批判され/批判して自分を磨く「フィードバック力」(2008年5月号)のOnline Supplement Material
本誌連載 第5回『批判され/批判して自分を磨く「フィードバック力」』では,研究を仕事とするうえで特に必要とされる「フィードバック力」について,その意義・実践的な使い方をご紹介いただきました.
今回のOnline Supplement Materialでは,より効果的なフィードバックを与えるために心がけたい,コストパフォーマンスへの意識をご提案いただきます.(編集部)
本誌連載でも紹介したように,適切な「フィードバック」は,評価する側・される側の双方に絶好の成長の機会を与える.
しかし「フィードバック」が,人と人の間でなされるものであり,「自尊心」「支配欲」などに絡み合ってくる以上,かなりデリケートな行為であることには間違いない.ちょっとした言い回しや伝えるべきニュアンスを間違えた心ない「フィードバック」のために,利益(成長)を得るどころか,かえって損失となってしまうことさえある.こういった場合は,むしろ「あえてフィードバックをしない」方が良かったということになる.
ここでは部下を「評価」する場合を例にとって,すべきでなかった「心ないフィードバック」とはどのようなものかを考えてみる.
エグゼクティブ・コーチMarshall Goldsmithのビジネス誌FastCompanyでのエッセイ“Adding Value-But at What Cost?”によると,成功してきたCEOがよく犯してしまう,優秀な部下のやる気をそぐ言動の1つが“Great idea, but......”つまり「君のアイデアは確かにすばらしい.しかし,私ならここをもうちょっとこうしてさらに良くするね…」である.
Goldsmithによれば成功してきたCEOほど,すべての事を自分流に改善することが習慣化しており,何事においてもほんのすこしでもよいから改善しようとする.生産性の改善自体は確かにポジティブな側面であるが,ネガティブな側面は部下が必死で考えてきたアイデアにけちをつけ,改善・改訂し最終案のオーナーシップを一部(または大部分)CEOがとることにより,部下のモチベーションが下がることである.たとえば,アイデアの改善・改訂により5%利益が上がるはずであっても,部下の士気の低下により実際には15%利益が下がれば,トータルでは何の改善にもなっていない.
自分にとっては改善点が明らかである場合,多くの人はそれを取り入れたくなるだろう.個人作業においてなら,もちろんそれは奨励される.しかし,それがチームでの仕事であると,改善点の指摘は「フィードバック」の様子を呈してくるため,取扱いに注意が必要となってくる.
こういった場合,それが「すべきでなかったフィードバック」だったとしても,本人は「適切なフィードバックをした」と気付いていないことも多い.その改善がどの程度の利益をもたらすのか? それによって生じる損失とは? あえて「フィードバックをしない」という選択肢もあるはずである.
もしあなたがひとをスーパーバイズする立場にあり,部下や後輩の優れた提案に,小さなあらを見つけたときには,それを指摘する前に次のように自問しよう: