概論
超高齢社会における筋研究の再燃
The revival of skeletal muscle research in“super-aged”society
上住聡芳
Akiyoshi Uezumi:Muscle Aging and Regenerative Medicine, Tokyo Metropolitan Institute of
Gerontology(東京都健康長寿医療センター研究所,筋老化再生医学研究)
筋の老化である「サルコペニア」は,健康長寿を阻む要素として問題となっており,その克服は私たちに突きつけられた重要な課題である.調査研究からみえてきたサルコペニアの特性は,筋細胞(筋線維)だけをみていては本質を見落とすことを気づかせてくれ,多様な細胞が織りなす筋維持メカニズムの重要性を示唆する.本特集では,サルコペニアの克服に欠かせない,多細胞連関による筋維持機構,最先端技術である一細胞解析やAI(人工知能)の活用,そして治療薬開発への展望について取り上げ,それぞれの第一人者に詳説していただいた.骨格筋研究は生命科学に偉大な足跡を残してきたが,それらの偉業にならって本質に切り込む研究を展開することが,サルコペニアという難題の解決に必要である.
はじめに
2007年,日本の高齢化率は21%を超え,“超高齢社会”を迎えたその後も高齢化に歯止めはかからず,加齢に伴い筋量や筋力が減少するサルコペニアを含んだ運動器疾患の問題が顕在化している.加えて,昨今のCOVID-19感染拡大の影響により外出機会が減少し,活動量の低下が社会問題になるなど,骨格筋研究の重要性が年々増している.他方,骨格筋研究の歴史は古く,生命科学全体に影響を及ぼすほどのエポックメイキング(画期的)な成果も多くあげられてきた.現在,骨格筋研究は大きな研究領域とは言えないかもしれないが,社会の高齢化や生活様式の変化に伴い,本研究領域が再燃しつつあるなかで,これらの歴史的偉業に学ぶべき点も多い.本稿では,これまでの代表的な骨格筋研究に触れ,サルコペニアという難題に挑む今後の道筋について考えてみたい.
1骨格筋研究の足跡と超高齢社会における立ち位置(図)
❶ 筋収縮機構の生化学が生命科学に及ぼした影響
骨格筋の最大の特徴は収縮することである.この魅力的な特徴は多くの偉大な先人たちをそのメカニズムの解明研究に駆り立てた.そのなかでも最たるものは,生体反応のエネルギー源であるATPがアクチン−ミオシンによる筋収縮を引き起こすことを発見したSzent-Györgyiらの研究だろう.筋収縮の謎に迫っただけでなく,生命現象におけるATPの重要性を世界ではじめて示した.Szent-GyörgyiはビタミンCの発見などで1937年にノーベル生理学医学賞を受賞したが,彼の科学への最大の貢献は筋収縮のメカニズム研究にあると言われている1).また,多くの日本人も活躍し,江橋らによる無機物のカルシウムが筋収縮の制御因子であることの発見はその代表である.この発見があって,カルシウムが生命にとって重要なシグナル物質であることの認識が広まっていった.
❷ 筋サテライト細胞の発見
1961年のMauroによる筋サテライト細胞の発見は2),その後の筋再生研究に与えた影響が大きい.当時,筋再生時に現れる単核の筋芽細胞の起源はわかっていなかった.損傷筋線維の生き残った筋核が細胞膜に包まれて単核化するという説が唱えられていたほどだ.Mauroの論文は,電子顕微鏡で筋サテライト細胞の存在を観察しただけであるが,この細胞が筋再生を導く筋芽細胞の起源である可能性を述べている.その後の多くの研究によって骨格筋幹細胞としての筋サテライト細胞の地位は確立した.Pax7が筋サテライト細胞特異的に発現することの発見3)は,筋サテライト細胞の同定に役立っただけでなく,筋サテライト細胞特異的な遺伝子操作を可能にした.今では,筋サテライト細胞は最も精度の高い研究が可能な組織幹細胞の代表であり,それゆえ,筋再生は組織再生を研究するうえでの優れたモデルとして用いられている.
