実験医学:新型コロナで変わる時代の実験自動化・遠隔化〜プロセスの精度と再現性を向上し研究の創造力を解き放て
実験医学 2021年1月号 Vol.39 No.1

新型コロナで変わる時代の実験自動化・遠隔化

プロセスの精度と再現性を向上し研究の創造力を解き放て

  • 夏目 徹,高橋恒一,神田元紀/企画
  • 2020年12月18日発行
  • B5判
  • 141ページ
  • ISBN 978-4-7581-2539-0
  • 2,200(本体2,000円+税)
  • 在庫:あり

概論

自動化のはじまりと,その行末
Robotic biology:Robotics and AI accelerate life science

夏目 徹
Tohru Natsume:Cellular and Molecular Biotechnology Research Institute, Department of Life Science and Biotechnology, National Institute of Advanced Industrial Science and Technology(産業技術総合研究所 細胞分子工学研究部門)

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 はじめに

手前味噌ではあるが,ライフサイエンスの自動化が叶える「ロボティック・クラウド・バイオロジー」なるものを標榜したのは数年前である.ここで私が思い描いた未来は,「在宅研究」であった.各研究室・研究機関はもはや実験設備・研究インフラをもつ必要はなく,研究者はネットワーク越しにロボティック・クラウド・バイオロジー・センターにプロトコールさえ送れば,そこで稼働するロボットたちがそのプロトコールを忠実に実行し,その結果・データが,研究者に送り返される.研究者は,それを評価・検討して次のプロトコールを送る.ロボットはさらに実行し,データを返す.このサイクルだけで研究が成立するという世界観である.2017年に,そこそこ耳目を集めるジャーナルにこのことを掲載した1).当時,われわれは,「ちょっとぶっ飛んだ」的に捉えられるのではと懸念した.レビュアからは賛否両論,あるいは,かなり批判的なコメントも投げつけられたが,数回のやり取りで受理され,意外に早く掲載された.いま思えば,科学の自動化というビジョンは,すでに世界の意識のなかでは,ぶっ飛んでも先進的でもなく,「近未来の既定路線」だったのだ.その証に,レビュア・エディタ達にとって真剣に議論するべきテーマであったがための,批判でありコメントであった.

とはいえ,かのときに,パンデミック,ロックダウン,緊急事態宣言なる言葉が目の前に現出し,テレワーク・遠隔会議が,社会・日常生活に本当に浸透するなど,誰が予想したであろうか.そして,いみじくもコロナ禍が,「実験自動化・遠隔化」の必要性さえも,見事に炙り出した.しかし,新興・再興感染症に備える国家危機管理のためだけに,これが希求されるのではないことは自明である.

サイエンスのオープン化とフラット化

企画者として,この特集を通して読者諸兄と共有したいのは,自動化・遠隔化の「本当の」価値である.すなわち,その行末である.


人が行っている作業を単純に機械・ロボットに置き換えることには,それほどの価値はない.「単純」に人をロボットで置き換えることで生まれる価値の最大は人件費である.そこから設備投資とランニングコストが差し引かれるのだが,現状差し引かれると,往々にして赤字.したがって,投資とリターンのサイクルが回り出さない.しかし,作業を自由度の高いロボットにうつすということが可能であれば,人間のコツ・カン・経験という暗黙知を可視化・数値化し,高い再現性を実現することが可能である(図1)(石井の稿,布施の稿,藤田・篠崎の稿,紀ノ岡の稿).例えばピペッターのプランジャーの押し引きのスピード,タイミング,チップとディッシュの距離や撹拌の強度といった,手技である.数値化されるなら,数値最適化が可能である.そして,その最適化されたプロトコールがいつでも,どこでも,何度でもロボット上で再現されたとき,新たな価値が生み出される.これがわれわれの最大の発見である.すなわち,人ができることを自動化するだけではなく,人には到底実行不可能を可能として,はじめてロボットはその真価を発揮する.人が2年間成功させることのできなかった,デリケートな細胞を使った化合物スクリーニングを,たった1カ月で成功させ,ゲノム解析中の超級難易度と言われるクロマチン沈降を,驚異的な感度と再現性で実行し,多数検体のqPCRのCV値を4%以下でこなしてみせるという,新たな価値の創出を,数々の実験室で具現化したことはすでに述べた2)


さらに,その価値の拡大はそこに止まらない.なぜなら,数値化・可視化されたプロトコールのデジタル情報は営々累々とクラウド上に蓄積され,改変されさらに最適化をくり返し,時には組合わされ,ネットワークを介して共有されロボット上で再現する.そしてこれらのプロトコールにはすべて結果・データが紐付けされているという,いわゆるビッグデータとなることは必定であり,研究開発のすべての局面の生産性が爆発的に向上するときがくる.これをサイエンスのオープン化とよぼう(図2).

さらに,遠隔化である.すでにiPS細胞のようなほぼ毎日手数が必要な作業もロボットによる遠隔培養が実現している.余談であるが,とある製薬企業の研究者の家族全員がインフルエンザで倒れた(新型コロナではない).その研究者は仕事(iPS細胞を使った創薬プロジェクト)をとるか,家族をとるかという究極の選択を迫られた.しかし,彼は,家族の面倒を見ながら5日間,自宅からリモート実験を行い,プロジェクトを滞りなく遂行した(実話である).

