概論
特集1 概論
胎盤形成と母児連関の最前線
Frontiers of placentation and mother-infant linkage
有馬隆博
Takahiro Arima:東北大学大学院医学系研究科
妊娠期の母体環境は,胎盤を介して胎児の器官形成のみならず,出生後の個体の素因形成にも大きな影響を及ぼす.これまで,母児細胞間のネットワーク機能の多くはブラックボックスで,着床から分娩に至るまで多くの謎に包まれていたが,最近の技術革新によりそのベールは少しずつ剥がされている.本特集では,ヒト幹細胞の分野で世界をリードする研究者に,着床期から胎盤の形成期において母児間シグナルコミュニケーションと,周産期疾患に関するトピックスを概説してもらい,母児連関に関する研究の現在地と今後の課題を共有することで,分野のさらなる発展を期待する.
はじめに
胎盤は胚体外組織と母体由来組織からなり,胎児の「呼吸器」「消化器」「内分泌器」として多様な機能を発揮するとともに,母体の免疫系から守るための「免疫特権」を担っている.妊娠の成立と維持には,母児間インターフェースにおける胎盤と子宮内膜の双方の適切な相互作用が肝要である.この母児間相互作用に異常が生じた場合,不妊,流早産,妊娠高血圧症候群(HDP)や胎児発育不全(FGR)などの周産期疾患の原因となる.また,近年増加の一途を辿る生殖補助医療(ART)や高齢妊娠により引き起こされる胎盤のエピゲノム変化が,胎盤形態の異常を伴う先天性インプリンティング異常症(BWSなど)にかかわる可能性を示唆する報告も相次いでいる1).加えて,妊娠中の栄養状態(過度なダイエットや肥満)や精神的ストレスは,胎盤や胎児の発育,発達のみならず,出生児の成人期以後の生活習慣病(心血管疾患や糖尿病)の発症リスクにも影響を及ぼすことも知られている(DOHaD学説)2).このように胎盤の形成は,子どもの発育と健康にきわめて重要であることは疑いない事実である.しかし,子どもの健康状態を評価する際に,母親の胎盤の異常の有無が見落とされている場合も多い.これまで,ヒトの胎盤異常を再現するのに適した疾患モデルは存在せず,効果的な治療法や医薬品の開発は停滞していたが,ようやく最近になって,ヒト胎盤幹(TS)細胞3)や胎盤オルガノイドモデル4)等が報告され,疾患モデルの作製や発症機構の解明などに活用されようとしている.本稿では,胎盤の発生と母児連関を示す生命現象について,最新の研究成果と今後の展望について概説する(図).

1胚着床と胎盤発生
着床とは,胚と母体との間で,はじめて物理的な相互作用が行われる妊娠成立に欠かせないプロセスである.受精卵は卵割をくり返し,受精後約5日頃に胚盤胞(ブラストシスト)とよばれる構造体を形成する.胚盤胞は,将来胚体を形成する内部細胞塊(ICM)とその周囲を覆う栄養外胚葉(TE)から構成される.この胚盤胞は,透明帯から孵化した後,露出したTEを足掛かりにして子宮内膜に接着する.TEはのちに,胎盤を形成する.一方でヒトの子宮内膜は,月経周期によるホルモンの変動によって,構造や性質が周期的に変化する.特に,子宮腔に隣接する機能層はこれらの変化に応答し,劇的な構造変化をみせる.反対に,基底層は不変で,生理においても脱落せず,エストロゲンによって駆動される子宮内膜再生の基盤として機能する.また,黄体から産生されるプロゲステロンに応答して,子宮内膜は着床に向けて準備を整える.子宮内膜は,特に分泌中期の4〜6日間,「着床の窓(WOI)」ともよばれる期間に,胚を受け入れる“受容性”が最も高くなる.WOIに向けて子宮内膜管腔上皮はその細胞極性を変え,細胞間および細胞-マトリクス間の接着が減弱することにより,胚の侵入を容易にする.同時に,腺上皮は管状からコイル状構造へ変化し,分泌能が増加する.また,子宮内膜間質細胞は,脱落膜化とよばれる分化を遂げ,胚の侵入,母体の免疫調節,子宮内膜組織のリモデリングにおいて重要な役割を果たす.さらに,免疫細胞もこの期間に顕著な変化を遂げ,特にNK細胞は排卵後にその数が増加し,妊娠初期のらせん動脈の形成や胚の成長を促進する特殊な機能を担う(詳細は柴田・有馬の稿,藍川・廣田の稿を参照)5).このような着床における生物学的現象とその分子メカニズムは,マウスを用いた研究により多くの知見が得られている.しかしながら,ヒトとマウスの間では,着床機序やそれを担う分子と機能について多くの違いがみられる.