❸ ジストロフィンの発見
1986年に筋疾患の代表であるDuchenne(デュシェンヌ)型筋ジストロフィーの原因遺伝子が単離された4).その翌年,遺伝子産物である巨大タンパク質が同定されジストロフィンと名づけられ5),筋線維の細胞膜に局在することが示された6).その後,ジストロフィンはDGC(dystrophin-glycoprotein complex,ジストロフィン−糖タンパク質複合体)を形成し,細胞膜の安定化に寄与することがわかった.DGC構成因子の遺伝子変異はやはり筋ジストロフィーを引き起こすことが明らかとなり,DGC関連筋ジストロフィー症の病態の根本が細胞膜障害にあるとの理解につながった.原因不明の遺伝性疾患から,タンパク質複合体による細胞膜安定化という学術体系が構築され,分子レベルで疾患の本体に迫ったのである.
❹ MyoDの発見
1987年にLassar,Davis,Weintraubによって同定された筋分化制御因子MyoDは,非筋細胞(線維芽細胞)を筋細胞へと転換する強力な転写因子である7).細胞のリプログラミングのまさに先駆けである.2017年にMyoD発見30周年を記念して組まれたSeminers in Cell and Developmental Biology誌の特集で,Lassar自身がMyoD発見のストーリーを語っている8).少し詳しく紹介したい.
細胞の運命決定因子を世界ではじめて同定したこの研究には,足掛かりとなった先行研究がある.筋細胞と非筋細胞を融合したヘテロカリオン(異核共存体)の研究で,ヘテロカリオン中の非筋細胞の核から筋特異的遺伝子の発現が確認されたのである9)10).このことは,筋細胞のなかに非筋細胞の核を筋系譜へとリプログラミングするトランス因子が存在することを意味する.それはおそらく転写因子に違いなく,当時,それを同定する方法としては,筋細胞の核抽出物から筋特異的遺伝子の制御領域に結合する因子を探索することが考えられた.しかし,Lassarは大学院時代の経験から生化学実験,特に,低温室で過ごすことに嫌気がさしており他の道を模索した.そこで目をつけたのが,マウス胚性線維芽細胞株10T1/2細胞をDNA脱メチル化剤5-azacytidineで処理すると筋細胞へ安定して転換できるという研究である11).
これらの先行研究をふまえ,Lassarは分子生物学的アプローチによって,この筋分化制御因子を同定しようと考えた.DNAのメチル化は遺伝子発現を抑制することがわかっていたので,脱メチル化によって筋分化制御因子が誘導されたと考えられる.DNAメチル化のパターンはトランスフェクションしても維持されるため,Lassarは5-azacytidine処理で分化転換した10T1/2細胞のDNAをトランスフェクションすることで,10T1/2細胞を5-azacytidine処理することなく筋細胞へ転換できるのではと予想した.彼は3年間,このDNAトランスフェクションの実験を行い,予想を実証した.しかも,トランスフェクションの実験条件と5-azacytidineによる脱メチル化効率,筋細胞への転換効率から,筋細胞への転換にはたった1箇所の遺伝子locusの脱メチル化で十分であると考えられた12).さて,次にその遺伝子locusから発現される因子をどう特定するかであるが,Gordon Research Conferenceに参加したLassarは,サブトラクション法※1によりCD4をクローニングした研究発表からヒントを得た.LassarとDavisは,5-azacytidine処理した10T1/2細胞のcDNAと未処理の10T1/2細胞のcDNAの間でサブトラクションを行い,さらに5-azacytidine処理により誘導される筋分化制御に関係のない転写産物を除くため,C2C12細胞のcDNAと共通するものを選んだ.さらに絞り込むため,5-azacytidine処理10T1/2細胞を培養中に現れる筋分化能を失った変異細胞株で発現が失われているcDNAを選択した結果,MyoA,MyoD,MyoHと名付けられた3つのcDNAに辿り着いた.そのうち,10T1/2細胞へのトランスフェクションで筋細胞への転換が可能であったのはMyoDだけであった7).MyoDはbHLH(basic-helix-loop-helix)型転写因子で,後に見つかった同じくbHLH型転写因子であるMyf5,myogenin,MRF4を含めて,MRFs(myogenic regulatory factors)とよばれ,筋の発生・分化に重要な役割を果たすことが明らかとなった.
