執筆/竹本佳弘
〔筑波大学グローバル教育院教授(誌面掲載時は東京医科歯科大学大学院疾患予防科学コース特任教授)〕
本コンテンツについて
コミュニケーションスキルとしてよく利用される「コーチング」をサイエンスの現場に取り入れた事例をもとに,ラボでのよりよいコミュニケーションについて紹介していきます.(編集部)
本コンテンツは2017年に雑誌『実験医学』に連載として掲載されたものになります.
第5回 教員になったのですが,学生とうまくいきません…
この連載では,コミュニケーションスキルとしてよく利用される「コーチング」をサイエンスの現場に取り入れた事例を紹介することで,ラボでのよりよいコミュニケーションについて皆さんと考えていきます.第1回と第2回では,ラボでよく起こる「失敗」の事例をご紹介し,第3回と第4回では,ラボでの苦手な人への対応方法を取り上げました.
さて,第5回は,新任教員の話題です.新学期になり皆さんの中にも新しい役職・役割を担う人が多いと思いますが,自分より周りの方がよくできると感じることはありませんか?ここでは新任の助教が,学生からなかなか信頼を獲得できない事例を取り上げ,どのように改善できたのか見てみたいと思います.
K助教は4月に助教になったばかりのピカピカの教員.K助教は新任早々に学生S君から実験方法を聞かれて答えられずに,思わず知識と経験がないのに取り繕って誤った指導をしてしまいました.たまたまその場に通りかかった隣の研究室の学生E君は,その分野に詳しくS君に聞かれてS君の疑問点を簡単に解消してしまいます.その様子を目の前で見ていたK助教は,大きなショックを受け思わずS君に感情的に対応してしまいます.
K助教「S君,いいかな.ちょっと来てくれるかな.なぜ教員である私に相談していたのに,通りかかった学生のE君に聞くのだ?」
学生S「たまたま,先輩が通りかかったので.」
(K先生はちゃんと指導してくれなかったのに…)K助教「たまたま? 私と話をしていたのだから,その話がちゃんと終わってから,他の人と話すのが筋じゃないか.そのような態度なら今後は指導できないよ.」
学生S「…わかりました.」
(もうこれからは,なるべくK先生には相談しないようにしよう.)K助教は今回の件で,すっかり学生と気まずくなってしまった.
この事件の後で,K助教は学生への対応に関してB先生に相談します.そして全く違った状況を生み出します.
K助教「B先生,いま少しお時間よろしいでしょうか?」
B先生「いいよ,30分ぐらいなら.新任で張り切っているみたいだね.」
K助教「はい,そうなんですが,実は,まだ知識も経験も不十分で自信がなくて.先日も学生のS君に質問された際に答えられずにいたところに,自分よりもその分野に詳しい学生が通りかかって,S君がそちらに質問しなおすものですから,ついカッとなってしまいました.」
B先生「そうだったんだね.もう少し詳しく話してくれる?」
K助教「実はその後,自分でも何に腹が立ったのかよくわからなくなって考えてみたのです.冷静になってみると,ひとつは質問に答えられない自分自身に対して,もうひとつは学生の態度に対して腹が立ったのだと思います.」
B先生「自分と学生に腹を立てたんだね.ところで聞いてみたいんだけど,君が考える教員とはどのような人かな?」
K助教「え? 私の考える教員ですか?うーん(しばらく考える),私は誰よりもよく研究のことを知っていて,皆をリードできる人だと思います.」
B先生「そうだね.他にはない?」
K助教「正直なところよくわかりませんが,学生が1人で研究ができるようにサポートしてあげるのは大切だと思います.」
B先生「学生の成長をサポートするんだね.じゃ今後,今回と同じようなことが起こった時に,何かできそうなことはある?」
K助教「そうですね,自分が知らないことを聞かれたらやっぱり正直なところ困りますが,そんな中でもどうすれば問題を解決できるか,学生と一緒に考えてあげることならできるかもしれません.」
B先生「いいね.問題解決へ向けた一歩をサポートしてあげるんだね.」
K助教は,その後しばらくB先生と談笑した後で研究室に戻ると,学生SがK助教に別の実験の相談に来た.