着床成立のためには,胚の着床能力の獲得と前述の子宮内膜の受容状態との間の同期が重要である.しかしながら,ヒト試料の入手が倫理的および技術的観点からほぼ不可能なため,ヒトの胚-子宮内膜界面で起こる現象や詳細な着床の分子機序については不明な点が多い.これらの課題を回避するため,胚-子宮内膜の相互作用を模倣したin vitroモデルが,効果的な代替手段として肝要である.最近の研究では,ES/iPS細胞などのヒト多能性幹細胞は,着床前胚に相当するナイーブ型にリセットすることで,その後,胚体系譜のみならず,栄養膜や原始内胚葉などの胚体外系譜にも分化可能であることが示されている6)7).また,ナイーブ型の多能性幹細胞からブラストイドとよばれる胚盤胞に類似した構造が誘導可能であることも報告されている.胚モデルに関しては,本誌2024年6月号の特集「胚モデルから解き明かすヒト初期発生」に詳細な説明があるので,本特集では割愛する.一方,母体のモデルに関しても,オルガノイド培養技術の進歩により,ホルモンに応答性をみせるヒト子宮内膜上皮オルガノイド(EMO)の樹立が報告され,子宮内膜上皮細胞の長期維持が可能になった8)9).本特集では,藍川・廣田の稿で子宮内膜の核内因子の観点より,着床とその異常について概説する.さらに,柴田・有馬の稿では,子宮内膜上皮のアピカル面が外側に露出するとともに,内部に高密度の間質細胞と血管ネットワークを含有する新たな子宮内膜オルガノイドと,子宮内膜モデルにブラストイドを加えて共培養することにより着床の初期段階,すなわち,対位,接着,浸潤とよばれる各行程を再現する胎児-母体アセンブロイドについて説明する(概念図)10).
2胎盤形成と母体臓器
胎盤は,母体と胎児をつなぐ必要不可欠な臓器である.X染色体の不活化やゲノムインプリンティング,トランスポゾン由来の遺伝子の不活化など,他組織にはないユニークなエピジェネティックな制御機構が備わっている.また,近年の晩婚化と高齢出産の増加に伴い,HDPなどの周産期疾患の発症頻度は増加しているが,その一因として胎盤のエピゲノム異常が指摘されている.このHDPにより,全世界では年間約5万人の妊婦と約50万人の胎児が命を落としている11).したがって,これら疾患の克服は国際社会に共通の課題として認識されている.しかし,現状では妊娠の中断(胎盤の娩出)を除き,効果的な治療法や医薬品の開発は進んでいない.その大きな理由として,子宮内のヒト胎盤を直接解析することが,倫理的,技術的に困難であることがあげられる.ヒト胎盤の発生や機能を再現可能な適切なモデルの創出が求められている.
「The Great Obstetrical Syndrome」は,2011年,Brosensらにより提唱された疾患の共通の概念である.HDP,早・流産,FGR,死産の原因は異なるものではなく,妊娠10~18週の胎盤形成障害と密接な関連があると仮説を立てている.Brosensらはその病態の形成には,2段階プロセスが働くと指摘している.まず,第1ステップは胎盤形成不全であり,血管新生に働く絨毛外栄養膜細胞(EVT)の浸潤(深部胎盤),らせん動脈の再構築と上皮化によって子宮筋層血管が弛緩する「placental lake」の形成に障害が起こる.正常時,深部胎盤形成は,子宮内NK細胞により開始され,M2マクロファージによる媒介を経て,サイトカイン,プロテアーゼ,血管新生因子が分泌されることで血管リモデリングを促進し,妊娠18週で完了する.次に,第2ステップとして母体側でのこれらの分泌因子の異常により,さまざまな臓器で血管障害が起こると考えられている.しかし,これらの正確な病態や病因については明らかではなく,これら疾患の病態を反映するモデルの存在が求められていた.本特集では,山元らの稿で初期胎盤由来のTS細胞と疾患由来TS細胞について概説する.また,中島らの稿ではHDPの病態や病因について,オートファジーの観点より概説する.
妊娠というイベントはよりマクロなレベルでも母児に影響を及ぼす.楠山の稿では妊娠による母体臓器と出生児の関連性(特に肥満,糖尿病)と胎盤から分泌される生理活性物質(プラセントカイン)が妊娠期運動情報の伝達因子であることについて概説する.運動による時期特異的な効果や長期的な有益性を評価するために,エピジェネティクスの観点から運動の意義を解明する独創的な研究内容である.さらに豊島の稿では,胎盤形成と母体臓器のリモデリングについて解説する(概念図).

3「マルチモーダル」で捉える解析技術の開発
産科・婦人科領域の疾患では,創薬でのブレイクスルーは他の診療科領域に比べて圧倒的に少ない.これは周産期の治療薬は,他の診療科に比べ治験のハードルが高いこと(母体,胎児の両方を要考慮),そして基礎研究用ツールも少なく疾患のメカニズムが十分理解されていないことによる.一方,前述のごとく,妊娠の高齢化に伴い,周産期合併症の頻度は増加の一途をたどっている.例えば40歳以上の妊婦の場合,HDP,糖尿病合併妊娠発症の頻度が増加する.このような疾患の治療では胎児への影響を考慮し,既存の治療薬の投与は慎重となり,児の娩出を図ることが最善策とみなされている.また,母児の安全性が確保できないため,新規治療薬の開発も進んでいないのが現状である.妊娠から出産に至るヒト胎盤機能の時系列変化の理解を加えた研究が進むことで,生殖発生毒性試験や創薬開発が可能となると期待できる.また胎盤は,母体-胎児間で物質移行を制御するバリアとして,例えば,ウイルスなどが胎盤に感染することの阻止や,化学物質曝露や医薬品の胎児への移行を防ぐ機能を果たしている.堀・梶の稿では,それらを検証する胎盤MPSモデルについて概説する(概念図).
