レジデントノート2017年9月号と,徳田安春先生(臨床研修プロジェクト 群星沖縄臨床研修センター長)と荘子万能さん(大阪医科大学 医学部医学科)主催のPodcast「徳田闘魂道場にようこそ」がコラボし,“Choosing Wisely”をテーマに座談会が開催されました.その前半の様子を誌面にて公開いたします!
所属はインタビュー当時のものです.
荘子 皆さん,こんにちは.『徳デントノー場にようこそ』の時間です.この座談会には,ゲストとして4人の先生方に,ご登壇いただいております.多摩総合医療センター初期研修医1年目の栗原史帆先生,橋本市民病院初期研修医2年目の鷺森美希先生,奈良県西和医療センター循環器内科の野木一孝先生,やわらぎクリニックの北和也先生です.皆さま,よろしくお願いします.
参加者 よろしくお願いします.
荘子 まず,本企画のメインテーマであるChoosingWiselyについて,徳田先生,解説をお願いいたします.
徳田 Choosing Wiselyはもともと医師のプロフェッショナリズムを問い直すことから始まったキャンペーンです.医学の発展,予防・検査・治療の進歩が人々の健康や病気の治療に貢献してきたことは間違いありませんが,一方で「やりすぎ」と考えられるところもあります.薬ならポリファーマシー,検査ならエビデンスが確立されていない検診項目,さまざまなことが問題になっています.最近では薬剤耐性(AMR)という問題がありますが,これも抗菌薬を世界中の国で使いすぎてきたことから生じています.
私は紀元前の考え方に戻るべきではないかと思っています.アリストテレスの「中庸」ですね,何事もやりすぎはよくないということをもう紀元前から言っているのです.このようなメッセージを医学教育で研修医や学生の皆さんに伝えるべきではないかと考えています.Choosing Wiselyは,目の前にいる患者さんのためを思って検査・薬をオーダーするのです.医師のプロフェッショナリズムからスタートしたということなので,何も各国政府の財政を健全化するための運動ではありません.
荘子 では,Choosing Wiselyの具体的なコンテンツやリストにはどういったものがありますか?
徳田 top five listといって,さまざまな専門領域の学会が必要性を検討すべき5つのリストを出すというのが基本的な構造になっています.日本でも,総合診療の指導医コンソーシアムが2年前に出したリストがあります.
そのなかでは,例えば ① 症状のない健康な人に対するPETがん検診とか,② 健康で症状のない人に対する脳ドック,③ 健康で症状がない人に対する腫瘍マーカー・CEA測定,そして④ WHOのガイドラインでも適応とならないような入院患者さんに対するフォーリーカテーテルの留置などについて言及されています.
荘子 ここまで聞かれて,栗原先生はどう思われましたか? この数カ月の臨床経験,あるいは,医学生のときに培った問題意識などと照らし合わせて….
栗原 指導してくださる5・6年目の先生方は,徳田先生がおっしゃったようなことを大切にされているな,と思いました.ただ,今,研修医になって自分が薬を処方する立場になると,ポリファーマシーなどの問題については,学生の頃とは捉え方が変わってきました.薬を出さないというのは怖いですし,そこまで知識がないからか,どうしてもDo処方をしがちだなというのを思いました.
荘子 なるほど,なぜそうやるかということをやはり自分のなかで完全に納得しないままやっているケースがあるということですが,そのあたり鷺森先生は2年目になっていろいろ見られてきたと思うのですが,どうですか?
鷺森 しっかり考えて処方されている医師もいれば,正直なところ,ルーチンでの処方になってしまいがちな医師もいると思います.薬のDo 処方が当たり前になると,本当にそれでいいのかと思うこともあります.
1年目のときは,上級医の指導の通りに実践することに必死でしたが,2年目になって「この患者さんにそれをして予後が変わるのか」とか,「治療に結びつくのか」とか,「むしろ余計なことをしてしまうんじゃないか」と考えながら診療する機会が増えるようになったなと感じます.
荘子 北先生,いかがでしょうか.
北 1・2年目の先生の経験や働く病院などの環境の違いでいろいろあると思いますが,栗原先生がおっしゃっていた,経験がまだ少ないのでundertreatmentが怖いという感覚はとても健全と思います.その感覚抜きで,overtreatmentが駄目なんだ,Choosing Wiselyが正しいんだと考えてしまう方が怖いのかなという点でとても納得し,健全に研修されているなと感じました.
