本コーナーでは,実験医学連載「Opinion」からの掲載文をご紹介します.研究者をとりまく環境や社会的な責任が変容しつつある現在,若手研究者が直面するキャリア形成の問題や情報発信のあり方について,現在の研究現場に関わる人々からの生の声をお届けします.(編集部)
日本国民のたった200人,そのうちの2人が,私達なのか!? と驚かされた報告が「(ここ10年ほどの日本人学生の米国における年間の博士号取得者数は)200人規模で横ばい傾向にある」です(文部科学省 平成21年科学技術白書 第1部第1章第2節).また,その白書で,国外においての研究よりも国内での研究の高まり,すなわち「内向き志向」の懸念が示唆されています.事実,日本のサイエンスの米国での認識は,「研究の独自性は評価するが,その情報を国際的に発信する力に欠けている」といったものです.これは私達が渡米して10年間,変わらぬ評価だと肌身に感じます.
グローバリズムが加速するなか,いかに若手研究者として自分自身を確立し,そして,国際的な認知を得るか? 情報発信の教育に重点をおく米国大学院での,私達の経験を紹介したいと思います.
これは,私達が渡米したときの恩師からの言葉です.私達の場合,それはティーチング(主に学部生に対し,授業またはその補佐を行うこと)で磨かれました.米国大学院では,ティーチング・アシスタント制度があり,博士号取得には少なくとも半年のティーチング経験が必須です.報酬として,その期間の授業料の全額免除,月々の給与支給の特典が与えられます.よく言われるのが,米国の授業では日本のそれと比べ,学生と教員がインタラクティブである点です.米国では,学部生とはいえ議論力が高く,教える側にも同等以上の力が要求されます.また限られた授業時間で,生徒に自分の意見を端的に述べる必要性があります.授業に苦心し,ティーチングの期間終了時には,恩師の,英語を「使いこなせ」という言葉を反芻しました.
米国では,学部生レベルでも,積極的に議論をします.私達が感じた,日本と米国の議論の違いを2点紹介します.1つ目は,彼らは起承転結ではなく,主義主張を先に述べます.この論理の展開法は日本文とは逆です.そのため私達は何度となく,忍耐力のない相手を苛立たせてしまいました.2つ目は,「ナゼ」を問うことに重きを置くことです.物事を考えるときはもちろん,論文や研究費申請書の一字一句に「ナゼ」を貪欲に問います.上記2つは,科学分野に限ったことではなく,日本特有の「阿吽の呼吸」で示される曖昧を良いとする文化と相対する米国の文化が,これら表現法に反映しているのでしょう.
米国大学院では,驚くほど多種多様な人々が集まります.米国の科学研究費を牛耳るNIHやNSFなどは,昨今,学際的研究を推奨し,その予算を拡充しています.その結果,米国では,学問分野の境界を越えた共同研究が空前のブームになりつつあります.その環境に身を投じ,多国籍で多分野の研究者とともに研究をし,意見を戦わせるのです.その経験が自分の将来の研究の輪を世界に広げ,結果として自分のプレゼンスを世界に広めるのだと思います.
最後に.日本は,母国語で科学教育ができる数少ない国の1つです.「言語がその国の文化を造り上げる」といった観点からすれば,日本語によるサイエンスとその教育が,日本独自のサイエンスを生み出すことは間違いなく,一概に「内向き志向」が悪いとはいえません.一方で,ガラパゴス諸島の動物ではないですが,日本のサイエンスが世界から孤立すると危惧する声があるのも事実です.前述の3項目が若手日本人研究者にとってのキャリアパス,さらには,国際的なプレゼンスを確保するための参考となれば幸いです.
謝辞 TJF,NS,SH,CK,MS,AK
神山大地(マイアミ大学,カリフォルニア大学)/神山理恵(子育て中)
※実験医学2010年10月号より転載