血管での上皮間葉転換(EMT)〕と,周囲に潜んでいる幹細胞が傷害刺激で当該の細胞に分化/融合するタイプがある.最近では分化させたiPS細胞の移植がさかんに試みられているが,in situで線維芽細胞をリプログラミングして心筋に分化させる(手術の必要がなく,免疫反応やがん化の恐れもない)という画期的試みが成功しており,その過程での機械刺激の影響が解析されている(第2章-5).皮膚の創傷治癒が機械刺激の影響を受けることは知られているが,驚くべきことに治癒過程のある段階における伸展刺激が治癒を促進することがわかっており,これを利用した陰圧閉鎖デバイスがすでに臨床場面で広く使われている.そのメカニズムとして機械刺激による血管新生や細胞遊走の促進が想定されているが,より安全な非接触治療法として超音波刺激の可能性も検討されている(第2章-4).血管新生における力効果の詳細な解析(第2章-6)と組合わせれば,近い将来さまざまな治癒・再生過程に使える多様なメカノデバイスの開発が期待できる.
第3章「細胞はどのようにして力を感知して利用するのか?」
第3章では,メカノバイオロジーの基盤である力覚機構のマクロからミクロにわたる研究の最前線が紹介されている.力覚には2つのタイプがある.1つは専用機械感覚器による身体力覚である.ここでは聴覚,皮膚感覚,体性感覚(血管圧受容器)のメカニズムとその臨床応用について解説している(それぞれ第3章-1〜3).身体力覚の特徴は,力覚受容器が中枢神経系に連結しており,得られた力覚情報は個体全体の応答制御に使われていること(集中制御系)である.これに対してごく一般的な細胞もあまねく力覚機構を有することが明らかになっており,これを細胞力覚とよぶ.細胞力覚の特徴は,力覚情報を自身あるいは自身が属する組織の応答に利用すること(自律分散制御系)にある.細胞力覚の研究の深化と発展こそがメカノバイオロジーの興隆を導いた立役者であり,身体力覚も感覚受容細胞のレベルでは細胞力覚に統合される.
ここでは,骨格筋/心筋(第3章-4),細胞-細胞間と細胞-基質間(第3章-5),核(第3章-6)における力覚と下流シグナルの分子機構,そしてメカノセンサーの代表格である機械受容チャネル分子の構造機能連関についての最新知見が解説されている(第3章-7).細胞力覚を実現する分子彫像の理解が着実に進歩していることを感じとっていただきたい.
第4章「メカノメディシンを目指すメカノデバイスの開発」
第4章では,野心的なデバイス開発に関する4つの話題が紹介されている.間葉系幹細胞は,その全能性と,iPS細胞に較べてがん化能が低いことから再生医療の材料として注目を浴びている.その分化軸が培養基質の硬さで制御されることは前に述べた.これは一定の硬さの基質で培養すると間葉系幹細胞の分化軸にバイアスがかかり,全能性を維持することが難しいことを意味する.木戸秋らは特殊な硬軟パターンをもつ基質を作製して,細胞が自発的に硬軟基質間を移動する系を開発し,全能性を維持した安定な幹細胞の維持に成功している(第4章-1).メカノバイオロジーの目標はin situでの複雑な環境下で力がどのような役割を果たすのかを分子・細胞,組織,器官のレベルで理解して臨床応用につなげることである.しかし現状では,in situにおけるミクロな力測定は困難である.そこで単純培養系を用いたモデル実験が行われているが,複雑なin situ環境の再現には程遠い.最近Lab-on-tip/Organ-on-a-chip技術を用いて複雑な力学的,化学的微小環境を再現するチャンバーが開発され,単純培養系とin situのギャップを埋める研究が進められている(第4章-2).マッサージなどの適切な力学刺激は血行を促進して筋痛を緩和することはよく知られている.また第2章-4で紹介した陰圧閉鎖法は細胞遊走や血管新生を促進し,すでに褥瘡などの創傷治癒の治療法として臨床応用されている.より安全で効果のある非接触機械刺激法として衝撃波や超音波刺激があり,足底筋膜炎や骨折の治療に有効なことも知られている.東北大学の下川グループは,パルス超音波刺激で血管新生を促し,手術や薬物なしで虚血心疾患の改善に良好な成績をあげている(第4章-3).腰痛や肩こりなどの慢性筋疼痛は成人の男女を通じてADLに最も支障をきたす疾病と言われている.患者の多くは科学的とは言えない民間の診断・治療に頼らざるを得ないのが現状であるが,超音波や衝撃波を用いた安全かつ定量的な診断・治療の可能性が出てきた(第4章-4).
