本連載をはじめるにあたって
研究者として自立し生きていくなかで,いくつもの岐路があります.グローバル化の波が押し寄せ,日本の国際化が進むこれからを考えたとき,留学はキャリア形成を大きく左右する「研究者人生の大事な分岐点」です.留学に大きな可能性を感じる一方で,実に多くの方が躊躇されています.自分にとっての「留学」が果たしてどのようなものか,イメージすることが難しいことに大きな原因があるようです.
私たちが運営する全世界日本人研究者ネットワーク(UJA)に寄せられるのは,「語学に自信がない」「留学先の探しかたがわからない」「家族は現地になじめるか」「留学後に職を得ることができるのか」といった切実な悩みです.留学にはさまざまなケースがあり,予測の困難なものと言えるでしょう.一方,留学することにより,国際的な感覚が備わり,英語で伝える力が磨かれ,生涯にわたる人的つながりを得られることが,UJAの行ったアンケートからわかっています.
本連載では,さまざまな事情や思いから留学に足踏みをされている大学院生や研究者に向けて,自分にとって最適な留学を考え,その第一歩を踏み出すための“処方箋”となる情報を提供していきます.
(佐々木敦朗)
はじめまして,UJA会長を務めております,シンシナティ大学の佐々木敦朗と申します.今でこそ,私は米国の大学でラボを主宰し,米国の研究費(NIH-R01)を取得し研究をしていますが,かつての私にとって「留学」はとうてい縁のないものでした.大学から大学院修士課程までの6年間で,同級生,先輩に留学された方はおらず,周囲の留学経験者は教授とスタッフの先生方のみ.「留学」は教授となるような一部の選ばれた方がするものであり,研究テーマの基礎的なことに格闘している自分とは,次元を超えたギャップがあると思っていました.
私の「留学」への意識は,大学院博士課程での幸運な出会いにより,大きく変わりました.私は研究の面白さ,そして指導教官となる吉村昭彦先生(現・慶應義塾大学医学部教授)の人柄に惹かれ,久留米大学の博士課程への進学を決めました.妻の臨月が迫るなかでの進学でした.吉村先生は,准教授のときに米国MIT(マサチューセッツ工科大学)に留学され,1年の間にNatureに論文を出され,37歳の若さで久留米大学の教授に就任されました.研究の何もかもをお見通しで,海外の研究者と英語で自由自在にやりとりされる,同じ人間と思えない超人的存在でした.ところが,吉村先生がラボのホームページに書かれた留学体験記「ボストン留学の思い出」から,先生が留学先を自分で探され,留学の不安と葛藤されていたことを知りました.講演や教授室で忙しく書き物をされている先生にも,自分たちと同じように,研究者としてのキャリアに悩みつつも研究されていたことは驚きでした.私の中に,尊敬する先生が辿った道,すなわち留学への憧れが生まれた瞬間でした.
その後,ラボの先輩方が次々に留学していきました.同じ釜のご飯を食べて苦楽をともにした先輩方が,世界で渡り合っている話を聞くにつれ,「留学」への憧れはより身近なものになりました.そして大学院4年生の秋,免疫沈降用のサンプルを遠心しているときに,突如,留学への「憧れ」が「決意」に変わりました.突然の決意は,未来で大きく成長する期待感とともに体を巡り,新たな力が湧いてきました.椅子から立ち上がり,こぶしを握り,大きく息を吸ったのを覚えています.2001年,吉村先生と九州大学へ移ったときに,留学についてご相談しました.吉村先生は快く受け入れ,全面的にサポートしてくださりました,今も感謝の念でいっぱいです.それから,留学に向けすべてがジェットコースターのように動き出しました.
そして2002年,米国で独立することを目標に,家族4人でカリフォルニア大学サンディエゴ校へ留学しました.出発当日の朝4時まで日本のラボで研究をし,そのまま成田空港へ向かいました.今思えば,根性論としては◎ですが,留学の出だしとしては×です.ジェットコースターはスリリングで刺激的ですが,あまりの早さに,情報を得ることは実に難しいものです.私は吉村先生の体験記,そして先輩3人の経験談だけを頼りに,早急とも言える短期間の準備で留学しました.准教授で留学された吉村先生,そして医師として人生経験も貯蓄も豊富な先輩の体験談は,29歳の自分と妻,5歳の息子と2歳の娘,貯蓄どころか育英会の借金をもつ私とは,あまりに状況がかけ離れていました.もう少しゆとりをもち,自分の状況にあう情報を広く得るべきでした.
その後,2005年に家族で大陸を横断してボストンへ移り,セカンドポスドクとしてハーバード大学で研究を始めることになりました.カリフォルニアでの仕事も順調に動き出し,ボスからの大きな信頼も得てきた状況での珍しいケースだったと思いますが,独立する道を模索するための異動でした.そしてボストンで7年間のポスドク研究を続け,2012年にようやく,留学開始時からの目標であった米国での独立ラボを構えることができました.
