フィクションで読む最新論文

01『蔓延するラブレター』

「DNAストレージ人形?」

「そう、DNAストレージ人形」

教室の片隅で、リリーが得意気に鼻を鳴らして言う。三日も続いている雨に、ちょうど退屈していた僕は、もう少しだけその変わり者と評判の女の子の話を聞くことにした。

「DNAって何?」

僕がそう返すと、リリーはまともな返事がくるとは思っていなかったらしく、びっくりしたように「えっと、えっとね」と続ける。

「私たちの身体を作っているタンパク質の設計図を遺伝情報というのだけど、これはデオキシリボ核酸という物質がいっぱいつながった鎖のなかにあるのね。あ、それでこのデオキシリボ核酸の略号がDNAで

「情報? 物質の中に情報があるの?」

僕の何気ない言葉に、彼女は一瞬驚いた後で、にっこりと微笑みながら答える。

「情報はすべて物質のなかに格納されているの、アベル。本に書かれている情報は紙という物質に、あなたが手元で見ている電子端末のなかを駆け巡っている誰かの噂話だって、どこかのサーバのストレージデバイスという物質のなかに。情報は目に見えないけど、確かに物体として存在しているんだよ」

その妙に大人びた言葉にハッとし、彼女の顔を見ると、教室の蛍光灯の光でゆるくウェーブのかかった金色の髪がきらきらと輝く。そして、その吸い込まれそうな青い瞳から目を離せなくなったこの瞬間、僕は恋に落ちたのだと思うそれが、この物語の始まり。

「アベル? どうしたの?」

「い、いや何でもないよ。続けて」

僕は赤くなった頬をごまかすようにそう答える。

「えっと……それでね、DNAは実はとても優れた記録媒体で、1gあたり215ペタバイトの情報を詰め込むことができるの」

僕はピンとこないまま首をかしげ「それで?」と返す。

「昔の人はこのDNAに大切な情報を大量に保存しておけると考えたのね。DNAは温度や物理的な衝撃にも強いとても安定した物質でもあるし。それがさっき言ったDNAストレージって技術」

「じゃあ『人形』っていうのは?」

僕がそう尋ねると、リリーは目を輝かせる。

「それ! この古い本のなかに書いてあったのだけど……昔はDNAストレージ技術を使って、自分たちの想いや情報を保管したDNAの繊維で作った『人形』を贈り物にするっていう風習があったんだって! とてもロマンチックだと思わない?」

僕は「そ、そうかな」と目を逸らしながら答えたのだけど、本当はずいぶんと近い彼女の顔に、どきどきしていてそれどころではなかったんだ。

「ねぇ、アベル。一緒にこの『DNAストレージ人形』作ってみない?」

そう言いながら、彼女は僕の右手を両手で握る。彼女の勢いに押されて、僕は顔を真っ赤にしながら「う、うん」と答えた。

「えっ本当? わたしの話聞いてくれるのはアベルくらいしかいなくて……本当にありがとう!」

リリーは握ったままの僕の右手をぶんぶんと振りながら、今日一番の顔をして喜んだ。

「それで、具体的にはどうやって作るの?」

「えっと、まずはDNAに情報を書き込んでから、ガラスビーズにしみ込ませて、そこから繊維を作るのだけど

それから僕たちは、DNAストレージ人形を作るための作業を、学校帰りに少しずつ進めていくことにした。学校がある日はもちろん、休みの日も、晴れの日も、あの赤い雨の降る日も何年も何年もかけてゆっくりと。

それから何年も経ったある日、僕たちは一つの技術課題にぶつかっていた。

それは想定していたよりも人形内でのDNAの保存期間が短いという点で、僕たちは毎日深夜になっても議論していた。外は赤い雨が降っていて、強化ガラスでできた二重窓を激しく叩いている。

「……いっそ、人形自体にDNAの複製機能を持たせてみてはどうだろうか」

僕はすやすやと寝息を立てる僕と彼女の子供を見て、ふと思いつく。

「複製機能?」

「そう、人形自体に僕たちと同じようなDNAの複製機能を持たせておいて、“彼ら”自身が定期的に自分の繊維に組み込まれたDNAを複製するようにすれば、DNAストレージの半減期の問題を解決することができるかもしれない。そのために必要な情報量は増えてしまうけど、元々その程度の量は問題にならないくらい情報容量が大きいのだし」