これは何を意味するのだろうか? 老若男女,経験者・未経験者,研究費をもつもの・もたざるもの分け隔てなく,都会・地方どこにいようとも,研究の現場に参加できることを明示している.これを,研究のフラット化とよぼう.例えば育児と最先端の研究は両立できる.子どもを保育園に送り,昼前に研究室に来ればいい.ロボットは夜通し実験しデータが出ているので,それを検討して次の実験の段取りを立てたら帰宅.子どものお迎え,夕食の準備などこなしていると,スマートフォンで,培養細胞の状態判断を求める通知がくる.ロボットが撮影した顕微鏡画像を確認して,継代か培地交換かをロボットに指示する.育児あるいは介護を理由に研究の一線から退く必要はない.

あるいは老研究者(私のこと)である.大体シニアは,会議や来客に忙しく,純粋研究活動は5%未満である.しかし,そんな私でも決して枯れきっているわけではない.まだまだやりたい研究や試してみたいアイデアはそこそこにある.ならばと,苦渋の末万事あしらい,ベンチに立ったところで,どうであろう.手は震え,目はしょぼつき,長時間の作業をそつなくこなす体力もないことに驚き落胆,そんなときほど〇〇省からおよび出しのお電話だ.ひえー,これから霞ヶ関に飛んでゆかねばならぬ.続きは誰かに頼むかぁと,周りを見回すと,それみたことかボスの実験ほど後始末に困ることはないとばかりに,研究員スタッフは蜘蛛の子を散らすがごとくに逃げていくのがオチである(これも実話).しかし,延々と続く評価委員会の間も,果てしなき予算要求の折衝中も,ロボットが実験をしている,こんなことを思い描くこの頃である,フッフーン.鼻息も荒くなろうというものである.

さらにジュニア層である.若く優秀で夢と希望にぷりっぷりに満ち溢れた研究者や研究者志望の学生諸君は,長年技術を習得し,十分な研究インフラとスタッフを雇うための研究資金を集めているうちに無情にも歳月は流れ老いてしまうではないか.しかし,クラウド上にある大量のプロトコールにアクセスし,改変し組合わせ,ロボット上で実行するならば,特別な技術を習得し経験を重ねる必要もない.また研究インフラはロボティック・クラウド・バイオロジー・センターに集積しているので,大型予算も必要なし,予算折衝のポリティクスも….個人の意欲,アイデア,知識で純然サイエンスのみで勝負ができる.これから若い世代はもっと活躍できる.そのうち高校生が,夏休みの宿題でノーベル賞級の発見をするだろう.

すなわち,自動化・遠隔化の行末は,研究のオープン化とフラット化の実現と,シニア・ミドル・ジュニア,すべての世代の人材活用である.少子化問題,ドンと来い.

AI・機械学習をライフサイエンスに実装する

さて,話を自動化に戻す.自動化は,AI・機械学習に必要なデータを生み出すための装置であると断言する.AIが囲碁や論理学のような閉鎖空間(生じるすべての現象は正確に観測・計測可能であり,予想外の出来事が起きない空間)で大成功することは,万人が知るところである.翻って,ライフサイエンスの作業を人間が担い続けるなら,外乱が多く,予測不可能な現象は常態のままであり,再現性の危機に常にさらされ続ける.さらにAIに必要な大規模データを生み出すにはコストがかかり,GAFAのようにネットワーク環境を提供すれば,膨大なデータを濡れ手に粟よと取得することは不可能.特に日本では,人員確保・人材育成が常に足枷となり,このままではライフサイエンス・バイオのビッグデータの未来はない.

しかし,ロボットはスケールし,再現性の高い高品質なデータを量産可能であり,AI・機械学習が成立する要件を満たす.そしてAI・機械学習が成立することにより,膨大なプロトコールの最適化を滞りなく実施することも可能となる.すでにiPS細胞の分化誘導の最適化に必要な2億通りのパラメータを,ロボットとAIはたった180日程で成功した3).人間は5年間かかったことを書き添えておく(神田の稿).いま風に表現するならば,自動化とは,ライフサイエンス・創薬科学に,AI・機械学習を実装するための,デジタル・トランスフォーメーション(DX:ITの浸透が,人々の生活をあらゆる面でよりよい方向に変化させること)の器である(フォーラム).

さて,この原稿を執筆している初秋の頃,LADEC(Laboratory Automation DEvelopers Conference)という学会がリモートで開催された4).若いギークが活躍し,これまでにない快適なオンライン環境と,演者と参加者がライブ感をもって交流できる手法を編み出し,たいへんな盛況に終わった.私も会期のまる2日間すべてに参加聴衆した.話題は,ロボティクスにとどまらない,自動化に必要なIT技術や言語,知財の問題までに至り,分野を超え世代を超えて,自動化・遠隔化の行末についての議論であり,飽きることがなかった.なぜなら,それぞれの講演・討論はそれぞれの真剣な問題意識と,かつ純粋な好奇心からはじまっているからであり,時代を映している.