おわりに:課題と展望
メカニカルストレスは人類の命や健康を奪うさまざまな疾病に深く関与している.しかし,そのメカノバイオロジー機構が解明されているものは現在何一つない.さまざまな鍵シグナル分子は同定されているが,機械刺激(応力)に対するメカノセンサーから細胞/器官応答に至る一貫したメカニズムはまだ闇の中である.この事情は第2章でとり上げた機械刺激に対する生理的応答についても同様である.他方,第3章からもわかるように,細胞力覚の分子機構がかなり見えはじめてきたのも事実である.できるだけ早い時期に基礎研究者が臨床研究者と協力して,メカノ関連疾病の全容解明が進むことを強く願っている.とはいえ,臨床,基礎それぞれで解決しなければいけない重要課題も山積している.
本書のあちこちに,“適切な力学的負荷”,に類する言葉が出てくる.過剰な力学的負荷が細胞,組織,器官の傷害や破壊を招き,極端に弱い力学負荷が萎縮や細胞死を引き起こすことはわかっているが,どの程度の,どのようなモードの力学的負荷が器官の恒常性の維持,あるいは増量・強化に必要なのか,という基本的なデータが絶対的に不足している.第1章-8で片岡らが述べている「腱・靱帯領域のメカノバイオロジー研究における最大のクリニカルクエスチョンは“腱・靱帯の組織・細胞にとって適切な運動とは一体何か”という点ではないだろうか」という投げかけは,まことに正鵠を得ている.各組織,器官ごとにこのような力学的指針があってこそ,基礎研究者は意味のある実験系を組むことができる.臨床の現場に携わる研究者にはぜひともこのことの重要性を認識していただきたい.また多くの疾患は時間をかけて慢性化,悪性化へと移行するが,メカノ関連疾病も例外ではない.長期にわたる疫学調査に加えて,適切な実験モデルの開発がきわめて重要である.
基礎分野にも課題は多い.まずin situでの細胞レベルの応力分布をリアルタイムで計測する技術の開発が必要である.現在さまざまな応力計測分子プローブが開発されており,これと先進的ライブイメージングが組合わされば,その開発は射程内にある.心強いことに,形態変化(strain)から計算で応力(stress)分布を推定する研究も進んでいる(第1章-2,3).また,異なるモードの機械刺激間,あるいは機械刺激と化学刺激のクロストークも重要な基礎的課題である.その成果は創薬標的の同定だけではなく,機械刺激と薬物の組合わせによるハイブリッド治療という新しい可能性を拓くであろう.
本書でも紹介されているように(第2章-4,第4章-3, 4),副作用がない非侵襲的機械刺激(衝撃波や超音波)によるさまざまな疾病治療法が実用化され良好な成績をあげつつある.しかしそのプロトコールは試行錯誤の段階である.長期的なフォローアップに基づいた合理的なプロトコールの開発が強く望まれる.基礎研究者との協力で治癒過程のメカニズムに関する精緻な情報が加えられれば,熟成された科学的プロトコールの完成も夢ではない.また前述したin situでの応力測定技術をもとに疾病とミクロな異常応力の関係が明らかになれば,永久埋め込み型,あるいは生体同化/吸収/分解性・自動拍動型のナノ・マイクロ治療デバイス(機械的ペースメーカー)の開発も可能と思われる.実際,マクロなレベルでは自動拍動するiPS心筋細胞シートが治験段階に入っている.
本書は序文で述べたようにメカノバイオロジーの臨床的側面を強調する形で編集されている.これはわが国のメカノバイオロジーの基礎研究が遅れているということではない.実際,進行中のAMEDプロジェクトでも多くの興味深い成果が生まれているが,今回は誌面の関係で,その一部しか紹介できなかった.メカノバイオロジーの理論的,医工学的研究も急速に進展している.機会あれば,これらの研究を中心に紹介できれば,と思っている.いずれにせよ,メカノバイオロジーは生まれたばかりの可能性に満ちた新しい学問領域である.その成長に,本書が少しでも貢献できることを切に願っている.
最後に,忙しい時間を縫って興味深い新鮮な記事を執筆いただいた著者の皆様に心よりの謝意を表します.
文献
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著者プロフィール
曽我部正博:名古屋大学大学院医学系研究科メカノバイオロジーラボ