鷺森先生の話については,僕も同じような気持ちで研修していました.こういう処方をしていいのかなとか,ほかの先生がこういう処方をしているけど,本当にこれでいいのかなと思い,モヤモヤしながら研修していたのを,今のお話を聞いて思い出しました.
荘子 北先生のお話にもありましたけれども,例えば,そのChoosing Wiselyをやりすぎる・推し進めすぎるといいますか,医療行為を“やらないこと”にフォーカスしすぎるあまり,ChoosingWiselyの過剰適用につながってしまいかねないというジレンマを抱えているという話が,過去の「徳田闘魂道場にようこそ」でもありました.循環器専門医の立場として,野木先生はどう思われますか?.
野木 僕はChoosing Wiselyという言葉は,最近知ったのですが,考え方としては馴染みがあります.研修医2年目のときに,奈良医大の感染症センターの指導医に,「この検査を出すときに結果を見て自分のプラクティスが変わるかどうかが大事で,変わらない検査は出す必要はないのでは? という気持ちで選ばないといけないよ」と言われて,目からうろこが落ちたことを思い出しました.
確かに,Choosing Wiselyを意識しようと思いつつも,循環器など本当に少しのミスが命にかかわることが多い分野では,何かあったときのためのお守りのような検査が行われているのが現状ですね.命にかかわる現場では,そういうジレンマをもちながらやってると思います.
荘子 さまざまなステージにおられる先生方からいろいろな話が聞けることをとてもおもしろく思います.徳田先生,今までの先生方の話を聞かれて,いかがでしょうか.
徳田 素晴らしい視点だと思います.現場では個別の患者さんに対して良い医療を提供しようとみんな頑張っている,これがまず第一です.
Choosing Wiselyは,別に新たなパラダイムを導入しているわけではなく,実際の臨床現場では,エビデンスから外れていることが行われているのではないか,EBMをきちんとやろうということなのです.ですから,逆に学生さんの方がChoosing Wiselyを理解しやすいのではないかと私は思います.学生さんがエビデンスを学んで,臨床実習をし,何か違いを発見したら,積極的に指導医やレジデントの先生に質問し,ディスカッションをすべきだと思います.
Choosing Wiselyに新たなフレーミングの効果があるとすれば,患者さんにも情報をシェアするキャンペーンであるということですね.例えば動画配信サイトに動画をアップしたり,さまざまなパンフレットをつくっていますよね.なぜそのようなことが大事かというと,このような問題は世界的に医療者サイドだけで介入してもダメだとわかったからです.例えば,抗菌薬の薬剤耐性(AMR)の問題にしても,風邪の患者さんが抗菌薬を求めて病院を訪れ,医療者も求められるから出す,そのようなサイクルがあることは見過ごせないと思います.
その意味でChoosing Wiselyは,医療者と患者さんとの対話のツールという役割を担えると思います.そして医学生は,患者さんと医療者のちょうど真んなかぐらいの,患者さんの代弁もできる立場として,すっと入りやすいと思います.
荘子 結局Choosing Wiselyは,「やるか,やらないか」ではなくて,「なぜやるか,なぜやらないか」をしっかり共有して話し合いましょうというキャンペーンなのではと捉えています.なので,そのようなコミュニケーションの起点の1つになっていくのではないかということですね.今回先生方にいろいろとお話しいただいたことで,Choosing Wiselyの捉え方が先生のステージによりさまざまであるということがわかってきたかと思います.
荘子 次はより具体的に,どのような事例のなかでChoosing Wiselyが必要だと感じられたかをお聞きしたいと思います.まず,研修医の先生方にお聞きしたいのですが,鷺森先生,いかがでしょうか.
鷺森 医学生のときには,高齢者の食欲不振について,鑑別をあげて臨床推論の勉強をしていたのですが,研修医になって実際に働きはじめると,鑑別診断であがる病気を否定したあとも,それでも食べられないという人を多く診るようになりました.食べられなくなった人には,栄養を摂る方法として3パターンを説明します.口からか,胃瘻や胃管などで胃を使うか,経静脈栄養か.医師が経静脈栄養になれば予後が短くなってしまいますよというような説明をすると,家族さんも「本人は望んでないけど,経静脈栄養だと寿命が短くなるんだったら胃管栄養でお願いしようかな」というような流れになってしまうことが多いです.しかし,ご本人が望んでいないことかもしれないことを考えると,本当にこれでいいのかと思うケースが何件か続きました.このような医療で果たしていいのでしょうか…?
