実験医学:口腔細菌叢〜健康と病気を操るもう一つの生態系
実験医学 2021年10月号 Vol.39 No.16

口腔細菌叢

健康と病気を操るもう一つの生態系

  • 山崎和久/企画
  • 2021年09月17日発行
  • B5判
  • 141ページ
  • ISBN 978-4-7581-2548-2
  • 2,200(本体2,000円+税)
  • 在庫:あり

概論

口腔細菌叢
健康と病気を操るもう一つの生態系
Oral microbiome

山崎和久
Kazuhisa Yamazaki:Laboratory for Intestinal Ecosystem, RIKEN Center for Integrative Medical Sciences(IMS)(理化学研究所生命医科学研究センター粘膜システム研究チーム)

人体に共生する細菌叢の大部分は口腔から肛門に至る消化管に存在する.近年,腸内細菌叢は実に多様な疾患に関係することが明らかにされ,注目を浴びている.一方,口腔内には腸管に次ぐ多数の細菌が生息し,その多様性は腸内細菌叢に匹敵するともいわれる.これまで口腔細菌叢は主として口腔に固有の疾患であるう しょく (虫歯)や歯周病との関連について研究されてきたが,歯周病がさまざまな全身性疾患のリスクファクターであることが明らかになるにつれ歯学以外の研究者によって注目されるようになってきた.本稿では,口腔細菌叢の特性と全身の健康・疾患との関連について最新の研究成果とともに概説する.

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 はじめに

口腔内は温度が一定に保たれ,湿潤で,十分な栄養の供給があることに加え,成長の過程で硬組織である歯の表面が直接体表面に出現することから,人体のなかでも細菌の増殖にとって最適な生息場所の一つであると言える.

人体の最外層である皮膚と粘膜は物理的・化学的バリアと捉えることができる.生物は進化の過程で感染防御の観点からは弱点とも言える石灰化組織である歯をつくった.歯は生体バリアを貫いて存在し,その表面には隣接する軟組織にじかに接する細菌バイオフィルムが形成される.このような環境がう蝕や歯周病という口腔に固有の疾患が発症する原因となっている.

無菌に近い胎児の口腔内は,出産を起点とする外界との接触によってさまざまな細菌で急速に覆われていく.授乳の形態,保育者とのかかわりや食事はもちろん,生後6カ月前後での乳歯の萌出,6歳頃からはじまる永久歯への生え変わりというダイナミックな形態変化も口腔細菌叢に大きな影響を及ぼす.唾液の分泌量やそこに含まれる抗菌物質の量も重要な要因である.口腔衛生の不良によるデンタルプラークの形成はう蝕や歯周病を発症させると同時に歯や歯と歯肉の境界付近の微小環境に影響を与え,細菌の構成を変化させる.

口腔細菌は口腔の健康状態にかかわらず唾液とともに飲み込まれるが,これまで 嚥下 えんげ された口腔細菌は胃液,胆汁酸により死滅し,下部消化管まで届くことは稀だと思われてきた.しかし,解析技術の進歩は腸内細菌中における口腔細菌の存在を明らかにし,しかもさまざまな疾患においてその比率が高まることのみならず,病態への直接的関与も示唆され,全身の健康にかかわることが明確になってきた(概念図1).本特集では口腔細菌叢の特性とその構成に影響を与える要因を理解するとともに,全身の健康とのかかわりについて最新の研究成果をご紹介したい.

口腔細菌叢のはじまり

消化管への細菌の定着は口腔にはじまる.口腔内への細菌の定着はこれまで母体から外界に出る出生時にはじまると考えられてきたが,それは子宮が無菌状態にあると思われていたからである.しかし,近年の健康な妊婦における胎盤,羊水,臍帯血,胎便などの解析からは細菌の存在が示唆され,この考えに疑問符がついている1).胎盤から検出された細菌の構成は口腔細菌叢に類似していることが明らかになっている2).また,母体の細菌叢が胎児の免疫系の形成に重要であることも示されているが,胎盤や羊水中の細菌が胎児の口腔細菌叢に及ぼす影響は明らかになっていない.

分娩の様態(経腟分娩か帝王切開か)で新生児の口腔に定着する細菌種は異なることが多くの論文で報告されている.経腟分娩では膣や直腸細菌に直接曝されるのに対し,帝王切開では母親の皮膚細菌,病院の環境に存在する細菌に曝されることになる.さまざまな研究報告から,分娩の形態による口腔細菌叢は生後3〜8カ月の間は明確に異なっており,その違いは4〜5歳あるいはもっと長期に継続すると考えられている3)

乳児栄養が母乳かミルクかによる違いも大きい.母乳中にはStreptococcus,Staphylococcus,Bifidobacteirum,Lactobacillusなどが含まれている.また,母乳中の主要な炭水化物であるoligosaccharideは乳児には消化できないが,獲得した細菌にとっての栄養となっている.母乳栄養の乳児口腔マイクロバイオームは人工栄養のそれと比較して多様性が低いことが知られているが,その影響は永久歯の萌出がはじまるころまで続くとの報告もある3).喫煙の有無,口腔疾患(特に歯周病),歯が萌出した後のブラッシング開始時期,抗生物質の使用など母親側の要因も乳児口腔細菌叢の形成に影響を与えることが明らかにされている.