おわりに
本特集では,最近,全世界で研究が進められているiPS/ES細胞とTS細胞に基づく,発生医学,臨床医学と幹細胞生物学の研究者のうち,特に胎盤形成と母児連関研究のトップランナーに概説していただいた.今日の疫学研究やモデル動物による研究から,妊娠中の母親の栄養,身体活動,精神的ストレスは,胎児と胎盤の成長だけでなく,成人期の心血管疾患,糖尿病などの生活習慣病発症リスクにも影響を与える可能性が考えられている.特に胎盤は,子宮内の環境変化に敏感で,それらリスクの鍵を握る.これまで胎盤の研究は,マウスモデルの研究を中心に大きく進歩してきた.しかしながら,胎盤の構造と発達はヒトとマウスで大きく異なるため,ヒトにそのまま外挿することはできない.そんななかで最近,ヒトTS 細胞,栄養膜オルガノイドおよび着床モデルが樹立されたことで,ヒト胎盤発達の基盤となる分子メカニズムの理解が深まりつつある.さらに,これらの技術が進歩すれば,胚形成と着床の機序,不妊症やHDPなどの周産期疾患の病態や治療法の開発に,より深い理解が可能となることが期待される.さらに,動物種により胎盤組織構築は多様性を有するが,その機能,発生機序は哺乳類では共通である.その進化のプロセスとの関連性を解明するために,胎盤形成に焦点をあて,異種動物間の比較ゲノム解析等を進めることで,進化がもたらす新しい生物学的意義を見出せる可能性もあり,今後さらなる研究の進展が注目される.そのような期待感のなか,本研究領域は,いまだ緒に就いたところである.
再生医療への可能性
再生医療事業に新規参入した数多くの企業が,新たな研究開発のテーマとして,従来の幹細胞(間葉系幹細胞移植等)の改良代替品や創薬応用に注力している.私たちも,信頼性・倫理的課題をクリアしたうえで,多くの医療機関や企業に提供する社会実装モデルを確立することで,再生医療の新たな可能性を広げ,基礎研究成果を臨床の場に還元したいと考えている.特にヒトTS細胞は,①胎児への拒絶反応が起こりにくい,②増殖能,分化能が高い,③がん化のリスクが低い,④分娩後,医療廃棄物として取り扱われる胎盤から生体への侵襲なく採取可能なこと,⑤倫理や社会受容性のハードルがES細胞の場合よりも低いなどの特長を有している.したがって,臓器再生,機能再生,美容,健康などの再生医療のめざす多様な分野において,大きなポテンシャルを有する新たな生物資源になるものと期待される.(有馬隆博)
文献
- Rhon-Calderon EA, et al:Placenta, 84:37-43, doi:10.1016/j.placenta.2019.02.013(2019)
- Rosenfeld CS:J Dev Orig Health Dis, 8:8-29, doi:10.1017/S2040174416000465(2017)
- Okae H, et al:Cell Stem Cell, 22:50-63.e6, doi:10.1016/j.stem.2017.11.004(2018)
- Sheridan MA, et al:Nat Protoc, 15:3441-3463, doi:10.1038/s41596-020-0381-x(2020)
- Bergmann S, et al:Commun Biol, 4:749, doi:10.1038/s42003-021-02233-8(2021)
- Dong C, et al:Elife, 9:e52504, doi:10.7554/eLife.52504(2020)
- Linneberg-Agerholm M, et al:Development, 146:dev180620, doi:10.1242/dev.186635(2019)
- Boretto M, et al:Development, 144:1775-1786, doi:10.1242/dev.148478(2017)
- Turco MY, et al:Nat Cell Biol, 19:568-577, doi:10.1038/ncb3516(2017)
- Shibata S, et al:Sci Adv, 10:eadi4819, doi:10.1126/sciadv.adi4819(2024)
- Mol BWJ, et al:Lancet, 387:999-1011, doi:10.1016/S0140-6736(15)00070-7(2016)
参考図書
- 「実験医学2024年6月号 胚モデルから解き明かすヒト初期発生」(髙島康弘/企画),羊土社(2024)
本記事のDOI:10.18958/7683-00001-0001849-00
著者プロフィール
有馬隆博:東北大学大学院医学系研究科客員教授,産婦人科医.これまで一貫して,ヒト胎盤の基礎的研究に取り組んできた.現在は,若手研究者らと再生医療や生殖医療に貢献できないか,多くの困難を克服しながら尽力している.