本コンテンツでは,「実験医学」2013年11月号から全8回にわたって連載された『Dr.キタノのシステムバイオロジー塾』より,その第1回目を抜粋して公開いたします.近年注目の声を耳にする“システムバイオロジー”とは,何をめざした学問なのでしょうか? 今から約20年前に本分野を提唱した北野宏明博士が語る,当時の貴重なエピソードをご一読ください.本連載から大幅加筆・改訂された『Dr.北野のゼロから始めるシステムバイオロジー』が発行されました!(編集部)
システムバイオロジーに対する関心は高まっているが,具体的にシステムバイオロジーとはなにか? 実際にどのように研究に役立てるか? 今までどのような成果が上がっているのか? などの疑問に答え,興味のある研究者にきっかけをあたえるということが今回の連載の趣旨である.そもそもシステムバイオロジーと言っても人によってやっていることも定義も違うので,なにが本当のシステムバイオロジーかがわからないという人もいる.確かに,出版されている論文を見ても,大規模なハイスループット実験を行いそこからのデータ解析をしたものをシステムバイオロジーとよんでいる例もあれば,非常に精密な小規模な計算モデルとそれに対応する検証実験を行ったものをシステムバイオロジーとよんでいるものまでさまざまである.さらに,計算モデルやデータ解析などをもってシステムバイオロジーとよんでいる場合もある.今回の連載にあたって,まず,システムバイオロジーとはなにかということからはじめたいと思う.
システムバイオロジーとは,「生物をシステムとして理解する」研究で,その関心は,特に,生物のシステムとしての特徴の理解に当てられる.ここで重要なのは,システムバイオロジーという分野は,その研究手法ではなく,研究対象で定義されているということである.つまり,生命のシステム的側面を中心とした理解に関する研究全般が,その手法は問わずに,システムバイオロジーと見なされる(少なくとも広義のシステムバイオロジー)ということである.よって,その具体的なアプローチは多様であり,対象となるシステム(シグナル伝達系の一部なのか全体なのか,細胞レベルなのか個体レベルなのか,さらには集団レベルなのかなど)と何を知りたいかで変わってくる.物理学での例をとると,素粒子物理学は,素粒子という研究対象で定義され,その手法は問われない.しかし,高エネルギー物理学は,素粒子を主な研究対象とするが,手法として主に加速器を利用した研究という範囲に狭められる.
生命を理解するうえでその要素の理解だけではなく,要素間の関係やダイナミクス,さらにはその背後にある動作原理を理解することは必須である.つまり,「ものの科学」から「ことの科学」への拡張である.重要なことは,遺伝子やタンパク質などの「もの」の理解に基盤をおきながらも,システムレベルでの原理という「こと」の解明という側面があるということである.例えば,フィードバック回路が構成されているときに,その機能は,各々の要素をいくら調べても理解することはできない.それは,フィードバック回路の生み出す機能が,一定の機能を有する要素を,特定の回路構造で連結した場合にはじめて生み出されるからである※1.このような,個別の要素に帰着できない機能は,生命機能の根底を担っている.さらにこのような回路において,各々の要素が量的な変動を受ける場合,どの程度の変動まではその機能が維持できるのかなどの理解は,システムの恒常性の破綻による疾病の発症機序や薬剤による介入の効果などを合理的に推定するうえで重要である.このように,生命のシステムという側面での深い理解が,分子生物学と生命機能や生理学を結びつけるシステムバイオロジーの役割の大きな部分であると考えている.
同時に,対象となるシステムによって,そのシステムの理解へと通じる方法論には多様な手法があることは当然想定できる.よって,システム的理解を推進する分野の名称として,研究の手法による境界の設定を示唆するような名称は好ましくない.よって,研究対象でおおよその範囲を決める名称が望まれる.そこで,生命のシステムとしての理解ということを中核に据えた名称として「システムバイオロジー(Systems Biology)」という言葉を使うことにしたのである.また,この概念拡張には,システムサイエンスや計算機科学,制御理論などをはじめとした研究者の参加や概念の導入が必要であり,そのことを明示する名称である必要がある.その観点からもこの名称が適切であると考えた※2.
実は,システムバイオロジーという名称を使う前に,半年位,バーチャルバイオロジー(Virtual Biology)という言葉を使ったときがある.コンピュータシミュレーションを中心とした研究で,バーチャル空間での新しい生物学を行うという意図を込めた言葉であった.しかし,「バーチャル」というのが,いかにも評判が悪い.どうもニセモノ的な雰囲気が拭えない.さらによく考えると,やるべきことは,バーチャルな(つまり計算機上での)生物学ではなく,そのような道具立てなども使って,システムとしての理解をすることだと気がつき,システムバイオロジーという名称に行き着いたといういきさつもある.
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北野宏明/企画・執筆
定価 3,400円+税, 2015年3月発行