荘子 鷺森先生,ありがとうございます.医学生の立場からすると,外来などで見学していても治療方針の意思決定には,結構誘導的な部分があるのではないかなと感じるときがあります.基本的に,患者さんのためを思ってそのようにしていると思うのですが,医療者の介入のしやすさや医療者の価値観に左右されていることもあるのではないかとモヤモヤすることがあるので,大変興味深く聞かせていただきました.野木先生,コメントいただけませんか?
野木 僕の施設は市中病院なので,誤嚥性肺炎やご高齢の患者さんが多くて,今のようなケースは本当に多いですね.しかも嚥下の評価をすると大抵,食べるのは厳しい,となってしまいます.そうなると,胃瘻・胃管をつくるか,点滴にするか,判断することになるのですが,個人的には胃瘻を積極的にはお勧めできませんね.
そう思うようになったのは,研修医のはじめのころに経験して,印象に残っている患者さんがきっかけです.その方は90歳くらいで,最初に担当したときにはすでに食べることも意思疎通もできませんでしたが,5年ぶりに担当すると胃瘻とCVポートがつくられていました.ご家族は「何かあったらもう自然な形で…」とおっしゃったので,この5年間,胃瘻とCVポートを使用して生き長らえていた現状をみて,果たしてこの人にとってよいことだったのかというモヤモヤがありました.
これは死生観にもかかわることなのだと思います.胃瘻をつくって命が延びることに意味があるとか,意味がないとか,一概に言えず,なかなか難しいなと思っています.僕も答えがないなかで日々悩んでいます.
なので,普段家族さんには,「食べるという自然な楽しみがなくなれば,ご本人ならどう思われますかね」と聞くようにしています.大抵本人は意見が言える状態ではないので….そうすると胃瘻を希望される方はあまりおらず,「それなら点滴」とか,「できる限り自然な形でいてほしい」となることが多いですね.
荘子 野木先生のステージになって声かけや説明のスキルは上がるにせよ,鷺森先生が悩まれている胃瘻のトピックは,なお悩むことであるということがとても印象的でした.栗原先生,いかがですか.
栗原 そうですね.経験値によって見方が変わるということだと思うのですが,Choosing Wiselyを研修1年目でも実践できる方法などがもしあったら伺いたいです.
荘子 それはすばらしいトピックですね.どうでしょうか,北先生.
北 Choosing Wiselyの実践とは完全な答えを求めるものではなく,いかに患者さんの幸せを考えているかということだと思います.だから大事なことは,泥臭くてもいいから安全に,患者さんの価値観や患者さんの人生の文脈に沿ったような答えを出せるように患者さんをサポートすることなのではないでしょうか.それでも答えが見つからないこともあるかもしれませんが.だから多少overtreatmentやoverdiagnosisになったとしても,きっちり誠実にやっていくというのが近道なのではないかなと思います.もちろんそれを1人でやってしまったらよくないので,上級医やその他の医療従事者の力を借りることは大切です.
Choosing Wiselyは,「患者さんと医療者との対話の促進」を目的にしている側面もありますけど,医療者同士の対話にもつながると思うのです.治療方針のことなので,お互い遠慮がちになったりするけど,とても大切でみんなで考えるべきテーマになると思うので,このChoosingWiselyをダシにして医療者同士で語り合うということもとても大切かなと思います.
栗原 なるほど.
荘子 Choosing Wiselyが,単に患者さんと医療者の対話を促進するだけではなくて,医療者同士が対話するstarting pointになる側面があるということですね.
北 「あの先生はこんなんするしな」というような上級医のプラクティスに対する愚痴って飲み会のネタになりがちかと思います.そうしたくなる気持ちはわかるのですけど,Choosing Wiselyは,もっと建設的に対話を促進するための材料なのになと思うことはあります.こんなこと言ってて,明日には僕,めちゃくちゃ愚痴ってたらどうしましょう(笑)
荘子 なるほど.そのあたりはケース・バイ・ケースで考えるべきところと感じましたが,徳田先生,いかがでしょうか.
徳田 そうですね,非常にいい経験のシェアができましたね.医学生から研修医になるという経験はとても貴重で,一生の思い出となりますよね.最初の数年間がとても大事で,そのときの気持ちを大切にして,これからどんどん経験を積んでほしいと思います.
