[Opinion―研究の現場から]

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本コーナーでは,実験医学連載「Opinion」からの掲載文をご紹介します.研究者をとりまく環境や社会的な責任が変容しつつある現在,若手研究者が直面するキャリア形成の問題や情報発信のあり方について,現在の研究現場に関わる人々からの生の声をお届けします.(編集部)

第82回 地方医学生,研究者になる.

「実験医学2017年4月号掲載」

この春,私は医学部を卒業し,大学院に進学した.同級生のほとんどが研修医となるなか,なぜそのような決断をしたのか,私の話が進路に迷っている後輩に何かの参考になれば幸いに思う.

浪人中だった2010年の夏,「京都大学の英語の長文では脳科学の話題がよく出ます.脳を科学的に解明する時代になってきたのですね」という予備校講師の一言に,全身が沸騰した.思えばこれが,私が神経科学の「鉱脈」に触れた最初の瞬間だったように思う.

しかし私は京都大学に落ち,岡山大学へ通うことになった.それは挫折だったが,とにかくなんでもやってみようと思い,自大学や他大学の研究室でさまざまな分野の実験をさせていただいた.実験はおもしろかった.だがしばらくして,自分の内側に渦巻いている脳に対する疑問に迫るにはどこか遠い気がしてきた.どうすればよいかわからないまま時間だけが過ぎた.このまま流されるように臨床医になってしまうのだろうか.焦りと不安で爆発しそうな日々だった.

そんななか,4年生になっていた私は,脳の論文を読むと一瞬にして再び「鉱脈」に触れられることに気づいた.それは暗闇のなかに射す一筋の光だった.不思議なことに,他の分野ではどこかずれていたダイヤルロックが,この分野でだけきれいに解け,世界が輝いて見えた.ああ,生きていると思えた.それからは,ときに寝食を忘れ,脳裏をよぎる疑問とアイデアを書き散らしながら,脳の勉強に没頭した.そのうち,自分のすべてを神経科学に注ぎたいと思うようになった.直ぐにでも飛び出して,朝から晩まで研究に打ち込みたくてしかたなかった.自分の疑問に一歩でも近づくような研究ができそうな研究室をいくつも探し歩いた.

だが,その頃には医学部生活が忙しさを増していた.実習の先々では「お前,正気か?」「臨床研修だけはしとけよ」と言われ続けた.とても脳の勉強に集中できる状況ではなくなっていた.我慢が限界まで来たとき,私はついにスイッチを切った.いったん,一切を忘れて「普通の医学生」になろうと決めたのだ.そうしなければ精神がもたなかった.

しかし,休日になると研究をしたい気持ちがよみがえり,さまざまな大学院の説明会に出席した.そして5年生の春,ついに東京大学 河西春郎教授の研究室に行き当り,ここは何かが違うと感じた.今までの私の脳に対する理解がいかに表面的で未熟であったかを思い知らされ,ここで修行したいと思った.ほとんど直感だった.

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そうと決まれば,次の難題は2年間の卒後臨床研修をするか否かだった.研修をしなければ臨床医としては働けず,お金に困ることになるかもしれない.悩み抜いた末に,理研BSI 内匠透チームリーダーの「若い時の小金は将来の何の役にも立たない」,益田赤十字病院 木谷光博院長の「すぐに研究しないと後悔する」というお言葉が背中を押し,卒後直ぐに大学院に入ることにした.決断してからは迷いが消え,研究者として生きる覚悟も固まった.ずれたまま悲鳴を上げていた歯車が再び噛み合って回るようになった気がした.

いや,そんなにうまくいくはずがない.きっと壮絶な厳しさが待っているだろう.とはいえ,他に心を残したまま臨床医になるのは苦しい.ならば,真正面からやれるだけやってみようと思う.

最後に,岡山大学でたいへんお世話になった松井秀樹教授,宮石智教授,鵜殿平一郎教授,竹田哲也助教,藤村篤史特任助教(現 熊本大学),ARTプログラム推進室の早瀬佳子さん,4カ月間の実験を通して研究の厳しさを教えてくださった九州大学の中山敬一教授,脳の勉強に関するご助言をくださった東京大学の上田泰己教授に,この場をお借りして厚く御礼申しあげます.がんばります.

守本祐一(東京大学大学院医学系研究科機能生物学)

※実験医学2017年4月号より転載

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本記事の掲載号

実験医学 2017年4月号 Vol.35 No.6
食欲と食嗜好のサイエンス
体外からの味・匂いと、体内の栄養情報に揺り動かされる決断のメカニズム

佐々木 努/企画
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