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ライティングにおける冒頭戦略:研究を埋もれさせないために
論文が公表され,メディアで取り上げられる確率を高めるために,書き手ができることは他にもある.冒頭戦略(gambit)を使うのである.gambitとは,一般的には「作戦」を意味する言葉であり,特に経験を積んだチェスプレーヤーによるゲーム開始直後の駒の動かし方のことを言う(Eccles, Nohria, and Berkley, 1992).だが,gambitには,プレーヤー(または政治家)にとって有利になる戦術上の立場や地位という意味もある.研究を論文にまとめるにあたって,冒頭戦略が持っている「パラドックスの力」を使いこなすことができれば,自身の研究に注目を集め,出版を確実なものとし,その後も研究における知見をプレスリリースする際に,マスメディアに非常に魅力的な形で伝えることができるのである.
冒頭戦略を利用したライティングの例は,Nature誌やScience誌に掲載された論文を読めば,いくらでも見つけることができる.このようなジャーナルでは,研究に含まれるパラドキシカルな部分を前面に押し出すような戦略的な編集を行っており,元の論文の著者がこのパラドックスをはっきりとは書いていなかったとしても,それが目立つようにしているのである(パラドックスについてさらに知りたい方は,Chapter 7「パラドックスの力を利用する」参照).たとえば,Nature誌のNews and Viewsというカテゴリーの記事や,その週にピックアップされた論文は,Letters to Natureといった記事よりも厳しい編集過程を経て掲載されている.つまり,News and Viewsやピックアップされた論文には,ほぼ必ず,強力な冒頭戦略が使われているのである.一方,Letters to Natureで,冒頭戦略が使われることはまずない.さらに,パラドックスを利用した冒頭戦略に関する研究から,冒頭戦略のない文章と明確な冒頭戦略がある文章との間には,読み手の記憶力に統計的な有意差が生じることが明らかにされている(Douglas, 2017).パラドックスについては十分な研究がなされているわけではないが,どうやら読み手に驚きを与えることで注意力や記憶力にはたらきかけるようである(Berlyne, 1954; Douglas, 2017; Kidd and Hayden, 2015; Loewenstein, 1994).私たちの注意力は,通常,型にはまったものや予測できるものを締め出してしまうが,予測から外れたものに対してはより大きな注意を向けるようになっているため,記憶に残りやすいのである(Kang, Hsu, Krajbich et al., 2006; 2009).
冒頭戦略はまた,研究をまとめるうえでの求心力としてもはたらくことがある.冒頭戦略を使って文章を書きはじめることで,研究提案や論文,学会要旨の中で述べたい中心的な主張に,自身の意識をはっきりとフォーカスさせることができるのである.もしあなたが,論文をうまく書き出せずに困っていたり,研究をなるべく説得力ある形で発表する方法を見つけるのに苦労したりしているならば,これまでよく使われてきた冒頭戦略を試してみて,その効果を見てほしい.チェスでは,ゲーム開始時の駒の動きはほとんどお約束のようになっているが,論文もそれと同じようなもので,次にまとめたような例が,論文の書き出しでよく使われる冒頭戦略である.
- ある状態の検出,診断,あるいは治療に関する新たな展開を紹介する
- 以前は関係ないと考えられていた2つの状態の間にある因果関係を示す
- ある問題の重要性に反比例するように,それを明らかにするための研究が少ないことを指摘する
- 現状において生じている相当の(社会的・経済的)コストと,それに対処するために利用できる治療が相対的に不足していることを強調する
- ある状態に対する介入治療が増加しているにもかかわらず,その状態によって死亡する人の数が増えているという関係性を示す
- あることがらや状態の見かけの単純さと,そこに内在する構造や機能の複雑さを対比する
- 期待とはまったく異なる結果が得られた治療法について,その意義を探る
- 世間が重要性を認めているある現象や状態について,信頼に足る研究方法がないことを議論する
注目すべき点は,ライティングの冒頭戦略では対比が使われていることであり,多くの場合,直感に反するような形で2つのことがらを対比させている.言語や認知に関する最近の研究によると,2つのものについての関連性が期待される場面で,逆にこの2つが対比されているような場合には,私たちが関連性や論理,習慣をベースに作り上げていた予想が壊されてしまうそうである(Hunt, 1995; Karis, Fabiani, and Donchin, 1984).つまり,読み手が期待を裏切るようなもの,特に対照的な1対のことがらに出会った時,それらは読み手の印象や記憶に非常によく残るのである.however,although,despiteといった語を使った構文が,導入部分のパラグラフにおいて戦略的に使われることが多いのはそのためである.
冒頭戦略の具体例
次に示す2つの文章は,Nature誌に掲載された論文について編集者が作成したサマリーと,その元となった論文である.編集者のサマリーでは,冒頭戦略として,かねてから言われていた神経細胞のゴルジ染色の限界と,個々のニューロンにそれぞれ別の色をつけることができるBrainbow技術を対比している点に注目してもらいたい.編集者のサマリーと比べてみると,元論文では,ゴルジ染色の限界とBrainbowの違いを厳密に述べてはいるが,冒頭戦略は使われていない.
Editor’s Summary: Over the Brainbow
More than a century ago, Ramón Y Cajal’s use of Golgi staining on nerve cells opened the door to modern neurobiology: by staining a small number of neurons, previously invisible axons and dendrites could be seen as they coursed through surrounding tissue. But Golgi staining can label only a small number of cells in one colour. Now, a team from Harvard University has developed a method that enables many distinct cells within a brain circuit to be viewed at one time. The ‘Brainbow’ technique can paint hundreds of individual neurons with distinctive hues, producing a detailed map of neuronal circuitry. This technology should not only boost mapping efforts in normal or diseased brains, but could also be applied to other complex cell populations, such as the immune system. The cover shows a portion of the hippocampus within a ‘Brainbow’ mouse. The multicoloured neurons of the dentate gyrus (bottom) lie beneath the cells of the arching CA1 region, while neurons of the cerebral cortex can be seen twinkling above.