口腔細菌叢は唾液の流量,pH,アミラーゼ活性,凝集活性,抗菌物質,ホルモンなど,宿主の遺伝的要因にも影響を受けることになる.最近の報告として唾液アミラーゼ遺伝子AMY1のコピー数と口腔Porphyromonas菌種の比率に相関があることが報告されている4)

このように口腔細菌叢のエコシステムは母胎中での抗原への曝露による免疫系の形成,出産過程での細菌との遭遇によって形づくられ,出産後は前述したようなさまざまな因子の影響を受けて成熟していくことになる3)概念図2).

口腔内の菌叢に影響を与える要因(口腔細菌叢の特性要因)

乳児期の口腔細菌叢は比較的シンプルであるが,生涯を通じて新たな細菌種を獲得することで複雑さを増していくことになる.

ヒト口腔マイクロバイオームデータベース5)によれば,これまでに1,200種類近くの細菌が分類され,それらは15の門に属しているが,これは腸管のマイクロバイオームよりも多様性に富むことを示している.しかし公式に命名されているのは57%にとどまり,13%は培養することはできるが名前は付けられておらず,30%は名前もなければ姿かたちも確認されていない.こうした細菌の解析が進むと新たな知見が得られるかもしれない.

細菌の増殖に適した温度と湿度が保たれ,唾液や歯肉溝浸出液中には宿主由来のタンパク質や糖タンパク質が供給されることから,口腔内は細菌にとって適した環境であるといえる.しかし,一口に口腔内といっても,硬組織である歯に加え,歯肉,歯と歯肉の境界にある歯肉溝,頬粘膜,舌, 硬口蓋 こうこうがい など細菌にとってさまざまな棲息環境が存在する.こうした解剖学的違いは高度に多様な生態系を生み出し,異なった細菌コミュニティの形成に寄与している6)山下・影山の稿).

上皮や皮膚と異なり,歯は 剥落 はくらく することがなく(乳歯から永久歯に生え変わる際には細菌叢が大きく変化するが),エナメル質の成分であるハイドロキシアパタイト表面は唾液タンパク質でコーティングされるので,いわゆるデンタルプラークとよばれるバイオフィルムの形成にとって最適である.

いったん成熟した口腔細菌叢は比較的安定であると考えられているが,サーカディアンリズムや食事による日内変動に加え,糖分,特に砂糖の摂取,乳歯から永久歯への生え変わり,思春期におけるホルモンの変化,口腔清掃の頻度と程度,加齢に伴う唾液の量と成分の変化や歯周組織の形態変化などの要因により,生涯に渡って細菌-宿主のバランスが影響を受けることになる(高安・須田の稿).

このような生理的変化に加えて,う蝕(虫歯)や歯周病といった口腔組織の病理的変化はdysbiosis(細菌種や細菌数の異常)を誘導し,dysbiosisは病状のさらなる悪化を誘導することにつながる(概念図3).とりわけ歯肉縁下細菌叢の変化は歯周組織の健康と密接に関係している.う蝕の治療や義歯の装着,インプラントの 埋入 まいにゅう などはバイオフィルム形成に影響を与え,歯周病治療は歯根露出などの環境変化をつくり出すことになる.う蝕病巣の菌叢解析の報告は少ない7)が,歯周病における細菌叢の変化に関する詳細については多くの総説が発表されているのでそれらを参照いただきたい8)

口腔細菌叢のdysbiosisと疾患

さて冒頭で触れたように,口腔細菌叢のdysbiosisはう蝕や歯周病といった口腔固有の疾患だけでなく,口腔以外の臓器・組織に影響を与えることが明らかになってきた.糖尿病,動脈硬化性疾患は歯周炎と関連する疾患として以前より知られているが,それらに加え,関節リウマチ(片山らの稿),がん(水谷・山田の稿),炎症性腸疾患(鎌田の稿),認知機能(松下の稿)に至るまでじつにさまざまな疾患の発症・進行リスクを高めることが明らかになっている9)

いずれも疫学研究が先行し,病因論が完全に解明されたわけではないが,これまで支持されてきた因果メカニズムは,①歯周炎病変部から侵入した細菌による菌血症,②病変部で産生された炎症メディエーターの全身循環への流入などである10).これは,歯周炎により形成される歯周ポケット内に多量の細菌が棲息しており,一部の細菌は組織浸入性が高いこと,歯周ポケット内面の上皮は細菌と炎症の影響で一部潰瘍化していること,炎症歯周組織では多量の炎症メディエーターが産生されていることより想起されたことである.実際,歯周炎患者血中からは歯周病原細菌をはじめとする口腔細菌の遺伝子が検出され,歯周炎を有する全身性の疾患患者の動脈硬化病変,心臓弁,滑膜組織,肝臓などから歯周病原細菌のDNAが検出されている.また,歯周炎患者血中高感度CRPレベルが歯周炎重症度と比例して上昇し,治療により低下することが示され,こうしたことが根拠とされてきた.

