(実験医学2012年4月号掲載 連載 第1回より)
集団遺伝学(population genetics)
集団遺伝学とはある集団におけるアリル頻度の分布や変化を,進化生物学の基盤に立って研究する領域である.進化生物学の基礎としては,①自然選択,②遺伝的浮動,③突然変異,④遺伝子流入(gene flow)※4がある.さらに集団の構成やグループ分け(subdivision)も考慮しなければならない.集団とは個体の集まりで,同じ種に属し,近接して生存していてお互い交配するものをいう.
集団遺伝学は,動・植物を中心に発展してきた.最近ヒトにおいてもゲノムの個人差,多型を調べることが可能となり,集団間の相違が病気と関連して注目されるようになった.例えばすでに述べた嚢胞線維症はヨーロッパに多く,ヘモクロマトーシスはヨーロッパ,とくにケルト系に多い.Tay-Sachs病はヨーロッパのアシュケナジー系ユダヤ人に多い.また乳糖を分解する酵素,ラクターゼが離乳後も持続するラクターゼ持続者(lactase persister)は,牧畜を営んできた集団に多く,ラクターゼ遺伝子上流の点突然変異による.このように考えると,ヒトの病気をよりよく理解するためには,集団遺伝学の知識は必要なものとなってくる.
集団遺伝学で有名な原理に,Hardy-Weinberg原理がある.これはアリルあるいは遺伝子型頻度は,世代を経ても集団のなかで一定に保たれるとするものである.この原理が成り立つためには,集団が大きいこと,交配がランダムに行われること,新しく反復する突然変異がないこと,表現型に自然選択が働かないこと,個体の流入,流出がないこと,常染色体上に遺伝子座があること,などの条件が必要となる.ヒトの表現型や常染色体性劣性遺伝を示すトレイト(trait)※5にも,この原則は当てはまると考えられる.ただ,ヒトの集団は必ずしも大きくないこと,一定の頻度で流入,流出がある例が多いこと,新しい突然変異も少なくないこと,などは考慮しておくことが必要である.
ここで人種という言葉について触れておきたい.人類は,生物学的には1つの種,ホモ・サピエンスであることは,進化の長い歴史からみれば比較的最近に出現したこと,異なる人間集団の間で交配可能であることからも明らかである.人種(race)は,異なる人間集団の間で皮膚,毛髪,虹彩の色などの身体の表現型の相違から分類されたものである.これは共通の祖先から分岐した人類の集団が地球上に拡散していく過程で,ある程度の地理的隔離があって遺伝子流入が少ないと,遺伝的浮動に対して自然選択が働いて変化してきた結果である.表現型の一部には,連載第5回で述べるように環境因子も影響することにも留意すべきである.「race」に対して英語には「ethnicity」,あるいは「ethnic group」という言葉があり,比較的よく用いられる.日本語に訳すとやはり人種,あるいは民族であろう.これは生物学的な特徴に加えて,文化,言葉などを共有する集団のことをいう.人種という言葉には偏見を生み出した歴史があり,限定された意味でしか使用されなくなっている.本連載では便宜的に人種という言葉を用いているが,これは“ある人類の集団”を意味していると理解していただきたい.