ヒトの病気に潜む進化の記憶を探る進化医学

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進化医学 人への進化が生んだ疾患

本コンテンツでは,「実験医学」に2012年4月から全6回にわたって掲載された連載『ヒトの病気に潜む進化の記憶を探る 進化医学(井村裕夫)』より,連載 第1回と第4回を抜粋,公開いたします.ゲノムの個人差,個の医学が注目される現代,ゲノム進化の立場から医学を見つめなおす学問分野として,その重要性をさらに増している「進化医学」.ヒトの宿命と生命の原理にも迫る内容をぜひご一読ください.本連載から大幅加筆・改訂された単行本「進化医学 人への進化が生んだ疾患➡」も,好評販売中です! (編集部)

なぜ,ヒトは病気になるのか?-1

実験医学2012年4月号掲載 連載 第1回より)

はじめに

“Nothing in biology makes sense except in the light of evolutionary_medicine”―Theodosius Dobzhansky

有名な遺伝学者,Theodosius Dobzhanskyのこの言葉は,近年の進化学,ゲノム医学の進歩によって益々重みを増してきている.それはおよそ38億年前にはじまった生命進化の歴史が,ゲノム研究によってより深く理解できるようになったからである.去る2009年は,Charles Darwinの生誕200年,『種の起源』の刊行150年の年にあたり,さまざまな出版物や催しによって,進化論は脚光を浴びた年となった.そして進化論は,ゲノム研究の裏づけによって,進化学とよぶべき分野に発展したということができる.

ヒトもまた生物の一種であり,およそ38億年前に地球に出現した生命体の後裔であることは疑いがない.そして医学はこの人体の構造と機能を明らかにするとともに,病気の成因を解明して,診断,治療法を確立することを目的としている.したがってそれは明らかに生物学の一分野であり,Dobzhanskyのいうように進化の視点がなければ意味がないことになる.

しかし従来医学の領域では,進化学の視点はきわめて乏しかった.「進化医学」あるいは,「Darwin医学」のコンセプトが登場するのは1990年代になってからで,1994年にRandolph M. NesseとGeorge C. Williamsの『Why We Get Sick』という書物と,あまり広くは知られていないが同じ年にMark Lappéの『Evolutionary Medicine』が出版されてからである.これらの書物に触発されて,筆者は2000年に『人はなぜ病気になるのか 進化医学の視点』を出版した.これらの書物は病因論に進化学の視点を導入し,より遠因に遡って深い理解をしようとするものであった.しかしその内容は断片的,挿話的であり,体系化されたものではなかった.そして進化医学にかかわる書物で取り上げた病因論は1つの仮説,あるいは解釈としてとらえられ,科学的な根拠が不十分であると理解されることが多かった.また多くは直接診断や治療に結びつかないこともあって医師の関心を引くことが少なく,進化医学はなお医学のなかで市民権を得ていない状態である.

進化医学の試みがはじまって20年近く経過したが,この間の生物科学の進歩は誠にめざましいものがある.ウイルス,細菌にはじまったゲノムの解読は,やがてヒトゲノム・プロジェクトに進み,2003年には標準的なヒトゲノム配列が決定された.その後さまざまな生物でゲノムの解読が進み,それらが生命進化の研究を,著しく深化させた.またヒトにおいてゲノムの個人差の研究が進み,ゲノムの個人差とヒトの表現型や病気との関係も次第に明らかになりつつある.医学が人間共通の医学から個の医学へ,そしてまた人種(人間の1つの集団という意味)の特徴に基づいた医学へと進みつつある.それとともに進化学の視点から,もう一度医学を見直そうという動きも出はじめているように思われる.Dobzhanskyの言葉をいい換えれば,「ゲノム進化の理解なしには,生物学も医学も意味をなさない」ということができるであろう.

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人はなぜ病気になるのか? 進化に刻まれた分子記憶から病気のメカニズムに迫る
進化医学 人への進化が生んだ疾患

進化医学 人への進化が生んだ疾患

プロフィール

井村 裕夫(Hiroo Imura)
1954年,京都大学医学部卒業,内科学とくに内分泌代謝学を専攻,’77年より京都大学教授,視床下部下垂体系,心血管ホルモン,膵ホルモンの研究に従事,’91年,京都大学総長に選出され,高等教育一般にかかわる.’98年,総合科学技術会議議員として,第2期科学技術基本計画の策定,科研費などの研究費の増額,新しい研究施設の整備などに努力.2004年より先端医療振興財団理事長として神戸医療産業都市構想の実現に努めると同時に,科学技術振興機構研究開発戦略センターで臨床研究の振興方策を提言,またこれからの臨床研究として先制医療の重要性を提言している.一方生命進化の過程から病気の成り立ちを考える進化医学に興味をもっている.
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