「なるほど。複製エラーの問題は残るかもしれないけど……うん、それいいかも!」

すっかりと大人の女性になっていたリリーは、あの頃と少しも変わらない笑顔で僕の右手を握る。

「……ねぇ、アベルはこの人形に何を残したい? あのね、最初にこのDNAストレージ人形を作った人たちは、恋人へのラブレターを書いたんだって」

「じゃあ、僕は君へのラブレターを」

「わたしはあなたへのラブレターを書くわ」

僕たちは何度も繰り返してきたキスをもう一度交わす。

「……あっ、でも『人形』の形のこと何も考えてなかったな。どんな形にしようか」

「それはね、わたしに考えがあるの」

そう言って、リリーが戸棚から古ぼけた人形を二つ取り出してくる。

「これって、子供の頃に授業で作ったやつ? 確か、自分が想像する“宇宙人”ってやつだ。こんな不格好なものでいいの?」

手に持っている人形は、どちらも宇宙人というのにふさわしく、手足がにょきにょきと伸びていて、見るからに不細工なものだ。

「いいのよ、これで。わたしにとっては大切なものですもの」

僕が「そっか」と答えたあとで、リリーは「もう一つ提案があるのだけど」と続ける。

「あのね、この『DNAストレージ人形』を別の星に向けて飛ばさない?」

僕は突然の提案に驚いて、「どうして?」と尋ねる。彼女はDNAストレージ人形の大切な情報を、ずっと手元に残しておきたいのだと思っていたからだ。

「……もうずっとこの“赤い雨”が降っているでしょう? こんな星よりも他の星で保存する方がいいと思って」

僕らが住むこの星は、僕たちが産まれるよりもはるか以前に起こった国家間の戦争によって、陸地の大部分がヒトの住めない土地になっていた。それでも、ヒトは身を潜めるように寄り添って、なんとか暮らしている。

でも、大戦後から降り始めた鉄も生物も何もかも溶かしてしまう赤い色をした雨が、最近はより長く降るようになってきている。おそらくあと十年もすれば、今よりもずっと住める土地は減っていくだろう。

「確かにそうかもしれないね。でも、ラブレターを読み返したくなったときはどうするのさ?」

「その時は……そうね、今度は惑星間宇宙船でも研究しましょうか」

リリーはそう言ってにっこりと笑う。

それからしばらくして、僕たちは、それぞれのラブレターを書き込んだ二体の人形を載せた小さなロケットを、見たこともない星に向けて打ち上げた。

あれから一体どのくらいの年月が流れただろうか。

僕は真新しい宇宙船の客室で、窓の外の真っ黒な空をただぼんやりと眺めている。

「ドクター・アベル。そろそろ到着です。シートベルトを締めていただいてもよろしいでしょうか?」

僕は「ありがとう」と客室係員に言うと、すっかり痩せた腹にベルトを締める。

「あの、ドクター。失礼ですが、これから向かう星は資源も少なく、われわれとは異なる知的生命体が繁殖というか、蔓延というか……あまり良い星ではないと思いますが」

係員は怪訝な顔で僕に尋ねてくる。

「ああ、手足のにょきにょきと伸びた不格好な生き物でいっぱいらしいね。でも、大切な人が残したもののためにどうしても必要なことでね。無理を言ってすまない」

僕がもう一度「ありがとう」と言うと、客室係員は少しだけ微笑んでバックヤードに戻っていった。僕は、もう一つの誰も座っていない僕の隣の席に手をおいて、いなくなってしまった大切な人のことを思い出していた。

もうすぐ、君の残した僕への“ラブレター”を読むことができるのだ、と。

ただ、『手足のにょきにょき伸びたあのラブレターたちは、今や遠く離れた辺境の星でこんなにも増えているのだよ』と、今度は僕の方が得意気になって君に伝えられないことだけが、とても残念だ。

そうしているうちに、機長からの機内アナウンスが流れる。

『まもなく、辺境1024惑星に向けて降下を開始します。もう一度、シートベルトの確認をお願いします。辺境1024惑星には、われわれとは異なる知的生命体が多数存在しています。彼らの多くは友好的ですが、くれぐれもお気をつけください。窓の外が徐々に青くなってきたかと思います。これがこの星の大気です』

それでは、現地知的生命体が地球と呼ぶこの星でのどうかよい旅を

(了)

Koch J, et al:Nat Biotechnol, 38:39-43, 2020

非常に安定で情報容量も大きいDNAのなかに情報を記録し、ナノメートルのシリカビーズに封入後、様々な素材に添加することで物体の中にDNAを介して情報を保管するDNA-of-things(DoT)についての論文。DNAの封入された人形や眼鏡からDNAを取り出し、シークエンサーを使うことで情報を取り出すことも可能である。彼らは最後に自律複製するDoTの可能性を述べていて、そこから今回の話を着想している。

著者プロフィール

西園啓文
金沢医科大学、講師。専門はゲノム編集による遺伝子改変動物の作製と、哺乳類受精卵の発生過程における卵管液成分の作用メカニズムの解明。小説執筆は2015年前後から開始し、現在もwebで活動中。サイエンスイラストレーターとしても活動している。
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