ヒトは、カロリー摂取の目的のみにて食べるにあらず。味覚と嗅覚、体内の代謝状態、内臓感覚が揺らがせる「食欲」と「おいしさ」。そこに秘められた分子・神経基盤に迫る!
目次
特集
食欲と食嗜好のサイエンス
体外からの味・匂いと、体内の栄養情報に揺り動かされる決断のメカニズム
企画/佐々木 努
概論―食欲・食嗜好の研究へようこそ!【佐々木 努】
ヒトはなぜ食べ,何を食べ,どうして太るのか? 毎日何気なくくり返している食行動について,よく考えてみたことはあるだろうか? 古来より「医食同源」と言われているが,日々の何気ない食行動は,皆さんの健康に大きな影響を与えている.本特集では,食行動の背景にある食欲・食嗜好の分子・神経基盤に関する研究について,「その社会的意義,わかっていること,重要かつ未解決な課題」を整理する.多くの方々の興味を喚起し,社会への波及効果の大きいこの学際的研究領域の発展につなげたいと思う.
われわれは食べ物を口に入れたときに感じる味の違いにより,食べ物の状態を判断し,好ましい味であれば飲みこみ,受けつけられない味であれば摂食を中断する.食べ物に対する嗜好を決める要因として,味,匂い,食感や温度,そして形状や色などがあげられる.このうち味は,食べ物と直接接して生じる感覚であることから,嗜好性を決定する重要な因子といえる.本稿では,味の受容・伝達機構について概説した後,食経験をキーワードとしたわれわれの取り組みを紹介する.
食行動を支える嗅覚:匂いによる食欲の制御機構【山口正洋】
食行動は食欲,すなわち食べたいというモチベーションに支えられている.しかし,どのような脳の働きによって食のモチベーションが生まれているかはよくわかっていない.「食べ物の匂い」はわれわれの食欲を強く刺激する感覚入力である.本稿では,嗅覚神経回路が情動・モチベーションの神経回路と密接に結びついていること,嗅皮質には匂いが誘導するモチベーションに対応した機能ドメインがあることを紹介し,食べ物の匂いを新たに学習して食のモチベーションに結びつける神経機構がわれわれの食行動を大きく左右することを説明する.
食関連ホルモンの求心性迷走神経を介した情報伝達による摂食調節機構【岩﨑有作,矢田俊彦】
求心性迷走神経は,末梢情報を瞬時に受容し,神経情報に変換して延髄孤束核へ伝達する内臓感覚神経の一種である.近年,食前後に分泌が変動する食関連ホルモン(胃腸膵ホルモン)は,求心性迷走神経へ直接作用して摂食量を調節していることが明らかとなってきた.本稿では,求心性迷走神経の基礎と研究の歴史を解説し,食関連ホルモンによる求心性迷走神経を介した摂食調節機構について最新の知見を含めて紹介する.また,この分野の未解決課題を挙げ,将来を展望する.
血液脳関門を介した栄養情報伝達による食欲の制御【田中智洋】
末梢組織でのエネルギー需給の情報は,栄養素そのものの脳移行,脳を標的とするホルモンの作用,自律神経求心路の活動などを介して脳内の食欲中枢に伝達され,われわれの食行動を規定する.脳では多数のニューロン間でシナプスを介した複雑な情報伝達が正確に行われねばならないため,脳に浸透する物質は血液脳関門により高度に制限されている.本稿では,まず血液脳関門のしくみを概説し,栄養素やホルモンが血液脳関門を通過するメカニズムと,血液脳関門の存在が哺乳類個体の栄養応答性に及ぼす生理的,病態的意義について解説する.
恒常的摂食調節機構と食嗜好性制御機構との関連【岡本士毅】
視床下部は,本能行動を司るニューロン群が比較的局在して神経核を成しているため,さまざまな本能行動を司る上位中枢集合体として古くから研究されてきた.近年の分子遺伝学的技術の飛躍的な発達により,視床下部における単一ニューロンの行動制御に対する寄与が次々と解明されはじめ,摂食行動のみならず性行動,体内時計と睡眠,自律神経系・内分泌系の制御に加え,情動や報酬系との関連も再認識されている.本稿では,定説とされてきた摂食調節メカニズムに,新たな知見から解明された新摂食調節回路を加えて概説し,食嗜好性との関連が示唆されるペプチド性伝達物質についても考察する.