荘子 徳田先生,ありがとうございます.先ほどお話にあった対話についてですが,ある先生が,「対話は自分の価値観が変わるかもしれないということを前提として行うもの」と言っておられたことを思い出しました.例えば,ポケモンが好きな人とデジモンが好きな人が集まって,お互いにいろいろ話し合って,結局ポケモンが好きな人も,「あ,デジモンも意外とおもしろいところあるよね」とか,あるいは,デジモン好きな人も,「あ,ポケモンっていいところあるんだよね」のようなところに行き着く.今の日本だと,上級医に物申したり,提案することは簡単ではないとは思うのですが,それでもお互い価値観が変わりうる存在として対話ができる文化ができていったらいいなと,医学生の立場から思いました.北先生,いかがでしょうか.
北 確かにそうですね.上級医も研修医もめざしていることは一緒で,患者さんのために最善を尽くそうとしていると思います.そのようななかで,信念の対立が生じることがあると思うのです.別に研修医と上級医だけではなくて,医師同士,あるいは医師と患者さんの間でもみられます.Aという治療を医師は勧めているけど,どうしても患者さんがBという治療を求めるというなかで,対話ではなくて討論のようになってしまって,信頼関係が崩れて,もともと医師は患者さんを幸せにしたいと思っていたのに,お互い不幸になってしまうというケースがあると思います.
例えば,『在宅ではCVポートを使った高カロリー輸液は使うべきじゃない』というポリシーをもつ在宅医がいて,実際にCVポートを留置して在宅に退院してきた患者さんを前に『この方に高カロリー輸液は意味がありません.うちでは対応できません』と患者さん・家族にストレートに言ったとします.でも患者さんは入院中にすでにはじまっていた高カロリー輸液を強く望んでいる.こんなときに患者さんに『高カロリー輸液で生命予後やQOL改善の科学的根拠なし! 無駄!』などと一方的に押し付けたとしても,価値観の共有はうまくいかず,ひとりよがりの医療が展開されてしまうことがあります.異なる価値観をもつ者同士でも「なぜそう思うのか」を対話を通して共有し,一緒によりよい方針を探っていくプロセスがとても大切だと思います.荘子君がポケモンとデジモンの話で教えてくれたような,異なる価値観をもつ者同士でも対話により建設的なアウトカムを生み出す,といった方向性を一緒に見つける作業が大事なのかなと思います.
荘子 ありがとうございます.野木先生,いかがでしょうか.
野木 その対話をする姿勢については,研修医のときの教育が大事だなと思っています.僕は7年目ですが,総合診療などの概念が学生の頃くらいから広まりだして,研修医のときには周りもそのような考え方を当然のように考えるようになりました.一方で専門医の例えば循環器でも上の先生方はおそらくそのような教育を受けてきていないので,根本的な考え方の違いはあるとは思います.しかしながら,先ほど北先生もおっしゃっていたように,患者さんのために何とかしたいという思いはみんな一緒にもっているはずです.だからそのなかで考え方が違うというときに,僕らはいろいろ勉強して,ChoosingWiselyの提言が正しいと判断すれば,折り合うように話すわけですね.
いつも思うのですが,対話をするときはやはり言い方が大事で,正しいことを言うにしてもガツンと言ってしまったら相手にもう逃げ場がなくなってしまうので,相手も納得いくようにしっかり話せば,なかには全く聞く耳をもってくれない先生もいるかもしれないですけど,おそらく上級医であったとしても「ああ,そのような考え方もあるのか」と本当の意味で対話ができると思うのですね.
経験則は経験則で勉強になることもあるので,先ほど荘子君が言ってくれたように,いろいろな価値観をもってそれらをお互いにもち寄る方が,お互いに自分のスキルになったり,レベルアップになるのではないかなと思います.
荘子 後半のお話を振り返りますと,Choosing Wiselyを考えるにあたって経験というものがどのような働きをするのかというテーマだったと思います.考えるに,経験と価値観は,お互いに並行的な関係にあって,経験を積むにしたがって価値観も変わっていくのでしょう.おのおのの先生に,そのときそのときの価値観があるという意味で,常にそのときだからできるChoosingWiselyへのかかわり方があると感じました.医学生でも医師1年目でも2年目でも7年目でも12年目でも徳田先生くらいのステージでもそれぞれの人たちがそれぞれの視点をもち寄ることに価値があるのではないでしょうか.