学生S「K先生,先日は失礼しました.実は先日の論文で紹介があった実験で悩んでいるのですが.何度もやってみたのですが,うまくいかず原因がどうしてもわからなくて.」
K助教「あーS君,こちらこそ先日は悪かったね.怒ったりして.ところで今話してくれた新しい実験のことだけど,実は私もやったことがないのだよ.でも知人で詳しい先生がいるから,その先生のところに行って一緒に問題点を検討しようか.」
K助教は,S君に課題に取組む姿勢を示したことで,教員としての大きな一歩を踏み出しました.S君はK助教に相談することに抵抗を感じていましたが,今回の対応ですっかりK助教への信頼を回復しました.
リサーチコーチの視点
今回の「よくあるコミュニケーション」の事例ですが,このケースのように新任のポストに就いた人は「知らない」の一言が言えずに無茶をしがちです(これは実は新任の教員に限らず誰にでもありますが).このような対応は,個人の信用を落とすと同時に,時に大きな事故につながることがあるので注意が必要です.今回は,K助教がB先生との対話から教員として成長に向けた一歩を踏み出します.では会話を1つひとつ見ていきましょう.
ねばならないという呪縛
私たちは日頃,「こうであらねばならない※,こうであるにちがいない」との思いに囚われがちです(このような先生の状態を「ねばなら先生」とでもいいますでしょうか).新年度になり新しい役職・役割を担う際に,特に新任の場合は知識も経験も十分ではないにもかかわらず教員や研究員としての立場が周囲から求められます(今回のケースでは,「新人教員でも,何にでも答えられなければならない.」など).このような場合に,自分が知らないことを認めることができずに無理をしがちです.そこで自分の本来の役割に対して「他にはないか?」などの質問を出すことで,自分が囚われているものや前提としているものを洗い出して再検討してみると,様々な機会が見えてくることもあります.
新人を見る目にも囚われがち
もう1点,実は,この「ねばなら・ちがいない」は,研究室や会社などの組織に入ったばかりの学生や新人にも言えます.私たちは,新人は何も知らないから役に立たないという思いに囚われがちです.一方,新人にしかできないこともあります.それはフレッシュな目で対象(研究や組織など)を見ることです.フレッシュな目で見た新人の意見は,さまざまな気づきをもたらすことがあります.しかし,1年もすると,他の人と同様に何もかもが当たり前に見えるようになってしまいます.私たちも新人の意見には謙虚に耳を傾けたいものです.また新人の皆さんも,新しい研究室や職場で何か気がついたことがあればノートに記録しておき,それが使える時(先生,上司,組織が意見を受容できる状況が生まれるまで)が来るまで大切に取っておくと良いかもしれません.
さて,現代のように技術の進歩が早く,発表される論文数が指数関数的に増加し専門分野も従来よりもさらに細分化されてくると,自分の専門分野でさえフォローするのが難しい時代になりました.さらに,インターネットやAIなどの新たなツールも生まれています.このような時代になると,教員の指導も従来のようなトップダウン的な方法では対応しきれなくなるかもしれません.そんな時に「ねばなら・ちがいない」を再確認してみてはどうでしょうか.
次回は,経験の浅いラボメンバーによる初歩的な質問を題材にして研究の視点を変える質問について考えてみます.
今回のキーポイント
- 前提条件や自分・相手が囚われているものを再検討してみよう
- 「ねばなら先生」から,時に「コーチ型先生」へ
※ コーチの世界では,「こうであらねばならない」という状況をビリーフと呼んでいます.ビリーフには,ラショナルビリーフとイラショナルビリーフがあり心理学の分野ではよく研究されています.
ラボで実践! コミュニケーション術 目次
- 先生,装置を壊してしまいました・・・① (2018/07/06公開)
- 先生,装置を壊してしまいました・・・② (2018/07/13公開)
- 先生,あの学生とは一緒に研究できません…① (2018/07/20公開)
- 先生,あの学生とは一緒に研究できません…② (2018/07/27公開)
- 教員になったのですが,学生とうまくいきません… (2018/08/03公開)
- 勉強会,なんだかうまくいかないのです. (2018/08/31公開)
- 威圧的っていわれるんです. (2018/09/21公開)
- 留学生がやってくることになったのですが? (2018/09/28公開)