しかし,相反する研究結果や,口腔共生細菌や腸内細菌科細菌の検出率・相対頻度の方がはるかに高いとの報告もあって,従来の因果メカニズムでは歯周病と全身疾患の関連は充分に説明できるとは言い難い.

興味深いことに結腸直腸がん,関節リウマチ,肝硬変,炎症性腸疾患の患者腸内細菌叢に占める口腔細菌の比率が上昇しているとの報告が相次いでおり,口腔細菌の腸内細菌への影響とそれを介した病因への関与が注目されるようになってきた(山崎恭子・山崎和久の稿)(概念図1).

口腔細菌の腸内細菌叢への影響

果たして口腔細菌叢のdysbiosisは腸内細菌叢を変化させ,結果として全身の健康に影響を与えるのだろうか? 口腔と腸管は食道,胃を介してつながれ,口腔細菌も食物や唾液とともに下部消化管に流れ込む.肝硬変や結腸直腸がん患者,プロトンポンプ阻害剤服用者などでみられるdysbioticな腸内細菌叢では,口腔由来細菌の比率上昇が報告されているが,この現象は口腔細菌の腸管への移行を阻止している胃液や胆汁酸の作用低下など,疾患や薬剤服用に関連する宿主要因に起因すると考えられてきた.しかし,そうした疾患を有しなくても腸内細菌中に高頻度で口腔細菌が検出されることが報告され,口腔細菌の大腸への移行と定着が普通に起こっていることが推察される11)

歯周炎患者唾液細菌叢は健常者のそれと有意に異なっており,歯周ポケット内で増加している歯周病原細菌が唾液中でも比率を増している.例えば代表的な歯周病原細菌であり口腔細菌叢のdysbiosisを誘導することが報告されているPorphyromonas gingivalis12)は重度歯周炎患者唾液中に10 6/mLレベルで含まれる13).唾液と共に飲み込まれる口腔細菌はP.gingivalisだけでも1日で109~1010,口腔細菌全体では1012~1013に及ぶ14).動物実験によりP. gingivalisは腸内環境を変化させることが示されており,歯周炎と全身疾患の因果関係を明らかにするうえで興味深い.

 おわりに

口腔細菌叢はさまざまな要因で影響を受けるが,歯周病,とりわけ歯周炎の発症・進行による変化は歯肉縁下細菌叢のみならず唾液中の細菌の構成をも変化させる.唾液とともに飲み込まれる口腔細菌はこれまで考えられていた以上に腸内細菌叢に影響を与えていると考えられる.炎症性腸疾患や消化器がん,肝疾患などの患者腸内細菌叢から口腔細菌が検出されているが,残念ながらそうした研究において,患者口腔内の状態や口腔細菌叢を解析したデータはきわめて乏しい.今回の特集企画が腸内細菌に注目している研究者,臨床医の方々に口腔細菌叢に目を向けていただくきっかけになることを期待している.

文献

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  • Abusleme L, et al:Periodontol 2000, 86:57-78, 2021
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  • Cullinan MP & Seymour GJ:Periodontol 2000, 62:271-286, 2013
  • Schmidt TS, et al:Elife, 8:doi:10.7554/eLife.42693, 2019
  • Hajishengallis G, et al:Cell Host Microbe, 10:497-506, 2011
  • von Troil-Lindén B, et al:J Dent Res, 74:1789-1795, 1995
  • Sender R, et al:PLoS Biol, 14:e1002533, 2016

著者プロフィール

山崎和久:1980年に神奈川歯科大学卒業後,’85年に新潟大学大学院歯学研究科修了.’86〜‘88年豪クイーンズランド大学ポスドク.新潟大学歯学部付属病院助手,講師,新潟大学歯学部助教授(歯周病学講座)を経て,2004年新潟大学歯学部教授(口腔生命福祉学科).’10〜’21年新潟大学大学院医歯学総合研究科口腔保健学分野教授.’21年新潟大学名誉教授.’20年より理化学研究所生命医科学研究センター粘膜システム研究チーム客員主管研究員.歯周病が全身に及ぼす影響とそのメカニズム,特に口-腸連関に焦点を当てて研究中.

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