実験医学:最も修復しにくい臓器 中枢神経を再生せよ!〜炎症・グリア・臓器の連環が織りなすメカニズムから機能回復に挑む
実験医学 2019年8月号 Vol.37 No.13

最も修復しにくい臓器 中枢神経を再生せよ!

炎症・グリア・臓器の連環が織りなすメカニズムから機能回復に挑む

  • 山下俊英/企画
  • 2019年07月19日発行
  • B5判
  • 145ページ
  • ISBN 978-4-7581-2522-2
  • 2,200(本体2,000円+税)
  • 在庫:あり

概論

中枢神経障害からの回復研究の現状と未来
Perspective of neural reparative research for neurological diseases

山下俊英
Toshihide Yamashita:Department of Molecular Neuroscience, Department of Neuro-Medical Science, Graduate School of Medicine, Osaka University(大阪大学大学院医学系研究科分子神経科学,創薬神経科学)

中枢神経の障害は,運動障害や感覚障害をきたし,多くの場合患者のQOLを著しく低下させるが,その機能を回復させる効果的な治療法は現在のところ存在しない.中枢神経疾患において神経機能の回復を導くためには,複雑な神経回路が再建される必要がある.近年,神経回路の障害と修復を制御するメカニズムの解明が進み,さらに得られた知見から神経機能の再生をめざした細胞移植療法や薬剤などの開発が進められ,一部は臨床試験に至っている.本特集では,神経回路の機能的な再生を実現するための現在までの知見と課題を概説する.中枢神経という“最も修復されにくい臓器”の再生メカニズムの知見と臨床応用への戦略は,神経分野にとどまらない幅広い分野の研究にも応用可能ではないかと考える.

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 はじめに

脳卒中や脊髄損傷,脳外傷などさまざまな中枢神経疾患によって,運動障害や感覚障害などの神経症状が出現する.これらの神経症状はしばしば難治であることが治療上の課題となっており,新たな治療法の開発が待ち望まれているため,多くの研究者や製薬企業が治療法の開発をめざして研究を進めている.開発段階の治療法は多岐にわたり,おおまかに3つのカテゴリーに分類される1)

第1は二次的な障害を改善させる治療である.急性の疾患により直接障害を受ける過程を経て,二次的に進行する障害を最小限に食いとどめることができれば有用な治療法となりうる.脊髄損傷のケースでは低体温療法や神経組織への圧迫をとり除く除圧術が,脳梗塞の場合であれば急性期再開通治療などがこのカテゴリーにあたる.

第2は障害を免れた神経回路を適切に活性化する手法である.神経疾患によって障害レベル以下の完全な運動・感覚障害が続く場合でも,MRIなどの画像解析を行うと,障害を受けていない白質部分が存在する場合がある.このようなケースでは,無傷な軸索が残存していると考えられる.サイレントな神経回路を活性化したり,あるいは他の機能を担っていた神経回路の役割を変えることができれば,機能回復に寄与すると考えられる.リハビリテーションや硬膜外電気刺激療法などがこのカテゴリーに属する.

そして第3は障害された神経回路を修復させる治療法である.細胞移植や神経回路形成のための足場をつくる治療,さらに内因性の再生力を高めたり,神経細胞の周囲環境を整えるような治療法が開発段階にある.中枢神経系には再生を阻害する機構が存在しているため,複雑で精緻な神経回路を回復させることはきわめて困難である.3つのカテゴリーのなかで最もハードルの高い治療法ではあるが,そのポテンシャルの高さゆえに,多くの科学者が本カテゴリーにおける新規の治療の確立をめざして研究を行っている.

これら広範な治療法開発への取り組みを網羅的に解説した良質の総説がLancet Neurology誌(2014)1)に掲載されているので,興味のある方はそちらを参照いただきたい.本特集においては,前述の第3のカテゴリー,神経回路の修復をめざす最先端の基礎研究ならびに臨床応用への取り組みに焦点を絞り紹介したい.