しかしここまでの10年間は,波瀾万丈のポスドク生活でした.準備の余裕がないままの文字通りの体当たり留学で,家族を巻き込み,住居,車,子どもの学校,ラボ生活,ありとあらゆるピットフォールにはまりました.事前に情報をしっかり入手していれば,より円滑なスタートを切り,より充実したラボ生活を送ることができたことでしょう.過去の自分に伝えたいことがたくさんあります.
例えば,留学をするしないにかかわらず,研究者のキャリアオプションとして留学について情報を早くから得ること.国際的研究者となることを意識し,英会話の勉強を日常に取り入れること.留学先の業績だけでなく,ボスのスタイルや,ラボの卒業生,周囲の方々の評判を調べ,自分と合うか考えること(Aさんに合っても,あなたに合うラボとは限らない).アプリケーションレターは,自分がいかにそのラボにマッチするのか,アピールすること.そして,英語の堪能な方に誤字脱字をチェックしてもらい,海外でのキャリアがある方にも読んでもらうこと.サクセスストーリーだけでなく,留学での苦労,困難についてもどのようなケースがあるのか知ること.留学の前から留学は始まっていると考え,自立した研究者をめざし多く学ぶこと.そして自分の経済状態,家族の状況を考え,生活の準備を前もってすること.日本での研究のラストスパートは早めにかけること.留学してからは,研究に加えて,セミナーやイベントにも積極的に参加し,胸襟を開き多くの人と学び合うこと.留学における自分のゴールと時間を定めること.その他にも,ここには書き切れないほどです.
10年間のポスドクとしての留学生活で,多くの素晴らしい友人との出会いに恵まれました.みな一生懸命に研究を行っていることは共通ですが,まさに100人100様の留学生活を送っており,それぞれの体験から得られる英知は掛け替えのないもので,より多くの仲間とシェアすることができれば本当に素晴らしいことだと感じました.
カリフォルニアからボストンに異動し1年経ったころ,先輩の岩槻健さん(現:東京農業大学・准教授)より「ものすごいいいやつがボストンにいるから,会ってみては」と,ハーバード公衆衛生大学院に留学されていた中村能久さん(現:シンシナティ小児病院・助教授)を紹介していただきました.サイエンスを熱く語り合え,人柄も抜群の中村さんとの出会いは,私の人生を変えました.ご縁がご縁を呼び,2007年の4月には,同じくボストンに留学していた梶村真吾さん(現:カリフォルニア大学サンフランシスコ校・助教授),古橋眞人さん(現:札幌医科大学・助教),そして中村さんとともに,互いをお祝いする会を開き,夜を通してサイエンスを語り合いました.これがきっかけとなり,サイエンス大好きな仲間の集い 「いざよいの夕べ勉強会」が結成されました.「いざよい」は,年齢・肩書きの垣根を超えて,とことん互いのサイエンスを高め合うコミュニティーです.2007年から2015年3月現在まで,57回の勉強会が行われています.勉強会では,夕方から深夜(ときには午前様)まで,さまざまな分野の方が集まり,ざっくばらんにディスカッションします.違う分野の方からの視点に,閃きが勉強会を走ります.こうした閃きから新たなコラボレーションが誕生し,すでにいくつものトップジャーナルへ成果が発表されています.さらに「いざよい」では,米国でのグラント獲得の指南やジョブトークの練習も行われています.こうして仲間と,さまざまなことを勉強し合うなか,はじめて私は,米国で独立するためには何が大切なのか,どうすればインタビューに呼ばれ,オファーを勝ち取れるのかを学ぶことができました.このように,人と人とがつながることは,海外生活では,特に大きな力となります.
「いざよい」だけでなく,世界各地には日本人コミュニティーがあり,お互い切磋琢磨し助け合っています.コミュニティーごとに,さまざまな特色をもち,生活や海外での研究におけるノウハウを継承しています.2012年の10月に,JSPSワシントンオフィスのサポートのもと,米国東海岸のコミュニティーの幹事が集い情報交換が行われました.各コミュニティーが連携して,世界中でつながれば,これから留学する方々の大きな力になる.そして,各人が国際的研究者として成長するために相互支援し,キャリアパスを拡げていく力になる.またこうした世界規模で日本人研究者がつながりボトムアップにより政府へフィードバックするシステムは,日本の科学の発展への力になる.一同の思いが一致し,「全世界日本人研究者ネットワーク」(United Japanese Researchers Around the World:UJA)は設立されました.UJAは,これまでに留学について,500名近くを対象とした大規模アンケートを行いました.これにより,留学においてネックとなっているもの,留学で得られるものが照らし出されました.UJAでは,日本再生医療学会,日本癌治療学会,日本臨床外科学会,日本分子生物学会などで,留学に関するフォーラムを行ってまいりました.より多くの方々の力となり,これから30年,300年先の日本のサイエンスへ貢献していけるべく,UJAは法人化をめざしています.
