本コーナーでは,実験医学連載「Opinion」からの掲載文をご紹介します.研究者をとりまく環境や社会的な責任が変容しつつある現在,若手研究者が直面するキャリア形成の問題や情報発信のあり方について,現在の研究現場に関わる人々からの生の声をお届けします.(編集部)
私たちは“見ること”,視覚から膨大な情報を得ることで,新たな知識を獲得したり,発見をしたり,そして自らが得た知見を文字やその他の見える形に起こし,情報の伝達を行っています.もちろん見ること,見える形に起こすことは,医学分野においても重要な役割を担っており,画像診断による病状把握,最新論文の精読,研究成果の論文化など,コミュニケーションの大事な手段でもあります.
私が医学の分野で情報を見える形に起こすお手伝いをはじめたのは,もう5年も前のことです.
“手術の絵を描いてみないか”
デッサンのレクチャーをしに訪問していた病院で,医師の方から言われた一言がきっかけでした.当時東京藝術大学の修士課程の学生だった私は,そもそもなぜ医師がデッサンなど習う必要があるのかと疑問に思っていましたが,患者さんに手術手技の説明を行う際,サッと目の前で簡潔な絵を描き内容を上手く伝えて安心させたいとの思いを聞いて,驚いたのを今でも覚えています.
それから現在に至るまで,手術手技を中心に情報を絵として起こしてきました.患者さんに提示するだけでなく論文のfigureとして活用するなど,見える形に起こすことで広がる可能性を目の当たりにし,コミュニケーションのツールとしてもっと深く取り組んでみるのはどうだろうかと,今では研究対象として格闘する日々です.
医学の分野で情報を絵に起こす際,正確さは必須条件です.医学的な条件が正しくなければ,見た人たちは正しい情報を得ることはできません.その中で私が最も大事にしていることは,絵の中で“うそ”をつくことです.“うそ”というと何だか聞こえが悪いですが,絵における“うそ”とは,“魅せる”ことと同義でもあります.光の当たり方を一方向に設定し影を強く描く,顔面手術の際の患者さんの顔に笑みを施す,見えない細胞に鮮やかな色を差すなど,うその付き方は多種多様です.
もちろん“うそ”と情報としての正しさとのせめぎ合いは常につきものです.18世紀,初めてカラー印刷を用いて解剖図を出版したゴーティエ・ダゴティ,彼の描いた人体の情報は間違いだらけだったために,“解剖図”として活用されることがなかった一方で,絵画としての価値を見出したブルジョア階級の人々がこぞって購入をしたと言われています.情報を伝えるのか,絵として魅せるのか.“うそ”はつきようによっては本当に“うそ”になりかねません.上手に“うそ”をつくためには技術だけではなく,医学の知識や,医師・研究者との対話が重要です.
頭部リンパ系図
しかし,なぜ“うそ”をつく必要があるのでしょうか.それは,適切な“うそ”すなわち“魅せること”が情報をより円滑に伝える手段になり得ると感じているからです.発達し続ける医学や科学の恩恵を受ける現代において,正しい学術情報は研究者だけでなく,すべての人々にとって重要なものになりつつあります.伝わりにくい高度な情報を絵にして“魅せる”ことで,情報のわかりやすさや説得力の向上,さらには科学そのものに興味をもつきっかけになるのではないかと考えています.言葉を超え,専門を越え,年齢をも超えて,情報と人とを結びつけることは新たな出会い,新たなコミュニケーションの創造につながっていくだろう,私はそのつなぎ目役でありたいと“うそ”をつく度に思うのです.
医学と藝術は真逆の世界なのではとよく言われます.しかし五感を使用するすべてのものは藝術たりうるのではないでしょうか.ルネサンス時代がそうであったように,医学と藝術とが再び手を取り合って歩んでいけるよう,奮闘し続けたいと思います.
原木万紀子(東京大学大学院医学系研究科医療コミュニケーション学博士課程)
※実験医学2015年3月号より転載