中枢神経障害からの回復

中枢神経疾患における神経症状は,神経回路が障害されることにより現れる.この神経症状の改善を図るためには,複雑な神経回路が修復される必要がある.生き残った神経回路が失われた機能を担うほか,新たな神経回路の形成も機能回復に寄与すると考えられる.後者は「代償性神経回路」とよばれるが,その構築のためには,細胞死を免れた神経細胞から軸索が伸長し,標的となる神経細胞に向かって誘導され,神経細胞間でシナプスが形成されなければならない.さらに適切な回路は強化され,不適切な回路は刈り込まれることで,機能的な神経回路となりうる.この複雑なプロセスが,神経疾患病態下で破壊された神経回路の適切な再形成が困難となる原因の一つである.それに加え,損傷された中枢神経の軸索はきわめて再生しにくい2)

随意運動を担う神経回路を例にとると,指令を下す大脳皮質から末梢神経である運動ニューロンに至るまでの経路は複数ある2)概念図1).なかでも皮質脊髄路は巧緻運動を担い,少なくとも霊長類においては最も重要な随意運動を担う神経回路として働いている.皮質脊髄路は中枢神経系で最も長い軸索を有するため,空間的な広がりが大きく,さまざまな疾患によって神経回路が傷つき,運動障害がもたらされる.このような長い軸索をもつ神経回路が壊れた場合,それを完全に修復するのがいかに困難であるか想像に難くない.

しかしながら,中枢神経が不完全に損傷を受けた場合は,自然経過で,あるいは適切なリハビリテーションを施すことにより,ある程度の機能回復がもたらされることがある.実際に成体においても脳および脊髄で神経回路の再形成が起こる3)4).例えば,大脳皮質損傷後に中脳や頸髄などさまざまなレベルで,損傷を免れた軸索から側枝の形成が起こり,脊髄固有ニューロンなどを介した新たな回路が形成される4)概念図1).要するに生体は発生のときと同じ回路をとり戻すのではなく,代償性神経回路をつくったり役割を変えたりしながら,合理的に神経回路を修復させる.以上の事実から神経回路の修復のプログラムが内在的に備わっていることが示唆される.

したがって中枢神経回路再生が困難となる機構とともに,内在性の再生のプログラムを解明することで,適切な神経回路の構築,ひいては神経機能の回復の促進が実現するのではないかと想像される.本特集では,伊佐らが神経障害後の神経回路のダイナミクスについて紹介する(當山・伊佐の稿).

また,特に病態下において中枢神経は,各種臓器からなる生体システムからの影響を受ける(概念図2).すなわち病態は,急性期から慢性期にいたる時間軸のみならず,臓器間連関という観点から空間的にも広がりをみせる.中枢神経障害からの回復をめざした研究は,空間および時間を包含する生体全体の研究として捉えられ,分野融合的な研究手法と高度な解析技術が必要となる.

神経回路の修復を制御する機構

内在的に備わっている神経回路を修復させるプログラムに対して,アクセルやブレーキの役割を果たすしくみが生体に存在する.アクセルがうまく働けば機能回復は促進され,ブレーキが強ければ回復が望めなくなる.脳・脊髄の傷害や炎症により,障害部の周囲においてはさまざまな現象が惹起されるが,これらが損傷を受けた神経回路の修復にブレーキをかける原因になっている.例えば,オリゴデンドロサイト由来のミエリンの残骸,ミクログリア,リンパ球,またグリア瘢痕を形成する反応性アストロサイトなどである5)概念図2).

生体に備わる軸索再生阻害機構を解明することで,治療法の開発につなげていこうとする試みがある.オリゴデンドロサイト由来のミエリンに局在するNogo-Aという軸索再生阻害因子に対するヒト化抗体をはじめとして,同様の機能をもつコンドロイチン硫酸プロテオグリカン(CSPG),repulsive guidance molecule(RGM),セマフォリンを標的とした治療法の開発が行われている5)6).また神経細胞内シグナルをブロックする手法として,Rhoの活性を阻害するペプチド製剤(VX-210)を開発した企業が,脊髄損傷に対する臨床試験を行っていた6)7).本特集では,岡田がグリア瘢痕の形成のメカニズムについて(岡田の稿),山下がRGMを標的とする治療法の開発について紹介する(山下の稿).