後日,そのことに気がつき,茫然とした.私のはじまりは何であったか? プロテオミクスのための大量サンプル処理であると,そのように著し,これまで伝えてきた.プロテオミクスはロボットにかかわる契機であったのは事実だ.しかし,いま,それは私にとってのはじまりとは違うと確信した.もしもそうであるならば,私は彼らのような熱量も衝き動かされるような好奇心ももち合わせているはずがない.どうも合点がいかぬ.

それよりはるかに遡る.

大学の実験室で,覚束ない手つきでベンチワークをはじめたのは40年程前のことか.振り返ると私は,プロの研究者としてやっていける自信がそれほどあったわけではない.見切りをつけなければならない時が来るだろうと思っていた.そして,その時が来たら日本酒の仲買人になろう,じつは密かにそう決めていた.なぜそこまで日本酒にのめり込んだかは誌面の都合で述べないが,当時,品評会のためだけにつくり,決して一般の消費者には流通しない吟醸酒とよばれる酒が,少しずつ飲食店でも飲めるようになりはじめた時代であった.まだ特別な仲買人が,直接酒蔵に買い付けに行かなければ,なかなかそのような酒は入手できない.冬から春にかけては,馴染みの仲買人と,それを卸す飲み屋の女将とで「蔵訪問」に何度となく行った.当時消費者が直接蔵を訪ねるということはほとんどなかったので,このような訪問はおおむね歓迎され,丁重なもてなしを受けた.能登のとある蔵を訪ねたときのことである.ちょうど酒造りが終わった頃と憶えている.春の訪れに,降り積もった雪が溶けはじめていた.蔵では,立派な座敷に通され,まず主人が歓迎の挨拶を唱える.その後,杜氏が現れて,その年の酒造りの口上を述べるのが大方の作法だ.米がたいへんよく,つつがなく もろみ も進み,思い通りの酒造りができました,という具合である.そして,袴の御膳が運び込まれ,今年の搾りを試飲するという寸法であった.何が理由かは憶えていないが,この宴は大層盛り上がり,皆大体できあがったころだ,杜氏が私の前に座り,醪タンクを見たくはないかと言う.若い私が珍しかったのだろう.杜氏にいざなわれた室は,静謐な空間であった.薄暗い空間にそびえる800 Lの醪タンクは6基.木の樽が明治時代にホーローになり,いまや眼前のステンレスのタンクはウォータジャケットを纏う.杜氏は上機嫌であった.

「ハイテクゆうもんはありがたいもんや,コンピューターとジャケットがこんなにおっきいおっきいタンクの温度をな,プラスマイナス1度で管理してくれるんやで,酒はずんずんと進化した.自分はまだ60歳で,20歳の時にこの世界に入ったもんやから,まだ40回しか,酒を造ったことがない.だから1回1回が真剣勝負や.つくり終わったときは体重が10キロも落ちて,ガイコツのような面容になってもうて,もうとても人様にみせられん.」

日本酒は麹と酵母を使う複合平行発酵という稀有な醸造であるから,まず麹を蒸米に植え,酒母をつくりタンクに移し,そこにかけ米を3度に分けて添加し醪へと発酵を進め,最後に絞り,加水する.その行程は非常に複雑で,各プロセスの条件の組合わせは無限にあり,望む酒を醸し出すためのパラメーターの最適化は至難のことだと言うのが,「私はまだ,40回しか酒を造ったことがない」という言葉の真意であった.それがわからず訝った表情で聞く私に,杜氏は言った.

「機械やコンピューターがやってくれるような,簡単そうに見えて労力がかかることは全部機械に任せてしまえばええんや.そしたら,人間は人間にしかできんことに専念できるやろ.酵母の出す泡の音とリズム,微妙な香りの変化を感じとって酒を仕上げられるように,やっとなった.」

杜氏は朗々と笑った.

後で聞くと,その翁は能登の7人名人杜氏と謳われたその人で,あの菊姫の杜氏と兄弟弟子だったと言う.帰りの湖西を走る電車のなかで,私はすっかり酔いつぶれており,ガイコツのような面容に変わった杜氏が夢うつつに何度も現れうなされ続けた.

これが私にとっての自動化の「はじまり」であった.

文献

  • Yachie N & Natsume T:Nat Biotechnol, 35:310-312, 2017
  • 「あなたのラボにAI(人工知能)×ロボットがやってくる」(夏目 徹/編),実験医学別冊,羊土社,2017
  • Kanda GN, et al:BioRxiv, doi:10.1101/2020.11.25.392936, 2020
  • https://laboratoryautomation.connpass.com/event/187445/

著者プロフィール

夏目 徹:4大学・2国研を渡り歩いた流しのタンパク質科学者,留学経験なし,ものづくりからライフサイエンス最先端を切り拓く,がモットー.2001年より産業技術総合研究所所属.’20年より現職(同研究所細胞分子工学研究部門 首席研究員)

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