執筆/竹本佳弘
〔筑波大学グローバル教育院教授(誌面掲載時は東京医科歯科大学大学院疾患予防科学コース特任教授)〕
本コンテンツについて
コミュニケーションスキルとしてよく利用される「コーチング」をサイエンスの現場に取り入れた事例をもとに,ラボでのよりよいコミュニケーションについて紹介していきます.(編集部)
本コンテンツは2017年に雑誌『実験医学』に連載として掲載されたものになります.
第1回 先生,装置を壊してしまいました・・・①
皆さんのラボではうまくコミュニケーションできていますか?「教授とうまく会話できなくて」「ラボの雰囲気が悪くて困っているんだ」.私は大学,理化学研究所,そして企業での研究生活を通して,自分の失敗を含めていろんな方々の対応を見てきました.PIと学生,ポスドクと学生,PI同士,コミュニケーションの齟齬はいろんな問題を引き起こします.サイエンスの現場でもコミュニケーションがもっとうまくいけば,研究を楽しみつつもっと研究成果が挙がるのではないでしょうか.ビジネスの世界で使われるコミュニケーションスキルである「コーチング」は,最近医療の世界にも取り入れられ注目されています.治療やリハビリ効果を上げたり,医療事故を減らしたり,スタッフの離職率が改善するといったエビデンスも出ています.この連載では「コーチング」のスキルをラボ生活に導入した事例を紹介し,よりよいコミュニケーションについて皆さんと考えていきたいと思います.
さて,連載第1回の今回はラボで必ず起こる「失敗」の事例をもとにコミュニケーションについて考えてみましょう!
学生のS君は研究室に配属後,ようやく先生から高価な分析装置の使用を許可された.装置の使い方にも慣れてきた頃に事故は起こった.うっかりして装置の冷却機能を作動するのを忘れてしまったのだ.装置は冷却されず,高価な装置は焼けてしまい使えなくなってしまった.「取り返しのつかないことをしてしまった.さすがにこの失敗は隠せないし,先生に激怒されるだろうな,どうしようか…」と思いながらもS君は,先生へしぶしぶ状況を報告.先生は案の定,真っ赤な顔で…
A先生「なにー,いったい君は何をやってくれたんだ.装置の扱いには,くれぐれも注意しろと言っただろう.」
学生S「はい,すみません,いったいどうしたらいいのか…」
A先生「どうもこうもないだろう.君はいったい何を考えているんだ.あの装置が壊れたらどうやって研究をやるんだ! 君のお陰でみんな研究ができなくなるのだぞ.いったいどうするつもりだ.」
学生S「すみません,ちゃんとやったつもりだったのですが…」
A先生「ちゃんとやっただと? 実際に装置が壊れているじゃないか.それでもちゃんとやったというのか?」
先生の苦言はいつまでも続く…
S君はその日以降すっかり体調を崩してしまい,なんとか学校は卒業できたものの,この件がすっかりトラウマとなってしまい,憧れだった研究の世界から離れていった.
確かに学生はたいへんな失敗をしたし,先生が激怒するのも無理のない話です.おそらくみなさんも,「いるんだよね,本当にどうしようもない学生だな」と捉えられたことと思います.では次に少し視点を変えて対応された例を見てみましょう.
B先生「なんだって….うーん,これはたいへんなことになったな.それで君は異変にすぐに気がついて,とりあえず被害を最小限に抑えることができたんだね.」
学生S「はい,なんとか火事になる前に気がつきました.本当にすみません.」
B先生「そうか,とりあえず火事にならなかったのは良かったとするか.さて装置を動かす際にはくれぐれも注意するように言っておいたが,そこはわかっているようだね.」
学生S「はい,わかっているつもりでした.すみません…」
B先生「あれだけ注意しておいたのに,なぜこの事故が起こったのかな.注意だけでは防げないような他の問題はなかったろうか?」…(続く)
リサーチコーチの視点
さて,ここで2人の先生の対応について考えてみましょう.今回の事例,どちらの会話例も装置が壊れて研究に障害が発生していますが,前者の場合は残念ながら学生が叱られているにとどまり,今後事故を再発させないための対策にも取り組めていません.ですので今後も同様の事故が発生する可能性が高いと思われます.
一方後者の例では,このような状況の中でも学生の緊張を解きながら,事故後すぐに再発防止に向けた取り組みへと前向きに動き出しています.皆さんはどちらの研究室で過ごしたいですか.
研究を行う際に,学生を含めたスタッフのモチベーションの力は大きいものです.研究室のモチベーションの視点で改めて考えてみますと,後者の先生の対応はたいへん興味深いものがあります.では早速,お2人の先生の学生への対応を一つひとつ見てみましょう.
A先生は学生のS君を一方的に非難していますが,B先生は,まずは緊張しているS君の緊張を解きながら,現状の正確な理解に努めています.さらに最初に現状の把握を行った上で,S君ができたこと(すぐに異常に気が付き,被害を最小限にとどめたこと)を承認しています.
A先生は,注意したのにできないS君の能力にすべての原因があるとしています.
一方B先生は,自分達の対応(この場合は,装置の利用についてのルール・手順など)に問題がなかったか,事故の本当の原因は何かを質問しています.これはS君に対する質問と同時に,自分に向けた質問でもあります.S君はこのようなB先生の対応をみて,おそらく問題解決に向けたB先生の姿勢から研究への取り組み姿勢を学んだことと思います.S君は,B先生の事故時における冷静な対応,そして事故を起した自分の中にも良い点を見出してもらったことに感銘を受けたことと思います.
さて今回のような事故は,残念ながら研究室ではよく起こります.事故の際にどのような対応を取るかによって,研究室の雰囲気やラボメンバーのモチベーション,さらにはその後の研究の進展が大きく変わるものです.どのような環境で研究したいのか,そしてどのような研究をめざすのかを考え,まずは普段の研究室内でのコミュニケーションの取り方から,今一度見つめ直してみてはいかがでしょうか.
次回はこの例の続きを見ることで,事故再発防止に取り組んだ事例について考えてみます.
今回のキーポイント
- 学生の話は,とりあえずしっかり聞いてあげよう
- WhoからWhatへ:誰が悪いから,何を変えれば改善するのかを考えてみよう
ラボで実践! コミュニケーション術 目次
- 先生,装置を壊してしまいました・・・① (2018/07/06公開)
- 先生,装置を壊してしまいました・・・② (2018/07/13公開)
- 先生,あの学生とは一緒に研究できません…① (2018/07/20公開)
- 先生,あの学生とは一緒に研究できません…② (2018/07/27公開)
- 教員になったのですが,学生とうまくいきません… (2018/08/03公開)
- 勉強会,なんだかうまくいかないのです. (2018/08/31公開)
- 威圧的っていわれるんです. (2018/09/21公開)
- 留学生がやってくることになったのですが? (2018/09/28公開)