世界初の細胞のリプログラミング因子の同定は,筋研究から生まれ,その約20年後になされるiPS細胞作製にも大きなヒントを与えた.この世紀の大発見のストーリーには,研究を進めるうえで今でも重要となるポイントが多くある(コラム参照).
生命科学に偉大な足跡を残してきた骨格筋研究であるが,超高齢社会を迎えサルコペニアという難題に直面している現在,その重要性が再認識されてきている(図).この難局を打破するためには画期的な骨格筋研究が必要であるが,そのためには先人たちがそうしてきたように,問題の本質を見極め,そこに理路整然と切り込んでいかなければならない.
MyoD発見のストーリーから学ぶ研究の基本
2サルコペニアの実態と骨格筋研究の進むべき方向性
歴史的な筋研究に熱くなりすぎたが,本特集のテーマであるサルコペニアに話を戻そう.サルコペニアは進行性かつ全身性の筋量および筋機能の低下に特徴づけられる症候群であり,身体機能障害やQOL低下,死をも含んだ有害転帰リスクを伴うものとされる13).2014年にAWGS (Asian Working Group for Sarcopenia)が定めた診断基準では,高齢者であって(60または65歳以上,国による高齢者の定義に従う),握力低下(男性<26 kg,女性<18 kg),歩行速度低下(<0.8 m/s)がみられ,さらに,筋量低下が認められた場合にサルコペニアと診断される.筋量低下はSMI(skeletal muscle mass index)に基づき,DXA(dual energy X-ray absorption)法で男性<7.0 kg/m2,女性<5.4 kg/m2,または,BIA(bioimpedance analysis)法で男性<7.0 kg/m2,女性<5.7 kg/m2をカットオフ値とする14).2019年に一部改定され,握力低下(男性<28 kg,女性<18 kg)と歩行速度低下(<1 m/s)の数値基準が改められた15).2017年に発表された60歳以上の日本人を対象とした調査ではサルコペニアの有病率は8.2%で,推定有病者数は370万人にのぼった.また,サルコペニアの累積発生率は2.0%/年であり,毎年105万人の高齢者が新しくサルコペニアに罹患していると計算された16).2019年の改定で診断基準が厳しくなったので,この数字は低く見積もられていることになる.超高齢社会においてサルコペニアを含めた運動器疾患の問題は看過できない喫緊の課題である.
サルコペニアにおいて何が問題なのであろうか? サルコペニアでは,筋力低下が筋量低下に先行し17),筋力低下の方が筋量の減少より強く有害転帰に関連することから,筋力がより重要な指標とされている18).興味深いことに,in vivoで測定される筋力は老化や不活動によって低下するが,同一個人からバイオプシーによって得られた筋サンプルを用いてin vitroで測定される筋線維そのものの収縮能力は,老化や不活動によっても低下しないことが示されている19).また,サルコペニアでは遅筋に比べ速筋※2が優先的に冒されるが20),これは神経活動レベルの関与を示唆する.こうした調査研究から明らかになってきたサルコペニアの特性は,サルコペニアのメカニズム解明をめざす基礎研究を展開するうえでも重要になる.サルコペニアの発端となる筋力低下は,筋線維以外で生じる加齢変化に起因していることが示唆されるからだ.よって,筋線維だけでなく他の要素にも注目し,多様な細胞が織りなす筋維持機構を包括的に研究することがサルコペニアの真の理解には必要となる.
3サルコペニア克服に向けての骨格筋研究
いまだメカニズムも不明なサルコペニアであるが,調査研究によって明らかになってきたその実態から,包括的な筋研究の必要性がみえてきた.本特集ではこの観点から,サルコペニアの克服に必要と思われる要素をとり上げた(概念図).
