本コーナーでは,実験医学連載「Opinion」からの掲載文をご紹介します.研究者をとりまく環境や社会的な責任が変容しつつある現在,若手研究者が直面するキャリア形成の問題や情報発信のあり方について,現在の研究現場に関わる人々からの生の声をお届けします.(編集部)
「ふうん,よくわからないね」.2018年の春,姉からの言葉だった.「修士課程卒業おめでとう.どんな研究をやっていたの」と聞く姉に対して私は,「エピジェネティクスっていう遺伝子発現を制御するしくみの……」と専門用語を並べて長々と語った.1分間は辛抱していた姉だが,話題への興味をすっかり失くした様子が表情から見てとれた.「詳しく伝える熱意が大事だ」とだけ信じていた私の完全な空回りに終わった.思い返せば,これが研究の伝え方の重要性を実感した最初の経験だった.人生で大事なことを気づかせてくれた姉に感謝である.
この出来事から早4年が過ぎた現在,私は博士課程の学生として,自身の研究内容を発表・議論・紹介する経験を試行錯誤とともに学内外で多く積んできた.本稿では,そのような経験から学んだ,研究内容を効果的に伝えるために重要なことについて述べたい.
皆さまは研究内容を人に伝えるとき,何を意識しているだろうか.所属研究室での進捗報告や議論の他,学内外での成果発表や研究紹介といった形で,さまざまな状況の人に話す機会がある方も多いだろう.私の所属研究室では,コンピューターによる解析を用いて細胞における遺伝子発現やその制御機構を調べる生命科学分野の研究を行っている.私には,「同研究室メンバー」,「研究の手法や対象が異なる研究者」,「研究に馴染みが薄い一般の方」といった主に3パターンの相手に向けた説明の機会がある.この経験から私は,相手の状況に応じて話の伝え方を工夫することの重要性に気づいた.例えば,相手が研究者である場合のうち,同研究室メンバーを含め解析手法への関心が高い人に対しては,その詳細な説明をより重視するよう努める.それに対して,研究の手法や対象が異なる研究者であれば,研究背景や材料の説明を省かず丁寧に行う.また,その際,解析手法に関しては細部より全体的な流れのイメージが伝わるよう心がける.一方で,一般の方が相手である場合は,基礎事項が共有されていない可能性を考慮し,専門用語の使用を控え身近な例を用いて伝えることが効果的である.例えば冒頭の「エピジェネティクス」は,「本(ゲノム)の重要箇所に付箋(ヒストン修飾など)を貼る作業」のように表現できる.以上の工夫は,右上のレストランの絵に示すように,同じメニューでも客が好む味や量の違いにより異なる注文を受け,満足してもらえる料理を提供する流れに似ている.研究において成果を出すことは第一に重要だが,その内容の伝え方を磨くことも同様に重要である.研究者自らが,相手に最適な理解を届けるための工夫を常に意識してとり組んでこそ,多くの人が科学をより身近に感じられる社会になるのではないだろうか.
研究の伝え方に1つの正解はなく,相手の数だけ伝え方も多様にある.研究の内容とともにその魅力を相手にどのように伝えるかを日々考えながら,これからも歩み続けたい.
山谷恭代(東京大学大学院 新領域創成科学研究科)
※実験医学2022年8月号より転載