感覚・情動・学習を介した食嗜好とその脳基盤【八十島安伸】
摂食行動は生得的な行動の一種であるが,その制御には,味覚・口腔体性感覚や嗅覚などの感覚刺激と摂取後効果を担う内臓・内受容感覚刺激がかかわること,また,それらの連合学習が食物報酬の情動的評価(食嗜好性)や欲求行動を修飾・変容させることがわかってきた.近年の研究によって,それらの食嗜好の変容を生み出す脳機構には内臓からの液性因子や脳内ホルモンなどが作用することが明らかとなりつつある.つまり,食嗜好は脳腸相関を介した報酬学習の結果として捉えることができる.その学習の異常が過食や肥満などの摂食異常の背景要因として注目されている.
摂食調節における性差と性ホルモンの役割【鷹股 亮,森本恵子】
摂食行動には性差があり,摂食行動調節は性ホルモンの影響を受ける.女性ホルモンであるエストロゲンには抗肥満・摂食抑制作用があるが,この作用は主にエストロゲン受容体αを介していると考えられている.エストロゲンは,延髄孤束核においてコレシストキニンの満腹作用を増強して摂食量を減少させる.また,レプチン受容体発現,プロオピオメラノコルチン/コカインアンフェタミン調節転写産物(POMC/CART)ニューロン,セロトニンニューロンを介した摂食抑制がその主なメカニズムとして示されている.また,エストロゲンは摂食行動の日内リズム調節にも関与している可能性がある.しかし,エストロゲンの摂食抑制作用の詳細なメカニズムについては不明な点も多い.エストロゲンの摂食抑制作用のメカニズムを明らかにすることは,閉経後女性の肥満や生活習慣病予防につながり,今後のさらなる研究の発展が期待される.
連載
News & Hot Paper Digest
哺乳類における細胞リプログラミングの発見ー筋線維芽細胞から脂肪細胞への転換【妹尾 誠】
腫瘍内不均一性はグルタミン欠乏により引き起こされる?【河野 晋】
クラスター型プロトカドヘリンの本領発揮なるかー複雑ニューラルネットワークの結合ルール解明に向けて【足澤悦子】
民間から提供される研究費の活用と情報収集【長谷川 均】
特別インタビュー
これでいいのか,日本の医学研究者!ー患者さんのために,世界のために貢献するということ【中村祐輔】
カレントトピックス
補助サブユニットの活用による創薬ー前脳特異的なAMPA受容体阻害剤の発見による副作用の少ないてんかん抑制【加藤明彦】
植物の防御機構の新しい一面ー糖トランスポーター制御による細胞外の糖含量コントロール【山田晃嗣,高野義孝】
クエイキング欠損はニッチ外でがん幹細胞の幹細胞性を維持させる【新宮多加志,Jian Hu】
低酸素環境による成体マウスでの心臓再生【中田祐二,木村 航,Hesham A. Sadek】
クローズアップ実験法
SBバッファーを用いたDNA電気泳動の時間短縮【安田 圭】
いま、がんのクリニカルシークエンスがおもしろい!
がんゲノムデータベースからcfDNAクリニカルシークエンスへ【中川英刀】
私のメンター
Thomas P. Stosselー「実験医学」を体現する指導者【太田安隆】
ラボで実践! コミュニケーション術
「先生,あの学生とは一緒に研究できません…」❷【竹本佳弘】
つながる、産と学の手
産学連携をより進めるための「透明性の確保」【田中徳雄】
予防医学の扉を開く 食品に秘められたサイエンス
吸収されてもされなくても―食品ペプチドの生理作用【原 博】
ラボレポート留学編
のどかなレマン湖の畔からーDepartment of basic neurosciences, University of Geneva【山田義之】
Opinion
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構造生命科学の現状と今後【提供/国立研究開発法人 科学技術振興機構 CREST「構造生命」・さきがけ「構造生命科学」領域】
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(2021年8月23日)