(実験医学2012年4月号掲載 連載 第1回より)
多因子疾患の発生病理はさらに複雑で,まだ完全な理解は得られていない.一般には多数の遺伝子が関与しているので,その解析はきわめて困難であった.最近ヒトゲノムの研究が進み,連載第3回で述べるように全ゲノム関連解析(genome-wide association study:GWAS)によって少しずつ遺伝素因が明らかになりつつある.
しかし現在の研究は,病気がどのようなプロセスで起こるのか,すなわち“how”を問うものである.多因子からなる遺伝素因をもつ人が,成育の過程や成人になってからさまざまな環境因子の影響を受けて発症に至る過程を解明しようとするもので,いわば近因(proximate cause)を探索しているわけである.しかし人体は長い進化の過程で刻み込まれた傷跡をもっており,それが遠因として基礎にあることが多い.その一例として痛風について述べてみたい.
痛風は大部分が多因子疾患で,まだ完全には解明されていないが,複数の遺伝子が関与していると考えられる.そうした素因をもつ人が肥満,高プリン食(肉食),アルコール摂取などさまざまな因子の影響を受けると尿酸代謝が変化して高尿酸血症をきたす.尿酸は水に難溶性であるが,血中ではタンパク質の存在により尿酸値が上昇しても過飽和の状態が維持される.しかし運動などによって関節内の環境が変化すると尿酸が折出し,急性結晶誘発性関節炎を引き起こす.これが痛風がどのようにして起こるかという,近因の説明である.
痛風は主に男子の疾患で,閉経前の女子には稀にしか起こらない.それは血清尿酸値が閉経前の女子では低いためである.多くの哺乳動物でも痛風はみられないが,やはり尿酸値が一層低いためである.そこで痛風の遠因は,ヒト,とくに男子では血清尿酸値が高いことによるということができる.
それではなぜヒトでは血清尿酸値が高いのであろうか.それはヒトは尿酸を分解する尿酸酸化酵素(urate oxidase)の遺伝子活性を突然変異により失っているからである.尿酸は体内で合成されたプリン体,あるいは食物中から吸収されたプリン体の代謝産物である.多くの哺乳動物では尿酸酸化酵素が存在していて尿酸はアラントインへ分解され,さらに種によって異なるが,硬骨魚類ではアラントイナーゼによりアラントイン酸に,両棲類,軟骨魚類ではアラントイカーゼによって尿素へと分解される(図2).この尿酸酸化酵素はヒト,チンパンジー,ゴリラ,テナガザルなどのヒト上科の霊長類,鳥類,一部の爬虫類でその活性が失われている5).尾田ら5)はこの酵素の遺伝子を調べ,ヒト,ゴリラ,チンパンジー,オランウータンでは第2エキソンにCGAからTGAへのナンセンス変異を見出し,1,500万年前に起こったと推定している.しかしテナガザル,フクロテナガザルでは第2エキソンの異なる部位のナンセンス変異またはエキソン3の一塩基欠失,エキソン5の一塩基挿入を見出し,900万年前に起こったとしている.かつプロモーター領域にも変異があり,霊長類の尿酸酸化酵素遺伝子は強い選択圧※3を受けてきたものと考えている(図3).
このように霊長類で異なる突然変異によって尿酸酸化酵素が失われたことは,進化学的にみて有利な突然変異であったと考えられる.それでは尿酸はどのような生理作用をもっているのであろうか.これについて最も一般的な考え方は,尿酸のもつ抗酸化作用による説明である.かつて夜行性の哺乳類から進化した霊長類は,昼間樹上生活することにより強い紫外線に曝されることとなった.しかも霊長類は次に述べるように,同じく抗酸化作用を有するアスコルビン酸(ビタミンC)の合成酵素を失っている.少しずつ寿命が長くなった霊長類にとって,尿酸のもつ抗酸化作用は有用なものであったと考えられる6).図4は霊長類における最大寿命と血漿尿酸値/SMR〔特異代謝率(cal/g/day)〕の関係を示したもので,尿酸値と寿命の間に一定の関係がみられる7).しかし尿酸の意義に関しては摂食行動の促進,カフェイン様の神経刺激作用,血圧調節作用,免疫調節作用などの可能性も指摘されている.したがって高尿酸血症の進化医学的意義については,なお検討が必要である.
なお哺乳動物ではタンパク質の分解産物は尿素として排泄されるが,鳥類,爬虫類などではすべての含窒素代謝物が尿酸として総排泄腔から,ほぼ固形の形で排泄される.尿素であれば尿の形で膀胱に貯えねばならないので,空を飛ぶ鳥にとっては尿酸産生は有利な代謝系路であるといえる.鳥類の尿酸酸化酵素がどのような突然変異で活性を失ったかは,興味のある課題である.霊長類とは異なった,環境への適応の結果と考えられる.
すでに述べたようにヒトはいま1つの抗酸化物質であるアスコルビン酸合成能を進化の過程で失っている.図5はアスコルビン酸の生合成の経路を示したもので,UDP-グルコースから合成される最後の段階にかかわる酵素,L-グロノラクトンオキシダーゼが霊長類と一部の哺乳類で突然変異により失われている.その時期は3,500~5,500万年前と推定されている.アスコルビン酸は多様な作用をもっているが,主要なものは電子ドナーとしての抗酸化作用であり,生体のレドックス(酸化還元)状態にかかわっている8).酸化還元物質は他にもあるので,アスコルビン酸の減少はただちに病気を起こすわけではない.しかしアスコルビン酸はコラーゲンの合成過程でアミノ酸間の架橋に必要であり,不足すると血管の脆弱性を起こす.
アスコルビン酸は野菜,果物などに多く含まれており,霊長類が摂取不足になることはほとんどなかったと思われる.アスコルビン酸欠乏症が顕著になったのは,ヒトが長い航海に出るようになってからである.壊血病とよばれ,出血,歯肉の潰瘍などの症状で死亡するものも少なくなかった.やがて柑橘類が壊血病の予防に有効であることが見出され,20世紀に入ってビタミンCとしてアスコルビン酸が同定された.現在では壊血病はほとんどなくなったが,ヒトの血中アスコルビン酸レベルは他の哺乳動物に比べて2~4倍低い.したがって欠乏しやすい状態にあり,とくに喫煙者では注意を要する.
霊長類や一部の哺乳類がアスコルビン酸合成酵素を失ったことは,進化学的にみて有利であったのであろうか.これについてはいくつかの仮説が提唱されている8)10).その1つはレトロウイルスによってL-グロノラクトンオキシダーゼ遺伝子にAlu配列が挿入されたが,アスコルビン酸の低下はウイルスの増殖抑制に働いたとする説,またこの酵素は過酸化水素もつくるので,食物中からアスコルビン酸を摂取できれば酸化還元状態からみてより有利であったとする説,アスコルビン酸と尿酸とは血圧調節にかかわっているとする説などがある.そのいずれが正しいのか,それともその他の原因があったのかは,現在なお明らかでない.人類の遠い祖先は,現在まだ理解されていないような環境ストレスに曝されながら生き延びてきたのであり,血清尿酸の増加,アスコルビン酸の減少はそうした状況下で適応に有利であったものと考えることができる10).しかし,他方では当時の哺乳類はビタミンCの豊富な植物食が中心で,この酵素遺伝子を失っても生存に不利とならず,中立変異(連載第3回で解説予定)として偶然集団内に広まった可能性も考えられる.