また内在性の神経の再生能力を高める手法も有効と考えられる.幼若期においては神経回路をつくる能力が高いため,この能力を支える機序がわかれば,治療応用につながるのではないかと期待される.これは神経回路の若返りを導く治療法となりうる.これまでにHGF(hepatocyte growth factor)8)やリルゾール 6),G-CSF(granulocyte colony-stimulating factor)6)などについて,脊髄損傷に対する臨床試験が実施された.これらは神経回路の修復とともに神経細胞の保護にも働くと考えられる.

一方で,免疫系,脈管系,さまざまな臓器など中枢神経系以外の生体システムが,神経病態下において神経回路修復過程を正に制御していることも明らかになってきた.例えば中枢神経障害の病態下で免疫系は病態の悪化に関与することが古くから知られていた一方で,ある種の免疫細胞が神経回路の修復を促進することも報告されている.これまでの研究の潮流は,中枢神経を独立した臓器として捉え,神経系細胞同士の連関を明らかにするものであった.中枢神経系を生体システムにおける1臓器として捉え,生体システム全体が,神経回路の障害と修復にどのようにかかわるかという観点からの研究はいまだ発展途上にあるが,今後の発展が期待される.本特集では,伊藤,吉村らが神経障害における炎症の役割について(伊藤らの稿),上野が自律神経を介した免疫の制御について(上野の稿),村松が神経と血管の連関について最近の知見を紹介する(村松の稿)(概念図3).

細胞移植による治療法の開発

中枢神経障害に対して細胞移植を行うことで,失われた細胞の補充,ホストの神経回路の修復の足場の形成など,多岐にわたる効果が期待され,これまでに多くの研究がなされてきた.供給源としては,神経幹細胞,嗅神経鞘細胞きゅうしんけいしょうさいぼう,骨髄間葉細胞,歯髄細胞しずいさいぼう,シュワン細胞などがある.一方で人工多能性幹細胞を神経幹・前駆細胞に分化誘導し移植する治療法が開発段階にある.治療効果の得られる時期,さまざまな分化誘導法,細胞の保存・管理,安全性など膨大な検討が進められており,細胞移植の実現が近い将来に訪れることが大きな期待となっている.本特集では,小島,岡野らが細胞治療の基礎研究から臨床応用について紹介している(小島らの稿).

 おわりに―神経回路修復医学の創成に向けて

中枢神経障害からの回復をめざす基礎研究とトランスレーショナル研究は,いわば分野融合ともいうべき領域である.中枢神経障害は空間的および時間的に複数の病態が,互いに関連し合いながら進行あるいは消退していく.したがって重要な単一の問題を解決すれば完全な治療法が生まれるというわけではなく,複数の有効な治療法を適切な時期に組合わせることで,将来的により効果の高い治療法へと発展していくものと思われる.「神経回路の修復」を最終目標とする新たな研究分野の創成と治療法の開発の実現が待たれる.

文献

  • Ramer LM, et al:Lancet Neurol, 13:1241-1256, 2014
  • Raineteau O & Schwab ME:Nat Rev Neurosci, 2:263-273, 2001
  • Rosenzweig ES, et al:Nat Neurosci, 13:1505-1510, 2010
  • Isa T, et al:Front Neurol, 4:191, 2013
  • Geoffroy CG & Zheng B:Curr Opin Neurobiol, 27C:31-38, 2014
  • Ulndreaj A, et al:F1000Res, 6:1907, 2017
  • 「Vertex halts phase 2b spinal injury trial for futility(Fierce Bioteck)」https://www.fiercebiotech.com/biotech/vertex-halts-phase-2b-spinal-injury-trial-for-futility
  • Kitamura K, et al:Int J Mol Sci, 20:doi:10.3390/ijms20051054, 2019

著者プロフィール

山下俊英:1990年大阪大学医学部医学科卒業後,脳神経外科にて臨床医の修練を受ける.その後博士課程学生を経て,研究者に.’98年よりドイツMax Planck研究所に留学.2003年より千葉大学大学院医学研究院教授,’07年より現職.神経回路の修復機構の解明および治療法の開発を行っている.

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