実験医学:iPS細胞のいま〜基盤となるサイエンスと創薬・医療現場への道しるべ
実験医学 2020年1月号 Vol.38 No.1

iPS細胞のいま

基盤となるサイエンスと創薬・医療現場への道しるべ

  • 山中伸弥/企画
  • 2019年12月20日発行
  • B5判
  • 141ページ
  • ISBN 978-4-7581-2527-7
  • 2,200(本体2,000円+税)
  • 在庫:あり

概論

iPS細胞研究の現状と課題
Current status and challenges of iPS cell research

和田濵裕之,山中伸弥
Hiroyuki Wadahama/Shinya Yamanaka:Center for iPS Cell Research and Application, Kyoto University(京都大学iPS細胞研究所)

iPS細胞技術は,細胞移植や疾患再現の分野で特に注目され,さまざまな医療応用に向けた研究が進んできている.一部のプロジェクトについては臨床研究や治験を実施する段階に至り,実用化の時期が近づいてきている.しかし一方で,iPS細胞が初期化されるメカニズムや,より安全性の高く効率のよい細胞の評価選別方法など,解決すべき課題も残っている.また,新しい技術として社会に受け入れられる体制を整える必要もある.そうしたiPS細胞をとり巻く最新の状況について紹介する.

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 はじめに


2007年のヒトiPS細胞の発表以降,国内外でさまざまな研究者がiPS細胞を利用した研究を進め,現在では臨床研究や治験にまで進んだプロジェクトも増えてきた.現段階では対象となる疾患は限られているものの,いずれのプロジェクトにおいても,一日も早く新しい治療法として患者さんのもとに届けられることが望まれる.

iPS細胞の医療への応用としては,大きく分けて2つの方向性が考えられる.一つはiPS細胞を移植細胞の原材料とする細胞治療・再生医療であり,もう一つはiPS細胞を疾患の病態解明や創薬スクリーニングなどの研究過程で利用することである(概念図1).

細胞治療・再生医療の原材料としてのiPS細胞

細胞治療・再生医療は間葉系幹細胞やES細胞など,iPS細胞以外の幹細胞を移植細胞の原材料として使った研究が先行して多数行われており,国内外ですでに治験の段階に進んでいる研究プロジェクトもある.そのなかには,現時点では予備的なデータながら,効果がみられるものもあり1),幹細胞を利用した細胞治療への期待は高まっている.iPS細胞を使った再生医療では,2014年に,世界に先駆けて理化学研究所の髙橋政代グループリーダーらが,滲出しんしゅつ型加齢黄斑変性の患者さんの細胞から作製したiPS細胞を使い,網膜色素上皮細胞へと分化誘導し,同じ患者さんへと移植する手術(自家移植)を行った(髙橋政代の稿2).実際に移植した患者さんは1名のみであったものの,安全性や有効性に期待をもてる結果が得られた.この臨床研究は自家移植で行ったため,移植する細胞を準備するまでに10カ月程度の期間がかかり,各種検査のために1億円近い費用が必要となった.多くの患者さんに提供するためには,より短い期間でより安価に,細胞を作製する必要がある.そのため,京都大学iPS細胞研究所を中心に,免疫拒絶反応を起こしにくい高品質なiPS細胞株をあらかじめ樹立して凍結保存しておく「再生医療用iPS細胞ストックプロジェクト」を進めている.HLAホモの健康なボランティアの方にご協力いただき,採取させていただいた細胞から作製したiPS細胞を保存し,必要とする機関へと提供している.このiPS細胞ストックを使うことで,2019年9月末現在,日本人のおよそ40%において少ない免疫拒絶反応での移植が可能になると考えられる.2017年にはこのiPS細胞ストックからつくられた,網膜色素上皮細胞の移植手術がおこなわれた.その後,iPS細胞を使った治験・臨床研究として,2018年10月には,パーキンソン病の患者さんにiPS細胞由来ドパミン神経細胞の移植手術(治験)が,2019年7月には角膜上皮幹細胞疲弊症の患者さんにiPS細胞由来の角膜上皮細胞シートを移植する手術(臨床研究)が行われた.他にも,2018年5月には重症虚血性心筋症の患者さんにiPS細胞由来の心筋細胞シートを移植,2019年2月には亜急性期脊髄損傷の患者さんにiPS細胞由来神経前駆細胞を移植する臨床研究の計画がそれぞれ承認され,順次手術に向けて準備が進められている.海外ではイギリスおよびオーストラリアで急性移植片対宿主病(GVHD)を対象として,iPS細胞から作製した間葉系幹細胞を移植する治験を開始しているほか,iPS細胞から作製した心筋細胞や神経幹細胞の移植などが,米国NIHが運営する臨床研究情報が閲覧できるウェブサイトClinicalTrials.gov(https://clinicaltrials.gov/)に登録されているので参照いただきたい.