編集者によるサマリー:Brainbowの彼方に
ラモン・イ・カハールが神経細胞のゴルジ染色を駆使して,近代的な神経生物学の扉を開けたのは1世紀以上も前のことであった.彼は,少数のニューロンを染色することで,以前は見ることのできなかった軸索や樹状突起を見えるようにし,ニューロンがそれを取り巻く組織の中を伸びていることを示したのである.しかし,ゴルジ染色によって染めることができるのは少数の細胞に限られ,すべて単一の色で染まってしまう.今回発表された論文は,ハーバード大学の研究チームが開発した,脳回路を構成する多数の異なる細胞を同時に見ることのできる方法についてのものである.彼らが開発したBrainbow技術を使えば,多数のニューロンをそれぞれ違う色に塗り分けることができるため,神経細胞回路の詳細なマップを作り上げることができるのだ.この技術は,正常あるいは病に侵された脳のマッピングを容易にするだけでなく,免疫システムなど,他の複雑な細胞集団にも応用できるものである.表紙には,Brainbowマウスの海馬の一部が示してある.弧を描いているCA1領域の下側には,色とりどりに輝く歯状回(下側)のニューロンがある.一方で,その上側で光っているのは,大脳皮質のニューロンである.
Article: Transgenic strategies for combinatorial expression of fluorescent proteins in the nervous system
Detailed analysis of neuronal network architecture requires the development of new methods. Here we present strategies to visualize synaptic circuits by genetically labelling neurons with multiple, distinct colours. In Brainbow transgenes, Cre/lox recombination is used to create a stochastic choice of expression between three or more fluorescent proteins (XFPs). Integration of tandem Brainbow copies in transgenic mice yielded combinatorial XFP expression, and thus many colours, thereby providing a way to distinguish adjacent neurons and visualize other cellular interactions. As a demonstration, we reconstructed hundreds of neighbouring axons and multiple synaptic contacts in one small volume of a cerebellar lobe exhibiting approximately 90 colours. The expression in some lines also allowed us to map glial territories and follow glial cells and neurons over time in vivo. The ability of the Brainbow system to label uniquely many individual cells within a population may facilitate the analysis of neuronal circuitry on a large scale. (Livet, Weissman, Kang et al., 2007)
Atricle:神経系において複数の蛍光タンパク質を組み合わせて発現させるトランスジェニック戦略
ニューロンネットワークの構造を詳細に解析するには,新たな方法を開発することが不可欠である.本研究では,遺伝学的方法により複数の異なる色でニューロンをラベルし,シナプス回路を可視化するための戦略を提供する.Brainbowは,Cre/loxシステムによる組換えを利用することで,3つまたはそれ以上の蛍光タンパク質(XFPs)を確率論的に作り出す導入遺伝子である.Brainbow数コピーをタンデムに導入したトランスジェニックマウスでは,XFPがさまざまな組み合わせで発現し,多様な色が作り出されるため,隣り合ったニューロンを区別し,他の細胞との相互作用を可視化することができる.私たちは,実際にこれを示すため,およそ90種類の色が発現している小脳葉内の,隣り合った軸索やシナプス接合を多数,再構成した.いくつかの系統では,蛍光タンパク質の発現によって,グリア領域をマッピングすることができ,さらにグリア細胞やニューロンをin vivoで経時的に追跡することもできた.このようなことを可能にできるBrainbowシステムを利用すれば,一群の細胞をそれぞれユニークな色でラベルすることができ,神経回路の解析をより大きなスケールで進めることができるだろう.
次の抜粋も編集者によるサマリーであるが,多くの研究者たちが驚くほど無知であるという状況を利用した冒頭戦略が使われている.
Inherit the wheeze
Asthma – a condition that afflicts hundreds of millions of people worldwide – has been recognized by physicians and lay people for more than two millennia. One would think after all this time, and with so many affected people, we would understand the root cause of the disease. We don’t; but we do know a little.
遺伝する喘鳴
全世界で数億という人々を苦しめ命を奪ってきた喘息という疾患が医者に認知されたのは,2000年以上も前のことである.このような長い歴史があり,多くの患者がいるならば,この病気の根本的な原因は理解されているに違いないと思うかもしれない.だが実際には,私たちはこの疾患のことを理解していない.ただし,まったく理解していないというわけでもないのであるが.
対照的に元の論文は,意識的か無意識的かわからないが,このような冒頭戦略を使っておらず,論文自体を大げさなものにせずとも研究を宣伝できるこの手段を有効に活用できていない(この戦略については,Chapter 7でさらに細かく解説する).
著者プロフィール
- イエローリーズ・ダグラス(Yellowlees Douglas, PhD)
- フロリダ大学のビジネススクール(Warrington College of Business)の准教授で,マネージメントコミュニケーションを教えている.また,以前には同大学のClinical and Translational Science Instituteで教員を務めた経歴も持つ.
- マリア・B・グラント(Maria B. Grant, MD)
- アラバマ大学で,優秀な眼科学の研究者に贈られるEivor and Alston Callahan記念眼科学寄付講座の教授.30年にわたって医学研究の実績を積み重ね,200を超える査読付き論文を発表し,12の特許を持っている.