サルコペニアにおける筋力低下には脂肪化などの筋の質的変化がかかわっていることが示唆されている.筋の脂肪化は間質に存在する間葉系前駆細胞に起因することがわかっているが,本細胞が本来は定常状態の筋の維持に機能していることも明らかになってきた.サルコペニアに深く関与すると考えられる間葉系前駆細胞について紹介する(上住円らの稿).筋維持を担う異種細胞連関の観点からNMJ(神経筋接合部)はきわめて重要であり,加齢に伴うNMJの変性は,サルコペニアにおける筋力低下の要因と考えられている.ここでは,ヒトNMJの老化変性を中心にまとめていただき,その改善の可能性についても紹介いただいた(西宗・Badawiの稿).筋と腱の連関は筋力発揮に必須であり,NMJとならび筋維持に重要な異種細胞連関であるが,腱のバイオロジーは不明な点が多い.また,アキレス腱断裂や高齢者で好発する腱板断裂などの腱障害は筋機能にも影響するが,腱は栄養血管に乏しく難治性である.しかし,腱の発生学や幹細胞研究などの進展は目覚ましく,筋維持機構のさらなる理解に欠かせない研究領域である(堤らの稿).骨格筋は可塑性に富んだ組織であり運動トレーニングによる筋の適応・強化はアンチサルコペニアに有効である.筋サテライト細胞は筋線維が壊死した後の筋再生に必須の幹細胞であるが,筋肥大時にも筋核の供給源として重要である.しかも,筋肥大時には筋線維が壊死するほどのダメージは必要なく,よって,筋再生時とは異なる筋サテライト細胞の動態制御機構が存在することもわかってきた.この筋サテライト細胞の特性は,サルコペニアの予防・治療に役立つと考えられる(梶・深田の稿).加えて,革新的な研究には最先端技術の応用も重要となるが,ここでは2つの技術を取り上げる.サルコペニアの研究には多様な細胞が織りなす筋維持機構の解析が必要になることを述べたが,最近,飛躍的な発展を見せる単一細胞レベルの遺伝子発現やエピゲノム解析は必須の解析技術と言ってもいい.一方,サンプル調整に伴う問題点なども浮上してきており,それに対する取り組みもあわせて,本技術の現状を紹介いただいた(原田・大川の稿).また,組織学的解析は筋研究の発展に大きく貢献してきたし,今後も欠くことはできない.骨格筋に限らず生体組織には不均一性があるのが自然だが,解析の際はこの不均一性に結果が左右されないように,全体を客観的に解析する必要がある.そこで,AI(人工知能)を応用し客観性を担保すると同時に,解析を効率化することが試みられている.ここでは,CNN(畳み込みニューラルネットワーク)を用いた画像解析の取り組みについて紹介いただいた(瀬尾らの稿).そして,サルコペニアに対する取り組みの一つのゴールは治療薬の開発だろう.しかし,骨格筋は全身に分布する人体で最大の臓器ということもあり,薬剤開発には困難を伴う.骨格筋を標的にした治療薬開発に関しては,筋疾患の代表である筋ジストロフィーで進んでいる.筋ジストロフィーとサルコペニアでは病態メカニズムが異なるが,筋量・筋機能回復という治療目的において,共通した分子機構が標的になりうることも考えられ,筋ジストロフィーでの治療法開発の現状から学ぶことは多いと考えられる(本橋・青木の稿).
おわりに
サルコペニアは超高齢社会が突きつけてきた難題である.しかし,問題の本質を突く骨格筋研究を発展させることで,必ず解決策にたどり着けると考える.サルコペニアを克服した暁には,骨格筋研究が再び生命科学にその足跡を残すことになるだろう.
文献
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著者プロフィール
上住聡芳:東北大学工学部量子エネルギー工学科卒業,東北大学大学院医学系研究科障害科学専攻運動学分野 博士課程修了,国立精神・神経センター神経研究所 遺伝子疾患治療研究部 博士研究員,藤田保健衛生大学総合医科学研究所難病治療学研究部門 助教,同講師を経て,東京都健康長寿医療センター研究所筋老化再生医学研究 副部長.一貫して骨格筋研究に従事してきたが骨格筋にはまだまだおもしろい謎が残されおり,その謎に挑んでいきたい.