疾患を再現するツールとしてのiPS細胞

よりiPS細胞の特徴を活かした利用法が,疾患メカニズムの解明や創薬スクリーニングへの利用である.iPS細胞へと体細胞を初期化させるときには,遺伝子の配列の変更は伴わず,エピゲノムのみが変化している.つまり遺伝子には変化がないため,単一遺伝子疾患に加えて,多因子遺伝子疾患においても,iPS細胞を使うことで,疾患をin vitroで再現する有用なツールとなることが期待される.このような患者さん由来のiPS細胞は疾患特異的iPS細胞とよばれ,iPS細胞研究所をはじめ,複数の研究者により,さまざまな疾患のiPS細胞株が樹立されている(仁木らの稿).この疾患特異的iPS細胞を疾患の原因となっている細胞へと分化誘導することで,患者さんの体外で,培養皿のうえで疾患を再現したモデル系を構築することができる.iPS細胞は無限増殖能をもつため,このモデル系を使えば,何千・何万もの化合物の効果を短時間に検証することも可能である.また,例えば疾患特異的iPS細胞にゲノム編集を行い,異常のある遺伝子を修復することで,原因となる遺伝子配列以外は全く同じとなる良質な対照細胞を得られる.こうした細胞ができれば,より遺伝子変異による差を検出しやすい,精度が高い実験を行うことができる.このような条件で薬剤候補となる化合物のスクリーニングを行う研究が実際に進められ,すでに少なくとも25の神経系の疾患で,新しい薬の候補物質が見つかったと報告されている3).日本国内だけでも,進行性骨化性線維異形成症(FOP),筋萎縮性側索硬化症(ALS)やペンドレッド症候群など,iPS細胞をつかって絞り込んだ候補物質の治験が開始されている.

また,疾患特異的iPS細胞をつかうことで,個別化医療の実現にも貢献できる.同じ疾患名の患者さんでも,遺伝的・環境的背景の違いから例えば薬の効果や副作用などに異なる反応を見せることがある.そうした違いを見分けるマーカーを,iPS細胞を利用して見つけることで,患者さんごとに効果のある薬をあらかじめ見分けるという研究も進められている.

現在,世界各国で患者さんから作製したiPS細胞を保存しておくプロジェクトが進行しており,日本ではバイオリソースセンターに寄託されたものだけで,231疾患の患者さん753人から作製した3,111株のiPS細胞が保存され,研究に利用可能である(2019年10月10日現在)4).こうした保存された細胞をうまく利用するためには,細胞に対応したデータが適切に記録されたデータベースも重要であり,その整備に向けた取り組みも行われている(藤本・山本の稿).また,近年ではヒト幹細胞からオルガノイドを形成する研究が進んでおり,疾患特異的iPS細胞由来のオルガノイドで,組織レベルでの病態の再現と創薬研究への利用がはじまっている(大堀らの稿).

iPS細胞の作製と分化誘導―安全性への取り組み


iPS細胞を利用した新しい治療法の開発は,実用化にかなり近づいてきている.しかし一方で,まだ体細胞からiPS細胞へと変化するメカニズムそのものの謎や,臨床用に適した細胞を選別するための明確な基準がないことなど,解決すべき課題も残っている.細胞移植においては,最新の科学を駆使して,患者さんにとって最適の細胞を選択することが重要である.

iPS細胞は体細胞に少数の因子を導入することで,多分化能と増殖能をもった細胞ができる.因子の種類や数についてはさまざまな方法でiPS細胞ができることが報告されてきたものの,どのようなメカニズムで初期化が起きるのかについては,わかっていない部分も多い.最近の研究でその一端が少しずつ明らかになってきた(髙橋和利の稿).

iPS細胞は当初,Oct3/4,Sox2,Klf4,c-Mycの遺伝子をレトロウイルスにより導入し,初期化したことから,腫瘍化に深くかかわる有名な遺伝子であるc-Mycの過剰な発現による影響や,ゲノムDNAに遺伝子を組込むレトロウイルスの使用による影響等,腫瘍化する可能性が指摘されていた.また,ES細胞と同様に,培養する際にはマウスの線維芽細胞をフィーダー細胞として使っていたため,臨床応用に向けては腫瘍化リスクの低減や動物由来成分の削減など改良が求められた.これまでに初期化の際に使用する遺伝子の組合わせを変更したり6)7),遺伝子の導入方法を変更したり8)することで,腫瘍化のリスクを低減した方法が開発されてきた.また,培養液や足場材の改良により,動物由来成分を使わなくても培養できるようになるなど,さまざまなiPS細胞の作製と維持方法の改良により9),現在では臨床グレードのiPS細胞も作製し提供できるようになった(塚原・髙須の稿).