私たち研究者は,それぞれ異なる状況と将来への展望を描きながら,さまざまな場所へ留学します.したがって,抗体のV(D)J遺伝子再構成がごとく,留学体験は千差万別です.例えば,博士号を取得した直後の研究者と,スタッフとして研究をされている研究者では,留学に求めるプライオリティは異なります.独身研究者/彼氏・彼女交際中/夫婦2人/家族子連れ研究者では,住む場所,日々の食事,生活費,交友範囲,仕事とプライベートの時間配分などは,全く異なるものになります.さらに留学先の土地や研究室は,目を見開くほどあなたの研究,そして家族の生活に驚きのバリエーションをもたらします.どうでしょう,たった数例の体験談から,あなたに必要な留学の情報を得られるでしょうか? あなたの留学を危険な賭けにしないためにも,あなたのケースに参考になる留学体験を,できるだけ多く得ることが必要です.これによりはじめて,留学は身近なものとして感じられ,あなたの留学で起こりうる状況と適切な対処方法を知り,備えることができます.そして,あなたの留学の各ステージにおいて大事なことを意識し,時間を有効に使っていけます.
ところが,多くの方がこれまでに情報不足に悩んでいます.そこで本連載では,留学の大切なステップをハイライトして,全6回に分けてあなたにとってベストな留学を考えていきます.第2回では,「留学がもたらすメリットとデメリット」をさまざまな視点から鑑み,第3回では,英語力や経済的な不安など,あなたの疑問に答えを見つけていきます.そして第4回では,留学成功の最初の鍵である留学先選び,留学先から受け入れOKをもらうための重要項目を照らし出します.第5回では,ほとんどの留学経験者が留学の最大の恩恵の1つとしてあげる「留学先での人とのつながり」をテーマに,どうすれば生涯の財産となる素晴らしい仲間をつくれるのか,そして留学時に積極的に行うべきことを考えます.留学は,その後,数十年続くあなたのキャリアへのスタートラインともいえます.そこで最終回では,留学を躊躇する多くの方の不安要素である「留学後のキャリア形成」についてもディスカッションします.
また,これまでも多くの書籍や雑誌,インターネット(個人ブログ)で留学体験記が公開されてきましたが,紙媒体や個人のウェブのみでは限界があります.そこで私たちUJAでは,世界規模の留学体験記リソースを構築しました.今から,連載の各回テーマに関連した,留学を体験された先輩からあなたへの熱いメッセージを,UJAウェブサイト上に掲載していきます.史上初,私たち研究者で,未来へ紡ぎ伝えていく留学体験記です.
諸先輩方が,なぜ海を渡り海外をめざしたのか,その先に起こったドラマに触れてみてください.ノーベル生理学・医学賞を受賞された山中伸弥先生の留学中に訪れた機会,あなたと似た境遇の方が選んだ場所,留学先の暮らしの様子.活きた体験談は,あなたへ深く伝わります.留学がもたらす成長を知ることで,あなたは変化を受け入れることができます.留学中に起こる困難を知ることで,あなたには備えができます.留学で訪れるチャンスを知ることで,あなたは人生の重要な場面で活かすことができます.先輩たちの体験談は,あなたの内なるサイエンス魂と“科学”反応を起こし,あなたの進む道を照らす力となります.さあ,あなたの道を探しにいきましょう!
米国オハイオ州立シンシナティ大学・助教授.'95,東京理科大学卒業,'97年,広島大学大学院修士課程修了,2001年,久留米大学にて増殖因子シグナルの負の制御機構の研究で博士号〔指導教官・吉村昭彦教授〕.'02年,日本学術振興会(JSPS)特別研究員としてカリフォルニア大学サンディエゴ校のRichard Firtel博士の研究室に留学(Ras/PI3Kの動態解析).'05年,大陸横断,JSPS海外特別研究員としてハーバード大学のLewis Cantley博士の研究室へ異動(Ras/PI3Kの制御とがん代謝解析).'12年より現職.GTPエネルギーのがんと疾患における制御について新分野開拓中.気付けば,息子17歳,娘は15歳.家族4人のドタバタ留学は続く.研究室ウェブサイト
第1回編集リーダー,本企画発案者.東京大学先端科学技術研究センター・准教授.科学技術振興機構(JST)さきがけ研究者 (兼任).2009年,慶應義塾大学にて博士号を取得 (冨田 勝教授).
'10年,日本学術振興会海外特別研究員としてハーバード大学のFritz Roth博士の研究室に留学.その後Roth博士の異動に伴いトロント大学で次世代シークエンサーを利用したタンパク質ネットワークの高速測定技術などを開発.'12年から '14年までカナダ政府が毎年25名程度選出するBanting Fellow (科学技術分野).'14年より現職.合成生物学や情報生物学などを横断的に組み合わせて生命科学におけるさまざまな新しいテクノロジーを開発中.
今井祐記(愛媛大学)/岩渕久美子(ハーバード大学)/川上聡経(ハーバード大学)/黒田垂歩(バイエル薬品株式会社)/小藤香織(シンシナティ大学)/坂本直也(ミシガン大学)/佐々木敦朗(シンシナティ大学)/高濱正吉〔アメリカ国立眼研究所/アメリカ国立衛生研究所(NIH)〕/高濱真実(UJA)/中川 草(東海大学)/西田敬二(神戸大学)/本間耕平(日本医科大学)/谷内江 望(東京大学)