さらに,iPS細胞を目的の細胞に分化誘導したあと,iPS細胞が未分化な状態で残ったまま,移植に使用されると腫瘍化する可能性があるため,そうした細胞を除去する技術の開発も進められてきた.未分化な細胞をとり除くためには,分化誘導方法の改良により分化効率を高めることや,未分化な細胞を特異的に除去することが求められる.また,最終的に移植する細胞が腫瘍をつくるリスクを評価することも重要である.これまでにもさまざまな研究が行われているが,腫瘍化のリスクをどのように評価するのか,どのような細胞であれば移植に使用してもよいのか,いまだ明確な基準が定まっているわけではない.よりよい細胞を選び使用するために,どのようなことに注意しなければならないのか,現在どういった取り組みが行われているのか,小川の稿川真田の稿田埜・佐藤の稿髙橋政代らの稿にて紹介をする.

iPS細胞を使った新しい医療の社会実装に向けて

iPS細胞を含む幹細胞を使った細胞治療は,まだ新しい治療法であり,これまでに十分な実施例がなかった.既存の法律では対応しきれない部分も明らかになり,幹細胞を使った医療に対応した新しいルールづくりが求められた.2014年には「再生医療等の安全性の確保等に関する法律」と「医薬品医療機器等法」という法律が施行された.「再生医療等の安全性の確保等に関する法律」に基づき,iPS細胞やES細胞を移植細胞の原料として使う医療は,第一種再生医療等に分類され,治験を行う際には特定認定再生医療等委員会で審査を受けることが義務付けられるようになった.また,「医薬品医療機器等法」では,条件および期限付承認が設定された.細胞製剤のように均質ではなく,著しい安全性の懸念はなく,ある程度の有効性が推測できる場合は,最大7年を超えない期間で条件付き承認を与える制度である.患者さんのもとに一日も早く良質な医療を届けるためにどのようにするべきか,さまざまな議論はあるが,日本では世界に先駆けてひとまず安全性の確認ができたものは早期に承認し,有効性の確認を市販後に調査するしくみができた(武藤・一家の稿).

また,よりよい医療をつくるためには患者さんとのコミュニケーションも重要である.特に最近では,患者さんが研究へ参画するしくみづくりも,欧米を中心に進められている.日本では,国立研究開発法人日本医療開発研究機構(AMED)が患者・市民参画(PPI,patient and public involvement)についてのガイドブックを公表するなど,積極的にPPIについて取り組みはじめた.単に患者さんを臨床研究の協力者とするのではなく,研究の計画段階から患者さんの意見をとり入れて,より効率のよい研究を進めるためのしくみとして注目されている
(武藤・一家の稿).

 おわりに

iPS細胞を使った技術は着実に医療応用に向けて研究が進んでいる.しかしまだ実用化に向けた課題は多数あり,これからが正念場である.京都大学は,iPS細胞技術の大学から企業への橋渡しを後押しするために,iPS細胞研究財団を設立した.新しい治療法が一日でも早く患者さんのもとへと届くよう今後も引き続き,iPS細胞を使った医療開発をサポートしていきたい.

文献

  • Schwartz SD, et al:Lancet, 379:713-720, 2012
  • Mandai M, et al:N Engl J Med, 376:1038-1046, 2017
  • Avior Y, et al:Nat Rev Mol Cell Biol, 17:170-182, 2016
  • 理化学研究所バイオリソースセンター 疾患特異的iPS細胞一覧
  • Rowe RG & Daley GQ:Nat Rev Genet, 20:377-388, 2019
  • Nakagawa M, et al:Proc Natl Acad Sci U S A, 107:14152-14157, 2010
  • Kunitomi A, et al:Stem Cell Reports, 6:825-833, 2016
  • Okita K, et al:Nat Protoc, 5:418-428, 2010
  • Nakagawa M, et al:Sci Rep, 4:3594, 2014

参考論文

  • Karagiannis P, et al:Physiol Rev, 99:79-114, 2019

著者プロフィール

山中伸弥:京都大学iPS細胞研究所長・教授.京都大学iPS細胞研究財団代表理事,米国グラッドストーン研究所上席研究員兼務.1987年神戸大学医学部卒業.’93年大阪市立大学大学院博士課程修了.医学博士.’99年奈良先端科学技術大学院大学遺伝子教育研究センター助教授.2004年京都大学再生医科学研究所教授,’10年4月より現職.’12年にノーベル生理学・医学賞を共同受賞.iPS細胞技術の医療応用を実現するために,病態解明や創薬,再生医療などの革新的研究を推進している.

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